箕輪初心:生方▲伊香保№47≪田中芳男:M12≫パリ万博→上野動物園設立

●明治12年(1879)8月 箕作麟祥、ジャーナリスト:岸田吟香
 島田三郎、田中芳男、今村泰造、森槐南(かいなん)、
 鯱松塘(しょうとう)、上野精養軒の主人:北村重成、
 講談の三遊亭円朝など東京の知名人も伊香保温泉に「楽山館」
 に泊まっていた。
 (大槻文彦「伊香保誌」)
画像

 ★おそらく、数人?は一緒に来たのであろう。
箕作麟祥…英語学者・フランスに法律学者・ドイツ憲法法学者
島田三郎…漢文学者・式部官・帝国大学
 田中芳男…政治家・ジャーナリスト・官僚
 今村泰造(和郎)…岩倉使節団同行。官僚。
 森槐南(かいなん)…漢学者・官僚
 鯱松塘(しょうとう)…漢詩人
 北村重成…岩倉具視側用人→築地精養軒・上野精養軒の主人
 三遊亭円朝…講談
 8月9日 大槻文彦が「楽山館」にやって来た。
9月6日 大槻文彦と田中芳男は草津に行った。
 9月10日、人力車で出発し、五町田より山駕籠を使い、午後2時に
 伊香保に到着した。 
 大槻文彦はこの紀行の抄録を伊香保で岸田吟香に渡した。
9月22日~29日、岸田吟香は大槻文彦「上野四万草津沢渡遊浴記抄」
 として『東京日日新聞』に掲載した。
 『東京日日新聞』には広く読者に時間湯の実情が伝わった。

▲明治15年(1881)大槻文彦は「伊香保志」が発刊された。
★上記メンバーが記載されている。
画像




◆田中芳男の略年表*********************
・天保5年(1834) 父:田中隆三は長崎に留学して蘭学・医学を習得
 した。本草学・舎密学(化学)などにも関心が深かった。

・天保9年(1838)8月9日、信濃国伊那郡飯田城下の中荒町(現長野県
飯田市中央通り)に旗本千村氏の典医を勤める医師:田中隆三(如水)
 の3男として生まれた。
 
 田中芳男は父の影響を強く受けた。
 田中隆三は芳男に漢学を身に着けさせた。

・安政3年(1856) 田中芳男は千村五郎・柳河春三らと共に尾張藩
御典医で博物館者としても著名であった伊藤圭介の門下に入った。
田中芳男は書生として種痘などの西洋医学を身に着けた。
博物学や本草学を学んだ。

・安政5年(1858) 兄が病死したため、故郷の飯田に帰った。
  自宅で本草学や博物学の研究を行った。
  名古屋に出て伊藤圭介のもとで学問をしていた。

・文久2年(1862) 師匠:伊藤圭介が幕府の蕃書調所(洋書調所)
 に招聘を受けることなり、田中芳男は助手として出仕した。
 物産学・本草学の研究開発に当たることとなった。
 師匠:伊藤圭介を含めて殖産学、特にダイコン、ニンジン、ゴボウ
 などといった日用の産物には関心がなかった。
 田中芳男が物産所で研究に従事することとなった。

 師匠:伊藤圭介の伴をしてシーボルトを訪ねた。
 開成所付置の物産所で殖産興業の発展を探った。
 師匠:伊藤圭介は高齢により職を辞し名古屋に帰ったため、伊藤の
 後任となった。

【薩摩の動き】*************************
・元治2年(1865) 3月22日、薩摩藩は新納中三・五代友厚・松木弘安
(寺島宗則)の3人から成る外交使節団を、薩摩藩開成所を中心に町田
 久成、森有礼ら15名の留学生と共にイギリスに派遣した。
 使節は薩摩国串木野羽島(鹿児島県いちき串木野市)から出航した。
 使節団及び留学生一行19名は西欧の進んだ文化や技術を目で確か
 め学び取ろうと、イギリスへ出発した。船旅の途中様々なカルチャ
 ーショックを受けながら、約2か月後・・・・
・慶応元年(1865)5月28日、イギリスのサウザンプトンに到着した。
  汽車にてロンドンへ向かった。長崎のイギリス商人トーマス・グラ
  バーの兄:ジェームス・グラバーの出迎た。
 
使節団:新納久脩、五代友厚、松木弘安、堀孝之は紡績機械、銃砲、
 艦船などの交易及び外交面の交渉に奔走した。
 五代友厚(後大阪商法会議所初代会頭)らはイギリス国内の進んだ
 産業技術の導入のため、マンチェスターで紡績機械を、バーミンガム
 で小銃数千挺を購入契約した。
 留学生は語学合宿後、オリファント卿やロンドン大学:ウイリアム
 ソン教授らの計らいによりロンドン大学へ入学した。
 13歳の長沢鼎だけは大学に入れず、グラバーの実家アバディーン
 (スコットランド)へ引き取られ、地元の中学校で最優秀の成績を
 修めた。
 留学生が驚いたことには、国内で最も強硬に尊王攘夷を唱えていた
 長州藩の留学生:山尾庸三、井上勝、遠藤謹助と出会ったことであった。
  ロンドンでは薩摩と長州は仇敵同士であった。
 長州藩の長州五傑と遭遇している。

 使節団はフランス・プロイセン・オランダ・ベルギー各国を歴訪・視察
 した。
 ロンドンでは、ベルギー貴族(フランス国籍)のシャルル・ド・モン
 ブラン伯爵から貿易商社設立の話を持ちかけられ、ブリュッ
  セルにで薩摩藩とモンブランの商社設立契約を結んだ。
 モンブラン伯爵とは商社設立の契約は薩英戦争後の集成館事業再興
 に大きく貢献した。また、2年後のパリ万国博覧会参加を協議し、
 参加する方向が決まった。
  また、松木弘安(後外務卿、寺島宗則)はローレンス・オリファ
 ントを通じてイギリス外相:ラッセル伯に雄藩連合政権樹立の構想
 を説いた。外相:ラッセル伯と交渉は当時の英国の対日政策を幕府
 寄りの政策から薩摩寄りの政策に方向転換させることになった。
 イギリスの対日外交に影響を与えた。結果、外交上大きな成果を挙
  げた。
********************************
・元治2年(1865) 江戸幕府はフランスのナポレオンⅢ世から、駐日
 公使のレオン・ロッシュを通じて、第2回パリ万国博覧会(1867
 年開催)への招聘が届いた。
 安政の大獄や桜田門外の変、生麦事件、薩英戦争など、外圧を受けな
 がらの内政のかじ取りは困難を極めていた。
 江戸幕府は万博への参加に即答しなかった。
 慶応元年(1866)4月、江戸幕府は大名や豪商らに万博への参加を呼
 びかけ、将軍の名代として、15代将軍徳川慶喜の弟:徳川昭武
 (当時 14 歳)をパリ万博に派遣することにした。

 薩州(薩摩)と肥前(佐賀)と瑞穂屋卯三郎という江戸の商人だった
 とされる。
元治2年(1865) には、既に新納久脩(にいろ・ひさのぶ)や五代才助
(友厚)といった重臣たちは紡績機械や武器の買い付けを進めていた。
 さらに、薩摩藩はベルギー貴族モンブラン伯爵と幕府の命を待たずに
独自に「薩摩・琉球国」としてパリ万博への出展を進めていた。
 実情は薩摩の動きに幕府が追随する形となってしまった。
佐賀藩は幕府に応じる形で、パリ万博への参加を決めた。三重津海軍所
で蒸気船の建造や人材育成の責任者だった佐野常民を派遣した。
長崎の貿易商トマス・グラバーの協力でイギリスに渡り先進技術を学ん
でいた石丸安世と馬渡八郎もパリで佐野常民らと合流し、通訳として大い
に活躍した。
******************************


・慶応元年(1865) 幕府はパリ万国博覧会に正式参加表明した。
 万博に昆虫標本の出品を決定することとなった。

・慶応2年(1866) 田中芳男は幕府からパリ万国博覧会への出張と昆虫
 標本採集と製作を命じられた。博物学者の子阿部為任と関東一円で
 採集を行った。
 11月、江戸幕府の使節団は総勢33名。徳川慶福の弟:昭武を
 団長として、パリに向けて出港し、シンガポールやスエズ運河を
 経由した。エジプトから機関車を用いて日本国から持ち寄られた
 美術工芸品などと共に一路フランスへと向かった。 
 徳川昭武がパリに辿り着いた。モンブラン伯爵やグラバー率いる
 薩摩藩と佐賀藩などの者たちがナポレオンⅢ世の許可で出展予定
 でなっていた。
 パリ万博は、日本が国際社会にデビューする重要な舞台であり、
 ヨーロッパで日本を統治する支配者は誰なのかを示す必要があった。
 幕府は幕末の激動の真っただ中・・・。 パリ万博の参加は重要な
 意味を持っていた。しかし、薩摩・琉球国が独自の勲章をつくり
 ナポレオンⅢ世に贈るなどの行動していたために、フランスの新聞
 には「将軍は有力大名の1人であり江戸幕府は諸藩のなかの強大な
 存在でしかない。」と報道した。

・慶応3年(1867) 4月~11月のパリ万博に参加した「日本」は、
 結局、幕府と薩摩藩・佐賀藩の集合体だった。

  田中芳男がパリ万国博覧会で昆虫標本を展示した。
  昆虫標本が現地の研究者に高く評価された。

日本館…
 ①幕府…葛飾北斎らの浮世絵、精緻な工芸品・・・・
② 薩摩藩…薩摩焼などの販売した。
  沈寿官窯の六フィート(約180cm)の大花瓶一対を含む幾多の
  作品群を発表し、絶賛を浴びた。
 ★私も沈寿官窯に行った。
 ③佐賀藩…有田焼などの販売した。
「サツマ」:「サガ」の名は「日本陶磁器」の代名詞となり、
 質のよさを裏付けるものとなった。「ジャポニズム」の流行
 とともに薩摩焼・有田焼はフランスの芸術家たちに多大なイン
 スピレーションを与えることになった。
ジャン・カリエスやエミール・ガレによる金粉を施した自然
 主義的装飾、花柄をあしらったセーヴル焼やリモージュ焼にも
 薩摩焼・有田焼の影響が強く見られる。
 ★私もセーヴル焼やリモージュ焼を持っている。
箕輪初心■鹿児島:薩摩焼の歴史&第14代:沈寿官先生
https://53922401.at.webry.info/201109/article_18.html

韓国ドラマ-火の女神ジョンイ-あらすじ全話一覧-最終回まで
http://www.韓国ドラマあらすじおすすめ.jp/article/416918380.html

箕輪初心:生方▲真田丸104【第30回「黄昏」】秀吉のボ
&韓国D「火の女神ジョンイ」
http://53922401.at.webry.info/201608/article_5.html

箕輪初心:生方▲「全46話火の女神ジョンイ」のあらすじ1~15&
「ちょっと自分の陶芸作品」
http://53922401.at.webry.info/201608/article_36.html

箕輪初心★佐賀:有田焼『九州伝統文化館』&『鍋島藩御用窯』
http://53922401.at.webry.info/201112/article_14.html

箕輪初心★佐賀『有田焼の巨匠』=柿右衛門・萬二・今右衞門
http://53922401.at.webry.info/201112/article_13.html

箕輪初心●北九州4県の旅「城&焼き物&グルメ」
http://53922401.at.webry.info/201110/article_13.html

「日本デー」では、映画の上映会やお茶の会、晩餐会が開催された。
 絹の和服姿の日本人女性がお茶を出したので余計に人気がでた。
 来場者は艶やかな着物に見とれた。…絹の輸入はあっても、日本の
 絹織物の模様に感動した人もいたのであろう。
 また、来客には、扇子、団扇、手ぬぐいなどの景品が配られた。
 現地の新聞や雑誌が一斉にこのイベントについてのレポートを
  掲載した。お客は「日本館」に詰め掛けるようになり、大盛況に
 なった。日本の文化はヨーロッパでも高い人気があった。 
 日本館の他に日本農家も建てられた。
渋沢篤太夫(栄一)は、武士で計算に強い男として使節団に加わ
 ていた。揚子江、上海、香港、サイゴン、・・・スエズ等へ立ち寄
 った記録、パリ万博の見聞、欧州の政治、財政、美術、工芸、軍事、
 風俗習慣まで、詳細に記録していた。
 「磁器や漆器をはじめとする日本の工芸品や日本女性が茶を振る舞
  う数寄屋造りの茶屋が大変な人気を博したことを「歐羅巴(ヨーロ
 ッパ)人好事家を幻惑すべき諸玩物である」と記している。
 ヨーロッパで株で儲け、帰国後は儲けた金を駿府の徳川慶福に渡した。

箕輪初心:生方▲埼玉『渋沢栄一:記念館&中の家』
https://53922401.at.webry.info/201509/article_3.html

箕輪初心★【渋沢栄一の生涯】:「日本資本主義の父」
http://53922401.at.webry.info/201409/article_14.html
★政府の役人として富岡製糸場を造ることを推進した。

箕輪初心:生方▲深谷3偉人③『渋沢栄一の住んだ誠之堂&佐々木勇之助の青風亭』
https://53922401.at.webry.info/201509/article_4.html

箕輪初心:生方▲2018小栗上野介忠順(ただまさ)の生涯:後編「帰国後の活躍」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_16.html
https://s.webry.info/sp/ubu3blog.at.webry.info/201811/article_16.html
★薩摩・長州・幕府の留学生のことを掲載。
*********************************

・慶応3年(1867) 田中芳男はパリ万国博覧会で昆虫標本を展示した。
  昆虫標本が現地の研究者に高く評価された。

・慶応4年(1867) 戊辰戦争が起こった。
  5月には上野戦争があった。
 田中芳男は研究や整理に没頭した。
 明治新政府により、江戸は東京となった。
  洋書調所は開成所に解消された。
  田中芳男は御用掛として任命されて大阪舎密局の建設に従事した。
 大阪の大阪城跡地に理化学専門の高等教育研究機関「舎密(けみ)
 局」開設準備にとりかかった。
 舎密(けみ)局は科学だけでなく物理学等自然科学全般を研究対象
 にする組織機関であった。
 田中芳男は「博物館」という名称を提案した。
 ヨーロッパでは「博物学」「動物学」「植物学」という学問が盛んで
 あった。
 さらに植物園や温室などを附設することを提言した。「遊歩所」、「園囿」
 と名づけた。
 施設の構想案では7つのゾーンにした。ヨーロッパの幾何学的な構造を
 取り入れた。

・明治2年(1869) 5月、舎密局は開設された。
  予算の関係上、植物園や温室などの施設は実現できなかった。

・明治3年(1870)3月、大学南校(現東京大学)物産局に転任となり、
 東京に戻った。
  博物館の創設に共に従事するパリ万博で一緒だった旧薩摩藩:町田
 久成と同僚となった。

・明治4年(1871)7月18日(9月2日)、学術・教育を担当する官庁
として東京神田の湯島聖堂内(昌平坂学問所跡)に設立された。
 初代文部卿には大木喬任が任命された。
 湯島聖堂構内・昌平黌跡には、文部省、東京師範学校(現筑波大学)
 及びその附属学校、東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)及び
 その附属学校、国立博物館(現東京国立博物館・国立科学博物館)
 が同居していた。  
・明治5年(1872) 九段坂上招魂社境内で小規模博覧会(物産展)を
実施した。
 文部省が発足し、森有礼が初代文部大臣に任命された。湯島聖堂
 (旧幕府昌平坂学問所)が文部省所轄となり、文部省博物館となった。
  物産展の展示物収用されると同時に同博物館に移籍した。
 ★田中芳男は箕作麟祥と一緒だった。
 田中芳男は物産会=殖産興業を主な目的とした博覧会の開催に
 関わった。
 4月 翌年開催のウィーン万国博覧会への公式参加に伴い、全国 
 各地から取り寄せた出品予定品を公開するため、湯島聖堂大成殿
 で博覧会を実施した。

・明治6年(1873) パリ万博で一緒だった佐野常民らともにオース
 トリア・ウィーンで開催されたウィーン万国博覧会に派遣された。

・明治8年(1875) 博物館、動物園などをもつ上野公園の設立に尽
  力した。上野の博物館・動物園の建設のためにパリ万博で一緒
 だった町田久成らとともに力を注いだ。
  町田久成が初代博物館長をつとめた。後に田中芳男が職につく。
 上野公園設計に携わり、博物館と動物園を設置した。
 田中芳男訳纂『動物学初篇哺乳類』を発刊し、動物を図解した。
 分類階級の訳語として、classに「綱」、orderに「目」、familyに「科」、
 genusに「属」、speciesに「種」の訳を用いた。
 現在も使用されている。
 
・明治11年(1878) 駒場農学校の設立に参画する。
★「労農船津伝次兵衛も一緒であった。


明治12年(1879)8月 箕作麟祥、ジャーナリスト:岸田吟香
 島田三郎、田中芳男、今村泰造、森槐南(かいなん)、
 鯱松塘(しょうとう)、上野精養軒の主人:北村重成、
 講談の三遊亭円朝など東京の知名人も伊香保温泉に「楽山館」
 に泊まっていた。
 (大槻文彦「伊香保誌」)
 ★おそらく、数人?は一緒に来たのであろう。
箕作麟祥…英語学者・フランスに法律学者・ドイツ憲法法学者
島田三郎…漢文学者・式部官・帝国大学
 田中芳男…政治家・ジャーナリスト・官僚
 今村泰造(和作)…岩倉使節団同行。官僚。
 森槐南(かいなん)…漢学者・官僚
 鯱松塘(しょうとう)…漢詩人
 北村重成…岩倉具視側用人→築地精養軒・上野精養軒の主人
 三遊亭円朝…講談
 8月9日 大槻文彦が「楽山館」にやって来た。

8月9日より 伊香保に約1ヶ月滞在した。
9月6日午前5時、博物学者:田中芳男とともに伊香保を発ち、榛
 名湖を経由して中之条から四万に向かいそこで宿泊した。
9月7日、日向見薬師堂へ散策、
  昼頃、牛飼いに荷物を負わせて出立、新道を行き、和光原、
 引沼、京塚を経由して、夜11時に草津到着した。
 田中芳男と大槻文彦は山本十一郎の宿(現山本館)に泊まった。

9月8日は草津に滞在した。
 
「熱の湯は市街の中央湯垣の西北路旁にあり。…(中略)…
 早朝浴場を開かんとする時、隊長先出でて湯の差口を塞ぎ柝を撃
 ちて人を呼べば、市中遠近の旅店より浴者皆来り集る。其体を見
 るに身の内皆爛れて陰部殊に甚しく、皆綿などあててあり。
 …(中略)…皆よろ/\と歩む。男女裸体となり打交り騒がしく
 入り立つ。初め各一枚の板をとり湯槽の四辺に立ち、声立てて湯
 をかきまぜて熱を殺ぐ。これを湯を揉むといひ板を揉板といふ。
 揉む事凡十分間許にして隊長掌を鳴らして止むれば、長き板を数枚
 槽の上に亘し皆板の上に蹲まり、柄の短き柄□にて皆俯して頭部に
 熱湯を汲み上げ/\注ぐ。初めに斯くして後に入らざれば、体のみ
 熱して眩迷すと云。頭に注ぐ事凡三百盃程なるべし、皆頭も面も真
 赤になりて煠(ゆ)であげたるが如し。隊長又柄□にて槽の舷を叩
 けば皆湯に入るの装を為す。
  弱き者、新参の者は足袋をはき、又は肩身に布など纏ひ皆揃ひて、
 板に両手を突き張り足よりそろ/\と入るなり。入る時に隊長声を
 あげて「三国一の名湯――」といへば皆異口同音に「有り難い」と
 和す。隊長を首として…(中略)…一同身動きもせずして沈む。
 …(略)…沈み居る間は凡二三分間許にして隊長、「暖つたらそろ
 /\出やう」
 ――余は煠(ゆ)だつたらの誤りなるべしと思へり――といふを合
 図に一同我先にと跳ね出づ。其熱き事如何ぞやと思ふばかりなり。
 余が見たる時は、此一度に入りたる者凡五六十人許なり。…(中略)
 …盛なる時は此浴場の四辺に三百人も集ると云。最初に入るを一番と
 云、次なるを二番、三番と云。二番の群よりは湯を揉まず直に頭に注
 ぎ入るなり。四番程にして止ぬ。婦人は多く二番三番に入る。
 …(中略)…斯くすること一日に五六度なりと云。…(略)…熱湯に
 沈む間に堪へず、又一人先出づる事能はずして遂に眩して斃るる者あ
 り。斃るれば「アガツタ」といひ一同に板の間の上へ引き上げ、水注
 ぐ。蘇する者は蘇し、体弱き者は遂に死ぬるもあり。実に此の熱の湯
 の現状を見て、余、田中君と且驚き且呆れ醜臭野蛮残酷、亦これに超
 ゆるもの無かるべし。」
 ★大槻文彦は熱の湯見物の感想を
  「焦熱叫喚大叫喚の地獄も今ま初めて目撃せり」と記している。

9月9日早朝、山駕籠を雇って出立し、暮坂峠を経て、沢渡より馬
 を雇い、中之条に宿泊した。

9月10日、人力車で出発し、五町田より山駕籠を使い、午後2時に
 伊香保に到着した。
 大槻文彦はこの紀行の抄録を伊香保で岸田吟香に渡した。
★田中芳男は何をしていたかは不明であるが、同行した。

9月22日~29日、「上野四万草津沢渡遊浴記抄」として『東京
 日日新聞』に掲載された。
 『東京日日新聞』には広く読者に時間湯の実情が伝わった。
 

▲明治15年(1881)大槻文彦は 「伊香保志」を書いた。
 島田三郎、田中芳男、今村泰造、森槐南(かいなん)、
 鯱松塘(しょうとう)、上野精養軒の主人:北村重成、
 講談の三遊亭円朝など東京の知名人も伊香保温泉に「楽山館」
 に泊まっていた。
 (大槻文彦「伊香保誌」)



・明治14年(1881) 田中芳男は大日本農会結成に参画した。

・明治15年(1882) 大日本水産会と大日本山林会の創設に尽力した。
  日本での農学と農林水産業の発展に貢献した。

・明治23年(1890) 貴族院勅選議員に任じられた。
    錦鶏間祗候となる。

・大正4年(1915) 男爵を叙爵した。

・大正5年(1916) 6月22日、東京本郷金助町で永眠した。


●▲■箕輪初心:生方▲温泉ブログ(群馬編)***********

箕輪初心:生方▲2018『草津温泉』・『草津に歩みし141人+α』のブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201809/article_55.html

箕輪初心:生方▲『温泉百話―東の旅』(ちくま文庫2018年)
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_1.html

◆総論編**************************
◆◆ 箕輪初心★『伊香保の歴史詳細&訪れた文人墨客』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_5.html

箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
https://53922401.at.webry.info/201503/article_30.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201503/article_30.html

◆各論編**************************
◆◆【古代~平安時代の伊香保・榛名】************
伊香保№00『エロ解釈万葉集伊香保編9首』古代~鎌倉時代
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_13.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』①山名駅~山名
八幡宮~山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』②山上の碑
~山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』③山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】④山名城4番~10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』⑤根小屋城2回目
https://53922401.at.webry.info/201510/article_29.html


◆◆【鎌倉時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№00補足篇≪鎌倉時代の歌人たち≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_23.html


◆◆【南北朝時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№12『伊香保神社縁起』と南北朝時代『神道集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_24.html

◆◆【戦国時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲箕輪城№233かみつけの里【榛名神社文書】の解説
&久保田順一先生説
https://53922401.at.webry.info/201612/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№32榛名神社の歴史「座主→武将の俗別当
への移行」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_6.html


箕輪初心:生方▲伊香保№01≪長尾景仲→景信→景春→上杉定昌
の伊香保温泉開発?≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№02≪堯恵(ぎょうえ)文明18年(1486)≫
『北国紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№03≪宗祇:文亀2年(1502)≫連歌師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保温泉№4≪宗長≫ 連歌師:『宗祇終焉記』・『東路の津登』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№4≪真田昌幸:天正4年(1576)石段街の基礎造成≫
と真田3代ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_7.html

◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_9.html

箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
https://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№261久保康顕先生初出史料『西郷正次・
椋原政直と榛名神社』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_54.html

箕輪初心:生方▲高崎№27▲久保康顕先生講演会『戦国時代の榛名神社』
と井伊直政
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_53.html

◆◆【江戸時代の伊香保・榛名】*****************
箕輪初心:生方▲伊香保№13『江戸時代の文学:伊香保・榛名総集編』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_25.html

箕輪初心:生方▲伊香保№23『江戸時代の旅と飯盛女』&『伊香保に町人来訪』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_46.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25『榛名講』での御師の役割と『伊香保温泉』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_47.html

箕輪初心:生方▲伊香保№15≪中川内膳正妻:寛永年間(1624~1645)≫
『伊香保記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_27.html

箕輪初心:生方▲伊香保№16≪跡部良顕:元禄11年(1698)≫『伊香保紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊香保№17≪建部涼袋:延享2年1745≫『伊香保山日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_33.html

箕輪初心:生方▲伊香保№18≪油谷倭文子(ゆやしずこ):寛延3年(1750)≫
『伊香保の道行きぶり』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25≪塩原太助:宝暦12年(1762) ≫:榛名神社で祈願
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_50.html

箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫
尊皇思想家『赤城行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_11.html

箕輪初心:生方▲伊香保№19≪平沢旭山:天明5年(1785)≫漢学者・国学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№20≪吉田芝渓:寛政元年(1789)≫千明仁泉亭
『浴泉奇縁』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№07≪奈佐勝皐(かつたか)天明6年(1787)≫
『山吹日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_15.html

箕輪初心:生方▲伊香保№21≪関重嶷:寛政12年(1800)≫伊勢崎藩家老
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_41.html
★嵩山彦九郎と仲良しだった。

箕輪初心:生方▲伊香保№29≪清水玄叔(烏涯)享和3年(1803)≫
『上州榛名詣』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪小林一茶:文化5年(1808)≫『草津道の記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_44.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪八隅芦庵:文化7年(1810)≫『旅行用心集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_43.html

箕輪初心:生方▲伊香保№30≪香川景樹:文政元年(1818)?≫歌人
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保№26≪清水浜臣:文政2年(1819)≫『上信日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_52.html

箕輪初心:生方▲伊香保№08≪十返舎一九:文政2年(1819)≫文学者
・エロ浮世絵師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪千葉周作:文政6年(1823)?≫:木暮武太夫泊
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_16.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪樋口定輝:文政6年(1823)?
伊香保神社掲額事件≫馬庭念流
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊香保№11≪滝沢馬琴:文政年間?≫①『伊香保の額論』
&②『南総里見八犬伝』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№100番外編≪司馬遼太郎『北斗の人』≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№27 ≪安積良斎:天保9年(1838)≫榛名神社
・木暮武太夫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_1.html


◆明治時代編************************
箕輪初心▲伊香保№33≪新居守村:明治3年(1870)≫榛名神社の神仏分離取締
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_9.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35群馬県立土屋文明記念文学館
「榛名・伊香保文学紀行46人」
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2018高崎№30『鼎談』と【小栗上野介忠順企画展】
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_10.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35≪デシャルム大尉:M6≫フランス人将校
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_12.html

箕輪初心:生方▲伊香保№36≪三遊亭円朝M7≫落語家『霧隠(陰)
伊香保湯煙』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_13.html

箕輪初心:生方▲伊香保№37≪アーネスト・サトーM10 ・M28≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№38≪ベルツ博士M10・M13・M14≫「楽山館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_17.html

箕輪初心:生方▲伊香保№39≪小林虎三郎M10≫『米百俵』と「伊香保日記」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_19.html

箕輪初心:生方▲伊香保№42≪英照皇太后陛下(考明天皇の皇后)M12≫「凌雲閣」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№43≪大槻文彦M12・M15・M40 ≫「楽山館」「村松旅館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№44≪岸田吟香:安政6年(1859) ・安政7・M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_24.html
★非常にユニークな人生を歩んだ。

箕輪初心:生方▲伊香保№46≪箕作麟祥M12楽山館≫法学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_25.html



★伊香保・榛名関係は島田三郎かな?

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