箕輪初心:生方▲伊香保№27 ≪安積良斎:天保9年(1838)≫榛名神社・木暮武太夫

安積艮斎は二本松藩の藩校、幕府の昌平坂学問所教授等を歴任した
幕末の大儒学者である。門人には小栗上野介、吉田松陰、高杉晋作、
岩崎弥太郎、前島密はじめ2282名を数える。安積艮斎『東省日録』は、
江戸から中山道で下り、上野国の妙義山→社家町小山氏(現「宮本土
産店」駐車場にあった宿坊)→榛名山(榛名神社)→榛名湖畔5分の4
周→伊香保温泉は木暮武太夫に2連泊→板東16番:水沢観音→
利根川渡河→大胡→下野国の足尾→日光の山水鑑賞・・板東17番
:中禅寺→東照宮参拝→芦野から奥州→故郷の郡山に帰省→奥州
街道から江戸へ戻る旅を記した紀行文である。



箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
https://53922401.at.webry.info/201804/article_8.html
 ★小栗上野介の先生であった。

●安積艮斎************************
・寛政3年(1791)3月2日、陸奥二本松藩の郡山(福島県郡山市)に
 ある安積国造神社の第55代宮司の安藤親重の3男として生まれる。

・5歳から11歳まで約6年間、二本松藩の寺子屋で学問に励んだ。

・文化2年(1805) 16歳で婿入りした。
  日夜読書に耽るので妻に嫌われ、実家に戻った。

・文化3年(1806)17歳で学問を志して江戸に出奔した。
  現葛飾区の日蓮宗妙源寺の日明和尚のもとで生活した。
   (★安積艮斎の墓あり)
   日明和尚の紹介で、佐藤一斎の学僕・門人となった。
   佐藤一斎に師事した。
※儒学者佐藤一斎
 『言志四録』の著者
  門人は安積艮斎、佐久間象山、横井小楠はじめ3000人である。
 安積艮斎は佐藤一斎の門で頭角を現した。

・文化6年(1809) 20歳の時、大学頭:林述斎(じゅっさい)の
  門人となった。
 林述斎は幕政顧問として文教政策を担当していた。
 林述斎は、安積艮斎を
 「思順は志強く気鋭なり。後必ず成るあらん。」
 と期待した。
 ★林述斎は鳥居耀蔵のパパである。
  後、鳥居耀蔵は蛮社の獄で高野長英を投獄した。
 
・文化11年(1814)24歳で江戸駿河台の小栗忠高邸内に長屋を
 借りて私塾を開いた。
 見山楼は旗本小栗家の屋敷内にあった。
 神田駿河台でも富士見坂に屋敷を構えていた。
 富士山がよく見えたので、安積艮斎の屋敷は「見山楼」と呼ばれた。

 塾は何回か移転するが、小栗邸の塾を残してつづけた。
 安積艮斎は門弟の教育と学業研鑽に励んだ。

 ※安積艮斎はハイキング・自然の中で遊ぶこと・漢詩文を書くことを
 楽しみとし40代に5回旅し紀行文を書いた。
 
・天保元年(1830) 閏三月~ 安積艮斎「艮斎日記」
16日 江戸(神田駿河台・見山楼)→板橋宿→戸田宿・・上尾宿泊
17日 上尾宿→鴻巣宿→・・・・深谷宿
 18日 深谷宿→本庄宿→倉賀野宿→高崎宿→安中宿
 19日 松枝(松井田)→臼井川(碓氷川)→妙義神社→▲金洞山
     →巌高寺→武尊祠(中之嶽神社)→金洞窟→大日峰→石門
    →寺宿泊。
   (★現在の関東ふれあいの道=私も登っている。)
   ▲金洞山(妙義山)に登った。第四石門にも行った。
  ◇『遊金洞山歌』安積艮斎著
  (★『妙義山』:「歴史と信仰の山」:あさを社昭和56年:1981年)

20日 寺→仙人巌→松枝(松井田)→矢鏃嶺→秋間→風剪嶺
  (現地蔵峠:小栗上野介の娘達が迷った場所)
   →明神村(倉渕権田の烏川対岸)→榛名→榛名神社神官:
   小山氏屋敷に宿泊。
  ★社家町の榛名神社の川合玉堂書の石門近くの「宮本土産店」
 (現駐車場の屋敷)に泊まった。
画像


 ◆榛名に宿泊
「榛名に至る。日已に下舂す。廟祝小山氏に宿す。居は深渓に臨む。
 遥かに妙義山を見れば、山色鶻突、已に一抹の遠靄と為れり。妙義よ
 り榛名に至る八十里の間、土塊の禹余糧の如き者、野に布くを見る。
 之を攬らば、軽脆にして砕け易からん。」
 (◇安積艮斎「東省日録」:『艮斎文略』所収)
画像

 
21日 榛名神社参詣→天神峠→榛名湖→烏帽子岳の下→小富士下
    →伊香保温泉・木暮氏(木暮武太夫=現ホテル木暮)に泊。

▲榛名神社
「廾一日、榛名山に詣ず。山下の渓水琮琤として、老杉蔽翳たり。
仰ぐも曦景を見ず。石壁、天に聳ゆる者、二つあり。其の一は巉巉と
して削成するが如し。其の一は盤據して堂皇の如し。路傍は皆、大石
磥嵬にして、人、其の隙より過ぐ。隙は咫を以うること能わず。懍懍
として其の圧するを懼る。渓谷の間を俯瞰すれば、巨石数十砰躍し、
皆怒態を成す。…(中略)…
磴を下れば清泉觱沸す。掬い飲めば、極めて甘冽なり。万年泉と曰う。
碑有り。元文中、崎嶴平君舒撰文す。苔蝕みて悉く読むべからず。渓
を泝りて北すれば、二石離れ立つ。高さは二十丈ばかりなり。方なる
者、円なる者、隋なる者、累累として相い畳なる。塔上の相輪の若き
は、危むきて飛び墜ちんと欲す。覧る者舌を吐く。」
  (◇安積艮斎「東省日録」:『艮斎文略』所収)
★江戸時代は「榛名山」と言えば=榛名神社を意味していたことが
 分かる。
★万年泉=萬年泉は「榛名講」で雨乞いで持ち帰る聖なる水である。
★本殿・神楽殿の周りの奇岩を鑑賞している。

▲榛名湖
「渓廻り路転ずること十五里、天神嶺に造る。仍ち是は榛名山中なり。
 湖有りて周廻三十里、水色沈碧なり。相い伝う、「霊物の蟠る所なれ
ば、旱歳、雨を禜して必ず験あり」と。東岸の一峰、岳蓮に逼肖するは
小冨士と曰う。北岸に山高くして偏なるは烏帽岳と曰う。烏帽と並び峙
つ者は、冠岳と曰う。西岸の一峰、立石数丈相い倚り、碧玉硯屏に類い
するは、硯岳と曰う。皆草有りて樹無し。儼然として天地の一大名園池
なり。」
( ◇安積艮斎「東省日録」:『艮斎文略』所収)
 ★榛名湖は「雨乞い」の場所だった。
★実際は5分の4周したことが分かる。

22日 降雨のため同旅館に連泊。
画像



 
23日 伊香保→水沢観音→野田宿→総社宿→
「厩橋の津、漲慌して通ぜずに会い、荻原〈萩原〉より渉る」
★萩原の渡しは昭和大橋のできる昭和57年まで舟での渡し
  があった。
  大胡宿泊。

24日 大胡→ 室沢 →花輪→(足尾銅山街道)→足尾泊 
★笠懸野宿、足尾銅山街道と足尾鉱山は岡上3代目岡上景能の開発
   による。

◆参考サイト*************************
◇上州紀行―艮斎史跡めぐり
https://blogs.yahoo.co.jp/asakakunituko/36753439.html

◇艮斎先生研究室「東省日録の旅程」
https://blogs.yahoo.co.jp/asakakunituko/33571861.html

◇安積艮斎 - 東善寺(村上泰賢先生Hp)
tozenzi.cside.com/gonsai.htm

◆参考文献・図書
安積艮斎『艮斎文略訳注』明徳出版社2017/5/1)
  安藤智重著  村山吉廣監修
(★高崎経済大学所蔵・群馬県立図書館所蔵)


(★上記を引用させていただきました。)



・天保3年(1832)41歳の時『艮斎文略(ごんさいぶんりゃく)』
 を出版した。
 (◇安積艮斎「東省日録」:『艮斎文略』所収)
 安積艮斎の名は天下に知られるようになった。

 安積艮斎は尚歯会に参加し、渡辺崋山・高野長英らと親交があった。 
 安積艮斎の「見山楼」になぜ多くの俊秀たちが集まったのか?
 朱子学と陽明学という反発しあう学問を一致させた上、蘭学や洋学
 へも積極的な関心を寄せたからであった。
 安積艮斎の塾の特性が時代のニーズにマッチしていた。

・天保6年(1835) 小栗剛太郎(忠順)が入門した。
 門人帳『授業続録』には、
 「天保六年十月朔日 駿河台 小栗又一様御嫡子 小栗剛太郎」
 とある。艮斎46歳、剛太郎(忠順)は数え9歳である。


●天保9年(1838) 安積艮斎は、門人某と長男文九郎とを伴い、
 碓氷峠を越え浅間山の山腹を通って草津へ行った。
『踰碓氷嶺過浅間山記(碓氷嶺を踰え浅間山を過ぎるの記)』
『「艮斎文略続」所収』として書き残されている。
 ※安積艮斎が滞在した宿は、現草津温泉「大阪屋旅館」である。
 安積艮斎が長男:文九郎の皮膚病を治すために半月滞在した旅館
 である。

「大阪屋旅館」に半月ほど滞在した間、草津白根山を登山した。
 ▲草津白根山を登山した。
『登白根山記(白根山を登るの記)」『「艮斎文略続」所収』
 として書き残されている。



・天保7年(1836) 江戸で二本松藩の儒学者となった。

・天保14年(1843) 二本松藩・藩校敬学館の教授となって、二本松
  に赴任した。
 在任中『明朝紀事本末(みんちょうきじほんまつ)』全80巻を
 校訂した。

・ 弘化2年(1845) 二本松から1年半で江戸へ戻った。
 
・嘉永元年(1848)『洋外紀略(ようがいきりゃく)』を著した。
   世界史の啓蒙、海外貿易の必要性を説いた。

・嘉永3年(1850) 60歳で、昌平黌教授に任命された。

・嘉永5年(1852) 徳川家慶将軍に進講した。

・嘉永6年(1853) ペリー来航
  安積艮斎はアメリカからの国書の翻訳を行った。

  開国か鎖国かと世論が分かれる中・・・・
   外交意見書『盪蛮彙議』を提出した。

  プチャーチン持参のロシア国書の返書起草にも携わった。

・万延元年(1860) 70歳で没した。



■主な門人  
安積艮斎は朱子学を主としたが、陽明学を積極的に取り入れ、
学派に拘らない自由な学風を貫いた。
渡辺崋山、高野長英ら開明的な学者や幕臣が会した尚歯会にも
出入りしたので、蘭学・洋学にも精通していた。

・小栗上野介(井伊直弼から№3外交官依頼で日米修好通商条約締結)
    小栗はボーハタン号で行った。
・木村攝津守(咸臨丸総督・福沢諭吉・通訳:中浜万次郎・勝海舟を
       同乗させた。)
・栗本鋤雲(小栗のよき理解者・後援者:倉渕東善寺に銅像。)
・秋月悌次郎(福岡秋月藩)前島密
・川路太郎(下田奉行:川路聖謨:としあきらの嫡孫)
・土佐の間崎哲馬(塾頭)、岩崎弥太郎、岩崎馬之助、谷干城、吉田東洋
・権田直助・中村正直・福地源一郎・箕作麟祥
・吉田松陰(嘉永4年入門)・高杉晋作・楫取素彦(後群馬県令)
・清河八郎(嘉永5年入門。草津温泉に母を連れて来訪、後小栗の命を狙った)
 など幕末から明治期に活躍した2282人の名前が門人帳
 に記されている。幕末・明治の動乱期の人物に与えた影響は大きい。


◆参考資料・図書
◇「安積艮斎と小栗上野介―その師承関係」安藤智重著
◇「小栗上野介」村上泰賢著
  ★安積艮斎は小栗上野介の先生であった。
◇安積艮斎『艮斎文略訳注』明徳出版社2017/5/1)
  安藤智重著  村山吉廣監修
(★高崎経済大学所蔵・群馬県立図書館所蔵)


●箕輪初心:生方「小栗全集」ブログ一覧~~~~~~~~~~~

◆◆箕輪初心★小栗上野介①「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介②「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介③「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介④「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑤「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑥「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_10.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑦「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_11.html

◆◆箕輪初心★小栗⑧「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

◆◆箕輪初心★小栗⑨「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑩「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑪「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑫「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑬「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

箕輪初心★小栗上野介⑭童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

箕輪初心★高崎:小栗上野介15【小栗上野介忠順の抹殺】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_20.html

箕輪初心:生方▲小栗上野16:岩下哲典先生の講演会
『幕末情報社会と小栗上野介』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_1.html

箕輪初心:生方★小栗上野介17『小栗祭り20160522』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_2.html

◆ 箕輪初心★『小栗上野介とボーハタン号』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★『ボーハタン号&咸臨丸』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆ 箕輪初心★『小栗上野介の功績&提唱』 ◆◆
★大隈重信・大久保利通・東郷平八郎などは
「日本の近代化の父」と思っているようだ。
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介の妻:道子=会津への逃避行 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

●尊皇攘夷関係**********************
★★ 箕輪初心★佐久間象山①「長野:象山神社」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_15.html

箕輪初心★佐久間象山②「佐久間象山の生涯」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_16.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_16.html

箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男
http://53922401.at.webry.info/201402/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201402/article_1.html

箕輪初心:生方【吉田松陰と下田】黒船と下田踏海事件
http://53922401.at.webry.info/201507/article_24.html

箕輪初心★梶取素彦=群馬県令。吉田松陰の2人の妹:寿&文が妻。
http://53922401.at.webry.info/201401/article_31.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201401/article_31.html

箕輪初心:生方▲『靖国神社昇殿参拝』&『サンルートプラザ東京グルメ』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_8.html
★大村益次郎

箕輪初心:生方▲長崎5回目30-25「三菱」後編『歴史秘話ヒストリア
:岩崎彌太郎』
http://53922401.at.webry.info/201807/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー35『清河八郎』:将軍を守る浪士隊⇒尊皇攘夷論者
https://53922401.at.webry.info/201804/article_17.html





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