箕輪初心:生方▲伊香保№25『榛名講』での御師の役割と『伊香保温泉』

・永禄年間、武田信玄は信濃松原神社、新海三社、榛名神社などで
 上野国での戦勝祈願をした。特に、箕輪城主:長野業政に勝つこと。
・慶長19年(1614)、「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」が出され、
上野山寛永寺の支配下におかれた。 上野の寛永寺末寺:旧榛名町中里
見の光明寺が学頭、榛名山満行院が別当に任命された。その下に衆徒
五ヶ院、吟味役、年寄という職が置かれた。この3役人が御師の代表
であった。その下に脇年寄、行事、山見役、神楽頭取などの役もあっ
た。
榛名神社信仰は「榛名講」として広がった。『榛名講』
では、榛名神社に代参し、村の豊作を願って代表者が榛名神社に木札
をもらいにいく仕組みがあった。御師は「榛名講」を案内する役である。
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 「名所案内」の観光パンフレットも作られ、倉賀野浅間山は富士山を
望む休憩場所であった。倉賀野宿や高崎宿に泊まる者もいたであろう。
下豊岡には「道しるべ」が設置された。正面には「榛名山・草津温泉
 かわなか・かわらゆ・はとのゆ温泉」、右側面に「従是 神山三里
・三ノ倉五り半・大戸九り半」、左側面に「左中山道 安中・松井田
・横川」とあり、多くの旅人たちが榛名神社・榛名山・草津温泉など
の榛名神社への『榛名講』・浅間温泉郷・川原湯温泉・草津温泉地へ
の案内板としての役割が大きかった。



【1】『榛名講での御師の役割と『伊香保温泉』
※用語解説
御師…「御祈祷師」・「御祈り師」を略したものである。
特定の社寺に属し、信者のために祈祷を行い、参詣のために宿泊・案内
 などの世話をする下級の神職である。(出典 小学館)
 平安時代のころから神社に所属する社僧を指すようになり、後に神社の
 参詣の世話 をする神職も指すようになった。

天正8年(1580) 文書に「榛名山御師光吉」の名があり、「御師」が
 確立されていた。
 御師の活動により上野国を中心とする関東各地に「榛名講」が結ばれ、
参詣客も増えていった。村々からは2~3人が代表として選ばれ、集
めたお金で榛名神社を参詣した。雹よけ・嵐よけ・雨乞いの神として
崇拝されたからである。信濃・甲斐からも「榛名講」は組まれた。
 榛名神社への「代参講」の拡大により、「御師(おし)」と呼ばれ
る神職の者が道案内をしたり、宿坊の斡旋をしたりした。門前には
御師の営む宿坊が建ち並んで門前町が形成された。榛名神社の門前町
「社家町」には代参者に食事や宿泊を提供するための「宿坊」が参道
に建ち並ぶようになった。榛名神社の御師は参詣者を社家町の「坊」に
泊まらせ、榛名講を案内し、崇敬者のために祈祷やお札を授けた。 
 天保期には榛名講の最盛期を迎え、社家町の御師の「坊」は94にも
なった。
 榛名湖や伊香保にも案内した。絵入りのパンフレットなども制作された。
 「御師(おし)」は榛名神社の参拝の案内し、祈祷など様々な便宜を
図ったりした。さらに、「御師」(おし)は神社の裏の関所を越えさ
せ、榛名湖にでる。此処も雨乞いの場所であった。
 「御師(おし)」は代参者たちを伊香保案内した。「榛名講代参者は
伊香保に宿を取って、自分たちの村にの人たちにお土産を買って帰る。
従って、伊香保は更に賑わった。榛名神社代参講・伊香保温泉の
遊山を済ませ、村に戻ると、榛名神社の木札とお土産を各家に配った。
昭和30年代位まで、榛名講が続いていたそうである。

社家町(しゃけちょう)の宿坊は現在でも14軒が残っている。
「般若坊」は、国の有形文化財に登録されている。
 ★榛名講の代参者の名前も掲載されている。
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【2】『富士講』

・文永6年(1269)5月、『日蓮聖人』48歳の時、富士山中腹に法華経
 を埋めた。
『日蓮聖人』は「文永六庚午、今年富士山に登り、その中腹に法華
 経を埋めて鎮国に擬す。後世経ケ岳と称するは是なりと伝ふ」とある。
※経ケ岳…富士山吉田口五合五勺付近にある。日蓮聖人埋経の霊地と
 伝えられ、塩谷平内左衛門家によって代々守られてきた。
・文永11年(1274) 日蓮は身延に草庵を建てて法華経を説いた。
 日蓮は「身延山妙法 華院久遠寺」と名付けた。
・鎌倉時代、日蓮聖人の弟子日興上人は、霊山:富士山が日本第一の
 名山であることから、大石が原(富士宮市上条)に戒壇を設けた。
 大石寺として発展していった。
・大永2年(1522) 武田信虎は身延山久遠寺へ参詣し「御授法」を受けた。
 さらに、武田信虎は富士登山を行った(★『勝山記』)。
 武田信虎は富士山頂を一周する「御鉢 廻り(八葉、八嶺)」を行っ
 た。「お鉢廻り」は富士山頂の高所を八枚の蓮弁に見立て「八葉」を
 巡る。駿河今川氏、相模後北条氏に対する武田信虎の宗教的示威行為
 であると考えられている。
 武田信虎により、富士山頂の御鉢参りの習俗が成立した。
・江戸時代 法華信仰の一貫である富士山登拝は、富士講の信仰儀礼で
 あったため、江戸に住む富士講中は富士山に出かけた。


人の移動と地域社会 —富士山の「日蓮宗の名所」化をめぐって
 — 青柳周一
はじめに
1、須走村における参詣者勧誘と日蓮宗 —宝塔経と祖師堂をめぐって—
2、「日蓮宗の名所」としての富士山—絵図の作成と日蓮宗寺院—
おわりに

1,須走村における参詣者勧誘と日蓮宗
●宝経塔の建立をめぐる騒動(須走・米山豊彦家文書より)
・寛政3年(1791)鎌倉の妙法華寺が火災にあった。日桓が再建に当たった。
  (★現在、三島市玉沢1  TEL:055-975-6111 )
・天保2年(1831)須走浅間神社神主:小野大和が村役人に「玉沢上人なる
 人物が富士山頂に宝経塔を起てたいと願い出ている。」と話した。
  宿泊業もやっていた小野大和が「自分の檀那場に上総の七里法華があ
 るが、住民は配 り札も受けず、富士山の参詣にもやってこないので、
 勧誘したい。」と村役人に説明し た。村役人が宝経塔を許可した。
  ※銅錫:どうしゃくの宝塔は富士山頂「元経ヶ岳」に建立された。
 
 しかし、小野大和の参詣者勧誘は自分の檀那場より広い範囲で行った。
 6月 小野大和は日桓を自宅に招き、「大法要開眼供養説法」を催すに
 当たって
 「富士山東之方須走口神主・小野大和守」という引札(広告・チラシ・
 パンフレット )をばらまいた。
 さらに、「宝経塔勧化帳(日蓮宗の宝経塔を信仰することを進める   
 芳名帳。または、寄付を集めるための勧進(かんじん)帳。)を各地に
 回した。
当日は各地から大勢集まった。

村役人が「引札」の版木の提出を求めた。
 小野大和は「江戸表にて致し候事故」と答え、回収を勘弁して欲しいと
 願い出た。

しかし、開眼供養に集まったのは女性が多かった。
村役人が懸念した。
 ↓
トラブル
①開眼供養に来た伊豆の女性3人が女人禁制の富士山に登頂しはじめ、
 トラブルが発生した。
 村役人が女性達は須走口の小野のところに下ろした。
 『甲子夜話』:松浦静山著の四巻に、「近頃は法華宗の崇信甚しくな
 りて、天保三年の  夏、富士へ登る 豆州三嶋の女三人、山禁を
 犯し題目を唱て山上す」とある。
 全国的に法華信仰が盛んで、登詣する信徒も多かった。と引用した。

②須走口以外からも女性が宝経塔を参詣しに来るようになった。
③大宮(富士宮市)の浅間神社の大宮司が須走村にクレームをつけた。
 ↓
新たな問題点と協議・対応
①小野の所処分について
 「宿引きからくり(違法な客引き行為)」処遇問題として発展しそうで
 あった。
  村役人の中の対立
 厳しい処分を望む強硬派 VS 穏やかな処分を願う穏健派
 結果…小野が有力者であったので厳しい処分にはならなかった。
②増加が予想される日蓮宗講中など参詣者の対応について
  強硬派「小野大和は日蓮宗講中を泊めてはならない。」
  穏健派「日蓮宗講中を小野大和・御師・宿屋で分ければよい。」
 結果…御師・宿屋の合議で日蓮宗講中を含めた参詣者の宿泊を決定
 することになった。

・天保2年11月 6カ条の内済(規定)が決められた。
 1条…説明なし
2条・3条…奉加帳・版木の回収
 ※筆者の考え…小野大和のところばかりに来ないようにする。
 4条…法華講中(日蓮宗講中)は師檀・定宿に関係なく、泊まり方を
 定めた。
 つまり、日蓮宗講中参詣者(道者)については辰年かた小野大和殿から
御師・宿屋の順番を決めておいて、先格(順廻り泊め?)の通り、各自が
1組ずつ休泊させる。参詣者を丁寧に扱う。但し、小野大和殿目当てで来
た参詣者はトラブルは起こると困る故、泊めてよい。そして、登山客から
1人60文ずつ「刎銭(割増料金=入山料)」を徴収し、7月25日に、
みんなで立ち会って平均して分けることとする。
『甲子夜話』では、「……然るに、この度は法華宗始めて題目(★南無妙法
 蓮華経)を高唱し、山上せし也…又被徒、彼宗の尚む所、七面塔、番神堂、
 鬼子母神堂を建しに」
 ※筆者の考え…松浦静山が富士山が日蓮宗色が強い場所になったと感じて
 いる。須走村は日蓮宗講中の勧誘と受け入れをめぐって、日蓮宗寺院との関
 係を深めた。
★私は須走村は安定とした生活をするための日蓮宗寺院との共存を模索した
 と考える。
 

※用語解説
 師檀…①師匠寺と檀家の関係を指す。
    ②御師を「師」とし「先達」が率いてきた参詣者(道者)を
    「檀那」とする恒常的な関係(師檀関係)を指す。
 

天理参考館蔵の「富士箱根伊豆并富士山絶頂図」(館呼称) がある。
(木版色摺 39,1cm×54,0cm)
※右端の一文から絵図作成の目的(★意図)について
①富士山の形状
②富士山の須走口にある「安国高祖大菩薩開会堂:および「絶頂宝塔」と、
 山頂に至るま での「諸岩窟」に「諸尊」が安置されている様子
③甲州・駿河・伊豆・相州を巡るルート
が「衆皆往拝」の道しるべとして図示されている。

一合目・七面大明神
二合目・八幡大菩薩
三合目・天照太神宮
四合目・鬼子母神
五合目・得大勢至菩薩
六合目・普賢菩薩
七合目・文殊師利菩薩
八合目・摩利支尊天
九合目・妙見大菩薩
頂上…釈迦牟尼仏・帝釈天王・千眼天王
中宮…毘沙門天王・清正公大神祇
★日本に仏教が伝来して以来、富士山が仏教信仰の聖地であるが、
 富士山が日蓮聖人とゆかりのある霊場であることから、富士山の途中
 に法華経の守護神である勧請仏が祀られ、法華信徒が登拝・巡拝しな
 がら山頂に辿り着くようになっている。富士山信仰と身延山信仰・日
 蓮ゆかりの地を融合させ、江戸に住む法華信徒を富士山に誘引しよう
 としたものと考えられる。
  また、法華信徒が富士山登詣を行った後、総本山:日蓮宗身延山久
遠寺(現山梨県南巨摩郡身延町)、日蓮宗本山の玉沢妙法華寺(静岡県
 三島市玉沢)、伊豆:日蓮流罪の場所と蓮着寺(静岡県伊東市)など
に参詣して各寺へのお布施を募る意図のもとに作成されたとも考えられ
 る。


●▲■箕輪初心:生方▲温泉ブログ(群馬編)***********

箕輪初心:生方▲2018『草津温泉』・『草津に歩みし141人+α』のブログ一覧
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箕輪初心:生方▲『温泉百話―東の旅』(ちくま文庫2018年)
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◆総論編**************************
◆◆ 箕輪初心★『伊香保の歴史詳細&訪れた文人墨客』 ◆◆
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箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
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◆各論編**************************
◆◆【古代~平安時代の伊香保・榛名】************
伊香保№00『エロ解釈万葉集伊香保編9首』古代~鎌倉時代
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_13.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』①山名駅~山名
八幡宮~山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』②山上の碑
~山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』③山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】④山名城4番~10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』⑤根小屋城2回目
https://53922401.at.webry.info/201510/article_29.html


◆◆【鎌倉時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№00補足篇≪鎌倉時代の歌人たち≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_23.html


◆◆【南北朝時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№12『伊香保神社縁起』と南北朝時代『神道集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_24.html


◆◆【戦国時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№01≪長尾景仲→景信→景春→上杉定昌
の伊香保温泉開発?≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№02≪堯恵(ぎょうえ)文明18年(1486)≫
『北国紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№03≪宗祇:文亀2年(1502)≫連歌師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保温泉№4≪宗長≫ 連歌師:『宗祇終焉記』・『東路の津登』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№4≪真田昌幸:天正4年(1576)石段街の基礎造成≫
と真田3代ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_7.html

◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_9.html

箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
https://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html


◆◆【江戸時代の伊香保・榛名】*****************
箕輪初心:生方▲伊香保№13『江戸時代の文学:伊香保・榛名総集編』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_25.html

箕輪初心:生方▲伊香保№23『江戸時代の旅と飯盛女』&『伊香保に町人来訪』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_46.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25『榛名講』での御師の役割と『伊香保温泉』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_47.html

箕輪初心:生方▲伊香保№15≪中川内膳正妻:寛永年間(1624~1645)≫
『伊香保記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_27.html

箕輪初心:生方▲伊香保№16≪跡部良顕:元禄11年(1698)≫『伊香保紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊香保№17≪建部涼袋:延享2年1745≫『伊香保山日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_33.html

箕輪初心:生方▲伊香保№18≪油谷倭文子(ゆやしずこ):寛延3年(1750)≫
『伊香保の道行きぶり』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫
尊皇思想家『赤城行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_11.html

箕輪初心:生方▲伊香保№19≪平沢旭山:天明5年(1785)≫漢学者・国学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№20≪吉田芝渓:寛政元年(1789)≫千明仁泉亭『浴泉奇縁』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№07≪奈佐勝皐(かつたか)天明6年(1787)≫
『山吹日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_15.html

箕輪初心:生方▲伊香保№21≪関重嶷:寛政12年(1800)≫伊勢崎藩家老
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_41.html
★嵩山彦九郎と仲良しだった。

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪小林一茶:文化5年(1808)≫『草津道の記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_44.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪八隅芦庵:文化7年(1810)≫『旅行用心集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_43.html

箕輪初心:生方▲伊香保№08≪十返舎一九:文政2年(1819)≫文学者
・エロ浮世絵師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪千葉周作:文政6年(1823)?≫:木暮武太夫泊
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_16.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪樋口定輝:文政6年(1823)?
伊香保神社掲額事件≫馬庭念流
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊香保№11≪滝沢馬琴:文政年間?≫①『伊香保の額論』
&②『南総里見八犬伝』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№100番外編≪司馬遼太郎『北斗の人』≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_22.html



★明日の伊香保・榛名関係は「塩原太助」・・・


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