箕輪初心:生方▲2018視察研修⑧『山口薫展』at高崎シティギャラリー

★平成30年(2018)10月13日、箕輪城語り部の会視察研修は高崎で
あった。井伊直政時代の高崎城・城下町を見物途中で高崎シティギャラ
リーの前を通った。『山口薫展』が開催されていることは知っていた。
一緒に視察研修に参加していた竹内俊雄先生が「私も作品を出品して
います。」とおっしゃった。竹内俊雄先生は山口薫の弟子というには知
っていたが、凄すぎると思った。後でパンプレットを送ってくださった。
ありがとうございました。この展覧会には、箕郷山口薫研究会会長:金
沢さんの絵(パンフレット表紙)、柳沢先生の絵も出品されている。
画像

 (★金沢さん所蔵の絵がパンフレットに、おめでとうご
   ざいます


箕輪初心★高崎偉人伝【山口薫】モダンアート洋画家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_25.html
<< 作成日時 : 2013/10/25 05:37 >>

箕輪初心:生方★2015高崎【山口薫の生涯:復刻版】
http://53922401.at.webry.info/201509/article_13.html
京都「何必館」・・・祇園近く。八坂神社から四條通り100m

箕輪初心:生方◆『山口薫ミニ展覧会at関口コオ美術館in高崎箕郷』写真集
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201711/article_17.html
★山口薫先生の「淡谷のり子裸婦像」が掲載されている。

箕輪初心:生方▲箕輪城№234群馬県立近代美術館「山口薫と箕輪城
・箕輪武士のコラボは無理か?」
https://53922401.at.webry.info/201612/article_9.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201612/article_9.html
★山口薫先生の家から1、2kmの箕輪城がたくさんあった。


箕輪初心:生方●2017年『箕郷文化祭作品展』MY陶芸作品&山口薫作品
https://53922401.at.webry.info/201711/article_11.html


【0】山口薫の本
画像





【1】会場
画像

画像

★遠くからということで、Okが出た。
画像

画像

学芸員の先生に解説をいただいた。ありがとうございました。

【2】パンフレットの写真
画像

画像

 
画像

 自画像
画像


画像


画像

・犬の「クマ」
画像

画像


画像

(★右、花子誕生)

画像

画像

 (左下、竹内俊雄先生、凄いです。)

栁澤先生所蔵の作品が分からなかったのが残念。



【2】高崎市Hp
企画展「没後50年 山口薫先生からきみたちへ」
「まるで、独り言を手がいう様に」描く群馬県高崎市出身の山口薫
(やまぐちかおる)(1907-1968)は、東京美術学校(現・東京藝術
大学)卒業後の滞欧をへて、新時代洋画展、自由美術家協会、モダン
アート協会を結成し、1930年代から60年代の世界をみつめる一方、
郷里の友とともに内なる心を歌い続け、また武蔵野美術学校(現・
武蔵野美術大学)講師、母校である東京藝術大学教授などを勤めま
した。没後50年を記念する本展は、群馬県立近代美術館をはじめ
とする県内所蔵作品を中心に山口薫の油彩、水彩、素描、リトグラ
フや作家資料を紹介するとともに、坂和一郎(さかわいちろう)
(1898-1980)、松本忠義(まつもとただよし)(1909-2008)、
豊田一男(とよだかずお)(1909-1989)など郷里の友や、富澤秀文
(とみざわひでふみ)(1940-)、竹内俊雄(たけうちとしお)(1942-)、
大津英敏(おおつえいびん)(1943-)、井川惺亮(いかわせいりょう)
(1944-)など学校の教え子たち、そして島村達彦(しまむらたつ
お)(1922-2004)や有元利夫(ありもととしお)(1946-1985)など
影響を受けた画家たちの作品も交え、画家のみならず「詩らしきも
のが先に生まれ/絵があとにつづくときもある」と語る詩人であり、
良き教師でもあった山口薫の面影を偲びます。また未来の教え子で
ある山口の母校児童や地元アーティストとともに、改めて「山口薫
先生」の絵から学ぶ機会を設けます。」
 (高崎市Hp)

【22】高島屋「長崎・福岡物産展」
 ①カステラ
画像
  
画像


 ②福岡豚骨ラーメン
画像



◆高崎視察研修関係*********************

箕輪初心★箕輪城103川野辺寛「高崎誌」&井伊直政
http://53922401.at.webry.info/201310/article_8.html

輪初心:生方▲井伊直政№142『天正18年山中城攻撃~小田原城攻撃
~箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政№150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
https://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201801/article_12.html


***************************
箕輪初心:生方▲2018年視察研修①高崎城3の丸』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_28.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修②『井伊直政菩提寺:龍広寺と損割坂』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_30.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修③『興禅寺~高崎駅前~(安国寺)・大信寺』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_32.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修④『法輪寺・糀屋懐疑~大雲寺・法華寺』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_34.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修⑤『本町~恵徳院~ランチ:弥助寿司』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_36.html

箕輪初心:生方▲2018視察研修⑥高崎民俗資料館「江戸時代の行列」
  大工原先生・田口先生・青山さんがいた。
 ★大河内時代の行列・・・・。

箕輪初心:生方▲2018視察研修⑦長野堰円筒分水と三国街道

箕輪初心:生方▲2018視察研修⑦高島屋と高崎シティギャラリー「山口薫展」
 ①カステラ、②福岡豚骨ラーメン、③山口薫の絵


箕輪初心★高崎藩2代酒井家次→3代松平戸田康長→4代松平信吉
http://53922401.at.webry.info/201310/article_10.html

箕輪初心★高崎藩5~7代安藤3人&徳川忠長
http://53922401.at.webry.info/201310/article_13.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

箕輪初心★高崎藩9代:間部詮房(あきふさ)=正徳の治
http://53922401.at.webry.info/201310/article_15.html

箕輪初心★高崎藩主11代~18代:松平家
http://53922401.at.webry.info/201310/article_16.html

箕輪初心■東京&群馬:小栗上野介④「権田村での隠遁生活」
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

箕輪初心◆水戸天狗党3-1『水戸~下仁田戦争直前』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
http://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html


箕輪初心★高崎藩最後の藩主19代:松平大河内輝聲(てるな)
https://53922401.at.webry.info/201310/article_17.html


◆参考サイト
①山車とお囃子(その8)山車祭り見聞録 - 高崎山車ばやし保存会
http://shinobue.sakura.ne.jp/hoops/report-29dasi.htm

②勉強会概要1 - 高崎史志の会 - Ne 「高崎山車祭りの源」
https://www.google.co.jp/search?ei=dELOW5_pCM7n-Qb21KHAAQ&q=%E9%AB%98%E5%B4%8E%E8%97%A9%E3%80%80%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%AE%B6%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A%E8%A1%8C%E5%88%97%E3%80%80&oq=%E9%AB%98%E5%B4%8E%E8%97%A9%E3%80%80%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%AE%B6%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A%E8%A1%8C%E5%88%97%E3%80%80&gs_l=psy-ab.12...2461.26170.0.29104.68.55.8.0.0.0.152.5846.13j40.54.0....0...1c.1j4.64.psy-ab..14.28.2402.6..0j35i39k1j0i4k1j0i67k1j0i10i67k1.176.0ImcJ742_Fg



【1】高崎市役所21階
【2】高崎城3の丸
【3】高崎城城下町「高崎公園」…吉野秀雄の句
【4】龍広寺
【5】損割坂★かつての遠構=外堀である。
【6】興禅寺

箕輪初心:生方▲清水豊先生・新編高崎市史を加味した
『和田城年表改訂版2016』①和田業繁まで
https://53922401.at.webry.info/201608/article_31.html

【7】高崎シティギャラリー前「山口薫展」
 竹内俊雄先生の絵も弟子としてかざられている。
 金沢さん・栁澤先生の絵も出品されている。

【8】高崎駅前

【9】(安国寺)慈光通り横断

【10】大信寺
1)駿河大納言徳川忠長の墓
三代将軍徳川家光の実弟(三男)である駿河大納言徳川忠長の墓
がある。駿遠甲の計55万石を知行したが、ご乱行があったとして
咎められ髙崎城に幽閉された。
・寛永10年(1633)弱冠28歳にて自害させられた。
・延宝3年(1675)墓石である五輪塔は、家光の死後24年&忠長の
 43回忌にあたる年に建てられた。
●須藤さんの解説「「周囲に玉垣と呼ばれる石柵に囲まれていて、鎖で
 つながれていたので、「鎖のお霊屋(たまや)」と呼ばれていたそう
 です。」
「硯箱、短刀、自筆の手紙などが位牌とともに保存されています。」

②秤座・守隋彦三郎の墓
●須藤さん解説
「秤座(はかりざ)は、江戸時代、江戸幕府の特別認可を得て、秤の
 製造、頒布、検定、修繕などを独占した座でした。」
 徳川家綱の時代に承応2年令が発せられ、日本を二分し、東33カ国
 の秤は江戸の守隨氏が、西33カ国の秤は京都の神氏が支配すること
 になったそうです。」
 元々は武田信玄の家臣で、・・・○○家を名乗りました。」
HP「守隨本店の歴史」
http://www.shuzui.jp/corporate/history/

③大河内松平家家老:堤家の墓(13代堤克政氏ご先祖の墓)
 堤金之丞の墓…下仁田戦争で戦死。合掌   
箕輪初心★「堤金之丞」&下仁田戦争の悲劇
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201403/article_31.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
https://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html 
 堤家の墓…合掌

●元の中仙道を行く。

【●】法輪寺
田口家墓地内に小栗又一忠道の墓がある
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道
★戦国時代、田口家は(現高崎市)下斎田村の領主で、箕輪城主
 長野業政の同心であった。
 田口一族は箕輪に残った者と下斎田村に戻った者がいる。
 法輪寺は井伊直政の時代以後に建てられたというのが、一般
 的である。根拠は、川野辺寛の『高崎志』に出てこないから
 からであろう。
・倉渕村や下斎田村は小栗上野介の飛び地であった。
小栗上野介忠順は子がいなかった。
旗本日下家より鉞子(よきこ)を養女に迎えた。
また旗本・駒井家から忠道を婿に迎え養嗣子とした。
斬首後、道子は実子(女子)が誕生している)・
小栗上野介の父:忠高は小栗家に婿養子に入っており、後に小栗家に生
まれた義弟は日下家に養子に出されたため、逆にその子を養女に迎える
ことで血脈を小栗家に戻そうとしたと考えられている。
・慶応4年(1868) 西軍から追捕令が発せられたことを受け、忠順は忠道
を高崎藩へ派遣したが、小栗忠道は取り調べもなく高崎城内にで斬首さ
れた。
小栗上野介は取り調べもなく倉渕の烏川河原で斬首された。
小栗忠道の遺体(胴体のみ)は下斎田村(当時)の名主・田口氏が引き取り
墓を作り埋葬した。
 小栗父子の首級は、館林に来ていた東山道総督・岩倉具定の首実検を受け
た後、法輪寺墓地に葬られた。
後に2人の首級は旧権田村の住民により盗み出され、小栗忠順の首級は権田
村の東善寺、小栗忠道の首級は田口家墓地内に葬られた。
 新政府の管轄下にあった首級を盗んだため、権田村の住民はこれを決し
て口外せず、子孫にのみ伝え供養を続けてきた。
昭和30年代後半になって「小栗忠道の首級は田口家墓地内に葬られた。」
 と公表された。小栗父子斬首から100年近く経っていた。
・田口家の子孫・・・
①箕輪田口家…教育界のサラブレッド。
②下斎田村田口家…教育界のサラブレッド。

箕輪初心:生方★小栗上野介17『小栗祭り20160522』  
https://53922401.at.webry.info/201606/article_2.html


【11】旧中仙道

【12】糀屋
●【糀屋】…

◆「糀屋」の立て看板
「永禄9年(1566)飯島喜兵衛という人が和田宿に居を構え、
 初代糀屋藤平をなのったという記録が残ります。
 醸造技術を持っていたことから、長野氏に武士に取り立てら
 れて、何かあれば、ここから参じていたようです。
 
★箕輪初心「永禄9年(1566)は、箕輪城が武田信玄に攻略された
 年なので、長野氏に馳せ参じることは無理があると考えられる。」
★「和田宿」いう言葉は「歴史上の古文書には出てこない。」
 戦国時代:中世には、「赤坂には、金井宿と(□□宿)と馬上宿の
 3である。」

◆高崎新聞************************

箕輪初心:生方▲箕輪城№220『戦国武将と味噌』&『高崎の糀屋:
飯嶋一族の歴史&味噌造り』
https://53922401.at.webry.info/201611/article_7.html

創業は1563年、室町時代中期
「室町時代中期に築城された箕輪城。城主・長野業政は、攻め入る
 武田軍を何度も退けたとしてその武勇が知られる武将でした。
 その業政が死去した後、二十歳にも満たない業盛が跡を継ぎま
 すが、永禄九年(1566)に武田の猛攻に屈して自刃し、落城します。
 この長野業政〜業盛の下で、城の穀物番として年貢を管理してい
 たのが、元紺屋町で商売を興した糀屋の初代です。“飯嶋喜太夫
 という人が永禄6年(1563)に和田宿(現高崎市)に居を構え、
 初代糀屋を名乗った”という記録が残っています。元紺屋町の自宅
 で商売を営み、何かあれば箕輪城に参じていました。


★箕輪初心加筆
 高崎新聞の「二十歳にも満たない業盛が跡を継ぎま
 すが、永禄九年(1566)に武田の猛攻に屈して自刃し、落城します。
 この長野業政〜業盛の下で、城の穀物番として年貢を管理してい
 たのが、元紺屋町で商売を興した糀屋の初代です。“飯嶋喜太夫
 という人が永禄6年(1563)に和田宿(現高崎市)に居を構え、
 初代糀屋を名乗った”という記録が残っています。元紺屋町の自宅
 で商売を営み、何かあれば箕輪城に参じていました。」
 という記述は、
①「長野業政〜業盛の下で、城の穀物番として年貢を管理してい
 たのが、元紺屋町で商売を興した糀屋の初代です。」
長野業政が永禄4年(1461)、6月21日死亡なので間違っている。
  (★長純寺の長野業政木造の背銘)

②「永禄6年(1563)に和田宿(現高崎市)に居を構え、」
 「糀屋前の看板が「永禄9年・高崎新聞が「永禄6年」・・・
 永禄6年(1563)は和田業繁が武田信玄に臣従した年で、
 武田信玄は
 跡部勝資の長男が養子になったとしてある。
 従って、武田信玄の許可で金井宿と馬上宿のどちらかとなる。
③高崎新聞の「元紺屋町」とあるのは、間違いである。
 「元紺屋町」は井伊直政の時代に許可されたことを意味する。
  
箕輪初心:生方▲【武田信玄の上野侵攻】②永禄4年~永禄9年:箕輪城攻略
https://53922401.at.webry.info/201606/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊那『西音寺&飯島城遠望』:片切氏分流飯島氏の城
https://53922401.at.webry.info/201606/article_11.html  

箕輪初心:生方▲井伊直政№170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」
https://53922401.at.webry.info/201802/article_12.html


●【金沢屋】

【13】正法寺
箕輪初心:生方加筆
・浜川の現榛名神社の所に正法寺があった。
・長野業政が箕輪に日蓮宗:長中山正法寺を移動させた。
  長野氏の「長」・中沢氏の「中」を採って、長中山となった。
・武田信玄が庇護した。
・文禄2年(1593)井伊直政が箕輪より分寺した。
   開山は本龍院日敬、創始とある。(「新編高崎市史資料編14」)
・寛文年中(1661~1672)「寛文年中ヨリ数度ノ類焼ニテ旧記不詳」
 (「正法寺」の由緒)
・享10年(1725)火災に遭った。
・明治13年(1880)火災に遭った。
  しばらく木造の仮本堂であった。
・昭和50年(1975) 現在の鉄筋コンクリートの本堂が建てられた。

●入り口の寺紋は「日蓮宗橘」(井筒に橘、井桁に橘)である。
「丸に橘」は井伊家の家紋。
「井桁」は井伊家の旗じるし。
 井伊家の初代・藤原(井伊)共保(ともやす)は「井戸」の傍らで
 生まれ、「橘」の木が生えていた。
 「日蓮宗橘」は井伊家の「井桁」と「橘」がひとつになった紋である。
日蓮宗の開祖・日蓮上人は、井伊家から分流した貫名(ぬきな)家4代
目:重忠の4男である。
井伊家とつながりのある日蓮上人の寺紋を掲げる正法寺。・・・

といっても井伊直政の菩提寺は全て曹洞宗である。龍潭寺も
 箕輪龍門寺も、高崎龍広寺、彦根清涼寺も・・・
 
高崎城下町は実際には西郷正次の設計であろう。法華寺が西郷正次
 の開山である。開山は法華寺と同じ本龍院日敬である。

・慶長20年(1615) 大坂夏の陣で徳川方:酒井家次の家臣として
 北爪九蔵が天王寺の戦いで勝利に導いた。
戦功により九蔵町となった。
・元和元年(1615)大坂夏の陣がおこった。
 徳川方の武将である高崎城主酒井家次は武士の他に高崎城下から
 四人の町人を選んで従軍させた。
 北爪・梶山・須藤・反町の四人、
 (★川野辺寛『高崎志』)
★元々、北爪氏は浜川町の北爪砦に済んでいた
 

●「正法寺」の「九蔵稲荷」…猫背のお地蔵さま、「夜泣き地蔵」 
 「九蔵稲荷」が正法寺(しょうぼうじ)本堂右奥にある。

★酒井家次はその功績で五万石から十万石に加増されて越後高田藩主
 として転封、北爪九蔵も酒井家次に従って高田へ移った。
 北爪一族は4家に分かれた。(★上越市史)
★ちなみに箕輪滝沢寺は現在「酒井家次の家紋である。」滝沢寺の和尚
  が恵徳院を開山したのにね。

【14】一里塚
井伊直政時代の中山道は現大信寺のお堂前の入り口の細い道で
 ある。通町・北通町から九蔵町~椿町を抜けて、本町三丁目へ繋がる
  ルートである。
 ★法華寺の前を直角に左折・・・所にある。
 ★正法寺の門の左に出て、次の十字路を右折した角に一里塚
 の解説版があった。

【15】大雲寺
●須藤さん解説
「①高崎市の重文に指定されている武居梅坡(ばいは)の
「水墨雲竜の図」があります。」
「②大河内家の家老・・・武田信玄家臣:山本菅助子孫:山本
 幸運の墓があります。」
箕輪初心:生方【中村茂先生講演会『山本勘助→子孫は高崎藩山本菅助』】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_26.html

箕輪初心:生方【中村茂先生+安中ふるさと学習館+加筆
『山本勘助→高崎藩山本菅助』】
https://53922401.at.webry.info/201802/article_27.html


【15】法華寺
 ●須藤さんの解説

【16】八間道路(旧中仙道・新中仙道)
●須藤さんの解説

・山村薗
 ・昔のチンチン電車

【17】恵徳院
 ●須藤さんの解説
・龍広寺と恵徳院

【○】 ランチ「弥助寿司」:焼き肉定食
★須藤さんは物知りだった。
 

【18】 高崎民俗資料館・・
  大工原先生・田口先生・青山さんがいた。
 


【19】 長野堰円筒分水
●高崎市の用水路シリーズ:井伊直政関連~~~~~~~~~~~~
2010年
箕輪初心●箕輪城シリーズ⑫「長野・井伊時代の用水路開発」と現在
http://53922401.at.webry.info/201010/article_17.html

2011年
箕輪初心◆「群馬:高崎の稲作と用水路①」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_34.html

箕輪初心◆群馬:高崎市の稲作と用水路②「長野氏の開発①」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201104/article_5.html

箕輪初心◆群馬:高崎の用水路③「長野氏の用水路編②」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_6.html

箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路④「江戸時代」
http://53922401.at.webry.info/201104/article_7.html


2013年
箕輪初心★江原源左衛門&滝川用水20131010
http://53922401.at.webry.info/201310/article_11.html

箕輪初心◆高崎の長野堰=西新波堰の歴史
http://53922401.at.webry.info/201310/article_12.html

箕輪初心★高崎藩8代・10代松平輝貞&「右京の泣き堀」
http://53922401.at.webry.info/201310/article_14.html

●2014年
箕輪初心◆長野堰③「染色のまち高崎に流れる長野堰:高崎広報」
http://53922401.at.webry.info/201410/article_13.html

2015年
箕輪初心:生方★高崎城&長野堰【井伊直政&秋元長朝&新井喜左衛門】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_10.html
★秋元長朝はおそらく高崎城の内堀・用水路・遠構え
 建築に貢献したのだ。

箕輪初心:生方「箕輪城159&【中嶋宏氏主催の長野堰を語りつぐ会
の絵図展】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_4.html

箕輪初心:生方▲【長野堰を語り継ぐ会の絵図展】&【高崎城の桜】
http://53922401.at.webry.info/201504/article_5.html

2016年
●箕輪初心:生方▲2016【高崎の用水路開発&長野堰の歴史】大修正版
http://53922401.at.webry.info/201607/article_1.html

●箕輪初心:生方▲201610624~0628世界かんがい遺産候補:長野堰展準備完了
http://53922401.at.webry.info/201606/article_27.html

●箕輪初心:生方▲世界灌漑遺産候補【長野堰展2016】6月24日~28日
at高崎シティギャラリー
http://53922401.at.webry.info/201606/article_25.html

●箕輪初心:生方▲主に群馬・長野の【戦国~江戸の用水新田開発】
http://53922401.at.webry.info/201605/article_34.html

箕輪初心:生方▲松平輝貞の『榛名するす岩下:右京の泣き堀』
3回目・榛名湖畔
http://53922401.at.webry.info/201604/article_25.html

2017年
●箕輪初心:生方▲箕輪城№239『長野業政・井伊直政』
&3碑&世界かんがい施設遺産『長野堰』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_3.html

2018年
箕輪初心:生方▲長野堰:上並榎「長野堰改修紀功碑」⇒請地「長野堰功徳碑」
http://53922401.at.webry.info/201804/article_12.html

箕輪初心:生方▲2018年7月20日~22日『高崎:長野堰』at高崎シティギャラリー
https://53922401.at.webry.info/201807/article_22.html
【20】 三国街道







★明日は

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック