箕輪初心:生方▲伊香保№43≪大槻文彦M12・M15・M40 ≫:言語学者「楽山館」「村松旅館」

・明治12年(1879) 伊香保温泉「楽山館」に泊まった。沢渡温泉から
六合村と経て草津温泉に行った。帰りも伊香保温泉「楽山館」に泊ま
った。宿主の木暮八郎から「伊香保の様子をまとめるように」と依
頼されたので、『伊香保志』にまとめた。伊香保の名前の由来は、
「厳(いつ)く大きく秀でたるより…厳秀(いかほ)」と書いた。
・明治15年(1882)、大槻文彦編『伊香保志 上中下』天香楼蔵梓/
竹中邦香刊。初版本が刊行された。伊香保の歴史と特色・風物を3
巻にわけて詳述した絵入り本である。近郊より伊香保に至る道中か
ら、伊香保町の全景や温泉を楽しむ人々の姿まで、写実的な挿絵が
満載されている。
・平成元年3月30日『伊香保志上下』みやま文庫から復刻版が出版
された。会員は2000円+税+送料 非会員は2500円+税+送料
明治15年1月1日発刊の大槻文彦の名著「伊香保志」3巻。上、
中、下を上、下の2巻で復刻。上巻は第109巻である。
★「楽山館」でみやま文庫の『伊香保志上下』を見せて戴いた。
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箕輪初心:生方▲草津100ー48【大槻文彦:M12】&『言海』編集の困難さ
https://53922401.at.webry.info/201804/article_37.html



【1】「楽山館」
「楽山館」は「凌雲閣」「千登世館」と名を変えた。
 全国の官公庁共済組合が買収し現施設を建設したものである
 「現凌雲閣」は、伊香保神社すぐ前の「紅葉」の隣である。
浴室への廊下壁に3枚の錦絵は明治14年~16年にかけて
 浴客の土産 として販売したもので、「楽山館」での風景を
 描いたものと言われている。
(★凌雲閣のHpより)
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【2】大槻文彦の略年表*******************
・弘化4年(1847) 11月15日(冬至)、儒学者:大槻磐渓の3男
 として江戸木挽町4丁目で生まれた。
 大槻磐渓の子は幼没した長男と次男:修次郎(如電)、3男大槻文彦、
 姉が2人、妹2人いる。

・嘉永4年(1851) 5歳の時、家学として漢学詩文を学び始めた。

・文久元年( 1861) 林大学頭の門に入る。

・文久2年(1862)9月、江戸開成所(洋書調所)に入学し、
  英学・数学を学ぶ。

・文久3年(1863) 5月、仙台藩校養賢堂に入った。

・慶応2年(1866)
 閏4月15日、仙台藩から洋学稽古人を命じられて、
養賢堂にて英学を学んだ。
 10月27日、江戸開成所に再入学した。

・慶応3年(1867
10月、米国人:ダビット・タムソンについて50日程、
   英学を学んだ。

・慶長3年(1867)
仙台藩の密偵として鳥羽・伏見の戦いに参戦した。
 戊辰戦争後に旧幕府側に付き奥羽越列藩同盟を提唱した。
 父:大槻磐渓が戦犯となった際には、兄の如電とともに助命運動
 に奔走した。

・明治3年(1870) 5月、東京大学南校に入り、英学・数学を学んだ。

・明治4年(1871)
 3月、箕作秋坪の英学私塾:三叉学舎に入った。
 9月、塾長となった。
・明治4年(1872) 文部省に入省した。

・明治5年(1872)
 6月1日 26歳の時、名を「文彦」に改めた。
 10月、文部省八等出仕となり、英和対訳辞書の編纂を命ぜられる。

・明治7年(1875)
11月 宮城師範学校長となった。

・明治8年(1876)2月
  文部省報告課長:西村茂樹から国語辞書の編纂を命じられた。
「大槻文彦は祖父:玄沢は蘭学者、父:磐渓は儒学者、文彦は
   漢学・英学を学び、和漢洋の才能があったので選ばれた。

江戸時代、「国語」は「おくにことば」であり、藩ごとの方言を指した。
日本全土で共通する話し言葉は存在しなかった。「話し言葉」は士と農
工商の身分ごとに、また、国、地域ごとに大きく異なる言葉が話されて
いた。さらに「書き言葉」としては、候体、純粋漢文体、漢文訓読体、
雅文体等が用途ごとに使い分けられていて、日常の文章は基本的に行
書で記され、変体仮名・異体字が普通に使われていた。
 (★『くずし字用例辞典』・『くずし字解読辞典』児玉幸多編)
 明治期を迎えて、漢字廃止を説く人々、ローマ字を国字とすべきと
いう集団、仮名文字を国字として使用すると主張する集団など、明
治期は庶民の間でも、国語に関心がました時代であった。
 明治政府は日本が近代的な「国民国家」建設に向け、欧米諸国の状
況を鑑み、政府要人や知識人(旧武士階級の士族層)たちは国語の統
一化=標準化の急務であると認識されたのである。国語の標準化は行
政・司法などの法制、産業、軍備、医学、一般用語や外来語についても
同様であった。そして、根幹をなす教育・学校の教育内容においてで
あった。

●▲■大槻文彦の課題と困難さ?????????????????
困難①…課題は国語を標準化=構築するための「国語問題」は、「文字
 ・表記の改革」、「文法と文体(文語文)の整備」、「言文一致」、「話し
 言葉としての標準語の確立」であった。

困難②…大槻文彦は1人でしなければ、ならなかった。
和・漢・洋の3拍子揃った人材はいなかったからである。

困難③…アメリカの辞書には、日本語にない言葉がたくさんあった。
医学書・動植物事典などの専門書が必要になった。

困難④…文明開化で外来語が増大し、訳語はいろいろあった。
    外来語を統一化=標準化しなければならなかった。
 例1、「ガラス」
  既にオランダ語の訳語があった。
   オランダ語[glas]⇒「ギヤマン」・「ガラス」・「硝子」
    ガラスはオランダ製の酒器などの細工物を意味した。
   オランダ diamant 原語は金剛石(=ダイヤモンド)の意味
   であったが、ガラス細工でガラス切りに使ったことから。
オランダ語glasの発音「フラス」、英語のglassは「グラス」
   オランダ語は日本語化した時期が古いため、転訛して、
  「ガラス」となった。
   現在、日本語での「グラス」は多くの場合は「コップ」の
   意味になる。
 
例2「カルタ」…同じ語源の字
  ・ポルトガル語[carta](16C)は「紙」や「トランプ」の意味
として日本に入ってきた。
  ・ポルトガル語⇒オランダ語[carta]として伝わった。
   (17C~19C)は日本では「トランプ」の意味として使わ
    れた。
   ⇒「カルタ」⇒当て字「歌留多」・「かるた」
      
  ・スペイン語「carta」:「手紙」や「カード」という意味であった。
    (明治期には入ってきていない?) 
  ・ドイツ語[Karte]⇒ カルテ(ドイツ語の医学用語)
    明治初年頃から相良などによりドイツ医学採用
       (⇒現在も使用)
  ※英語[Magna Carta]ラテン語で、13Cに制定されたイングランド
   の憲章で、「紙」が語源になっている。
・英語[card]:切り札の意味⇒「カードを切る=切り札を出す」
  ・フランス語[a la carte]「ア・ラ・カルト」一品料理表=「紙」が語源
     ⇒献立表・メニュー
 
 英語として
 [Freedam]は「自由」
[liberty]は「自由」、
 [social]は「人間交際」 
 [society]は「仲間連中」・「人間交際(福沢諭吉)」・「社会」
 [individual]は「個人」
 [nature]は「天然」・「自然」
 [government]は「政府」・「行政府」・「統治者」
[Parliament] はイギリスでは「議会」 →「国会」
[camera] は「写真機」⇒現在は「カメラ」
[neuspaper]は 「かわら版」・「新聞」
 
 等といろいろと訳されたが、徐々に社会の中で訳語が定着してくる。
 しかし、訳語が表す意味・概念が、そのまま理解されるようになっ
 とは言えない状況であった。
  従って、訳語にも解釈の相違・変化があった。
 結果、明治初期に厳然と現れた大翻訳時代の後に、原語と訳語
 の一対一対応を追求する時代、つまり訳語の一貫性が求められる
 時代が到来したのである。

従って、大槻文彦は苦労した点がここにもあった。
 A、「英語⇒カタカナ」そのまま、使用されている。
   大槻文彦の例、
   英語[poket]⇒「ポケット」
   英語[ Pistol]⇒「ピストル」
      ★回転式拳銃が幕末期に輸入された。
       群馬嬬恋村の中居屋重兵衛も拳銃を20丁程
       井伊直弼暗殺の計画を知り、水戸勤王浪士に
       渡した。暗殺に使われた。
   オランダ語[gas]⇒「ガス」
  ★「ガス」参考 
  ・明治4年(1871)大阪府大阪市の造幣局周辺で、機械の燃料として
   用いていたガスを流用する形で工場内および近隣の街路にてガス灯
  ・明治5年(1872) 実業家高島嘉右衛門とフランス人の技師プレグラン
の尽力により、神奈川県横浜市に最初のガス灯が造られた。
   横浜瓦斯会社が造られ、ガス灯が横浜の大江橋から馬車道・本町通
   界隈に設置された。
B、日本語⇒外国人の訳語⇒大槻文彦の「言海」
   ・日本語「馬鹿」⇒オランダ語[baka]⇒英語[peke]⇒
    大槻文彦「「ペケ」と辞書においた。
C、英語 ⇒漢学⇒日本語の漢字熟語。
  (★擬:もどき文化:千葉貢先生説)
上記のような訳語を同一=標準化することに苦心があった。

困難⑤…文部省に2年間のお蔵入りだった。
  ⇒結果、自費出版となった。=金がかかる。
    スポンサー探し等・出版社探し等が必要になった。

困難⑥…更正の赤字入れ・・・。
    刻々と変化する外来語の解釈・・・・
    ⇒統一化=標準化への考察の繰り返しが必要であった。

困難⑦…娘の病死、妻:いよの死がショックだった。
悲しみを乗り越えて、・・・

明治12 年(1879)大槻文彦は伊香保温泉・草津温泉に来た。
 「復軒旅日記」を書いた。
(★『草津温泉誌』)
「明治十二年八月、余暑中の休暇三十日を賜る。余三・四年来
何地へも旅遊でいs事なかりしば、今年上州伊香保に湯治をせんと
思い立ち、旅の装してその月の七日の夕に浅草北富塚町なる家を出
て万世橋の内なる馬車を業とする開盛社といへるに宿し、八日晴
午前二時に□を馬車にて発す。乗合の者六人也。
(同行者は親戚の永井好信、同秀、辻本佑信、画家の長命晏春(あん
しゅん)らであった。)
 板橋駅より中仙道廻り大宮駅の辺りにて夜開けたり。鴻巣駅にて
朝飯たうべ熊谷駅は祇園の神の祭礼なりとて、いと賑はしく、午後
三時過ぎたる頃高崎駅に着き、荒町なる信濃屋といへる旅店に宿す。
此路二十八里なり。
 九日晴、午前五時に馬を貸して立ち、三国街道をを小鳥村より左へ
伊香保に入る。柏木村(高崎市箕郷町)水沢村を歴て、午前十一時半
に木暮八郎が家に着きぬ。
 来浴したる者、島田三郎、箕作麟祥、田中芳男、今村泰造、森槐南
(かいなん)、鯱松塘(しょうとう)、岸田吟香、北村重成、円朝な
ど東京の知名人がいた。・・・北村重成は上野精養軒の主人、円朝は
講談の三遊亭円朝である。
 主人木暮八郎から、旅客のために何か書いてくれと頼まれた。・・・
(兄の大槻修二も2年前に頼まれていた。)
宿主の木暮八郎から「伊香保の様子をまとめるように」と依頼された
ので、『伊香保志』にまとめた。伊香保の名前の由来は、
「厳(いつ)く大きく秀でたるより…厳秀(いかほ)」と書いた。 
伊香保温泉「楽山館」に泊まった。沢渡温泉から六合村と経て草津温
泉に行った。

●8月初旬より 伊香保に約1ヶ月滞在した。
9月6日午前5時、博物学者:田中芳男とともに伊香保を発ち、榛
 名湖を経由して中之条から四万に向かいそこで宿泊した。
9月7日、日向見薬師堂へ散策、
  昼頃、牛飼いに荷物を負わせて出立、新道を行き、和光原、
 引沼、京塚を経由して、夜11時に草津到着した。
 山本十一郎の宿(現山本館)に泊まった。
●9月8日は草津に滞在した。
「熱の湯は市街の中央湯垣の西北路旁にあり。…(中略)…
 早朝浴場を開かんとする時、隊長先出でて湯の差口を塞ぎ柝を撃
 ちて人を呼べば、市中遠近の旅店より浴者皆来り集る。其体を見
 るに身の内皆爛れて陰部殊に甚しく、皆綿などあててあり。
 …(中略)…皆よろ/\と歩む。男女裸体となり打交り騒がしく
 入り立つ。初め各一枚の板をとり湯槽の四辺に立ち、声立てて湯
 をかきまぜて熱を殺ぐ。これを湯を揉むといひ板を揉板といふ。
 揉む事凡十分間許にして隊長掌を鳴らして止むれば、長き板を数枚
 槽の上に亘し皆板の上に蹲まり、柄の短き柄□にて皆俯して頭部に
 熱湯を汲み上げ/\注ぐ。初めに斯くして後に入らざれば、体のみ
 熱して眩迷すと云。頭に注ぐ事凡三百盃程なるべし、皆頭も面も真
 赤になりて煠(ゆ)であげたるが如し。隊長又柄□にて槽の舷を叩
 けば皆湯に入るの装を為す。
  弱き者、新参の者は足袋をはき、又は肩身に布など纏ひ皆揃ひて、
 板に両手を突き張り足よりそろ/\と入るなり。入る時に隊長声を
 あげて「三国一の名湯――」といへば皆異口同音に「有り難い」と
 和す。隊長を首として…(中略)…一同身動きもせずして沈む。
 …(略)…沈み居る間は凡二三分間許にして隊長、「暖つたらそろ
 /\出やう」
 ――余は煠(ゆ)だつたらの誤りなるべしと思へり――といふを合
 図に一同我先にと跳ね出づ。其熱き事如何ぞやと思ふばかりなり。
 余が見たる時は、此一度に入りたる者凡五六十人許なり。…(中略)
 …盛なる時は此浴場の四辺に三百人も集ると云。最初に入るを一番と
 云、次なるを二番、三番と云。二番の群よりは湯を揉まず直に頭に注
 ぎ入るなり。四番程にして止ぬ。婦人は多く二番三番に入る。
 …(中略)…斯くすること一日に五六度なりと云。…(略)…熱湯に
 沈む間に堪へず、又一人先出づる事能はずして遂に眩して斃るる者あ
 り。斃るれば「アガツタ」といひ一同に板の間の上へ引き上げ、水注
 ぐ。蘇する者は蘇し、体弱き者は遂に死ぬるもあり。実に此の熱の湯
 の現状を見て、余、田中君と且驚き且呆れ醜臭野蛮残酷、亦これに超
 ゆるもの無かるべし。」
 ★大槻文彦は熱の湯見物の感想を
  「焦熱叫喚大叫喚の地獄も今ま初めて目撃せり」と記している。

9月9日早朝、山駕籠を雇って出立し、暮坂峠を経て、沢渡より馬
 を雇い、中之条に宿泊した。

帰りも伊香保温泉「楽山館」に泊まった
●9月10日、人力車で出発し、五町田より山駕籠を使い、午後2時に
 伊香保に到着した。 
 大槻文彦はこの紀行の抄録を伊香保で岸田国士の長女:岸田吟香
 に渡した。
間違いでした。ごめんなさい。

●明治12年(1879 ) 伊香保温泉で湯治し、宿の主人の依頼で
 『伊香保志』を執筆(のちもたびたび逗留)した。

大槻文彦は9月に草津を訪れた。
その時の紀行文が「上毛温泉遊記」である。
大槻文彦は、
「神流川は武蔵上野の国境にして埼玉県群馬県の界なり常には水なく
 仮橋なり此處は天正十年小田原の北條氏直と厩橋(今の前橋)の滝
 川一益との古戦場なり川の源はこれより西なる上州甘楽郡の山より
 出でここより東北にて烏川に入る長さ二十里あり」

9月22日~29日、「上野四万草津沢渡遊浴記抄」として『東京
 日日新聞』に掲載された。
 『東京日日新聞』には広く読者に時間湯の実情が伝わった。

・明治13年(1880) 紀行文。
『印刷術及石版術』(文部省『百科全書』(Chambers's Information
for the People の翻訳)の一分冊)刊行。
千葉文爾『露国沿革史』を校正。

 
明治15年(1881)大槻文彦は伊香保温泉に来た。
『伊香保志』、『日本小史』が発刊された。


・明治17年(1883) 12月1日、内藤いよと結婚した。
  36歳だった。

・明治19年(1886)『言海』が完成した。
  その後校正を加えた。

・明治22年(1889) ~明治24年(1891) 自費出版した。
  その後、増補改訂版である『大言海』の執筆に移った。
 (「言海」校正完了)

・明治23年(1890 43歳
  11月16日、次女「ゑみ」が病没した。
  11月21日、妻「いよ」も没した。

・明治30年(1897) 東京帝国大学文科大学内に、国語学研究室
が設置された。大槻文彦が室長になった。


●明治40年(1907) 9月3日 伊香保を訪れた。
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 (★今は営業はしていない。)
 第2の紀行文『伊香保行』を書いた。・・・
 8月下旬に村松秀茂方に電報を打った。
 「空室有りや。」と返事が返ってきた。
「九月三日、・・・・
9月4日~7日、村松旅館に泊まった。
 村松秀茂は狂歌作家であった。大槻文彦と知り合った。
 来てみたら、大槻文彦は方言学の開拓者:東条操博士に出会った。
 
 東条操博士は村松秀茂の子どもであった。東条家に養子にいった。
 東京帝国大学文科国語科の学生の時から、大槻文彦の父:大槻磐渓の
 所に度々来ていた。
 
・昭和3年(1928) 2月17日に自宅で肺炎のため死去した。


・昭和13年(1938)
 「復軒旅日記」:冨山房百科文庫:大槻茂雄校訂1938) 


●▲■箕輪初心:生方▲温泉ブログ(群馬編)***********

箕輪初心:生方▲2018『草津温泉』・『草津に歩みし141人+α』のブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201809/article_55.html

箕輪初心:生方▲『温泉百話―東の旅』(ちくま文庫2018年)
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_1.html

◆総論編**************************
◆◆ 箕輪初心★『伊香保の歴史詳細&訪れた文人墨客』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_5.html

箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
https://53922401.at.webry.info/201503/article_30.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201503/article_30.html

◆各論編**************************
◆◆【古代~平安時代の伊香保・榛名】************
伊香保№00『エロ解釈万葉集伊香保編9首』古代~鎌倉時代
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_13.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』①山名駅~山名
八幡宮~山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』②山上の碑
~山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』③山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】④山名城4番~10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』⑤根小屋城2回目
https://53922401.at.webry.info/201510/article_29.html


◆◆【鎌倉時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№00補足篇≪鎌倉時代の歌人たち≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_23.html


◆◆【南北朝時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№12『伊香保神社縁起』と南北朝時代『神道集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_24.html

◆◆【戦国時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲箕輪城№233かみつけの里【榛名神社文書】の解説
&久保田順一先生説
https://53922401.at.webry.info/201612/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№32榛名神社の歴史「座主→武将の俗別当
への移行」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_6.html


箕輪初心:生方▲伊香保№01≪長尾景仲→景信→景春→上杉定昌
の伊香保温泉開発?≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№02≪堯恵(ぎょうえ)文明18年(1486)≫
『北国紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№03≪宗祇:文亀2年(1502)≫連歌師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保温泉№4≪宗長≫ 連歌師:『宗祇終焉記』・『東路の津登』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№4≪真田昌幸:天正4年(1576)石段街の基礎造成≫
と真田3代ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_7.html

◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_9.html

箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
https://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№261久保康顕先生初出史料『西郷正次・
椋原政直と榛名神社』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_54.html

箕輪初心:生方▲高崎№27▲久保康顕先生講演会『戦国時代の榛名神社』
と井伊直政
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_53.html

◆◆【江戸時代の伊香保・榛名】*****************
箕輪初心:生方▲伊香保№13『江戸時代の文学:伊香保・榛名総集編』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_25.html

箕輪初心:生方▲伊香保№23『江戸時代の旅と飯盛女』&『伊香保に町人来訪』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_46.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25『榛名講』での御師の役割と『伊香保温泉』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_47.html

箕輪初心:生方▲伊香保№15≪中川内膳正妻:寛永年間(1624~1645)≫
『伊香保記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_27.html

箕輪初心:生方▲伊香保№16≪跡部良顕:元禄11年(1698)≫『伊香保紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊香保№17≪建部涼袋:延享2年1745≫『伊香保山日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_33.html

箕輪初心:生方▲伊香保№18≪油谷倭文子(ゆやしずこ):寛延3年(1750)≫
『伊香保の道行きぶり』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25≪塩原太助:宝暦12年(1762) ≫:榛名神社で祈願
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_50.html

箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫
尊皇思想家『赤城行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_11.html

箕輪初心:生方▲伊香保№19≪平沢旭山:天明5年(1785)≫漢学者・国学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№20≪吉田芝渓:寛政元年(1789)≫千明仁泉亭
『浴泉奇縁』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№07≪奈佐勝皐(かつたか)天明6年(1787)≫
『山吹日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_15.html

箕輪初心:生方▲伊香保№21≪関重嶷:寛政12年(1800)≫伊勢崎藩家老
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_41.html
★嵩山彦九郎と仲良しだった。

箕輪初心:生方▲伊香保№29≪清水玄叔(烏涯)享和3年(1803)≫
『上州榛名詣』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪小林一茶:文化5年(1808)≫『草津道の記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_44.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪八隅芦庵:文化7年(1810)≫『旅行用心集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_43.html

箕輪初心:生方▲伊香保№30≪香川景樹:文政元年(1818)?≫歌人
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保№26≪清水浜臣:文政2年(1819)≫『上信日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_52.html

箕輪初心:生方▲伊香保№08≪十返舎一九:文政2年(1819)≫文学者
・エロ浮世絵師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪千葉周作:文政6年(1823)?≫:木暮武太夫泊
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_16.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪樋口定輝:文政6年(1823)?
伊香保神社掲額事件≫馬庭念流
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊香保№11≪滝沢馬琴:文政年間?≫①『伊香保の額論』
&②『南総里見八犬伝』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№100番外編≪司馬遼太郎『北斗の人』≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№27 ≪安積良斎:天保9年(1838)≫榛名神社
・木暮武太夫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_1.html


◆明治時代編************************
箕輪初心▲伊香保№33≪新居守村:明治3年(1870)≫榛名神社の神仏分離取締
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_9.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35群馬県立土屋文明記念文学館
「榛名・伊香保文学紀行46人」
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2018高崎№30『鼎談』と【小栗上野介忠順企画展】
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_10.html


箕輪初心:生方▲伊香保№35≪デシャルム大尉:M6≫フランス人将校
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_12.html

箕輪初心:生方▲伊香保№36≪三遊亭円朝M7≫落語家『霧隠(陰)
伊香保湯煙』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_13.html

箕輪初心:生方▲伊香保№37≪アーネスト・サトーM10 ・M28≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№38≪ベルツ博士M10・M13・M14≫「楽山館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_17.html

箕輪初心:生方▲伊香保№39≪小林虎三郎M10≫『米百俵』と「伊香保日記」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_19.html

箕輪初心:生方▲伊香保№42≪英照皇太后陛下(考明天皇の皇后)M12≫「凌雲閣」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_21.html




★明日の伊香保は「成島」?

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