箕輪初心:生方▲『金子みすゞの世界』at土屋文明記念文学館in群馬

平成30年(2018)8月22日、土屋文明記念文学館に『金子みすゞの
世界』展に行ってみた。私は『みんなちがって、みんないい』という
金子みすゞの詩のフレーズが結構、好きだ。小学校5年の国語教科書
の中に「みすゞさがしの旅」がある。今もあるのかなあ?、見物後、
学芸員の吉田さんと文学の話を1時間程した。私の叔父の家にも来た
ことがあるそうである。叔父は生前、土屋文明記念文学館に土屋文明、
山村暮鳥などの初版本を寄贈していることも御存知だった。
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土屋文明記念文学館
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本の購入
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◆◆ 金子みすゞの略歴 ◆◆
明治36年(1903)4月11日 山口県大津郡仙崎村(=現長門市仙崎)
出身。父:鈴木庄之助は、母の妹の嫁ぎ先の下関の「上山文英堂
:清の支店長だったが、みすゞが3歳の時に清国で死んだ。
みすゞは、劇団若草の創始者:上山雅輔(実は彼女の実弟)に養
子に出された。大津高等女学校(=現山口県立大津緑洋高校)を
卒業した。叔母の死後、上山雅輔の養父:上山松蔵とみすずの母
が再婚したため、みすゞも下関に移り住んだ。でも、金子みすゞ
&上山正祐は姉弟の関係であるのに好きになってしまったのだ。
みすゞは下関の上山文英堂で働きながら詩人として頭角をあらわ
しはじめた。西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛さ
れた。みすゞが、結婚させられた相手は、女遊びが派手な
放蕩者で、詩も文通も禁止されたあげくに、淋病をうつした。
正式な離婚が決まった。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと
要求したが、娘の親権を強硬に要求してきた。みすずは、娘を自
分の母に託すことを懇願する遺書を残して服毒自殺した。26年
の短い生涯を閉じた。薄幸このうえない境遇であった。金子みすゞ
は26歳で自殺するまでに、大正末期~昭和初期に約10年で、
512編の詩を作ったと言われている。
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箕輪初心★「金子みすゞさがしの旅」矢崎節夫編
<< 作成日時 : 2013/05/24 07:29 >>
なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4
https://53922401.at.webry.info/201305/article_25.html
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★矢崎節夫氏は、金子みすゞの作品をを探し求めて16年。世の中に
金子みすゞあり。と、詩を紹介した方である。群馬県の吾妻高校の
先生:酒井大岳氏などと、金子みすゞの詩の紹介に奔走した。現在
は、山口県長門市仙崎の『金子みすゞ記念館』の館長をされている。


 (★1800円・・・2004年)
★この本には、高崎市箕郷町の写真家:おぎの芳信氏の
 ネパールなど写真・・・ネパールの「みすゞ小学校」の写真も
 掲載されている。原文写真も掲載されていて、非常に優れた
 本である。 

◆◆ 箕輪初心★『金子みすゞの世界』酒井大岳編 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_24.html
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【1】矢崎節夫氏の金子みすゞ『大漁』との出会い
昭和41年、早稲田大学の1年生だった矢崎節夫さんがひとつの詩に
出会うところから始まる。~~~その詩は有名な詩、「大漁」である。
矢崎節夫さんはこの『大漁』を初めて読んだ時、その作者の深くやさ
しいまなざしに触れ強く心を動かされたのだ。
『大漁』 
   朝焼け小焼けだ大漁だ 
   大羽いわしの大漁だ
            
   浜は祭りのようだけど
    海の中では何万の      
   いわしの弔いするだろう  


【2】矢崎節夫さんの『つゆ』との出会い
 2回目に矢崎節夫さんが、みすゞさんに出会っやのは、2年後の
昭和43年、大学3年生の時だった。矢崎節夫さんが出版社でアル
バイトをしていた時だった。詩人の佐藤義美さんのところに原稿を
取りに行った時、その原稿の中に金子みすゞさんの『つゆ』という
作品を見つけたのだった。
『つゆ』
 だれにもいわずにおきましょう。 
 朝のお庭のすみっこで、
 花がほろりとないたこと。

 もしもうわさがひろがって
 はちのお耳へはいったら、
 わるいことでもしたように、
 みつをかえしにゆくでしょう。
 そして、この時、矢崎節夫さんは、佐藤さんから、
①「金子みすゞが山口県下関に住んでいた女性であること、
②当時華々しい活躍をしていたこと、
③26歳という若さで亡くなっていること、
④彼女の詩集が3冊の手帳にまとめられ、西條八十氏の手元にあること。
を知らされた。
 早速、矢崎さんは西條八十氏の親族に手紙を送りますが、~~~
その返事は来ず「みすゞ探し」は壁に突き当たってしまった。


【3】矢崎節夫さんの『繭と墓』との出会い
 それから2年後、矢崎さんは「金子みすず童謡集『繭と墓』」に出
会った。これは、金子みすゞの詩30編を集めたものであった。
矢崎さんにとっては、「大漁」と「つゆ」しか知らなかったので、
感動してしまった。
『繭(まゆ)と墓』
蚕は繭に はいります、
 きゅうくつそうな あの繭に。

 けれど蚕は うれしかろ、
 蝶々になって 飛べるのよ。

 人はお墓へ はいります、
 暗いさみしい あの墓へ。
 
 そしていい子は 翅(はね)が生え、
 天使になって 飛べるのよ。


 この本で、金子みすゞが下関の「商品館」という建物に入って
いた本屋=で働いていたことがわかった。


【4】矢崎節夫さんの「金子みすゞ全作品」との出会い
 その後、何の手がかりもなく10年の時が過ぎ、あきらめかけていた
ときのこと。矢崎さんの中学時代の友人が下関にいたことから、年に
数回下関に出かけるようになった。矢崎さんは、下関に出かけるた
びに、金子みすゞを知っている人を探したが、なかなか見つからな
かった。
 そんなとき、ふと「金子みすず童謡集『繭と墓』」に出ていた「商品
館」のことを思い出したのだった。そして、下関の友人に、「商品館に
店を出していた本屋を探してくれ。」と頼んだ。
 すると、下関の友人からすぐに、「金子みすゞのいとこにあたる人が
見つかった。」と知らせがあった。
 その人に連絡をとると、「東京に上山雅輔という金子みすゞさんの
実の弟がいるのでそちらに聞いた方が詳しいことがわかるだろう。」
と教えてくれた。
 早速次の日、矢崎さんは上山さんに連絡を入れた。
すると、電話口の上山さんは
「みすゞは私の姉です。何か残っているかもしれないので探してみます。
一週間ほど時間を下さい。」
と話した。
 そして、一週間もたたずに、上山さんから「姉の原稿と写真が見つか
ったので来てほしい。」
と連絡が入った。
 矢崎節夫さんが、指定の日時に上山さんを訪ねると、上山さんは、3
冊の手帳とみすゞさんの写真を見せてくれた。金子みすゞは、3冊の詩
集を2セット作り、一つは西條八十氏のもとへ送り、もう一つは上山さ
んに託していたのだった。
 3冊の手帳には、それぞれのとびらに「美しい町」「空のかあさま」
「さみしい王女」とタイトルが書かれていた、512編もの作品が金子み
すゞ自身の肉筆で書かれていたのだ。
 それが、矢崎節夫さんが金子みすゞさんの全作品に巡り会った瞬間で
した。この時、「矢崎節夫さんのみすゞ探しの旅」を始めてから、実に
16年の歳月が経過していたのであった。  
 


【5】矢崎節夫さんの「金子みすゞ全集」の出版
 昭和59年2月、多くの人たちの善意により、「金子みすゞ全集」が出
版された。そして、みすゞさんの詩はまたたく間に人々の心を捉えてい
った。
 金子みすゞの詩が現代に甦ったのは、矢崎節夫さんの発見~16年
間の「みすゞさがしの旅」、上山雅輔さんの姉みすゞの手帳を大事に保
管していたことによるものなのである。


【6】長門市のHpより引用
 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、
隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひとき
わ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市
仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれに
でも優しい人であったといいます。
 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの
雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビュー
を飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の
中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23
歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、
さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の
娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去っ
てしまいます。こうして彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡
詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者
の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により
再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるよ
うになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつ
らぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセ
ージを伝え続けています。
 (★長門市Hp)



【7】矢崎節夫さんの「いのちとこころの宇宙の旅」より
 「ぼくは、金子みすゞの作品が大好きです。
 みすゞのふるさと、山口県長門市仙崎の町も大好きです。
 ここには、ぼくがいつも「みすゞさん」と呼ぶ詩人を生み育てた、
 すべてがあるからです。 

・・・・・中略 ・・・・
(★みすゞ探しの旅の内容・・)

 みすゞの宇宙では、いのちとこころが、いたるところでこだましあっ
てみすゞからのメッセージを歌い続けているのです。自分を取り巻くす
べていのちの輝きと、自分の内側に果てしなく広がるこころの豊かさが
こだましあい、響きあう、優しさに満ちた宇宙、それがみすずコスモス
です。 云々。・・・・





【8】金子みすゞの作品
『大漁』
 朝やけ小やけだ
 大漁だ
 大ばいわしの
 大漁だ。

 はまは祭りの
 ようだけど
 海のなかでは
 なん万の
 いわしのとむらい
 するだろう。

『海とかもめ』
 海は青いとおもってた、
 かもめは白いと思ってた。

 だのに、今見る、この海も、
 かもめのはねも、ねずみ色。

 みな知ってるとおもってた、
 だけどもそれはうそでした。

 空は青いと知ってます、
 雪は白いと知ってます。

 みんな見てます、知ってます、
 けれどもそれもうそかしら。

★「海とかもめ」も凡人の私とは異なる発想をしている。

 『明るい方へ』
 明るい方へ
 明るい方へ。

 一つの葉でも
 陽の洩るとこへ。

 藪かげの草は。
 明るい方へ
 明るい方へ。

 翅(はね)は焦げよと
 灯のあるとこへ。

 夜飛ぶ蟲(が)は。
 明るい方へ
 明るい方へ。

 一分もひろく
 日の射すとこへ。
 都會=会に住む子等は。

★ビデオ「明るい方へ明るい方へ」と図書館で予約した。


 『星とたんぽぽ』
 青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように、
 夜がくるまでしずんでる、

 昼のお星はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。

 ちってすがれたたんぽぽの、
 かわらのすきに、だまって、
 春のくるまでかくれてる、

 つよいその根はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、

 見えぬものでもあるんだよ。
 

『ぬかるみ』
 このうらまちの
 ぬかるみに、
 青いお空が
 ありました。

 とおく、とおく、
 うつくしく、
 すんだお空が
 ありました。

 このうらまちの
 ぬかるみは、
 深いお空で
 ありました。

★神や仏も出てくるよ。
 『蜂と神様』
 蜂はお花の中に、
 お花はお庭の中に、
 お庭は土塀の中に、
 土塀は町の中に、
 町は日本の中に、
 日本は世界の中に、
 世界は神様の中に,
 そうして、そうして、神様は,
 小ちゃな蜂の中に。

 『さびしいとき』
 わたしがさびしいときに、
 よその人は知らないの。

 わたしがさびしいときに、
 お友だちはわらうの。

 わたしがさびしいときに、
 お母さんはやさしいの。

 わたしがさびしいときに、
 ほとけさまはさびしいの。




 『わたしと小鳥とすずと』
★一番好きな詩である。
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 わたしが両手をひろげても、
 お空はちっともとべないが、
 とべる小鳥はわたしのように、
 地面をはやくは走れない。

 わたしがからだをゆすっても、
 きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように、
 たくさんなうたは知らないよ。


 すずと、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。





★明日は鎌倉文学館にするか?

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この記事へのコメント

絵本のまち有田川
2020年01月20日 07:06
 「大漁」は、自然数の風景だ。

自然数は、[絵本][もろはのつるぎ]で・・・

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