箕輪初心:生方▲2018視察研修③『興禅寺~高崎駅前~(安国寺)・大信寺』

★平成30年(2018)10月12日、箕輪城語り部の会視察研修は高崎で
あった。高崎ボランティアガイドの元会長:須藤先生が案内してくださ
った。私にとっては、論文テーマが「徳川家康の家臣団形成ー四天王と
呼ばれる家臣を中心にー』であるので、情報収集が目的である。第6段
は「興禅寺」である。第10段は「大信寺」散策である。
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【1】高崎市役所21階
【2】高崎城3の丸
【3】高崎城城下町「高崎公園」…吉野秀雄の句


【4】龍広寺


【5】損割坂
 ★かつての遠構=外堀である。

【6】興禅寺
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●須藤さんの解説+α加筆
興禅寺は、
・治承元年(1177)新田義重を開基として創建された(伝)。
・「 乾元3年(1302)正月二十四日、開山の一山国師が入院開堂の日、
 堂塔震動、あたりは雲霧にとざされた。
その雲の中に声があり、「興禅刹」(禅寺を興せ)という。
やがて雲が晴れると、かたわらの泉から白龍があらわれ、あれよと
 見るまに虚空に飛び去った。
これは護法の善神であるとして、国師は白龍山興禅寺と名付けた。」
 (★田島武夫「高崎の名所と伝説」)

・戦国時代  衰えていた興禅寺を、和田城城主和田右兵衛大夫信耀が
 再興して、菩提寺とした。
 玉田寺は祈願所であった。


・天文から天正年間の頃(1532~1591)の頃
「和田城並びに興禅寺境内古絵図(高崎市指定文化財) 」が書かれた。
和紙に墨で描かれた古い絵図がある。
烏川の流れに沿って和田城、「いざ鎌倉」のために整備された
鎌倉街道、街道に直接面した大きな敷地の中に興禅寺の様子が描
かれている。鎌倉上道街道に馬上宿(ばじょうのしゅく)
高崎城築城以前の和田氏の時代のことで、天文から天正年間
(1532~1591)の頃のものとされている。
 (★高崎市HP)

箕輪初心:生方▲清水豊先生・新編高崎市史を加味した
『和田城年表改訂版2016』①和田業繁まで
https://53922401.at.webry.info/201608/article_31.html
★かみつけの里副館長:清水先生は新説:年代判定を下した。

・慶長3年(1598) 井伊直政による高崎城築城の際に境内をせばめられた。
・天保年間、大河内氏が城主になってから、天現在地に堂宇を移した。

●須藤さん解説「門の天上画に「武居梅坡(ばいは)」の字=サインが
 あります。」
 竹内先生は見つけた。
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・地蔵堂
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【7】高崎シティギャラリー前「山口薫展」
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 竹内俊雄先生の絵も弟子としてかざられている。
 金沢さん・栁澤先生の絵も出品されている。
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 (★金沢さんの絵がパンフレットに・・・)


【●】高崎駅前
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【8】(安国寺)慈光通り横断
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【9】井伊直政時代の中仙道
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【10】大信寺
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1)駿河大納言徳川忠長の墓
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三代将軍徳川家光の実弟(三男)である駿河大納言徳川忠長の墓
がある。駿遠甲の計55万石を知行したが、ご乱行があったとして
咎められ髙崎城に幽閉された。
・寛永10年(1633)弱冠28歳にて自害させられた。
・延宝3年(1675)墓石である五輪塔は、家光の死後24年&忠長の
 43回忌にあたる年に建てられた。
須藤さんの解説「「周囲に玉垣と呼ばれる石柵に囲まれていて、鎖で
 つながれていたので、「鎖のお霊屋(たまや)」と呼ばれていたそう
 です。」
「硯箱、短刀、自筆の手紙などが位牌とともに保存されています。」
②秤座・守隋彦三郎の墓
「秤座(はかりざ)は、江戸時代、江戸幕府の特別認可を得て、秤の
 製造、頒布、検定、修繕などを独占した座でした。」
 徳川家綱の時代に承応2年令が発せられ、日本を二分し、東33カ国
 の秤は江戸の守隨氏が、西33カ国の秤は京都の神氏が支配すること
 になったそうです。
 元々は武田信玄の家臣で、・・・」
HP「守隨本店の歴史」
http://www.shuzui.jp/corporate/history/

③大河内松平家家老:堤家の墓(13代堤克政氏ご先祖の墓
 堤金之丞の墓…下仁田戦争で戦死   
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箕輪初心★「堤金之丞」&下仁田戦争の悲劇
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201403/article_31.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
https://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html 


 堤家の墓
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●元の中仙道を行く。



【11】法輪寺
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
田口家墓地内に小栗又一忠道の墓がある。


【11】旧中仙道
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【12】糀屋
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●【糀屋】…
★箕輪初心の追加
  「飯嶋家は武田の家臣であったので、永禄年間に、
  長野業政の味噌を作ったのは間違いでろうと考えられる。
  飯嶋家は伊奈の片切一族で飯嶋城主・・・
  永禄6年頃に武田信玄は和田城に入り、
  永禄7年には馬場信春に和田城の大改修を行っている。
  そして、飯嶋家は和田宿に工場兼店を出した。
   ・・・長野氏とは敵同士であった。長野業政は永禄4年に
  死んでいるので、味噌供給が出来ない。
  慶長7年、飯嶋半右衛門が井伊直政の家臣に登録されて
  いる。
 
 
  ★親父の死亡、49日、7万円以上?も漬け物を購入しました。
  その節はお世話になりました。



箕輪初心:生方▲伊那『西音寺&飯島城遠望』:片切氏分流飯島氏の城
https://53922401.at.webry.info/201606/article_11.html  

箕輪初心:生方▲井伊直政№170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」
https://53922401.at.webry.info/201802/article_12.html

●【金沢屋】
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【13】正法寺

【14】一里塚

【15】大雲寺
  高崎市の重文に指定されている武居梅坡(ばいは)の
  「水墨雲竜の図」がある。
  

【15】法華寺

【16】八間道路(旧中仙道・新中仙道)

【17】恵徳院


【○】 ランチ「弥助寿司」:焼き肉定食
★須藤さんは物知りだった。
 

【18】 高崎民俗資料館・・大工原先生・田口先生・青山さん


【19】 長野堰円筒分水

【20】 三国街道


【21】高崎シティギャラリー前「山口薫展」

箕輪初心★高崎偉人伝【山口薫】モダンアート洋画家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_25.html
<< 作成日時 : 2013/10/25 05:37 >>

輪初心:生方★2015高崎【山口薫の生涯:復刻版】
https://53922401.at.webry.info/201509/article_13.html

箕輪初心★高崎偉人伝【山口薫】モダンアート洋画家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_25.html

箕輪初心:生方★2015高崎【山口薫の生涯:復刻版】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_13.html
京都「何必館」・・・祇園近く。八坂神社から四條通り100m

箕輪初心:生方◆『山口薫ミニ展覧会at関口コオ美術館in高崎箕郷』写真集
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201711/article_17.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№234群馬県立近代美術館「山口薫と箕輪城
・箕輪武士のコラボは無理か?」
https://53922401.at.webry.info/201612/article_9.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201612/article_9.html

【22】高島屋「長崎・福岡物産展」
 ①カステラ
  
 ②福岡豚骨ラーメン



【23】スズラン高崎「大群馬展」



★明日は

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