箕輪初心:生方▲2018高崎№30『鼎談』と【小栗上野介忠順企画展】

平成30年(2018)11月2日~7日、【小栗上野介忠順企画展】
2回目が開催されている。私は11月4日、東善寺の村上泰賢先
生、小栗さくら氏、手島仁氏の鼎談があるというので出かけた。
高崎市のHpには「日本の近代化に奔走し、無念の死を遂げた小
栗上野介の没後150年を記念した企画展(小栗上野介顕彰会主催)
が2日、群馬県の高崎シティギャラリーで始まった。小栗の生涯
や功績などをパネルや遺品を通して紹介している。7日まで。
 米国のワシントン造船所を視察した小栗がその機能性に感銘を
受けて、建設に踏み切った横須賀製鉄所をはじめ、製鉄所が本県の
富岡製糸場や中島飛行機に与えた影響、日米貨幣を正当に取引しよ
うと交渉を進めていた史実などをパネルでまとめた。愛用していた
望遠鏡や家紋をあしらった肩衣などの遺品、米国の新聞記事なども
展示している。午前10時~午後4時半(最終日は同3時まで)。」
とあった。中島さん・孝ちゃん・吉田さんにあった。




【1】1回目の企画展
教科書には載っていない「小栗上野介」-領地、高崎で初の資料展
 作家の故司馬遼太郎氏に「明治の父」と言わしめた小栗上野介
(1827~1868)ゆかりの高崎で、「小栗上野介と幕末維新の高崎」
展が開催されている。会場は高崎市歴史民族資料館(高崎市上滝町、
TEL 027-352-1261)。同市での小栗上野介に関する展示は今回が初。
小栗上野介のポートレート
小栗上野介は江戸時代末期の幕臣で、渡米の経験から海外の先進文化
を持ち帰り紹介したことにより、近代日本の基礎作りに貢献したと評
価されているが、歴史の教科書では馴染みが薄い。
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 江戸初期から、上野国群馬郡権田村(かみつけのくにぐんまぐんご
んだむら)、現在の高崎市倉渕町権田は小栗家の領地だった。小栗上
野介自身と高崎との直接的な関わりは1868年3月、幕府から帰農
許可を得て権田村に移住したことに始まる。
 一族そろって権田村の東善寺(同市倉渕町権田)に移った小栗上野
介は、移り住んでからわずか2カ月後には官軍に捕われ、烏川の水沼
河原(高崎市倉渕町水沼)で斬首されるという悲劇的な運命をたどった。
 約30年ほど前から小栗上野介についての研究を始めた東善寺の村上
泰賢住職は、「小栗上野介は『幕府の運命に限りがあるとも、日本の運
命に限りはない。幕府のために成すこともひいては国のため』、また
『公務に尽くすのが真の武士だ。後は野となれ山となれと言って退散
するのはよろしくない』と最後まで力を尽くした」と力を込める。
 日本の歴史に詳しくない人にまで小栗上野介の名が知られるように
なったのは、1990年代にTBS系で放映された「徳川埋蔵金」発掘を
テーマにした番組がきっかけだ。しかし、徳川埋蔵金への小栗上野介
の関与については諸説入り乱れている。
 村上住職は「もしも本当に世間で言われているような金塊なり小判を
運ぶ場合、約2,000頭の馬が必要になると割り出した人がいた。馬が
2,000頭なら馬方だけでも2,000人、パワーショベルもブルドーザー
もない時代にどれくらいの人手が必要になるか。それだけの馬や人を
見たという言い伝えも聞かない。それより何より小栗上野介は金を生
かして使う人。埋めるだけの黄金があれば、役立つことに使ったに違
いない」と話す。
 小栗上野介の死去から140年。「小栗上野介と幕末維新の高崎」展
では小栗上野介の遺品や関係資料を展示し、「小栗上野介が生きた激動
の時代の高崎をわかりやすく紹介」(高崎市担当者)している。
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【○】小栗上野介情報72「村上泰賢先生より封筒にて」
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 ①富岡製糸場は、横須賀造船所の妹。
 横須賀造船所の建築技師・フランス人のバスティアンが設計図を
 書いた。
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 ★給料はヴェルニーの10分の1だった。
 横須賀からはさまざまな補助器具を提供してもらっている。
②中島飛行機製作所(現スバル・富士重工)は、横須賀造船所の弟。
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 横須賀海軍工廠造兵部飛行機製造の幹部だった中島が、
 「国では技術革新んに間に合わない。民間でやるのがいい」と
 「制作費の安い飛行機をつくり空母で運んで闘うべきだ。」
★零式戦闘機は三菱製と中島(富士重工)製があった。
 アメリカ軍はB29で、グアムから利根川の遡り高崎の白衣観音様
 の所で右に曲がり、中島飛行機製作所を攻撃した。
 私の母も中島飛行機製作所の事務官だったので、攻撃された。
 8月14日、高崎も空襲にあった。
③生野銀山
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【2】2回目の 【小栗上野介忠順企画展】
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≪1≫高崎北高校吹奏楽部の演奏
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1)宝島
2)八木節
3)さくらのうた
4)小栗のまなざし
5)ふるさと

≪2≫式典

≪3≫東善寺の村上泰賢先生、小栗さくら氏、手島仁氏の鼎談
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1)北高の演奏について
2)小栗のまなざし:福田洋介作曲
  村上先生の感想「・・・いい曲作って戴きました。」
  手島氏の感想 「
  さくら氏の感想「インターネットで聞きました。」
3)自己紹介
  村上先生「 ・・・理事です。」
  さくら氏「府中生まれ。・・・父の影響、中学生時代に司馬遼太
    郎の『燃えよ剣』を読んで以来、歴史に興味を持つ。
    隣は近藤勇・土方歳三で持ちきり、・・処刑された人は
    近藤勇・小栗上野介でした。小栗上野介が勝海舟とライバル
    ということを知って、調べ始めました。
    駒澤大学歴史学科での卒論は「小栗上野介」・・・・
    東善寺の村上先生にお世話になりました。
    卒業と同時に博物館学芸員資格を取得・・・。
    現在『歴史タレント』として、TVやCMに出演しています。 
手島氏「前橋市出身。立命館大学文学部史学科日本史学専攻卒業。
    県立高校教諭、群馬県史編纂室、県立歴史博物館を経て、
    現在は前橋市文化国際課に置籍。群馬県立女子大学・前橋工科
    大学非常勤講師。
    主な著書に『群馬学とは』『中島知久平と国政研究会』など
    群馬県の群馬県内の自治体史の編纂に関わり、群馬県の先人の
    発掘に努めています。特に「小栗上野介」について正しい理解
    していこうと考えています。桃井小の校長先生は「学校に埋蔵
    金が隠されているかもしれない。とおっしゃっていましたが、
    校舎新築寺には出てきませんでした。

4)『郷土讀本』について
 ①手島氏「牛塚虎太郎群馬県知事と教育改革」についての解説
大正13年(1924) 群馬県知事  
    服部精工の娘婿…深井仁子の紹介で結婚
  大正15年(1926) 群馬県教育会が『郷土讀本』の編纂に着手
  然し。牛塚虎太郎は宮城県知事として、赴任してしまった。
昭和4年(1929)完成。自然44・群馬の偉人11人
 ②さくら氏「小学校4年用の郷土讀本の朗読」
   村上先生の訂正箇所
   施設=施策の意味
   慶喜直ぐに解職→訂正「14日は帰り、15日、登城で解雇
   主従6人→訂正「主従4人」
   又一は→訂正「又一と家来」
   高崎藩で切られた→訂正「牢屋で・・・現小林駐車場です。」
   皇后が御内ど金200円→訂正「だけでなく、横須賀市民、
     群馬県民も寄附」

③村上先生「教師用の郷土讀本の朗読」と訂正
   価格の3倍→訂正「小判(金)を3分の1の大きさにした。」
   大砲1門→「大砲は舟で運ばせ、倉賀野で後で受け取った。
   原保太郎21歳、豊永貫一郎17歳・・・

 感想は?「当事者意識…自分のこととして考えている。」
  手島氏「・・・小栗上野介

5)上毛かるた
 浦野さん
戦後、中国大陸から引き揚げてきた浦野匡彦(うらのまさひこ、後二松
  学舎大学学長)は戦災で焼かれた街、伐り尽された山、荒廃した国土
  を復興ふっこうさせるには、子供たちがカルタで遊びながら郷土群馬
  県の自然、産業、産物、歴史人物などを知るのがいいと考え、テーマ
  別に公募しました。

 敗戦後、GHQ(占領軍司令部)の許可を得ないと印刷発行できなかっ
 たので原案を届とどけると、軍国主義の復活を警戒して
  「小栗上野介」「高山彦九郎」「中島知久平」が削除された。
浦野が談判した、「小栗は横須賀の軍港を作った人物だから、軍国主
  義者である。」と・・・
 浦野は「小栗が渡米して15代大統領ブキャナンに会あっている。
   アメリカの進んだ文明を見て日本も近代国家にしたいと考えて
   横須賀造船所を建設した。軍艦製造所ではない。」
   説明した。
GHQの少尉?が最後は敬礼した。

 「ら」は「い」とともに箱の中で絵札・読み札とも上に置くことに
 なっていて、そのために「い」と「ら」だけ赤くしてある。
「ち」…「知慮優かな 小栗も冤罪」
  (★西片恭子「上毛かるたのこころ」中央公論事業出版2002年)
平成30年8月購入済み

 さくら氏「倉渕に行ってびっくりしたのは小栗様と呼んでいること
  でした。県民全体がそう呼んでいるのかと思いました。
  でも、違ったんですね。」

村上先生「以前、私は小栗は咸臨丸でアメリカに行ったと
   思っていた。しかし、ボーハタン号でした。坊主が嘘を
   ついちゃいけないと思い、勉強しました。・・・
   模型も作ってみました。」

 ★箕輪初心「ペリーが4隻できた時にボーハタン号もあった。」

6)「小栗の歌」『礎』2番の拝聴 
タレント活動と並行し「さくらゆき」というアーティスト名で
 歴史をテーマにした楽曲の発信しています。
村上先生「・・・作詞での苦労したことは?」
 さくら氏「・・・ネジがポイントでした。」
 

7)展示で大事なこと
村上先生「 蒔いた種→富岡製糸・生野銀山・中島飛行場 」

  宥座(ゆうざ)の器 …
孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心を
  もち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れず
  に正しい姿勢を保て。」と説いた。
器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐ
  に立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」
館林の□□様から戴いた。そのからの父は横須賀造船所で学んだ。
 ★足利学校にもあった。

 



8)薩長史観と大河ドラマ
 手島先生「 薩長史観は勝った方の歴史・・・民衆史が大事。
      群馬の偉人を再認識しなくてはいけない。

 手島先生「地域に根ざしたドラマの必要性です。」

 「土屋プロデューサー・・・
  ①「篤姫」
  ②「楫取素彦」と群馬…楫取素彦も文も無名→薩長史観の克服に
   失敗。
  ③小栗の可能性

  ★群馬のイメージ…「女は酒飲み?」
 
 村上先生…「西郷どん」ではいいところばっかおっている。
 「慶応3年、西郷は赤報隊:相楽総三に命じて倒幕、尊皇攘夷論者の
  浪士を全国から多数招き入れた。赤報隊は放火や掠奪・暴行などを
  繰り返して幕府を挑発した。
  小栗が薩摩藩邸に乗り込んだ。
  相楽総三は西郷の命で(村上先生説:独断説もある。)で東山道に進
  んだ。「御一新」と「旧幕府領の当年分、前年未納分の年貢半減」を
  布告している。西郷は年貢半減の布告は朝廷の了解を得ていた。
  赤報隊は新政府の許可を得て、東山道軍の先鋒として、各地で
  「年貢半減」を宣伝しながら、世直し一揆などで旧幕府に対して
  反発する民衆の支持を得た。しかし、新政府は「官軍之御印」を
  出さず、文書で証拠を残さないようにした。そして、新政府は
  財政的に年貢半減の実現は困難であるとして密かに取消し、年貢
  半減は相楽らが勝手に触れ回ったことであるとした。
東山道総督府からの召喚に応じた。小諸藩から赤報隊による勝手な
 金穀の徴収や、略奪行為を通報されたことにより、相楽総三は出頭
  した。相楽は信濃国下諏訪宿で捕縛され、3月、下諏訪で処刑。
 享年30。8名が処刑された。
 西郷は「旧幕府領の当年分、前年未納分の年貢半減」は撤回した。
 相楽たち赤報隊は官軍の名を利用して沿道から勝手に金穀を徴収し、
 略奪行為を行う「偽官軍」と見なされた。

★ 高崎藩でも赤報隊のような反乱分子が出ていた。

10)上毛新聞の「小栗掲載中」
 若い女性記者であった。
 「小栗掲載中なのは手島さんから聞いて書くことにしました。」

1864年下仁田戦争…水戸天狗党と下仁田で戦い惨敗した
戊辰戦争への対応・・・・
 1868年には幕臣・小栗上野介の処刑を命じられた。
  新政府軍に恭順して小栗処刑後は三国戦争・北越や会津にも出兵。
これらとタイアップしながら、現在は・・・」

11)犬養毅と小栗
さくら氏…犬養毅は「栗本鋤雲先生傳略」の冒頭で、
 「人苟(いやしく)も勤王諸藩に属すれば、士大夫より以て庶人走卒
  に至るまで生は則ち傳記あり、死は則ち墓誌あり、甚しきは刺客間
  諜遊侠盗賊の流に至るまで、唶々其功を稱し、史乗(史書)に載せ不
  朽に傳へんとす」と記した。
 村上先生「犬養毅の師は栗本鋤雲です。」
★明治13年(1880)犬養毅は慶應義塾卒業前に栗本鋤雲(郵便報知
  新聞社主筆)に誘われて記者となった

村上先生「胸像は鋤雲の門人:犬養毅が作らせ、御蔵島に栗本鋤雲の
  胸像が原型があります。」
 ★私も御蔵島イルカうぉちんぐの時、あれ、見た気がするぞ。


【展示品の見学】
企画展の内容は 非命150年
1)開国
2)罪無くして切られる
3)横須賀製鉄所
4)富岡製糸場
5)中島飛行場
6)生野銀山
7)小栗上野介
8)対馬事件
9)遣米使節
10)会津脱出・顕彰
「兵庫商社」
 清水喜助の築地ホテル模型など。


●司馬遼太郎
「横須賀造船所は、かつて日本近代工学のいっさいの源泉であった」
 (★街道をゆく)

●箕輪初心:生方「小栗全集」~~~~~~~~~~~

◆◆箕輪初心★小栗上野介①「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介②「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介③「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介④「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑤「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑥「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_10.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑦「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_11.html

◆◆箕輪初心★小栗⑧「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

◆◆箕輪初心★小栗⑨「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑩「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑪「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑫「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑬「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

箕輪初心★小栗上野介⑭童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

箕輪初心★高崎:小栗上野介15【小栗上野介忠順の抹殺】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_20.html

箕輪初心:生方▲小栗上野16:岩下哲典先生の講演会
『幕末情報社会と小栗上野介』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_1.html

箕輪初心:生方★小栗上野介17『小栗祭り20160522』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_2.html

◆ 箕輪初心★『小栗上野介とボーハタン号』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★『ボーハタン号&咸臨丸』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆ 箕輪初心★『小栗上野介の功績&提唱』 ◆◆
★大隈重信・大久保利通・東郷平八郎などは
「日本の近代化の父」と思っているようだ。
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★小栗上野介の妻:道子=会津への逃避行 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html


箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
https://53922401.at.webry.info/201804/article_8.html
 ★小栗上野介の先生であった。


箕輪初心:生方▲伊香保№27 ≪安積良斎:天保9年(1838)≫
榛名神社・木暮武太夫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_1.html




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