箕輪初心:生方▲2018視察研修⑤『本町~恵徳院~ランチ:弥助寿司』

★平成30年(2018)10月12日、箕輪城語り部の会視察研修は高崎で
あった。高崎ボランティアガイドの元会長:須藤先生が案内してくださ
った。今日は、『本町~恵徳院~ランチ:弥助寿司』を掲載したい。
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箕輪初心:生方▲井伊直政№142『天正18年山中城攻撃~小田原城攻撃
~箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政№150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
https://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201801/article_12.html


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箕輪初心:生方▲2018年視察研修①高崎城3の丸』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_28.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修②『井伊直政菩提寺:龍広寺と損割坂』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_30.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修③『興禅寺~高崎駅前~(安国寺)・大信寺』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_32.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修④『法輪寺・糀屋懐疑~大雲寺・法華寺』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_34.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修⑤『本町~恵徳院~ランチ:弥助寿司』

箕輪初心:生方▲2018視察研修⑥高崎民俗資料館「江戸時代の行列」
  大工原先生・田口先生・青山さん


箕輪初心:生方▲2018視察研修⑦長野堰円筒分水と三国街道


箕輪初心:生方▲2018視察研修⑦高島屋と高崎シティギャラリー「山口薫展」
 ①カステラ、②福岡豚骨ラーメン、③山口薫の絵




【22】【1】高崎市役所21階
【2】高崎城3の丸
【3】高崎城城下町「高崎公園」…吉野秀雄の句
【4】龍広寺
【5】損割坂★かつての遠構=外堀である。
【6】興禅寺

箕輪初心:生方▲清水豊先生・新編高崎市史を加味した
『和田城年表改訂版2016』①和田業繁まで
https://53922401.at.webry.info/201608/article_31.html

【7】高崎シティギャラリー前「山口薫展」
 竹内俊雄先生の絵も弟子としてかざられている。
 金沢さん・栁澤先生の絵も出品されている。

【8】高崎駅前

【9】(安国寺)慈光通り横断

【10】大信寺
1)駿河大納言徳川忠長の墓
三代将軍徳川家光の実弟(三男)である駿河大納言徳川忠長の墓
がある。駿遠甲の計55万石を知行したが、ご乱行があったとして
咎められ髙崎城に幽閉された。
・寛永10年(1633)弱冠28歳にて自害させられた。
・延宝3年(1675)墓石である五輪塔は、家光の死後24年&忠長の
 43回忌にあたる年に建てられた。
●須藤さんの解説「「周囲に玉垣と呼ばれる石柵に囲まれていて、鎖で
 つながれていたので、「鎖のお霊屋(たまや)」と呼ばれていたそう
 です。」
「硯箱、短刀、自筆の手紙などが位牌とともに保存されています。」

②秤座・守隋彦三郎の墓
●須藤さん解説
「秤座(はかりざ)は、江戸時代、江戸幕府の特別認可を得て、秤の
 製造、頒布、検定、修繕などを独占した座でした。」
 徳川家綱の時代に承応2年令が発せられ、日本を二分し、東33カ国
 の秤は江戸の守隨氏が、西33カ国の秤は京都の神氏が支配すること
 になったそうです。」
 元々は武田信玄の家臣で、・・・○○家を名乗りました。」
HP「守隨本店の歴史」
http://www.shuzui.jp/corporate/history/

③大河内松平家家老:堤家の墓(13代堤克政氏ご先祖の墓)
 堤金之丞の墓…下仁田戦争で戦死。合掌   
箕輪初心★「堤金之丞」&下仁田戦争の悲劇
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201403/article_31.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
https://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html 
 堤家の墓…合掌

●元の中仙道を行く。

【●】法輪寺
田口家墓地内に小栗又一忠道の墓がある
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道
★戦国時代、田口家は(現高崎市)下斎田村の領主で、箕輪城主
 長野業政の同心であった。
 田口一族は箕輪に残った者と下斎田村に戻った者がいる。
 法輪寺は井伊直政の時代以後に建てられたというのが、一般
 的である。根拠は、川野辺寛の『高崎志』に出てこないから
 からであろう。
・倉渕村や下斎田村は小栗上野介の飛び地であった。
小栗上野介忠順は子がいなかった。
旗本日下家より鉞子(よきこ)を養女に迎えた。
また旗本・駒井家から忠道を婿に迎え養嗣子とした。
斬首後、道子は実子(女子)が誕生している)・
小栗上野介の父:忠高は小栗家に婿養子に入っており、後に小栗家に生
まれた義弟は日下家に養子に出されたため、逆にその子を養女に迎える
ことで血脈を小栗家に戻そうとしたと考えられている。
・慶応4年(1868) 西軍から追捕令が発せられたことを受け、忠順は忠道
を高崎藩へ派遣したが、小栗忠道は取り調べもなく高崎城内にで斬首さ
れた。
小栗上野介は取り調べもなく倉渕の烏川河原で斬首された。
小栗忠道の遺体(胴体のみ)は下斎田村(当時)の名主・田口氏が引き取り
墓を作り埋葬した。
 小栗父子の首級は、館林に来ていた東山道総督・岩倉具定の首実検を受け
た後、法輪寺墓地に葬られた。
後に2人の首級は旧権田村の住民により盗み出され、小栗忠順の首級は権田
村の東善寺、小栗忠道の首級は田口家墓地内に葬られた。
 新政府の管轄下にあった首級を盗んだため、権田村の住民はこれを決し
て口外せず、子孫にのみ伝え供養を続けてきた。
昭和30年代後半になって「小栗忠道の首級は田口家墓地内に葬られた。」
 と公表された。小栗父子斬首から100年近く経っていた。
・田口家の子孫・・・
①箕輪田口家…教育界のサラブレッド。
②下斎田村田口家…教育界のサラブレッド。

箕輪初心:生方★小栗上野介17『小栗祭り20160522』  
https://53922401.at.webry.info/201606/article_2.html


【11】旧中仙道

【12】糀屋
●【糀屋】…

◆「糀屋」の立て看板
「永禄9年(1566)飯島喜兵衛という人が和田宿に居を構え、
 初代糀屋藤平をなのったという記録が残ります。
 醸造技術を持っていたことから、長野氏に武士に取り立てら
 れて、何かあれば、ここから参じていたようです。
 
★箕輪初心「永禄9年(1566)は、箕輪城が武田信玄に攻略された
 年なので、長野氏に馳せ参じることは無理があると考えられる。」
★「和田宿」いう言葉は「歴史上の古文書には出てこない。」
 戦国時代:中世には、「赤坂には、金井宿と(□□宿)と馬上宿の
 3である。」

◆高崎新聞************************
高崎アーカイブNo.13 たかさきの街をつくってきた企業
糀屋(1563年〜現在)450年の歴史を紡ぐ
味噌醸造技術で箕輪城主長野氏に仕えた創業者
戦国武将に重宝された味噌
「戦国時代、味噌は重要なたんぱく源として兵糧に重宝されました。
戦闘能力にもかかわることから、各地の戦国武将も味噌作りを大きな
経済政策の一つと見るようになりました。
現在、味噌の生産量の多い長野県、愛知県、宮城県、新潟県などは、
武田、織田、豊臣、徳川をはじめ、上杉、伊達など有力な武将の本拠地
であったことが知られています。」

★まるで、私のブログをうつしたような文章である。
箕輪初心:生方▲箕輪城№220『戦国武将と味噌』&『高崎の糀屋:
飯嶋一族の歴史&味噌造り』
https://53922401.at.webry.info/201611/article_7.html

創業は1563年、室町時代中期
「室町時代中期に築城された箕輪城。城主・長野業政は、攻め入る
 武田軍を何度も退けたとしてその武勇が知られる武将でした。
 その業政が死去した後、二十歳にも満たない業盛が跡を継ぎま
 すが、永禄九年(1566)に武田の猛攻に屈して自刃し、落城します。
 この長野業政〜業盛の下で、城の穀物番として年貢を管理してい
 たのが、元紺屋町で商売を興した糀屋の初代です。“飯嶋喜太夫
 という人が永禄6年(1563)に和田宿(現高崎市)に居を構え、
 初代糀屋を名乗った”という記録が残っています。元紺屋町の自宅
 で商売を営み、何かあれば箕輪城に参じていました。


★箕輪初心加筆
 高崎新聞の「二十歳にも満たない業盛が跡を継ぎま
 すが、永禄九年(1566)に武田の猛攻に屈して自刃し、落城します。
 この長野業政〜業盛の下で、城の穀物番として年貢を管理してい
 たのが、元紺屋町で商売を興した糀屋の初代です。“飯嶋喜太夫
 という人が永禄6年(1563)に和田宿(現高崎市)に居を構え、
 初代糀屋を名乗った”という記録が残っています。元紺屋町の自宅
 で商売を営み、何かあれば箕輪城に参じていました。」
 という記述は、
①「長野業政〜業盛の下で、城の穀物番として年貢を管理してい
 たのが、元紺屋町で商売を興した糀屋の初代です。」
長野業政が永禄4年(1461)、6月21日死亡なので間違っている。
  (★長純寺の長野業政木造の背銘)

②「永禄6年(1563)に和田宿(現高崎市)に居を構え、」
 「糀屋前の看板が「永禄9年・高崎新聞が「永禄6年」・・・
 永禄6年(1563)は和田業繁が武田信玄に臣従した年で、
 武田信玄は
 跡部勝資の長男が養子になったとしてある。
 従って、武田信玄の許可で金井宿と馬上宿のどちらかとなる。
③高崎新聞の「元紺屋町」とあるのは、間違いである。
 「元紺屋町」は井伊直政の時代に許可されたことを意味する。
  
箕輪初心:生方▲【武田信玄の上野侵攻】②永禄4年~永禄9年:箕輪城攻略
https://53922401.at.webry.info/201606/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊那『西音寺&飯島城遠望』:片切氏分流飯島氏の城
https://53922401.at.webry.info/201606/article_11.html  

箕輪初心:生方▲井伊直政№170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」
https://53922401.at.webry.info/201802/article_12.html


●【金沢屋】

【13】正法寺
箕輪初心:生方加筆
・浜川の現榛名神社の所に正法寺があった。
・長野業政が箕輪に日蓮宗:長中山正法寺を移動させた。
  長野氏の「長」・中沢氏の「中」を採って、長中山となった。
・武田信玄が庇護した。
・文禄2年(1593)井伊直政が箕輪より分寺した。
   開山は本龍院日敬、創始とある。(「新編高崎市史資料編14」)
・寛文年中(1661~1672)「寛文年中ヨリ数度ノ類焼ニテ旧記不詳」
 (「正法寺」の由緒)
・享10年(1725)火災に遭った。
・明治13年(1880)火災に遭った。
  しばらく木造の仮本堂であった。
・昭和50年(1975) 現在の鉄筋コンクリートの本堂が建てられた。

●入り口の寺紋は「日蓮宗橘」(井筒に橘、井桁に橘)である。
「丸に橘」は井伊家の家紋。
「井桁」は井伊家の旗じるし。
 井伊家の初代・藤原(井伊)共保(ともやす)は「井戸」の傍らで
 生まれ、「橘」の木が生えていた。
 「日蓮宗橘」は井伊家の「井桁」と「橘」がひとつになった紋である。
日蓮宗の開祖・日蓮上人は、井伊家から分流した貫名(ぬきな)家4代
目:重忠の4男である。
井伊家とつながりのある日蓮上人の寺紋を掲げる正法寺。・・・

★日蓮宗の和尚様でのこの寺紋の由来をしっていない。
井伊直政がつくらせた城下町高崎・・・・
といっても井伊直政の菩提寺は全て曹洞宗である。龍潭寺も
 箕輪龍門寺も、高崎龍広寺、彦根清涼寺も・・・
 
高崎城下町は実際には西郷正次の設計であろう。法華寺が西郷正次
 の開山である。開山は法華寺と同じ本龍院日敬である。

・慶長20年(1615) 大坂夏の陣で徳川方:酒井家次の家臣として
 北爪九蔵が天王寺の戦いで勝利に導いた。
戦功により九蔵町となった。
・元和元年(1615)大坂夏の陣がおこった。
 徳川方の武将である高崎城主酒井家次は武士の他に高崎城下から
 四人の町人を選んで従軍させた。
 北爪・梶山・須藤・反町の四人、
 (★川野辺寛『高崎志』)
★元々、北爪氏は浜川町の北爪砦に済んでいた
 
「酒井の軍は中山道を大阪へ向かったが、北爪一人は酒井家の旗印を
 ふところにして東海道を進んだ。
・・・大阪城下は乱戦混戦の修羅場を現じた。
 そんな中で北爪はひとり主君に離れて、大阪城中に迷い込んだ。
 必死の血戦のなかで、一町人の迷い子を、さして気にかけるものも
 なく、北爪はいつの間にか城中の一つの矢倉にたどりついてしまった。
 高い矢倉から見おろせば、下は敵味方入り乱れての戦闘である。
 しばしはわれを忘れてながめていたが、ふと気がついてみると、自分
 は酒井家の従臣である。ふところには酒井家の旗じるしがある。
 そうだ、これだ。そう気がついた北爪はその旗じるしをさっとなびか
 せて矢倉の窓からひるがえした。
高い矢倉からひるがえった旗は剣かたばみの紋所、まがう方なき酒井
 家の旗じるしである。
 徳川方は、酒井家次が大阪城中一番乗りをしたぞ、あれに続けとばか
 り勢いづいた。大坂方は必死に守ったのに、はや敵に乗り込まれたかと、
 意気阻喪した。 こうして大阪落城のきっかけをつくったのは関東の
 片田舎、上州高崎の一町人だった。」
  (★田島武夫「高崎の名所と伝説」)

●「正法寺」の「九蔵稲荷」…猫背のお地蔵さま、「夜泣き地蔵」 
 「九蔵稲荷」が正法寺(しょうぼうじ)本堂右奥にある。

★酒井家次はその功績で五万石から十万石に加増されて越後高田藩主
 として転封、北爪九蔵も酒井家次に従って高田へ移った。
 北爪一族は4家に分かれた。(★上越市史)
★ちなみに箕輪滝沢寺は現在「酒井家次の家紋である。」滝沢寺の和尚
  が恵徳院を開山したのにね。

【14】一里塚
井伊直政時代の中山道は現大信寺のお堂前の入り口の細い道で
 ある。通町・北通町から九蔵町~椿町を抜けて、本町三丁目へ繋がる
  ルートである。
 ★法華寺の前を直角に左折・・・所にある。
 ★正法寺の門の左に出て、次の十字路を右折した角に一里塚
 の解説版があった。

【15】大雲寺
●須藤さん解説
「①高崎市の重文に指定されている武居梅坡(ばいは)の
「水墨雲竜の図」があります。」
「②大河内家の家老・・・武田信玄家臣:山本菅助子孫:山本
 幸運の墓があります。」
箕輪初心:生方【中村茂先生講演会『山本勘助→子孫は高崎藩山本菅助』】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_26.html

箕輪初心:生方【中村茂先生+安中ふるさと学習館+加筆
『山本勘助→高崎藩山本菅助』】
https://53922401.at.webry.info/201802/article_27.html



【15】法華寺


【16】旧中仙道
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・新中仙道・・本町・八間道路
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・水村園
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・高崎の電車
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・翁寿司
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・お菓子屋「鉢の木」
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【17】恵徳院
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【18】遠構
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井伊直政時代には10m幅の水堀だった。


【○】 ランチ「弥助寿司」:焼き肉定食
★須藤さんは物知りだった。
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【18】 高崎民俗資料館
 大工原先生・田口先生・青山さん


【19】 長野堰円筒分水

【20】 三国街道


【21】高崎シティギャラリー前「山口薫展」

箕輪初心★高崎偉人伝【山口薫】モダンアート洋画家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_25.html
<< 作成日時 : 2013/10/25 05:37 >>

輪初心:生方★2015高崎【山口薫の生涯:復刻版】
https://53922401.at.webry.info/201509/article_13.html

箕輪初心★高崎偉人伝【山口薫】モダンアート洋画家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_25.html

箕輪初心:生方★2015高崎【山口薫の生涯:復刻版】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_13.html
京都「何必館」・・・祇園近く。八坂神社から四條通り100m

箕輪初心:生方◆『山口薫ミニ展覧会at関口コオ美術館in高崎箕郷』写真集
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201711/article_17.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№234群馬県立近代美術館「山口薫と箕輪城
・箕輪武士のコラボは無理か?」
https://53922401.at.webry.info/201612/article_9.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201612/article_9.html

【22】高島屋「長崎・福岡物産展」
 ①カステラ
  
 ②福岡豚骨ラーメン



【23】スズラン高崎「大群馬展」



★明日は

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