伊香保№00『エロ解釈万葉集伊香保編9首』古代~鎌倉時代

「伊香保」の地名は古く、『万葉集』の東歌に9首詠まれている。
「厳つ峰」(いかつほ)とか「雷の峰」(いかつちのほ)に由来し
していると云われている。。当時、吉岡~伊香保一帯を支配して
いた豪族:有馬の君の勢力下であったのかもしれない。
●箕輪城語り部の会:岡田会長の「万葉集講座」では
「①伊香保という地名は噴火で神が怒っていると言う意味である。
怒る山=イカホ(ホは山の嶺) 
※イカ・・厳しい。伊香保という地名は「厳めしい山」の意味である。
厳しい山の感覚的な意味あいがある。
「保・穂」・・・は高い所・高い山の意味である。
②又、「イカ」には「雷=いかづち」のイカ=厳しいの意味があり、
 「つ」は・・・「の」の意味を表す。イカ・ッ・チ・・・
従って、「厳めしい稲妻=雷(いかづち)の多い高い山」の意味になる。
③万葉歌に詠まれている伊香保。
・伊香保嶺(いかほろ)= 榛名山
・伊香保沼(いかほぬま)= 榛名湖
・阿蘇山→(阿岨山)→浅間山=水沢山である。
※5万分の1の地図は浅間山と記されている。榛名山、とくに水沢山を
 指す古名だったと言われている。」と教えてくださった。
画像

(★かみつけの里・保渡田古墳群八幡山古墳から
 見た榛名山、一番左が水沢山(浅間山)で、2つ目は
 相馬山、3つ目は雄岳・雌岳である。)


【1】伊香保温泉の歴史
1)弥生時代・・群馬では縄文時代
 垂仁2年(32)説・・・伊香保温泉1900年前発見説
 ★崇神天皇の「古事記崩年干支」戊寅は378年だから
 変な話である

2)古墳時代~白鳳時代~奈良時代 
伊香保を詠んだ歌の歴史的状況
◆万葉の時代
①多くの地方豪族が古墳を造った。
 例、太田天神山古墳・・・群馬・東国№1巨大古墳。
    豊城入彦命が祀られている。
    毛野氏の先祖? 
②AD495年?とAD525年? 榛名山の大噴火した(★早川2009)
 ★南麓の相馬が原の△の扇状地の地形が肉眼で
 はっきり分かる。
 伊香保町、渋川市、子持村付近では2m程の軽石をつもらせた。
 ※伊香保温泉はこの時の名残であると考えられている。
③東山道ができ、元総社~旧群馬町にかけて、国府がおかれ、
 国分寺・国分尼寺が建てられた。
 万葉集の中に、国司:田口益人・上毛野氏の歌も
 ある。

3)奈良時代・・・
 榛名二つ岳の噴火の時期を600年頃と推測
  (群馬大学の尾崎喜左雄博士)

670年頃、榛名山の2回目の火山活動した。
 (高崎市教委→明治大学の准教授:若狭徹先生「高崎千年物語)
  伊香保に温泉が湧出した。★伊香保温泉の始まりか?
 伊香保の地名は、『続日本紀』「三代実録」に登場する。

 万葉集には上毛野国の和歌は25首+1首(沢渡)があるが、
 そのうち、9首は「伊香保」である。
 ★厳密には、伊香保=榛名山のことである。
『伊香保嶺に 雷(かみ)な鳴りそね 吾が上には
   故はなけども 児らに因(よ)りてぞ 』

 万葉集に『伊香保』の名が登場している。
①巻14-3409
伊香保ろに天雲い継きかぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら

②巻14-3410
伊香保嶺の岨の榛原ねもころに将来をな兼ねそ現在し善かば

③巻14-3414
伊香保ろの八尺の堰塞に立つ虹の顕ろまでもさ寝をさ寝てば

④巻14-3415
上毛野伊香保の沼に植え子水葱かく恋ひむとや種求めけむ

⑤巻14-3419
伊香保世欲奈可中次下思ひとろ隈こそしつと忘れ為なふも

⑥巻14-3421
伊香保嶺に雷な鳴りそねわが上には故は無けども児らにてよりてそ

⑦巻14-3422
伊香保風吹く日吹かぬ日ありといえど吾が恋のみし時無かりけり

⑧巻14-3423
上毛野 伊香保嶺ろに 降る雪の 行過ぎてかぬ 妹が家のあたり

⑨巻14-3435
伊香保嶺の岨の榛原わが衣に着きよらしもよ一重と思えば

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箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』①山名駅~山名
八幡宮~山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』②山上の碑
~山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』③山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】④山名城4番~10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』⑤根小屋城2回目
https://53922401.at.webry.info/201510/article_29.html

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4)平安時代
『延喜式』・・・伊香保神社が登場する。
・承和2年(835)9月19日 名神大社に列せられた。
・承和6年(839)   従五位下
・元慶4年(880)  従四位上
・長元3年(1030)  正一位
・??? 「上野国三ノ宮」として伊香保神社がある。
しかし、伊香保神社は、水沢山を信仰の対象としたもので、別の場所
 にあったと考えられる。
 例えば、「水沢廃寺」が承和6年(839) 頃には現水沢うどん街の
 「万葉亭」を下った約200m下に造られたが、その近くの
 可能性が高い。
 
・??? 伊香保神社は伊香保温泉の石段街を登りつめた場所に鎮座
  した。
平安末期、全国の各温泉地が神社との関係で中央政治の体制の中に
  取り込まれたことが確認されている。

 温泉の守護神となったことを考えると、温泉の発達と関係が
 ありそうである。

・やがて上野国三之宮は衰微した。

 現在の祭神は、温泉・医療の神:大己貴命(おおなむちのみこと)
 ・少彦名命(すくなひこなのみこと)であり、後の祭神と考えられる。
 つまり、戦国時代であろう。


「呉竹の 世々の古事 なかりせば 伊香保の沼の いかにして思ふ」 
 [古今集1003忠岑]『古今和歌集』
★「呉竹の」詠は長歌の一部である。



◆参考Hp (特別に詳しいHp)
群馬県立女子大学 石川研究室
http://y-ishi.parfe.jp/utamakura/ikaho.html
http://y-ishi.parfe.jp/utamakura/ikaho.html

『内裏名所百首』にも伊香保を詠んだ歌がある。


5)鎌倉時代
源頼朝は板東33観音を選択し、水沢寺が関東の十六番札所に選定
  され、巡礼者が多く訪れるようになった。
 水沢廃寺→板東16番札所:水沢寺
水沢船尾近くの柳沢寺→現榛東村の柳沢寺
水沢近くの滝沢寺→箕輪の滝沢寺
★まだ、伊香保温泉とセットにはなっていないであろう。


○南北朝時代
『神道集』・・・伊香保の昔話3話が登場する。


6)室町時代


★明日の伊香保は十返舎一九。

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