箕輪初心:生方▲伊香保№09≪千葉周作:文政5年(1822)?≫:木暮武太夫泊

・文政3年(1820)北辰一刀流創始者千葉周作は、廻国剣術修行の旅
に出て、各地で他流試合を行なった。文政5年(1822)上州一の道場
馬庭念流の小泉弥兵衛を破った。小泉など馬庭念流の門人はじめ
100名を超える人々が千葉に入門した。入門者たちが伊香保神社へ
北辰一刀流の額を奉納しようとすると、報せが馬庭村(現高崎市吉
井町)に伝わった。馬庭念流一同は憤激した。掲額を阻止するため、
馬庭念流一門500余名のほか、やくざ者や鉄砲を持った猟師まで集
まり、気勢を上げた。樋口定輝は大事を制止するため伊香保へ向か
ったが、門人たちは、当主の出馬だと勘違いして騒ぎは大きくなっ
たという。 村役人木暮武太夫や代官所の取成しもあって千葉は上
州から撤退し、事なきを得た。その後、千葉は江戸に戻り、北辰一
刀流の道場として日本橋品川町に玄武館(後に神田於玉ヶ池に移転)
を設立した。
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【1】伊香保
●伊香保神社
★現在、平成22年(2010)に新設されたみかげ石の石段を365段登る
と、伊香保神社に到着する。
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●伊香保「勝月堂湯の花まんじゅう屋」隣「北辰一刀流関係か?」
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●石段街の説明板
「石段街の最上部には、上野国三宮である伊香保神社があります。
 江戸時代末期、北辰一等刀流の開祖である千葉周作が、兵法の国上州
 で名を上げるため、当時最大の剣門であった地元の間庭念流と対峙し
 てまで、神社への奉納額を掲げようとしたのがこの伊香保神社です」

●木暮武太夫


●岩鼻代官所管轄:伊香保口留関所
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【2】千葉周作(1793-1855)
伊香保に来た諸説
文政3年(1820)~6年(1823)にかけての 千葉周作は武者修行にでた。
木暮武太夫に宿泊
①文政3年(1820)説  1回目
②文政4年(1821)説?
③文政5年(1822)説?
④文政6年(1822)説?2回目
 千葉周作一行は熊谷を出た、中山道を逸れて秩父往還へ入り、寄居村
に立ち寄った。
 その後、「諸所を遊歴し」て文政6年2月下旬ごろ、上州高崎に入る。
一行は高崎にしばらく止宿するが、宿所は小泉弥兵衛の屋敷である。
(★司馬遼太郎「北斗の人」では小泉玄神)
ここで弟子の細野某という人物が、「我等心願こそ候へ、当国伊香保宮
へ門下一同の姓名を記せし額を奉納せんと存ずるなり、若し御許容あら
ば、門下の喜悦何事か之に若かん」と訴えた。
千葉周作はとくにこれを止めることはせず、門下に一任した。そして、
弟子たちは奉納の日時を決めて、4月8日と決することになった。
 馬庭村に本拠を持つ馬庭念流の門下たちが、千葉周作一行の伊香保
神社奉額の計画を聞いた。「300余人」が動堂(★藤岡市本動堂)
に集まった。千葉周作門弟に小泉弥兵衛ら馬庭念流の旧門下が多数含
まれている事を問題視し、伊香保神社への奉納額に旧門下生の名が列
記されると馬庭念流18代の浮沈に関わるとして、奉額を阻止せんと
集まった。小泉弥兵衛のもとには動堂から額面に名を刻むことをやめる
よう遣いの者も訪れた。小泉弥兵衛はこれを拒絶した。
※掲額を阻止するため、馬庭念流一門500余名のほか、やくざ者や鉄
砲を持った猟師まで集まり、気勢を上げた。樋口定輝は大事を制止す
るため伊香保へ向かった。しかし、門人たちは、馬庭念流当主の出馬
だと勘違いして騒ぎは大きくなった。

 千葉周作は小泉からの報告を受けた。周作は、「彼等が斯る振舞に
出づるからは、其会合の模様を探らざるも油断に近し」と、翌日には
力士上がりの門弟・岩井川を筆頭に五人を選んで馬庭村へ派遣し、
素性を隠して「真庭氏の高名を承りて推参いたし候ひぬ」と立会を
申し入れさせるも、馬庭念流は留守と号してこれに取り合わなか
った。馬庭念流はこの5人の到来を動堂へ伝えたため、動堂の門人
たちは諸所に使者を発して人をさらに集めた。

4月6日 樋口定輝たち500人も伊香保に到着したのだろう。
 千葉周作は伊香保村の世話役、伊香保大屋の木暮武太夫
 のもとを訪れた。
 木暮は額面奉納について岩鼻代官所から急ぎ呼び出され、馬庭念
流一党と周作一党の額面奉納をめぐるきな臭い動きに「奉納元へ申
断はり、先づ延日にても致して騒動に及ばざるやう、取計らふべし」
と命じられていた。
岩鼻代官は旗本・吉川栄左衛門貞幹であった。

※文化8年(1811) 2月吉川栄左衛門貞寛が亡くなり、文化11年
(1814)12月29日より吉川栄左衛門貞幹が代官となった。
9年にわたって善政を敷いた。
(★群馬県史通史編・新編高崎市史)
(★高崎経済大学教授:西沢敦男編『江戸幕府代官履歴辞典』
共著『江戸時代の全代官事典』)
 ★つまり、2代吉川栄左衛門貞幹が代官
伊香保石段街の入口には岩鼻代官支配の伊香保口留番所が置かれて
いた。

木暮武太夫は千葉周作に「何卒御奉納の儀は御見合はせ下さるべし」
と願った。千葉周作は「今更延日いたしがたし、此上は余只一人罷越
して奉納する。」と言い。木暮も同意して岩鼻代官所へ報告した。
 代官所は、「大勢待ち設けし処へ、一人にて参りなば、何様の変事あ
らんも計りがたし、奉納の節は、此方にても検視致しても苦しからず、
只此場合一先づ延引すべきこと」と命じた。千葉周作は「代官:吉川の
命令を拒否することは制法を犯すに似たり」と、やむなく門弟へ奉額の
日延べを指示した。
 ところが、千葉周作の奉額日延べの情報は周囲に伝わらず、千葉門下
生は「野分にて真剣の勝負始まりしぞ」と躍らされて大騒動となり、
村役人:木暮などは駆け回って制止しようとした。


4月7日
 馬庭念流門下は伊香保に於いて、千葉の者共が夜討に来りしと騒ぎ立て
た。11軒に止宿せし馬庭念流の大勢の者が身支度を整えた。
赤堀村の念流:本間派の実力者である本間仙五郎応吉は伊香保宿大屋
の「巳」の岸六左衛門(岸権)の宿に分宿していた。
千葉周作門下が夜討をしかけるとの報らせがあって念流門下
は緊張が高まった。
4月8日 掲額予定日であり、両者の間で憶測が飛び交った。
 伊香保へ宿した念流門人らは、樋口定輝の宿泊した木暮(★おそら
く木暮八右衛門→木暮八郎:楽山館か木暮金太夫)の家を固めて高張
提灯を設け、往来を止めていた。
4月9日、 千葉周作は引間村(旧群馬町)の佐鳥浦八郎に相談すべく、
 訪れた。佐鳥は門弟を道場に集め、「一昨日以来、真庭の一流、四方
より手分けして伊香保へ登りし人数一千人ばかり、地蔵河原に備を立て
て待ち設け、・・・」佐鳥は伊香保へ向かうことを決定する。
 (司馬遼太郎『北斗の人』)

ところが、千葉周作が引間村を出立する間際、馬庭念流の人々はすでに
伊香保を出て総社町へ止宿しているという報らせが入った。
★結局、代官の仲裁で事なきを得たということなのだろうか?

 その後、千葉は江戸に戻り、北辰一刀流の道場として日本橋品川町に
玄武館(後に神田於玉ヶ池に移転)を設立した。


・安政2年(1855)
 11月29日、千葉周作は中奥出仕した。
 12月13日に亡くなった。享年66。
 浅草誓願寺内仁寿院に葬られた。法号は高明院勇譽智底教寅居士。
 →豊島区巣鴨の日蓮宗寺院:本妙寺に移された。
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【3】伊香保神社掲額事件を扱った作品


①曲亭馬琴『兎園小説』、「伊香保の算額」と題して書いて有名となった。
②司馬遼太郎『北斗の人』 ★アマゾンで238円だった。
  「北斗の人」後半部分の一つの山場である。
 「伊香保明神に北辰一刀流の武道額をあげる」というのは、この上
 州に容易ならぬ波瀾をまきおこすであろう。
 「武道額というのは、普通、その流儀の盛大さを誇示するため、師
 匠の名を大書し、門人一同の名をできるだけ数多く刻んで最後に年
 月日をきざみこみ、その隆盛ぶりを祈念する目的でかかげられるも
 のだ。」
 「北辰一刀流が上州一円を征服した記念に、伊香保明神の境内に巨大
 な武道額を奉納しようという計画である。」
 「千葉周作は小泉玄神、吉田川など6人を選び、伊香保に登った。」
 「ここは別、伊香保の原や 夏の月 」という句を詠み、口ずさみ
  つつ原をすぎゆき、伊香保に入った。木暮武太夫方に投宿した。
結果、「伊香保神社掲額事件」では千葉周作と門人たちは掲額を諦めた。
 「馬庭宗家17世の樋口定輝はこの事件の翌日死んでいる。」

③戸部新十郎『日本剣豪譚 幕末編』70-72頁、光文社時代小説文庫(1993)


【4】上州人の北辰一刀流『海保帆平』
・安中藩出身で江戸育ちの海保帆平・・
   ★海保一族は安中に子孫がいらっしゃる。
・天保6年(1835)13歳の時に千葉周作の玄武館に入門した。
・天保11年(1840)18歳の若さで大目録免許皆伝を得たといわれる。
 戸田忠敞の斡旋で水戸藩に50石務めた。
 戸田忠敞の仲人で、水戸の碩学会沢正志斎の3女と結婚した。





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