箕輪初心:生方▲伊香保№08≪十返舎一九:文政2年(1819)≫文学者・エロ浮世絵師

草津温泉・伊香保温泉には、多くの文化人・著名人が通っていた。
十返舎一九は、江戸時代を代表する戯作者で、その中でも、弥次
郎兵衛と北八コンビが活躍する「東海道中膝栗毛」が有名である。
『諸国道中金の草鞋』(別名:「方言修行金の草鞋」)では、
甲州→諏訪→岡谷→塩尻峠→塩尻→松本→刈屋原→善光寺→戸倉→
坂木→上田→田中→小諸→追分→六里ヶ原(浅間山の横)→
大笹→西窪・・(大笹街道)・・→大前→中居→草津→生須→暮坂峠
→大岩→沢渡→中之条→五町田→伊香保→▲榛名山→室田→高崎
→倉賀野・・・(中山道)・・・江戸のコースを行った。現代版人
気旅番組作家、キャスター=紀行文・旅雑誌作者である。旅人が増
えたり、行った気にさせたりした。現代版猥褻画像=エロ浮世絵師
としてもH画像で、人々を楽しませたが、・・・喜多川歌麿・喜多
川月麿・歌川国貞同様、捕まって発禁になったかもしれない。
画像

(★無料画像より)




【0】『諸国道中金の草鞋  十三』(別名:「方言修行金の草鞋」)
伊香保
「それよりいかほおんせんにいたり、木ぐれ武太夫のかたに
 とうりうする。このところもくさつにおとらぬはんじゃう
 にて、入とうのりょじんおびただし。ゆはふじんによきゆ
 ゆへおんなくあくおほくにぎやかなる。」
『湯とともに わき出るかと おもふほど 
           旅人のかね うまる壺數』
『大黒の つちよりわけば おのづから
          湯はかねとなる ほどのはんじゃう』
・・・(後略)

榛名山
「いかほよりはるなへさんけいするみちのほど二りがかりのあいだ、
 いたってけしきよろしきところあまたあり。そのほか大いわさま
 /゛\のかたちしたるいわどもありておもしろきみつなり。
『消残る 雪はさなから 白にぎて 
            榛名の山の 杉のむらだち 』
・・・(後略)
文政3年(1820)発刊

(青き上に 榛名・伊香保文学紀行:土屋文明記念文学館)



箕輪初心:生方▲草津100-№26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201803/article_23.html



【1】十返舎一九と草津温泉:望雲・山本館
・文政年間(1818~1830)に2度草津温泉を訪れた。草津の様子は「東海
道中膝栗毛」の続編「続膝栗毛十編上州草津温泉道中:上下」に記さ
れている。「方言修業善光寺草津温泉道中金草鞋」「上州草津温泉往来」
などに書き残されている。「上州草津温泉往来」の中では、西の河原公
園一帯について「天狗山微雨の夜、山上に火を燃すことその数おびた
だし。鬼の角力場、土俵の形おのずから石ならびてその名となる」と
記しているそうである。白根神社にある十返舎一九の碑は、『上州草津
温泉道中続膝栗毛』の一部と絵が刻まれている。

※黒岩鷺白(1744~1824)‥‥‥忠右衛門。
草津の宿屋『望雲』の主人:望雲7代目黒岩忠右衛門は 雲嶺庵露白
と号して、俳諧を支えた俳人であった。
京都の芭蕉堂蘭更の門下で雲嶺庵と号していた。
白井鳥酔、加舎白雄、烏明、暁台、小林一茶、道彦、単兆、
十返舎一九、鈴木牧之ら一流の俳人・文人が黒岩鷺白の元に
集まった。
望雲には高村光太郎・智恵子夫妻、俳人・斎藤茂吉も逗留している

●草津温泉「望雲」
箕輪初心◆2014スキー№9【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html



現在、望雲は草津温泉の2つの源泉を引いた掛け流しの6つの風呂
がとってもいい。温泉を満喫できる。
私は望雲の風呂には10回以上入っている。




【2】十返舎一九の生涯 (1765〜1 831)
※江戸時代中期頃になると民衆の識字率が急速に伸び始め、多くの本
 が出版され活字を求めるようになった。作品がヒットした背景には、
 寺子屋の増加により、人々の識字率が高まっていた理由もあった。
「庭訓往来」などの教科書も生まれた。
 文字の読み書きは武家・公家や僧侶など知識階級・特権階級だけで
 あったが、一般庶民が読み書きできる時代が来たのだ。


・宝暦年間(1751~1763)江戸に滑稽本が発生した。
 新しい小説で、滑稽の中に風刺や狂歌を盛り込んだ本として書かれ
 始めた。


・明和2年(1765)駿河国府中(現静岡市葵区両替町一丁目)で町奉行
 の同心の子供として生まれた。
 本名は重田貞一(しげた さだかつ)
 幼名は市九。通称に与七、幾五郎があった。

江戸に出て武家奉公をした。

・天明3年(1783)19歳、浅間焼け
 大坂へ移り、大坂町奉行・小田切直年に勤仕した。

・天明4年(1784) 20歳頃 浪人した。
  竹本義太夫の語りの家に寄食し、浄瑠璃作者となった。
  また、志野流の香道を学んだ。

・寛政元年(1789)25歳『近松与七』の名前で、浄瑠璃『木下蔭狭間
合戦』(このしたかげはざまがつせん)を合作した。

 酔翁、十返舎などと号した。

・寛政6年(1794)30歳 江戸へ戻り、通油町(現中央区日本橋大伝
馬町)の版元:蔦屋重三郎方に寄食して、用紙の加工や挿絵描きなど
を手伝った。


・寛政7年(1795)31歳 蔦屋に勧められて黄表紙『心学時計草』を
 出版した。
 一九は独学で、黄表紙、洒落本、人情本、読本、合巻、狂歌集など、
 さらには教科書的な文例集まで書いた。
 筆耕・版下書き・挿絵描きなど、自作以外の出版の手伝いも続けた。

※寛政から文化期に「行列奴図」や、遣唐使の吉備真備を描いた
 「吉備大臣図」などの肉筆浮世絵を残している。


・享和2年(1802)38歳 『東海道中膝栗毛』が大ヒットして、一躍
 流行作家となった。
「東海道中膝栗毛」に出てくる弥次さん、喜多さん。東海道の名所
 紹介をヒョウキンな二人の道中に仕立てたこの滑稽本は、当時の娯
 楽小説として爆発的なベストセラーとなり、江戸中の風呂屋や床屋
 は一九の話題でもちきりだったそうである。
 十返舎一九は失敗しても明るい朗らかな弥次さん喜多さんを、洒落
 と風刺の利いた軽妙なタッチで描いた。
江戸っ子の弥次さん喜多 (北)さんが旅をする『東海道中膝栗毛』
 シリーズの出版でヒットを飛ばし、大衆の旅行ブームにも大きな影響
 を与えた。

・文化7年(1810) 46歳 眼を病んだ。
  しばしば再発した。

●文化11年(1814) 『諸国道中金の草鞋』
※上野国は「空っ風」が有名だった。
 「頬っかぶり」や「焚き石」・「焼き石」は上野の寒さ対策だった。

 『東海道中膝栗毛』 や『諸国道中金の草鞋』という二大紀行文シリ
 ーズは、各地の様子や風俗、習慣、方言、言葉などを旅人の目を通
  して面白おかしく織り込んで出版された。
 途中の旅行案内にもなっていたので、文化文政時代には多くの旅人が
 さらに増加した。
 

「東海道中膝栗毛」や「方言修行 金草鞋」をはじめ数々のヒット作
を連発して、日本最初の職業作家とも言われている。
「最近ではいつも出版元から係の人がきて、机の横で原稿ができあが
 るのを待ってます。」と作家生活を描写している。
十返舎一九は作品執筆による収入だけで生活した。
日本に職業的著述業の成立を可能にする規模の市場が、日本に史上は
じめて成立した時期だったのである。

以降は生活のため、20年以上、毎年20部前後の新作を書き
 続けた。
 また、作品と同時並行して取材旅行も行い全国各地に歴訪し、場所場所
の歴史や文化、土産物などを作品中に登場させている。

 十返舎一九は文才にくわえ絵心があり、文章だけでなく挿絵も自分で描
 き、版下も書くという、版元に便利な作者であった。
★十返舎一九は「浮世絵のエロ画像の原画にも優れ、女性の陰部、男性器は
巨大化され、グロテスクで、下の毛も一本一本非常に繊細に書かれている。 

十返舎一九は版下と挿絵の両方に才があったことから版元から重宝がられ、
浪人時代に培った芸事や雑学などが豊富だった事から話の種も尽きず、
狂歌をはじめ様々なジャンルにも挑戦し多くの分野を取得していった。
狂言、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎、落語、川柳・狂歌を作品の素材にした。


●文政2年(1819) 善光寺参り→草津温泉とをした。
※十返舎一九が草津への旅をして残した紀行文は3つある。
①『諸国道中金の草鞋 十三』 ②『草津道中膝栗毛』 ③『滑稽旅烏』
 文政2年の際の体験と絵図が書かれている。

1)『諸国道中金の草鞋  十三』(別名:「方言修行金の草鞋」)
  各地の方言や名物を紹介してある。
 全部で 26 編中、13 編目が草津旅行編である。こ
 紀行文は甲府から始まる。
甲州→諏訪→岡谷→塩尻峠→塩尻→松本→刈屋原→善光寺→戸倉→
 坂木→上田→田中→小諸→追分→六里ヶ原(浅間山の横)→
 大笹→西窪・・(大笹街道)・・→大前→中居→草津→生須→暮坂峠
→大岩→沢渡→中之条→五町田→伊香保→▲榛名山→室 田→高崎
→倉賀野・・・(中山道)・・・江戸。
善光寺から関東に出るためには、北国街道・中山道の主要街道を通るの
が一般的であるが、大笹街道を経ることで、距離が短くなる。宿場数が
少なく経費を削減することができる。碓氷峠より危険度が少ないなどの
利点があった。松代藩・飯山藩は参勤交代では大笹街道を利用していた。
江戸時代末から明治時代、鉄道が敷設されるまで北信濃の荷物を江戸・
東京に運ぶために賑わった。
大笹街道は、善光寺と高崎をつなぐバイパスであった。
須坂市福島を起点に仁礼、鳥居峠を越えて群馬県大笹宿終点に、
大戸道を経て高崎、関東に出るたいへん重要な脇街道であった。

十返舎一九の「続膝栗毛」
※仁礼宿

※草津
1)『諸国道中金の草鞋 十三』
①草津の項、挿絵「滝の湯」
 滝の湯に入浴している絵が大きく描かれていて、絵の周りに草津の
 説明や旅人、入浴者のコメントが書かれている。
「おびただしい人だ。日本一のめいとうだ。」
「草津入口の町屋なり。温泉の旅人 にて繁盛す。中居(嬬恋の三原
付近)より三里行きて草津入口なり。ここにて往来の人や宿屋の切手
を渡す。 入口の町を新田町、立町という。ここの宿いづれも大家に
して普請の結構み な三階づくりなり。湯本安兵衛、黒岩忠右衛門
ならびに山本十右衛門などいづれも繁盛の湯宿なり」
②草津の歴史や温泉の効能、共同湯 の紹介など。
③草津の項、挿絵「湯畑」
 屋根の上に石が載った2〜3階建ての建物が湯畑の周囲にある。
 多くの人が建物の内外にいて、賑わっている様子が描かれている。

※豊岡
十返舎一九は「豊岡から高崎城3重櫓(安藤時代に築城)をみてびっ
くりした という。土の土台7m・・・高さ13m=20mの櫓だった。
※「高崎」
「むろ田より三りあまり」

挿し絵…上がり端に股旅姿の2人の男は宿に着いたばかり
  女中は武士に座ったままお茶を勧めている絵。
  「150日洗わなかった褌を洗ってくれ。」
  と武士はにやけながら、話している。
画像

中山道の烏川にかかる舟橋があった。
※高崎宿
十返舎一九は木曽街道~中仙道で初めて、「本屋」
 あったとビックリした。

※倉賀野神社
「乗りこころ よさそふにこそ 見ゆるなれ 
   馬のくらがの  しゅくのめしもり」― 十返舎一九の狂歌 ―
旅籠、飯盛女たちも高崎より多く、繁盛した宿だった。
  とはいうものの、東海道の三島宿・中仙道の倉賀野宿が
  飯盛女が最も多かった場所だった。
良く出来た狂歌である。
   馬の「鞍」と「倉賀野」が掛詞
  「馬に乗る~女に乗る」も秘かに隠された掛詞。
 ★「十返舎一九」も相当な好き者・旅の恥は掻き捨てタイプ
  だったようだ。と考えられるものの、
 しかし、間引きや飯盛女として3年奉公での金子前借り農家の
  実態に心底ではやるせない悲哀を感じているのかもしれない。

※新町宿
十返舎一九の「金草鞋」と「膝栗毛」
 (★新町町史)

 
2)『上州草津温泉道中続膝栗毛 十篇』 
 弥次さ ん喜多(北)さんが登場する。
 善光寺→福島の渡り→渋沢→鳥居峠→大笹→草津コースである。
 2人は草津で湯に入ったり、様々な騒ぎを起こしたりしながら、
 滞在を楽しみんでいる。歌や草津が夜中まで賑やかな様子、宿の
 様子などが細かく書き表されている。
「生茂る 夏の草津に 来てみれば 今をさかりと ひらく湯の花」
 (『草津温泉誌   第壱巻』p914)

3)『滑稽旅烏』(こっけい たびがらす)  
 新潟→善光寺→草津
 「草津は名湯の聞こえ高く、諸国より入込む湯 治の人、おびただ
 しく、黒岩忠右衛門というに、宿を定めて、・・・(後略)」
 望雲の様子草津の湯治風景、湯畑の周りの様子、食事や飴売りこと
 などが記載されている。

●文政3年(1820)「続膝栗毛十編(上州草津温泉道中含む)」を発刊した。
 2回目の草津温泉を訪れた。
十返舎一九は「東海道中膝栗毛」の挿絵を描いていた喜多川月麿と
 一緒に草津温泉に来た。
 深川から来ている粋な辰巳芸者を巡って・・・・
 草津温泉「望雲」に泊まった。
 一九と月麿が草津温泉で巻き起こす馬鹿騒ぎをしていたらしい。
 山東京伝、感和亭鬼武、若き日の滝亭鯉丈と為永春水も登場している。

『越後新潟道中膝栗毛 』
高崎→(三国街道)→六日町→小千谷→長岡→与板→ 西蒲原郡内
→新潟町→出雲崎→高田・・・→信州への旅
 滑稽かつ心に残る話を書きとめた。
①つがいの朱鷺がへびから卵を守る話、
②牝犬が親なしの五匹の子犬を自分の乳で育てる 話、
③乳飲み子を残して妻に先立たれた男の話。
(★『新潟県文書館』)

・文政3年(1820)「上州草津温泉道中膝栗毛」が出版された。
 「山本十右衛門(現山本館)はんじゅうのゆやどなり」
(善光寺草津道中 金の草鞋より)


・文政4年(1821)「方言修行善光寺草津温泉道中金草鞋」を発刊した。
諸国道中金の草鞋
 江戸→甲州→善光寺→(大笹街道)大笹→草津→高崎
※草津温泉の繁盛振り・・・
「天狗山微雨の夜、山上に火を燃すことその数おびただし。鬼の角力場、
土俵の形おのずから石ならびてその名となる」と表現した。
 鬼の相撲場…
現草津温泉の和風旅館「望雲」で泊った。

※岩島…麻の産地であった。
 しかし、上野国は養蚕やカラムシ(真芋)の生産が盛んであった。
カラムシを釜に入れて煮る→青草煮たカラムシを交互に入れる。
 →水を掛ける→発酵する。→水にさらし、カラムシの皮をむく。
 外皮を取り除く。→乾燥させる。
 お風呂くらいの温度の湯にキビ糠か米糠を入れる。→よく揉む。
 乾燥させる。→繊維を縦に裂く。→麻桶に入れる。→紬車のかける。
 →機織りをする。
 ★上杉謙信がこれで儲けた。


・文政5年(1822) 58歳 中風を患った。
 その後は「名を貸しただけなのでは」と疑われた。
 一九らしくない作風の「著書」も混ざった。
※文政5年(1822)までの21年間
 『膝栗毛』の続編を書き継ぎ、頻繁に取材旅行に出かけた。
 山東京伝、式亭三馬、曲亭馬琴、鈴木牧之らとも交わった。
 『方言修行 金草鞋』(むだしゅぎょうかねのわらじ)も広く読まれた。


・文政6年(1823) 『上州草津温泉往来』が出版された。
「上州草津温泉往来「の「当所名勝」
「天狗山微雨の夜、山上に火を燃すことその数おびただし。鬼の角力
場、土俵の形おのずから石ならびてその名となる」
とあり、昔から西の河原公園一帯は「鬼の泉水」と呼ばれてきた。
一九も温泉が湧いている光景を「鬼の泉水」と表している。

晩年、眼病・中風を患い作家活動が出来ず生活に困窮した。

・天保2年(1831)8月7日死没、享年67歳。
辞世の歌
「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら 」。

浅草の東陽院に葬られた。
『心月院一九日光信士』。
墓碑は、東京都中央区勝どき四丁目に移転した同院に残る。
静岡市葵区研屋町の医王山顕光院には重田一族の墓が建ち、
 十返舎一九の戒名が刻まれている。


・天保3年(1832) 遺族・門弟らによって長命寺に記念碑は建てられた。
 

・明治時代
 『草津温泉誌』が書かれた。
(草津図書館・高崎経済大学図書館所蔵)
・昭和時代
 萩原進『草津温泉史』は発刊された。
   (草津図書館・高崎経済大学図書館所蔵)
  一九が訪れた頃の草津には年間1万 人ほどの浴客が訪れた。
   (『草津温泉史p180』(
萩原進は『諸国道中金の草鞋』(みやま文庫)
 
萩原進「いでゆ 第604号 18」

・現在
草津には
①十返舎一九の名前は草津温泉の湯畑の石柵に刻まれている。

②白根神社の境内囲山公園に
気のいい旅人、「弥次さん、喜多さん」の絵と「碑文」が建立されている。
十返舎一九石碑
上州草津温泉道中続膝栗毛十篇下より
「上毛の國草津は、寔に海内無双の霊湯にして、湯宿の繁昌いふばか
りなく、風流の貴客絶えず、彌次郎・北八も、今日湯宿に着きて、
壺ひと間を借りきり、云々 十返舎一九」



箕輪初心:生方▲2018『草津温泉』・『草津に歩みし141人+α』のブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201809/article_55.html

箕輪初心:生方▲『温泉百話―東の旅』(ちくま文庫2018年)
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_1.html

◆◆ 箕輪初心★『伊香保の歴史詳細&訪れた文人墨客』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_5.html

箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
https://53922401.at.webry.info/201503/article_30.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201503/article_30.html

****各論編**************************
伊香保№00万葉の時代『伊香保編9首』~平安時代

箕輪初心:生方▲伊香保№01≪長尾景仲→景信→景春→上杉定昌
の伊香保温泉開発?≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№02≪堯恵(ぎょうえ)文明18年(1486)≫
『北国紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№03≪宗祇:文亀2年(1502)≫連歌師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保温泉№4≪宗長≫ 連歌師:『宗祇終焉記』・『東路の津登』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№4≪真田昌幸:天正4年(1576)石段街の基礎造成≫
と真田3代ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_7.html

◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_9.html

箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_10.html

******************************

箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫尊皇思想家
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_11.html






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