箕輪初心:生方▲伊香保№56≪新島襄・新島八重M22:千明仁泉亭で療養≫

『上毛かるた』では「平和の使い新島襄」とある。新島襄は内村鑑三
と同じく、群馬県と関連性はどうなのであろうか?廃娼運動等社会貢
献・群馬にも多くのキリスト教の弟子・安中教会のきっかけ・新島学
園のきっかけ・・・等、 NHKの大河ドラマ「八重の桜」では、新
島襄が八重と安中を訪れたが・・・。新島八重の2回目は京都を発ち、
伊香保へ向かう。10月16日に松尾音治郎、松本勘十郎らの案内で
伊香保に到着した。
・明治22年(1889)千明仁泉亭で療養生活をした。 山本八重=新島
八重が看病した。約1ヶ月の湯治だった。
 (★安中有田屋さん:湯浅治郎の子孫の方よりの説明)

◆千明仁泉亭には書簡等が残されている。写真が消滅。残念。
11月28日、同志社設立運動中に心臓疾患を悪化させて前橋
で倒れ、神奈川県大磯の旅館・百足屋で静養した。愛弟子の一人
の不破唯次郎の妻・ユウの看護を受けた。
 明治23年(1890)1月23日午後2時20分、徳富蘇峰、小崎
弘道らに10か条の遺言を託して死去した。
画像







◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄2』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm

◆◆箕輪初心★新島襄:安中&新島八重:会津若松 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_26.html

◆◆ 箕輪初心◆会津:新島八重を巡る旅 ◆◆
  山本覚馬・新島八重の実家跡&山本家の墓を掲載
http://53922401.at.webry.info/201304/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★京都の新島襄宅&八重さんの墓 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_13.html

◆◆ 箕輪初心★新島八重周辺「湯浅治郎&八重さんの醤油」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★住谷天来 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_20.html

◆◆ 箕輪初心★住谷悦治 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★柏木義円 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_22.html

◆◆ 箕輪初心★内村鑑三 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_23.html

箕輪初心★『新島襄&新島八重の上州』企画展in群馬
https://53922401.at.webry.info/201305/article_22.html

箕輪初心★新島八重の周辺②『新島襄&徳富蘇峰』
https://53922401.at.webry.info/201302/article_7.html

◆◆ 箕輪初心★『伊香保を愛した徳富蘆花』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html

箕輪初心★爽やかな秘話『新島八重子回想録』の紹介
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201302/article_10.html

箕輪初心★群馬【新島襄】=2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」夫
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

箕輪初心★『日新館&保科正之&新島八重のパネル展』
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201304/article_25.html

★平成30年(2018)11月21日、会津若松城に行った。
 山本八重(新島八重)にちょっと感じてきた。

箕輪初心:生方▲津和野【西周(あまね)&山本覚馬→新島譲】
&【森鴎外&羽鳥千尋】
https://53922401.at.webry.info/201512/article_12.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16(1883)?≫ 「榛名湖水質
調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html


◆◆ 新島襄の年表 ◆◆******************

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・天保14年(1843)1月14日 安中藩の江戸上屋敷で生まれた。
(現東京神田錦町・・学士会館横)
  父:新島民治&母:登美 
父は5人目でやっと念願の男児・・
「しめた。」と言ったらしい。それで、
  幼名は「七五三太(しめた)」とか、
1月14日の神棚の七五三縄から
「七五三太(しめた)」という説もある。
 
※10月天保改革に失敗・・・老中水野忠邦が失脚。
※中国の阿片戦争終わる。
  
・習字・漢字・武道・外国語を習得。
①習字・・・・・父:新島民治
②漢字・・・・・父:新島民治
③絵画・・・・・父:新島民治+α
④礼儀作法・・・父:新島民治+α

・嘉永5年(1852) 9歳 
※日米和親条約
※長州の桂小五郎が京都で御所を拝む。
※12月ナポレオンがフランス皇帝に就任。

・嘉永6年(1853)10歳
⑤漢学・・・・安中藩の学問所:添川完平(廉斎)
■添川完平  享和3年(1803)~安政5年(1858)
 江戸安中藩江戸屋敷の儒学者・・新島襄も学んだ。
 
※6月ペリー提督、4隻の軍艦を率いて浦賀沖に入港。 

⑥剣術・・・・・?
⑦馬術・・・・・?


・安政元年(1854)11歳 
※3月日米和親条約締結 

・安政2年(1854)12歳
※5月 パリ万国博覧会が開催。1


・安政2年(1856~)13歳
⑧蘭学・・・・・田島順輔(勝明お抱え蘭学者)
『ロビンソン・クルーソー』
【聖書】
  蘭学・・田辺真次郎蘭学塾(私塾)

※10月吉田松陰が松下村塾を再興。


 ★世界に目が開けた。



・安政3年(1857)14歳
板倉勝明(かつあきら)の祐筆の補佐役を命じられた。
父に代わって、習字塾の先生になった。
※5月下田条約に基づき日米通商条約が調印される。

・安政4年(1857)15歳 板倉勝明48歳が死亡。
◆◆ 板倉勝明の業績 ◆◆
1)学者の登用→蘭学の奨め
①【大山融齋】=嘉永5年(1852 )張り子の地球儀作成。
②【山田三川】=近藤重蔵と千島列島の択捉島探検。
③【添川完平】=安中藩の儒者。
④【川田甕江】= 新島襄の漢学の先生。東大教授。

2)殖産の奨め→桐・杉・漆など
 (★新島襄の安中の家の裏)

3)本の執筆
①甘雨亭叢書
②安中志
③東還紀行
4)安政の遠足→日本初のマラソン


※大老井伊直弼による安政の大獄始まる。
 7月 上野安中藩の漢学の教授:添川完平(廉斎)が死去。
 9月 川田甕江を登用。
⑧儒学・・・川田 甕江(おうこう)
  備中松山藩の川田剛=甕江が安中藩の学問所で
    漢学を教える。
 ★備中岡山県の玉島出身の川田甕江と新島譲との出会い

 ■川田 甕江(おうこう)文政13年(1830)~明治29年(1896)
・文政13年(1830) 備中浅口郡玉島(岡山県倉敷市)生まれ。
  父は玉島の回船問屋。
  玉島で儒学者鎌田玄渓に学んだ。
  江戸で佐藤一斎らの下で学んだ。
  近江大溝藩の藩儒として100石で仕官。
・安政4年(1857) 備中松山藩の藩儒として50石で仕官。
   陽明学者:山田方谷の推薦。
  山田方谷の筆頭・・・江戸藩邸の教授:三島中洲・川田甕江
・安政5年(1858) 川田甕江は江戸の安中藩中屋敷で漢学を教授。
 川田甕江塾が安中藩邸に開設・・新島襄は川田塾に入塾。
 新島襄は漢学:川田甕江塾+蘭学:田辺真次郎塾 
・文久2年(1862)川田甕江は、備中松山藩:板倉勝静に180tの
  大きい洋式木造帆船の快風丸を購入するように進言→実現。
  アメリカ→快風丸が横浜で引き渡し→玉島(現倉敷市)
  新島襄は川田甕江の推薦で快風丸に乗り組むことになった。
 11月12日・新島襄は川田甕江から餞別を贈られ、江戸を出帆。 
 ★川田甕江は新島襄の将来に期待していたのであろう。
 


※11月福沢諭吉が江戸築地に蘭学塾を開く。

・安政6年(1859)16歳 
※6月横浜・長崎・函館が開港される。 
※10月安政の大獄で吉田松陰が刑死。
⑧蘭学・・・杉田玄瑞について再び蘭学を始める。 

・万延元年(1860)17歳 
※3月 桜田門外の変・・・大老井伊直弼が暗殺。
 11月 徳川幕府の軍艦教練所に通い、数学や航海術を学ぶ。

  弟:板倉勝殷(かつまさ)の護衛役で、
  新島襄は安中に来た。


・万延2年(1861)18歳 
  ※世界・キリスト教を知り、
祖国を離れようと思うようになった。

・文久元年(1861)18歳 
※3月ロシア軍艦が対馬事件を起こす。→小栗上野介が対応。 
※12月 公武合体政策で皇女和宮が降嫁。
  途中、安中の板鼻に泊まった。江戸へ下る。

・文久2年(1862)19歳 
 川田甕江は、備中松山藩:板倉勝静に180tの
  大きい洋式木造帆船の快風丸を購入するように進言→実現。
  アメリカ→快風丸が横浜で引き渡し→玉島(現倉敷市)

川田甕江は、備中松山藩:板倉勝静に快風丸に乗せるよう
推薦した。板倉勝静は安中藩主:板倉勝殷に依頼した。
 板倉勝殷は函館行きをOKした。
 →新島襄は川田甕江の推薦で快風丸に乗り組むことになった。
※函館は老中:阿部正弘の配下:岩瀬忠震が5ヶ国と通商条
  約を結んであった。

 江戸・・送別会
 11月12日・新島襄は川田甕江から餞別を贈られ、江戸を出帆。 
 ★川田甕江は新島襄の将来に期待していたのであろう。
12月3日 玉島に上陸。
      名主の柚木家で風呂に入る。
※12月会津藩主:松平容保は京都守護職を拝命。


・文久3年(1863)20歳
※1月アメリカ大統領リンカーンが奴隷解放宣言を発表。
※2月 土佐藩郷士:坂本龍馬は土佐藩邸で帰藩を懇願。
※8月新選組の隊名が下される。
  土佐の天誅組が大和国で挙兵。
  新島の友人:松山藩士:原田亀太郎が刑死。
  薩摩藩の手で京都藩邸(=現同志社大学)が完成。

 蘭学と英語の勉強を始める。
  和訳のロビンソン・クルーソー等を読む。

・元治元年(1864)21歳 
3月 快風丸に便乗し、函館に向かった。
4月25日 函館から父:民治への手紙を出した。
   「川田先生への手紙差し出し下され候や」
※6月池田屋事件・・長州の勤皇浪士を惨殺。

出航準備
①英会話・・・ロシア人宣教師:ニコライから
 ②福士宇之吉(英国商館員)との出会い
③函館・・目立たない服・髪型

福士宇之吉がベルリン号船長:セーポリーに依頼。
 
6月14日夜
 ※脱国~~~新島襄の手記~~~
「 友人(福士)と待ち合わせ場所であった。・・・
見張りが近づいて来たが、・・
綱を外したとき、・・・「船長に会いに行かなければ
なりません。・・・」
・・船長は私達を待っていてくれた。・・・握手をした。
部屋に通され、船長の呼び出しを待った。・・・」  
 ベルリン号船長:セーポリー 
 ベルリン号にボーイとして乗船=脱国

6月14日  函館→
 6月19日  遠州灘
 7月1日   上海
  8月11日  福州
 8月31日  福州発
 9月13日  上海
ワイルド・ロウバァー号船長:テーラー

10月26日  上海発
 11月5日   香港
 11月24日  香港発
 11月39日  サイゴン(ホーチミン)
・慶応元年(1865)
1月14日  サイゴン発

2月25日  香港
3月10日 香港発
3月15日  マニラ
4月10日  マニラ発
5月31日  喜望峰(南アフリカ:ケープタウン)

7月21日  →アメリカのボストン着に

※1年36日の船旅だった・・・。
①刀を船長に8ドルで買ってもらった。
 →漢文の聖書を買った。
②食事代がないので、皿洗い・炊事・甲板磨き・掃除をした。
③船長から英語を教わった。
  ④船長から「Joseph(ヨセフ)」→「Joe(ジョー)」と
  呼ばれていたことなどから、日本で「襄」としたそうである。
しかし、脱国の手助けをしたことで首になったが、
終生、交流を持った。


・慶応元年(1865) 22歳
    ワイルド・ロウバァー号でボストン入港。
    ※建物・汽車にビックリした。
しばらく、船で寝泊まりした。
   ※南北戦争中で、仕事はなかった。
『ロビンソンクルーソー』を読んだ。


船長が船の持ち主:ハーディを紹介してくれた。
ハーディは船10数隻を持つ実業家だった。
貯まった金はキリスト教の布教や学校に使った。

10月 ハーディの援助
   フィリップス・アカデミー(高校)に3年編入学。

  ヒドン家に下宿・・・英語を教わった。

・慶応2年(1866)23歳 
 アンドーバー神学校で修行
※1月寺田屋事件・・坂本龍馬が伏見奉行所の襲撃を受ける。
※7月 14代将軍:徳川家茂が死去。
※12月15代将軍:徳川慶喜が継ぐ。 

12月 →洗礼。
物理・数学・地理・英語・キリスト教などに没頭。


・慶応3年(1867)24歳 フィリップス・アカデミー(高校)
   を優秀な成績で卒業した。

テーラー校長が大学に推薦状を書いてくれた。
 9月 アーマスト大学(現同志社の姉妹校)に入学
    ・・寄宿生活。
  ・科学的な分野に興味を示した。

※11月14日 将軍:徳川慶喜は大政奉還をする。
※12月 王政復古の大号令が発令される。
※西軍との戦いを主張する小栗上野介VS 恭順派の勝海舟
小栗が解任。彰義隊には参加せず。


・慶応4年・明治元年(1868)25歳 
※1月鳥羽伏見の戦~戊辰戦争へ。
 将軍:徳川慶喜は老中:板倉勝静を伴い京都から江戸へ帰る。
※4月 小栗上野介が斬首された。
※5月 ※結果、江戸城無血開城。
※8月長岡で河井継之助戦死。
   会津若松で西郷頼母死亡・白虎隊士自決。
※10月元号が明治となった。
※11月に東京に遷都。

夏休み中、ニューハンプシャー州の各地を歩く。


・明治2年(1869)26歳 
4月春休みを利用して、アーモストの製紙や織物工場を見学する。
※8月五稜郭を開城。戊辰戦争終結。
10月 9月2日付けの新島雙六の手紙を受け取る。
 川田剛(甕江)の消息・・・
「当節は山田文作と改名し、神田小川町上屋敷に住する。」

 恩人のテイラー船長の死亡の報を受け取り
  ボストンに遺族を弔問する。


・明治3年(1870)27歳 アーマスト大学を卒業
理学博士
祖父は死亡。
9月 アンドーバー神学校に入学。

・明治4年(1871) 28歳 
 2月 弟:新島雙六が死亡。
8月 森有礼(米国駐在少弁務使)の斡旋で
   日本政府旅券=パスポートと留学免許状が送付される。
 9月 カナダから帰米途中に、5月1日付けの川田甕江の
   手紙と受け取る。
  「弟:新島雙六が2月7日に病死した。」
  川田甕江は新島に帰国をするように奨めた。



・明治5年(1872) 29歳
※3月福沢諭吉が「学問のすすめ」を出版

「岩倉使節団」3月15日~翌年1月
岩倉具視・木戸孝允・森有礼・伊藤博文・田中不二麿
5月 森有礼の紹介で岩倉使節団の通訳となった。
   政府要人らに視察の便宜を図った。
教育制度についても説明した
キリスト教も許された。
日本に来るように誘われたが、断った。

 ヨーロッパ視察に参加することになった。
 ヨーロッパを回り、教育視察を行った。 

6月1日 川田甕江が新島民治に手紙を出した。
   「全権大使のご用を仰せ付けられて結構だと述べる。」
 


・明治6年(1873)30歳
 1月 日本に帰国
 2月 キリスト教の禁制高札が撤去され黙認される。
 7月 アメリカに戻った。
 9月 アンドーバー神学校に復学。

・明治7年(1974)31歳 

  7月   アンドーバー神学校を卒業。
 10月  教会で大学設立講演をした。
    で、3000人の聴衆が集まった。
「今までの10年を振り返った話をした。
    日本でキリスト教を広めたい。日本にキリスト教主義
    の大学設立をしたい。・・・。」
     5000$の寄付金を集めた。
 
   ハーディ家で送別会
   ボストン→NY===汽車で大陸横断===
   サンフランシスコ~~~船~~~    

11月26日 横浜==汽車===東京・・・
人力車・・・安中に帰郷。

11月29日両親と再会。
龍昌寺・便覧社・自宅などで講演会を開催
   3ヶ月の滞在・・・

  神戸からの手紙「キリスト教の伝道に力を貸してくれ。」

12月19日 川田甕江に手紙を送った。
   「帰国した。」
  12月22日 川田甕江より返事の手紙が来た。
   「新島約瑟(襄の前の名前)へ帰国を喜んでいる。」
  12月26日 川田甕江を訪問する。


・明治8年(1875)32歳
1月 父宛ての手紙
初めて「襄」の字を用いる。
2月 大阪で木戸孝允に学校設立について援助を依頼。
4月 京都に入り、山本覚馬らに会った。
   京都での開学を勧められる。
6月 山本覚馬を訪問。

  京都府顧問で旧会津藩士:山本覚馬から
  学校用地=旧薩摩藩邸を550$で譲渡してもらった。

 11月29日 京都に「同志社英学校」を創立。(校長)
山本覚馬・山本八重(後に妻)・デビスなどの協力
→「同志の学校」の意味である。
生徒は8人であった。


・明治9年(1876)33歳
   山本覚馬の妹:「八重」と結婚。
 親族を安中から京都に迎え入れた。


・明治11年(1878)35歳
    安中:便覧社で、キリスト教を布教
   ・30人が洗礼。
   湯浅治郎・徳富蘇峰・柏木義円らを排出。

・明治13年(1880) 37歳
 「自責の杖」事件
「先輩と後輩が一緒の級では嫌だ。」と言いだした。
旅から帰った新島襄は
「吉野山 花咲く頃は 朝な朝な 
   心にかかる 峯の白雲 」
と、詠んで、自分の手を杖で叩いた。
「誰の責任でもない。私の責任だ。」と言ったそうである。

・明治15年(1882) 新島八重は安中を訪れた。
新島八重1回目
新島襄39歳
5月
7月 新島八重と伊勢峰(山本覚馬の長女)は先に船に乗り横浜経由
 で安中に向かった。
 安中に行って、有田屋=湯浅治郎宅に宿泊?
(有田屋=湯浅治郎宅の集合写真)
伊勢峰=山本覚馬の長女・・・横井(伊勢)時雄の妻
 
 新島襄は徳富蘇峰も横井時雄達を伴って、中仙道
  をやってきた。
  「中仙道紀行」
※新島襄と徳富蘇峰たちは、蕎麦の大食い大会を
  した話も残っている。

7月19日 便覧社前で有田屋=湯浅治郎宅前で
 新島八重・湯浅治郎の出迎えを受けた。
 新島襄&新島八重は有田屋に7日間泊まった。
 ・30人が洗礼。
  柏木義円らを排出。
 (★有田屋のミニ博物館資料館より)


安中で合流した後、2人そろって福島県会津若松市へ向かった。
会津で鶴ヶ城を見学、戊辰戦争の生存者に話を聞いて深い悲しみ親しみ
を覚えた。東北伝道の情熱を持った。
新島襄は手紙の中で「スパルタン人種ニ近き人間之ある福島県下」と
記した。

・明治16年(1883) 湯浅治郎は群馬県会議長に就任した。
         廃娼運動の先導役となった。

・明治20年(1887)44歳 父が死亡。

明治21年(1888) 夫妻で伊香保温泉に滞在した後、八重は1人で安中
  を訪れた。
(★山下智子「第8回 八重の故郷と襄の父祖の地」「同志社大学D」

・明治21年(1888) 新島八重2回目
  

・明治22年(1889)46歳 (★明治21年の間違いでした。)
 前橋や安中を訪ねて伊香保温泉にいた。

●新島八重2回目の群馬訪問。
 新島襄は伊香保温泉「千明仁泉亭」で療養生活をしていた。
画像
 
 ★私は2回宿泊・・★風呂は深かった。
   写真が消滅したのでない。


 8月16日山本八重=新島八重が伊香保療養中の新島襄を尋ね
  看病した。
  約1ヶ月だった。
 (★安中有田屋さん:湯浅治郎の子孫の方よりの説明)
  (★湯浅家資料)
千明仁泉亭には書簡等が残されている。

9月16日新島八重は安中に行った。湯浅邸泊
(★明治21年の間違いでした。)

・明治22年(1889)  
11月28日 前橋で激痛「胃腸カタル」。
 
12月 神奈川県大磯の百足屋で療養「腹膜炎」
上州は寒いから暖かいところということで大磯の保養地に行った。
 大磯は伊藤博文の拠点で、滄浪閣(そうろうかく)があった。
 遺書を勝海舟と伊藤博文と井上馨と大隈重信に書いた。

・明治23年(1890) 47歳
1月
  「いしがねも 透れかしとて ひと筋に
    射る矢にこむる 大丈夫(ますらお)の意地」
 
 八重夫人・徳富蘇峰・小崎弘道らに見守られて・・・
「真誠の自由を愛し、邦につくすような人物の養成・・
 「教職員は生徒を大事に取り扱うこと」
など10項目を遺言した。
 
 1月23日 神奈川県大磯で死亡。

棺は京都駅から同志社大学・・銀閣寺前・・南禅寺横
 ・・・若王寺山へ  墓
新島襄・新島八重・山本覚馬もここに眠っている。
★4年前に墓参りに行ってきた。礼拝~~合掌&「アーメン」


・明治43年(1912) 新島八重3回目
   新島襄先生永眠20年祈念会 ・新島襄没後20回忌
  新島八重も安中に来た。
( 新島襄の教え子:安中教会牧師の柏木義円『上毛教界月報』)

大正10年(1921) 新島八重4回目、
 数え年77歳の時、新島八重は会津・山形からの帰りに安中に
 立ち寄った。
8月・・・・・・新島八重が安中の湯浅家に宿泊した。
8月19日・・・新島八重は安中教会へいった。
8月28日・・・安中教会の礼拝に参加した。
8月29日・・・新島八重は旧新島襄宅へ行った。

画像


★平成25年? 高校後輩の友達:角田Mちゃんが新島襄・内村
 鑑三の出たアーマスト大学に行った。



★平成30年(2018)11月21日、私は会津若松に行った。


◆総論編**************************
◆◆ 箕輪初心★『伊香保の歴史詳細&訪れた文人墨客』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_5.html

箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
https://53922401.at.webry.info/201503/article_30.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201503/article_30.html

◆各論編**************************
◆◆【古代~平安時代の伊香保・榛名】************
伊香保№00『エロ解釈万葉集伊香保編9首』古代~鎌倉時代
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_13.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』①山名駅~山名
八幡宮~山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』②山上の碑
~山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』③山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】④山名城4番~10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』⑤根小屋城2回目
https://53922401.at.webry.info/201510/article_29.html


◆◆【鎌倉時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№00補足篇≪鎌倉時代の歌人たち≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_23.html


◆◆【南北朝時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№12『伊香保神社縁起』と南北朝時代『神道集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_24.html

◆◆【戦国時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲箕輪城№233かみつけの里【榛名神社文書】の解説
&久保田順一先生説
https://53922401.at.webry.info/201612/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№32榛名神社の歴史「座主→武将の俗別当
への移行」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_6.html


箕輪初心:生方▲伊香保№01≪長尾景仲→景信→景春→上杉定昌
の伊香保温泉開発?≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№02≪堯恵(ぎょうえ)文明18年(1486)≫
『北国紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№03≪宗祇:文亀2年(1502)≫連歌師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保温泉№4≪宗長≫ 連歌師:『宗祇終焉記』・『東路の津登』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№4≪真田昌幸:天正4年(1576)石段街の基礎造成≫
と真田3代ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_7.html

◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_9.html

箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
https://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№261久保康顕先生初出史料『西郷正次・
椋原政直と榛名神社』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_54.html

箕輪初心:生方▲高崎№27▲久保康顕先生講演会『戦国時代の榛名神社』
と井伊直政
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_53.html

◆◆【江戸時代の伊香保・榛名】*****************
箕輪初心:生方▲伊香保№13『江戸時代の文学:伊香保・榛名総集編』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_25.html

箕輪初心:生方▲伊香保№23『江戸時代の旅と飯盛女』&『伊香保に町人来訪』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_46.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25『榛名講』での御師の役割と『伊香保温泉』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_47.html

箕輪初心:生方▲伊香保№15≪中川内膳正妻:寛永年間(1624~1645)≫
『伊香保記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_27.html

箕輪初心:生方▲伊香保№16≪跡部良顕:元禄11年(1698)≫『伊香保紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊香保№17≪建部涼袋:延享2年1745≫『伊香保山日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_33.html

箕輪初心:生方▲伊香保№18≪油谷倭文子(ゆやしずこ):寛延3年(1750)≫
『伊香保の道行きぶり』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25≪塩原太助:宝暦12年(1762) ≫:榛名神社で祈願
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_50.html

箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫
尊皇思想家『赤城行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_11.html

箕輪初心:生方▲伊香保№19≪平沢旭山:天明5年(1785)≫漢学者・国学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№20≪吉田芝渓:寛政元年(1789)≫千明仁泉亭
『浴泉奇縁』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№07≪奈佐勝皐(かつたか)天明6年(1787)≫
『山吹日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_15.html

箕輪初心:生方▲伊香保№21≪関重嶷:寛政12年(1800)≫伊勢崎藩家老
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_41.html
★嵩山彦九郎と仲良しだった。

箕輪初心:生方▲伊香保№29≪清水玄叔(烏涯)享和3年(1803)≫
『上州榛名詣』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪小林一茶:文化5年(1808)≫『草津道の記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_44.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪八隅芦庵:文化7年(1810)≫『旅行用心集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_43.html

箕輪初心:生方▲伊香保№30≪香川景樹:文政元年(1818)?≫歌人
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保№26≪清水浜臣:文政2年(1819)≫『上信日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_52.html

箕輪初心:生方▲伊香保№08≪十返舎一九:文政2年(1819)≫文学者
・エロ浮世絵師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪千葉周作:文政6年(1823)?≫:木暮武太夫泊
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_16.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪樋口定輝:文政6年(1823)?
伊香保神社掲額事件≫馬庭念流
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊香保№11≪滝沢馬琴:文政年間?≫①『伊香保の額論』
&②『南総里見八犬伝』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№100番外編≪司馬遼太郎『北斗の人』≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№27 ≪安積良斎:天保9年(1838)≫榛名神社
・木暮武太夫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_1.html


◆明治時代編************************
箕輪初心▲伊香保№33≪新居守村:明治3年(1870)≫榛名神社の神仏分離取締
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_9.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35群馬県立土屋文明記念文学館
「榛名・伊香保文学紀行46人」
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2018高崎№30『鼎談』と【小栗上野介忠順企画展】
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_10.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35≪デシャルム大尉:M6≫フランス人将校
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_12.html

箕輪初心:生方▲伊香保№36≪三遊亭円朝M7≫落語家『霧隠(陰)
伊香保湯煙』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_13.html

箕輪初心:生方▲伊香保№37≪アーネスト・サトーM10 ・M28≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№38≪ベルツ博士M10・M13・M14≫「楽山館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_17.html

箕輪初心:生方▲伊香保№39≪小林虎三郎M10≫『米百俵』と「伊香保日記」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_19.html

箕輪初心:生方▲伊香保№42≪英照皇太后陛下(考明天皇の皇后)M12≫「凌雲閣」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№43≪大槻文彦M12・M15・M40 ≫「楽山館」「村松旅館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№44≪岸田吟香:安政6年(1859) ・安政7・M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_24.html
★非常にユニークな人生を歩んだ。

箕輪初心:生方▲伊香保№46≪箕作麟祥M12楽山館≫法学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_25.html
箕輪初心:生方▲伊香保№47≪田中芳男:M12≫パリ万博→上野動物園設立
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_26.html

箕輪初心:生方▲伊香保№48≪島田三郎:M12「楽山館」≫書記官:衆議院議員
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_28.html

箕輪初心:生方▲伊香保№49≪森槐南M12≫漢詩人、官僚
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_30.html

箕輪初心:生方▲伊香保№50≪鈴木(鯱)松塘(しょうとう)M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_31.html

箕輪初心:生方▲伊香保№51≪北村重威M12≫築地精養軒・上野精養軒
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_34.html

箕輪初心:生方▲伊香保№52≪成島柳北M12:木暮武太夫泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№53≪末広鉄腸M12木暮武太夫11泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_36.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪英照皇太后:M12/M13「楽山館」≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_38.html

おまけ****************************
箕輪初心:生方▲歴史に隠れた大商人「清水卯三郎」のパリ万博と
『ジャポニズム』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_40.html


箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16(1883)?≫
「榛名湖水質調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html


箕輪初心:生方▲伊香保№54≪三島中州:M13木暮武太夫泊≫漢学者・官僚
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16?≫ 「榛名湖水質調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16(1883)?≫ 「榛名湖水質調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html



★明日の伊香保・榛名関係は小沢如山かな?

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