箕輪初心:生方▲歴史に隠れた大商人「清水卯三郎」のパリ万博と『ジャポニズム』

今井博昭「歴史に隠れた大商人『清水卯三郎』 (幻冬舎ルネッサン
ス新書2014/12/4)アマゾンで840円で購入した。
文政12年(1829)、羽生領町場村(現羽生市)で酒造業を営
む家に生まれた清水卯三郎は、横浜に出て、戦国時代の上野国箕
輪城主:立石斧次郎(長野智子アナウンサー先祖)に英語を学び、
その才を生かして、薩英戦争では英国側の通訳として和平?に尽
力した。、また、慶応3年(1867)のパリ万国博覧会に日本人唯一
の商人として参加し、幕末の外交・貿易で活躍した。茶室で芸妓3人
に接待させたことあり、後の「ジャポニズム」に影響を及ぼした。
帰国後、清水卯三郎は、「瑞穂屋」を開業し、欧米の技術、学問を
目にした経験を生かして実業家として活動した。歯科医学関係の輸
入・出版をしたことで、日本の歯科医学の発展に貢献した。また、
清水卯三郎はかな文字論者としても知られ、啓蒙雑誌『明六雑誌』
でひらがなの普及を主張し、学者達と「かなのくわい」という会を
発足させた。晩年には、かな文字で自身の半生を綴った回想録を残
した。
岸田吟香が清水卯三郎を日記の中で「うささん」と書いた。
清水卯三郎と岸田吟香は親しい友人の一人であった。
明治12年の時に伊香保に一緒来ていたかもしれない。
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清水卯三郎は以下の人物と関わりがあったと思われる。

箕輪初心:生方▲伊香保№43≪大槻文彦M12・M15・M40 ≫「楽山館」「村松旅館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№44≪岸田吟香:安政6年(1859) ・安政7・M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_24.html
★非常にユニークな人生を歩んだ。

箕輪初心:生方▲伊香保№46≪箕作麟祥M12楽山館≫法学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_25.html
箕輪初心:生方▲伊香保№47≪田中芳男:M12≫パリ万博→上野動物園設立
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_26.html

箕輪初心:生方▲伊香保№48≪島田三郎:M12「楽山館」≫書記官:衆議院議員
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_28.html

箕輪初心:生方▲伊香保№49≪森槐南M12≫漢詩人、官僚
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_30.html

箕輪初心:生方▲伊香保№50≪鈴木(鯱)松塘(しょうとう)M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_31.html

箕輪初心:生方▲伊香保№51≪北村重威M12≫築地精養軒・上野精養軒
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_34.html

箕輪初心:生方▲伊香保№52≪成島柳北M12:木暮武太夫泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№53≪末広鉄腸M12木暮武太夫11泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_36.html




◆清水卯三郎の略年表********************
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・文政12年(1829)3月4日(4月7日)
 武蔵国埼玉郡羽生村(現在の羽生市)酒造業を営む清水家の3
 男として生まれる。薬種商もいとなんでいていて資産家だった。
  父は清水清水弥右衛門
 母は根岸友山の妹。
清水家関係資料では、「おはな」「おさだ」
 根岸家系図では「武津」「登茂」

・天保8年(1837) 5男:清水吾一が生まれた。

芳川波山に漢学を学んだ。
 

・嘉永2年(1849) 江戸に出た。
  洋学の習得を目指し、佐倉の蘭法医、佐藤泰然のもとで蘭語
  学び始めた。
箕作秋坪に蘭学を学んだ。

・嘉永7年(1854) 筒井政憲の供人として下田でロシア全権大使の
プチャーチンに会った。
「ヒアリ・コウ」と声をかけ、返答をもらった。
 外国では身分の区別なく言葉を交わすことに感激した。

・安政6年(1859) 横浜で親戚の異人相手の大豆商店を手伝いなが
ら、イギリス言葉(英語)の必要性に気付き、立石得十郎・立石
 斧次郎らから英語を教わった。
郷里と江戸・店を往復しながら家業に専念し、そのあいまに英語
 を身につけていった。
・万延元年(1860) 『ゑんぎりしことば』(英語辞典)を発刊する。

******************************
・文久3年(1863) 叔父:根岸友山・弟:清水吾一は千葉周作道場で学ん
 でいた。
 2月、将軍・徳川家茂上洛に伴い江戸幕府によって組織された浪士組
  に参加した
 3月 近藤勇、芹沢鴨らとともに京都に残る。
 壬生浪士組に入隊
 根岸友山・弟:清水吾一は、遠藤丈庵らと共に江戸に戻り、新徴組に
 参加した。
 根岸友山・弟:清水吾一は新徴組預りの庄内藩の帰国に妻子と共に随行
 した。 
 叔父:根岸友山・弟:清水吾一は戊辰戦争に参戦。
******************************

・文久3年(1863) 清水卯三郎は幕末の外交面でも活躍した。
  生麦事件に対する賠償金要求を拒否されたイギリスは報復措置を
 とることにし、艦隊7隻をひきいて錦江湾に侵入した。薩摩と戦って
 引き分けに終わった。戦後処理では、会話・日本文を正確に読める者
 がいなかったため、オランダ語、ロシア語、英語の3ヵ国語を身につ
 けた清水卯三郎に白羽の矢が立った。大久保利通からの使いが来て
 「英国代理公使:ジョン・ニールに停戦を申し入れてほしい。」と
 依頼された。大久保利通は町人の清水卯三郎に大役を依頼したの
 である。
 清水卯三郎は旗艦ユーリアラス号にのりこんだ。
 英国軍艦に同乗し、英国側通訳として和平?に尽力した。
 結局、薩摩側が全面的にイギリス側の要求をのんで和睦した。
 清水卯三郎は捕虜になっていた薩摩藩士・五代才助(友厚)と松水
 弘安(寺島宗則)をひきとった。
 2人が洗脳されてイギリスのスパイになったという噂が立って身が
 危険になると郷里の自宅や親類の別荘に2人を保護し、匿った。
 (★福沢諭吉『福翁自伝』)

・元治2年(1865) 江戸幕府はフランスのナポレオンⅢ世から、駐日
 公使のレオン・ロッシュを通じて、第2回パリ万国博覧会(1867
 年開催)への招聘が届いた。
 安政の大獄や桜田門外の変、生麦事件、薩英戦争など、外圧を受けな
 がらの内政のかじ取りは困難を極めていた。
 江戸幕府は万博への参加に即答しなかった。
 
・慶応元年(1866)4月、江戸幕府は大名や豪商らに万博への参加を呼
 びかけた。特産物、取扱品を出品するようにと布告した。
 
・元治2年(1865) には、既に新納久脩(にいろ・ひさのぶ)や五代才助
(友厚)といった重臣たちは紡績機械や武器の買い付けを進めていた。
 さらに、薩摩藩はベルギー貴族モンブラン伯爵と幕府の命を待たずに
 独自に「薩摩・琉球国」としてパリ万博への出展を進めていた。
 薩摩藩は、モンブランを代理人として、幕府とは別名義の出展者と
 して参加し、出品することとなった。
 薩摩藩家老の岩下方平は薩摩藩および琉球王国の全権としてパリに派
 遣され、モンブランとともに万博の準備を進めた。

 実情は薩摩の動きに幕府が追随する形となってしまった。
・慶応元年(1865) 幕府はパリ万国博覧会に正式参加表明した。
 
・慶応2年(1866)
 出展の選定は、オーストリアの公使館員:シーボルト(H. Siebold)は
「東洋のエキゾチシズムをアピールするには、人目を引く大きなものが
 よい。」と勧めた。
 ドイツ人のお雇い外国人ワグネル(G. Wagener)は
 「日本では近代工業が未発達であるため、西洋の模倣でしかない機械
 製品よりも、日本的で精巧な美術工芸品を中心に出展したほうがよい。」
 と判断し、日本全国から優れた工芸品を買い上げた。
勘定奉行:小栗上野介に資金を依頼した。

 若年寄格・駐仏公使:向山一履(かずふみ)はパリ万博後の
 徳川昭武・箕作麟祥などのフランス留学をさせる計画であった。
フランス政府は留学生の指導と教育をメルメ・カションに担当させる
 予定であったが、向山一履は大反対した。カションは「日本は一種の
 連邦国家であり、幕府は全権を有していない」という論説をパリの
 新聞に寄稿した。アーネスト・サトウやシャルル・ド・モンブラン
 ら薩摩寄りの人物と同一の主張であった。フランス政府も無視できず、
 結果として小栗忠順が成約したフランスからの600万ドル借款が取り
 消されてしまった。

11月28日 15代将軍徳川慶喜の弟:徳川昭武14歳に将軍の名代
 としてフランス派遣の内命が下った。
結果、慕府が187箱(原価4万7190両余)、佐賀藩が506箱、
薩摩藩が506箱、清水卯三郎が157箱(2万両)、計1356箱
がパリへ送られることになった。


 江戸幕府の使節団は総勢33名。
①徳川慶福の弟:昭武を団長として、・・・・
②若年寄格・駐仏公使:向山一履(かずふみ)
小栗忠順が成約したフランスからの600万ドル借款が取り
 消されてしまった。後任の海軍奉行職を栗本鯤(鋤雲)に事務を引き
 継ぎ、パリを出立した。
③渋沢栄一(水戸藩士のお目付け役)
  水戸藩:含7人・・・
④蕃書調所(後の東大箕作阮甫の孫 :箕作貞一郎(隣祥):留学者
 旧幕府軍の従軍医師として、
⑤幕臣:榎本武揚:
⑥幕臣:大鳥圭介
⑦医師:高松凌雲…一橋家の専属医師を経て、幕府奥医師
⑧幕臣:山内六三郎(堤雲)医師・松本良順の甥
⑨幕臣:小柳津要人(おやいづ かなめ):大鳥圭介の縄武館
  ・中浜万次郎に師事・・・後丸善3代目社長
⑩幕臣:幕臣:田中芳男…昆虫標本・動植物学者
万博に昆虫標本の出品を決定することとなった。
田中芳男は幕府からパリ万国博覧会への出張と昆虫
 標本採集と製作を命じられた。博物学者の子阿部為任と関東一円で
 採集を行った。
 ・・・・(上野動物園設立貢献)
 (田中芳男・平山成信編 『澳国博覧会参同記要』森山春雍 1897)
⑪幕臣:平山成信…神道家の平山省斎養嗣子「日本博物館協会」
⑫幕臣:塩島浅吉
⑬商人:清水卯三郎…外国人相手に商売を始めたが、オランダ語が
  役立たなかったため、急遽英語を学習した。横浜のアメリカ領事
  館の書記官に日本語を教える代わりに英語を教えてもらった。
  イギリス言葉(英語)を立石得十郎・立石斧次郎らから英語を教
  わっていた。
 ★立石斧次郎(アメリカではトミーと呼ばれていた。)は小栗上野介
 らがボーハタン号で日米修好通商条約の通訳として参加していた。
  万延元年に「ゑんぎりしことば」(イングリッシュ言葉)という商
  人用の英会話辞典を出版していた。
  清水卯三郎は箕作麟祥の大叔父:箕作秋坪の勧めにより、パリ万国
  博覧会に日本人商人として唯一の参加・出品を行こととなった。

  清水卯三郎は勘定奉行:小栗上野介に願い文を提出し、幕府から
  2万両を借り受けた。そして、刀剣、火縄銃、弓矢、陣羽織など
  の武器・武具から、酒、醤油、茶など飲料・調味料、化粧道具、
  鏡、人形、屏風、提灯などの工芸・生活道具まで、幅広く買い集め、
  慶応2年12月、157箱の積み荷を横浜から幕府がチャーターした
  船便でパリに送った。
   (今井 博昭「清水卯三郎」…アマゾンで840円だった。)
    徳川昭武を団長とする幕府の万博参加使節団(渋沢栄一も随行)と
  共に渡欧することになった。
  清水卯三郎は柳橋の芸者も3人を引き連れて海を渡りパリ万国博覧
  会を目指した。
  吉田六左衛門等の商人、旅芸人の浜碇定吉一座や松井源水一座も各
  国を巡業しながら万博の開催地へと乗り込んだ。

岸田吟香の見た「パリ万博使節団」と「上海使節団」*********
翌 1 月 15 日はいくつか の用件があった。一つはミカドが崩御したと
いう 手紙がヘボンへ届いたこと。 二つはアスターハウスに日の丸の旗
が立っていたこと。そしてアスターハウス前 に 8~9 人の日本人が
やってきたのを見た。その中には顔見知りの鏑木立木と高橋怡之介が
いた。かれらはイギリス船で来た上海行きの一行で、すでにアスター
ハウスに泊まっているフランス船で来たフランス行きの一行とは別で
あった。
 フランス行きの連中を見ると、仙さん、うささん(★清水卯三郎)、
季六さん、山内六三郎ら知り合いの日本人が沢山いる。」
フランス行きの一行は 17日には出航する。フランス行きの一行は、
ナポレオン三世がパリで開催する万博から、幕府への 参加の要請に
答え、あわせて幕府の存在の正当性を広く世界に知らしめるべく、
「みんぶさま」(徳川昭武 14 歳)を代表として組織された 30 人あ
まりの徳川遣欧使節団であった。(徳川昭武を)利発そうな人物だ。」
岸田吟香は徳川昭武の水戸藩に出 入りしたことのあった。
「おぶぎようさま」は向山一履、
「いわみさま」は山高信夫、
「ひびのさん」は保科俊太郎、
「たなべさん」は田辺太一、
「箕作の貞さん」は箕作貞一郎(麟祥)、
「いくしまさん」は生嶋三郎、
「やまうちさん」は山内六三郎、
「季六さん」は喜六、
「うささん」は清水卯三郎
★「うささん」と親しく記している清水卯三郎は、出品担当の横浜の
商人で、岸田吟香とつきあいがあった。
★岸田吟香の相手を呼ぶ呼称である。
◆参考文献
幕末期に上海を訪れた岸田吟香の行動空間とコミュニティ形成
愛知大学名誉教授、愛知大学東亜同文書院大学記念センター
・フェロー 藤田 佳久
file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/OJ65WIR2/
藤田佳久「幕末期に上海を訪れた岸田吟香の行動空間とコミュニティ形成」
%20(1).pdfより引用
********************************

・慶応3年(1867)1月11日(岸田吟香は1月17日と書いている。)
 フランス郵船アルフェ号で横浜を出発した。
  一行はフランスまで約2ヶ月の船旅だった。
 シンガポールやスエズ運河を経由した。エジプトから機関車を用い
 て日本国から持ち寄られた美術工芸品などと共に一路フランスへと
 向かった。
 マルセーユ経由でパリに向かった。
 渋澤栄一は日記を記録した。
 田中芳男も記録を残していた。 
 
2月27日(陽暦4月1日)パリ万博はすでに始まっていた。
3月6日 徳川昭武たちがパリに辿り着いた。
 幕府はフランスにきて薩摩藩が出展することを聞き大いに驚いた。
 モンブラン伯爵やグラバー率いる薩摩藩と佐賀藩などの者たちが
 ナポレオンⅢ世の許可で出展予定になっていた。
 パリ万博は、日本が国際社会にデビューする重要な舞台であり、
「ヨーロッパで日本を統治する支配者は誰なのかを示す必要があった。
 幕府は幕末の激動の真っただ中・・・。 パリ万博の参加は重要な
 意味を持っていた。しかし、薩摩・琉球国が独自の勲章をつくり
 ナポレオンⅢ世に贈るなどの行動していたために、フランスの新聞
 には「将軍は有力大名の1人であり江戸幕府は諸藩のなかの強大な
 存在でしかない。」と報道した。

 外国奉行:公使の向山一履などが岩下方平に抗議した。
 薩摩藩家老:岩下方平団長とモンブランは幕府と交渉して次のように
 決着をつけた。
 外国奉行:公使の向山一履などが
 ①出展者名から「琉球」の2文字と島津家の家紋の旗章を削ること
 ②「琉球国陛下松平修理大夫源茂久」の名を「松平修理大夫」のみ
  に改めることを求めた。
 薩摩藩代理人のモンブランと薩摩藩家老:岩下方平に外国奉行:公使
 の向山一履などに
 「薩摩太守の政府の名前は譲れない」として談判した。
 結局…幕府側は「大君政府」、薩摩藩側は「薩摩太守の政府」とし、
 ともに日の丸を掲げることで妥協となった。

 「幕府(日本大君政府)・薩摩藩(薩摩大守政府)・佐賀藩(肥前大守政府)
  の「3政府」ということになってしまった。
 (★ウィキペディア「シャルル・ド・モンブラン」)
・慶応2年(1866)末には新納久脩の息子:新納竹之助は
  シャルル・ド・モンブランの世話になっていた。


・慶応3年(1867)からは、薩摩藩家老・岩下方平の息子:岩下長十郎も、
  モンブランの世話でフランスで留学生活を送っていた。
モンブランはナポレオンⅢ世の承認を受け、異例の日本総領事とな
 った。

・慶応3年(1867) 4月1日~11月3日のパリ万博に参加した。
(和暦では、2月27日~10月8日)
 結局、「日本」は、幕府と薩摩藩・佐賀藩と商人:清水卯三郎
 の集合体だった。

 パリ万国博覧会の会場はセーヌ川と陸軍士官学校にはさまれた
シャン・ド・マルスに建設された。
イギリス、オランダ、プロシャ、ロシア、デンマークなどの欧州諸国
やアメリカ、エジプト、モロッコ、中国、日本・・・と万国がお国自慢
の品々を陳列した。
 各国の国王や皇帝・政府首脳も集まってパリは万博にわいた。


●日本館…
1)幕府のブース…葛飾北斎らの浮世絵、精緻な工芸品等
幕府は、 「ヨーロッパで日本を統治する支配者は誰なのかを示さねば
  ならない。また、新しい日本を全世界にアピールしなければな
 らない。」
 1,300坪ほどの敷地に神社と日本庭園を造り、白木の鳥居、奥に神殿、
 神楽堂や反り橋を配置した。
 産業館にも浮世絵や工芸品を展示し、名古屋城の金鯱、鎌倉大仏の
 模型、高さ4メートルほどの東京谷中天王寺五重塔模型や直径2m
 の大太鼓、直径4mの浪に竜を描いた提灯などが人目を引いた。

 来省者が神社と日本庭園は大いに評判となり、展示物も飛ぶように
 売れ、うちわは1週間に数千本を売りつくした。
 皇帝フランツ・ヨゼフ一世と皇后エリーザベトも来場し、建設中の
 反り橋の渡り初めを行った。
 皇帝一行はカンナの削りくずに興味を持ち、女官に丁寧に折りたたん
 で持ってかえらせたと言われている。
「日本デー」では、映画の上映会やお茶の会、晩餐会が開催された。
来客には、扇子、団扇、手ぬぐいなどの景品が配られた。
現地の新聞や雑誌が一斉にこのイベントについてのレポートを
 掲載した。お客は「日本館」に詰め掛けるようになり、大盛況に
 なった。日本の文化はヨーロッパでも高い人気があった。 
  日本館の他に日本農家も建てられた。

展示ブース
 ●幕府は武器・図画・漆器・書籍など約1014点。
・和紙…
・書籍…
・錦絵…
・絹織物…
・象牙細工・金細工・銀細工…
・青銅器…「鏡」
・磁器…買い物後、包んであった浮世絵、クッション役の浮世絵が
    大人気を呼んだ。
    もちろん、美濃焼など陶磁器もである。
・漆器…
・武具… 日本刀、脇差、火縄銃、弓矢、陣羽織など
   買い物後、包んであった浮世絵、
・昆虫標本
  田中芳男はパリ万国博覧会で昆虫標本を展示した。
  昆虫標本が現地の研究者に高く評価された。



2) 薩摩藩…薩摩藩は琉球・薩摩特産物を出品、
 ●薩摩藩は、上布や砂糖といった琉球産品や薩摩焼など480箱。
  薩摩焼などの販売した。
 沈寿官窯の六フィート(約180cm)の大花瓶一対を含む幾多の
  作品群を発表し、絶賛を浴びた。
 ★私も沈寿官窯に行った。
箕輪初心■鹿児島:薩摩焼の歴史&第14代:沈寿官先生
https://53922401.at.webry.info/201109/article_18.html

韓国ドラマ-火の女神ジョンイ-あらすじ全話一覧-最終回まで
http://www.韓国ドラマあらすじおすすめ.jp/article/416918380.html

 

3)佐賀藩…有田焼・伊万里焼の陶磁器や白蝋、和紙、茶などの販売した。
●佐賀藩は伊万里の陶磁器を中心として506箱

  佐賀藩がヨーロッパ人の好みを知っていた。
佐野常民などは欧米の進んだ技術や制度の吸収に努めた。
 佐野は、明治政府の「博覧会男」として、ウィーン万博(1873年)
 参加することになる博覧会・博物館行政をリードした。
 また、パリ万博で「赤十字」を視察し、西南戦争(1877年)の際に
 「博愛社」(後の日本赤十字社)を創設した。


箕輪初心★佐賀:有田焼『九州伝統文化館』&『鍋島藩御用窯』
http://53922401.at.webry.info/201112/article_14.html

箕輪初心★佐賀『有田焼の巨匠』=柿右衛門・萬二・今右衞門
http://53922401.at.webry.info/201112/article_13.html

箕輪初心●北九州4県の旅「城&焼き物&グルメ」
http://53922401.at.webry.info/201110/article_13.html

箕輪初心:生方▲真田丸104【第30回「黄昏」】秀吉のボ
&韓国D「火の女神ジョンイ」
http://53922401.at.webry.info/201608/article_5.html

箕輪初心:生方▲「全46話火の女神ジョンイ」のあらすじ1~15&
「ちょっと自分の陶芸作品」
http://53922401.at.webry.info/201608/article_36.html

極東から運ばれてきた日本製品はパリっ子たちの興味をひいた。
神秘の東洋の国「ジャポン」の不思議な文化を目のあたりにした人々
 は驚きの声をあげて絶賛した。
重厚な漆器、金箔を施した陶磁器、高貴な絹織物、包み紙の緻密な浮
 世絵、描かれた花鳥風月の錦絵など流麗な線などに作家や画家、工芸
 家、音楽家たちは新鮮な衝撃をうけた。

4)清水卯三郎のブース「日本庭園の茶店」
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 (★無料画像より)
 ・武具… 日本刀、脇差、火縄銃、弓矢、陣羽織など
  買い物後、包んであった浮世絵
 ・酒、醤油、茶など飲料・調味料
 ・化粧道具、鏡、人形、屏風、提灯などの工芸・生活道具
 (★清水卯三郎が送った品物157箱など)
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パリ万国博覧会のメインパビリオンである楕円形の建物の周りには、
庭園が配されていた。各国が独自のパビリオンや売店を出すことが
できた。日本は日本庭園を設置して、商人の清水卯三郎が茶店を出
店した。人気を呼んだのは「茶店」である。
茶店は檜造りの六畳間で、土間とトイレも備えていた。
土間では、緋毛氈をしいた縁台がおかれて、客はそこで休んだ。
 お茶や味醂(みりん)酒を提供した。
 座敷では江戸の柳橋:松葉屋の芸妓柳橋の芸者:かね(賀袮)・
 すみ(須美)・さと(佐登)の3人がショーを演じた。
煙管で煙草を吸ったり茶を立てたりして日本の日常生活を演じてみ
 せていた。
 桃割れの髪、友禅縮緬の振袖、丸帯姿で手毬をついたり、客に酒の
 お酌をしたり、お茶のサービスをしたりしたのである。
 3人の芸者に給仕や芸をさせ、ひときわ人気を集めた。
 絹の和服姿の日本人女性がお茶を出したので余計に人気がでたのだ。 
 客商売姉さん達は物怖じもしなかった。
 3人はキセルをもってタバコを飲んだ。
★5節句の御祝儀には煙草盆が出された。武士の嗜みであった。
3人の芸者もタバコを嗜んだ。
 3人の芸者が優雅な姿で来場者を魅了した。
現代のイベントコンパニオンといったところである。・・・・
 新聞報道され、さらに大評判となった。
 来場者は艶やかな着物に見とれた。
 …絹の輸入はあっても、日本の絹織物の模様に感動した人もいた。
結果…茶菓の接待をした3人の柳橋の芸妓のあでやかな着物姿としとや
かな風情、屏風、ちょうちん、陣羽織など、日本の出品物がかもしだす
東洋情緒がパリっ子に「ジャポニズム・ブーム」をもたらすことになった。

まわりには、植木や風俗人形をかざった日本庭園がつくられていた。

清水卯三郎はナポレオンⅢ世から銀メダルを授与された。

5)軽業・芝居会場
 万博の会場外でも、各国から集まってくる見物客を当て込んで様々な
国の芸人たちがパフォーマンスを見せていた。
日本の芸人達:吉田六左衛門等の商人、旅芸人の浜碇定吉一座や松井源水
 一座も各国を巡業しながらパリ万博の開催地へと乗り込んだ。
 柳川蝶十郎という「浮かれ蝶」を演ずる手妻師もその一人だった。
 
会場では、好評を得た。  

・7月1日に、万博の褒賞授与式が挙行された。

褒賞授与式では、ナポレオン3世の演説が行われた。
日本の出品物の評判は、とても良かった。
出品物の養蚕、漆器、工芸品、和紙はグラン・プリに輝いた。
鑑定員の品評では、
・イギリス・アメリカ・プロイセン・日本が最高の賞が授与された。

・10月8日(陽暦11月3日)パリ万博が終わった。
渋沢篤太夫(栄一)は、水戸藩目付で、武士で計算に強い男として
 使節団に加わいた。
 揚子江、上海、香港、サイゴン、・・・スエズ等へ立ち寄った記録、
 パリ万博の見聞、欧州の政治、財政、美術、工芸、軍事、
風俗習慣まで、詳細に記録していた。
「磁器や漆器をはじめとする日本の工芸品や日本女性が茶を振る舞
う数寄屋造りの茶屋が大変な人気を博したことを「歐羅巴(ヨーロ
ッパ)人好事家を幻惑すべき諸玩物である」と記している。
ヨーロッパで株で儲け、帰国後は儲けた金を駿府の徳川慶福に渡した。

箕輪初心:生方▲埼玉『渋沢栄一:記念館&中の家』
https://53922401.at.webry.info/201509/article_3.html

箕輪初心★【渋沢栄一の生涯】:「日本資本主義の父」
http://53922401.at.webry.info/201409/article_14.html
★政府の役人として富岡製糸場を造ることを推進した。

箕輪初心:生方▲深谷3偉人③『渋沢栄一の住んだ誠之堂&
佐々木勇之助の青風亭』
https://53922401.at.webry.info/201509/article_4.html

箕輪初心:生方▲2018小栗上野介忠順(ただまさ)の生涯
:後編「帰国後の活躍」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_16.html
https://s.webry.info/sp/ubu3blog.at.webry.info/201811/article_16.html
★薩摩・長州・幕府の留学生のことを掲載。
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・清水卯三郎は万博の後、欧州の学問、工芸を学び、アメリカを経由
 して帰国した。
幕府発行のパスポート50号を携帯して・・・「活版印刷機械、石版
 機械、陶器着色法、鉱物標本、西洋花火等」を持ち帰った。

・慶応4年(1868) 帰国後には、浅草に「瑞穂屋」を開店し洋書の輸入
を皮切りに貿易商として活躍した、

・明治2年(1869) 店を日本橋に移転した。
  印刷機を輸入して出版業も始め『六合新聞(りくごうしんぶん)』
 を刊行し海外事情を紹介した。
 また、歯科材料の輸入販売で活躍した。
  『歯科全書』などの出版も行った。

明治5年(1873)『博覧会ヲ開ク之議』という建白書を政府に提出した。
 「博覧会を開催して天下万民の見識を広め、産業をさかんにして英仏
 の右にでることが私のたっての願いなのです。我が国の技術者たちは、
 一度 博覧会で西洋の機械に触れれば、たちまち知識も技術も高まっ
 て、かの国の力を奪う事になるでしょう。」

・明治7年(1874) 英国の化学の入門書を翻訳した『ものわりのはし
ご』を出版した。
 明六社の機関誌『明六雑誌』に、ひらがなの普及が、国民全体の知識
 や教養の向上に役立つと主張した。
 学者達と「かなのとも」という会を発足させた。
 機関誌『かなのみちびき』を創刊し、仮名文字論を展開した。

・明治10年(1887)『第一回内国勧業博覧会』が開催された。
 清水卯三郎の提言通り、当時最新式の西洋の機械が展示された。
 
・明治43年(1910)1月20日に死去。享年82。
 墓は埼玉県羽生市北の正光寺
 清水卯三郎の墓には「志みづ うさぶらう の はか」と記されている。
 ★羽生城に行くのを迷ってしまって正光寺に行ったが、写真は消滅
 してない。残念。

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