箕輪初心:生方▲福島旅行③『会津若松城5回目』と『会津武士・子女』

平成30年(2018) 11月21日~22日の福島旅行の基本は「会津
でランチ→会津若松城→大内宿→磐梯熱海温泉→金刀比羅神社→塩
屋崎灯台」である。会津若松城5回目である。昨日は私にとっての
会津のロシア・ヨーロッパ組・山川浩、田中茂手記、パリ万博経由、
視察組:横山常守と海老名季昌&スペサー銃で戦った新島八重、横
山常守にフランス語を教えた小栗叉一(上野介)の妻:小栗道子を
事前に調べて、掲載した。2回目は『会津若松城』で、どんな歴史
に私が触発されるのか?・・・これで、ブログが広かるんだな。
中途半端な知識が広がる。。『会津人群像』という雑誌(2冊所有)
では「会津人は薩長土肥が悪者にしたことを未だに恨み・違和感
を持っているようである。」とあった。私から言えば、「幕末、会津
武士・子女って、義に厚く、我慢強い」っていう印象しかない。

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箕輪初心:生方▲福島旅行①『会津』横山常守と海老名季昌・新島八重
・小栗道子
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_44.html




【1】平成30年(2018) 11月21日1121
06:30高崎
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10:30 ~11:50 会津若松城5回目…★★★★面白いだろう。

0)二の丸に「城ヶ崎会館駐車場」

1)内堀

2)北出丸…パリ万博に行った海老名が任された。
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3)土橋

4)枡形

5)本丸
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6)蒲生家時代の門

7)本丸庭園
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8)城内博物館
 1階…塩の置き場
 2階
 3階
 4階
 5階
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1階展示場
 
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9)本丸の庭

10)鉄門
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11)本丸

12)上杉景勝のゆかりの場所

14)西丸門

15)本丸虎口門

16)北出丸


17)二の丸
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12:00 ランチ:鶴ヶ城会館2回目
★10分遅れた。
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◆会津人雑感**************************
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小栗上野介VS勝海舟
幕府の財政は既に破綻していたので、外債を募る必要があった。
勘定奉行:小栗上野介に資金を依頼した。
小栗上野介らはフランスに外債の約束を取り付けた。
イギリス派の勝海舟は外債には反対していたようである。
若年寄格・駐仏公使:向山一履(かずふみ)はパリ万博後の
 徳川昭武・箕作麟祥などのフランス留学をさせる計画であった。
フランス政府は留学生の指導と教育をメルメ・カションに担当させる
 予定であったが、向山一履は大反対した。カションは「日本は一種の
 連邦国家であり、幕府は全権を有していない」という論説をパリの
 新聞に寄稿した。アーネスト・サトウやシャルル・ド・モンブラン
 ら薩摩寄りの人物と同一の主張をした。フランス政府も無視できず、
 結果として小栗忠順が成約したフランスからの600万ドル借款が取り
 消されてしまった。

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②会津藩の海外留学
山川浩、田中茂手記…慶長2年、ロシア視察→ヨーロッパ
横山常守と海老名季昌…慶長3年、パリ万博→ヨーロッパ視察
 横山常守は小栗叉一にフランス語を習った。
 11月28日出港→12月帰国
・慶長4年(1867)松平容保のいる京都に行った。
鳥羽伏見の戦い・・
山川大蔵(浩)、田中茂手記 横山常守(山川浩の実の弟)、海老名季昌

死の商人:グラバー
戊辰戦争では大量の西洋小銃が使用された。
 アメリカは南北戦争の中古品をフランスと英国にその中古の銃器を売り、
 フランスが幕府に、英国が薩摩・長州長、幕府の両方に武器を売った。
 仲介は英国商人グラバーがアメリカの大量の武器・船を売りつけ巨額
 の利益を得ていた。裏で薩長の海外留学を支援、薩摩・長州・土佐の
 幕倒派にも支援・・・日本を弱体化させるために、欧米列強等が日本
 人同士を戦わせようとしたのかなあ?

③海外組の会津戦争
山川大蔵(浩)・・・。日光口で土佐藩:谷干城が敗北・撤退・籠城
(妻:とせ:北原家が消火作業中に焼死・捨松8歳も大やけどを負った。)
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田中茂手記…梶原平馬の下で新潟港守備・・・戦死×
横山常守(山川浩の従兄弟)…白河口の副大将・・・5月1日戦死×
 この日、フランス語を習った小栗叉一の父:小栗上野介の妻:道子は
 横山家に泊まるはずだった。横山家に首が届けられ、松平容保と
 小栗道子・横山常守妻達が死を悲しんだ。小栗道子はお腹が大きかっ
 た。・・・会津若松城に行くことになった。

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 ★小栗上野介が理由も聞かずに、反乱を企てた罪で
  倉渕で殺された。殺される3日前に小栗道子は
  会津を目指した。

海老名季昌・・・北出丸の大将。

④女達の会津戦争
 婦女子は会津若松城に籠もれというお達しがでた。
 男がいないなら女が会津を守らねば、といって戦う女性もいた。
神保雪子…「婦女隊」・・大垣藩に捕まり、自害?×
中野竹子…「婦女隊」薙刀隊・・戦死×
山本八重…スペンサー銃で反撃。消火作業を教えた。大山巌を撃った?
 海老名リン(海老名)…食事・消火・看護係
 
 山川家の女子全員は、鶴ヶ城に入城
  山川艶子は容保の義姉の照姫の側近。
   女たちの総取締役として、籠城戦の後方支援を指揮。
  山川二葉(梶原平馬妻)・・・「焼玉押さえ」作業・食事・看護
山川大蔵(浩)妻:とせ・・・消火作業焼死×。
山川(大山)捨松…焼玉の不発弾に一斉に駆け寄り「焼玉押さえ」
   という危険な作業をしていたが、さき(捨松)は大怪我をした。
 
一方では、
西軍に捕われる前に自刃した女性もいた。
 西郷頼母一族や柴五郎の家族など・・・
西郷家の女達…西郷邸で自害。

⑤生き残った女達
A海老名リン
 嘉永2年(1849)、会津藩士日向新助・まつ夫妻の次女として生まれ
 た。藩の軍事奉行の子:海老名季昌と結婚した。
 海老名季昌は徳川昭武に付き添ってパリ万博へ行くことになった。
 1月出発、海老名季昌は1年ほど欧州を見聞して12月帰国した。
 戊辰戦争が始まって、夫は参加していた。リンは父の看病で実家に
 いた。鶴ヶ城の入城に間に合わなかった。
 リンは高田に逃れた。
 開城後、海老名季昌は東京で謹慎生活を送り、妻:リンは山川家と
 斗南へ移住した。その後東京へ移った。リンは夫の任地に従い住居を
 転々とした。
 明治21年(1888)リンは霊南坂教会で綱島佳吉から受洗しキリスト
 教徒となる。キリスト教の洗礼に夫の季昌は猛反対した。 
 安中の湯浅治郎の妻:湯浅初子(徳富蘇峰の姉)が経営していた幼
 稚園を引き継ぎ、保母の資格を得た。
 明治25年(1892) 海老名リンと海老名季昌は若松町に帰郷する。
 明治26年(1893)、若松幼稚園・会津女学校(現葵高等学校)
 を設立し、教育に貢献した。
 海老名季昌もキリスト教の洗礼を受けた。
 海老名季昌は最後の若松町長として市制移行に尽力した。


B大山捨松
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 捨松は会津藩家老:山川尚江の5女。
 兄は山川浩・東京大学総長となった山川健次郎・・
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 8歳で籠城戦を経験し、戊辰戦争後は函館に預けられた。
12歳で岩倉使節団の日本最初の女子留学生に選ばれ、アメリカ
 に渡ることになった。
 ★幼くして家族と離れ、遠い外国で暮らすのは、どんなに心細か
 ったことであろろう。
 捨松は、ヒルハウス高校を卒業後ヴァッサー大学に進学。
23歳で帰国。
才色兼備の捨松は、「鹿鳴館の華」だった。
 海外の賓客を招いて、舞踏会が開催されていた。
 24歳の時、陸軍大臣:大山巌(おおやまいわお)に見初められ、
 求婚された。捨松の山川家は猛反対した。
 大山巌は元薩摩藩士で、会津攻めの砲隊長として、鶴ヶ城を砲撃
 した人物だった。新島八重に撃たれたとも云われている大山巌
 がった。大山巌は猛アタックで山川家では「捨松が承諾すれば結
 婚を許す」と答えた。
 捨松は「相手を知った上で返事がしたい」とデートを重ね、結婚
 を決意する。政府高官の妻となった捨松は、明治の社交界で活躍
 した。鹿鳴館では、高官貴婦人たちに西洋式の礼儀作法を教え、
 アメリカ仕込みの流暢な英語で人々を魅了そた。
 「鹿鳴館の貴婦人」ともよばれた。
 
 ※徳冨蘆花は「不如帰」で2人を題材にした。
 片岡中将の愛娘:浪子は冷たい継母、横恋慕する千々岩、気むずか
 しい姑に苦しみながらも、海軍少尉:川島武男男爵との幸福な結婚
 生活を送っていた。川島武男が日清戦争へ出陣してしまった間に、
 浪子の結核を理由に離婚を強いられ、夫をしたいつつ死んでゆく。


C山本(新島)八重
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・明治9年(1876)新島襄33歳は山本覚馬の妹:「八重」と結婚した。
 新島襄は山本覚馬と親しかった。
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 夏、山本八重が井戸の上で縫い物を
 しているのを見て、びっくりしたという。豪快さに・・・
 新島襄は親族を安中から京都に迎え入れた。
 新島襄の影響から八重と襄の生活は、アメリカスタイルであった。
 京都の新島旧邸は、バルコニーがあり、廊下はフローリングで洋風
 部屋は洋間と和室がある和洋折衷の建物である。
 襄と八重の和洋折衷に服・・。
 八重は着物に帽子やブーツなどを履き、洋装もしていた。
 新島襄はアメリカの馬車などにも先に乗る「レディファースト」の
 生活をしてした。
 熊本バンドの同志社の学生は
 「頭と足元は洋風で、体は和風という鵺のような女」と言った。
 八重は悪女呼ばわりされていた
・明治15年(1882) 新島八重は安中を訪れた。
新島八重1回目・新島襄39歳
7月 新島八重と伊勢峰(山本覚馬の長女)は先に船に乗り
 横浜経由で安中に向かった。
 安中に行って、有田屋=湯浅治郎宅に宿泊?
(有田屋=湯浅治郎宅の集合写真)
伊勢峰=山本覚馬の長女・・・横井(伊勢)時雄の妻
 
 新島襄は徳富蘇峰も横井時雄達を伴って、中仙道
  をやってきた。
  「中仙道紀行」
※新島襄と徳富蘇峰たちは、蕎麦の大食い大会を
  した話も残っている。
7月19日 便覧社前で有田屋=湯浅治郎宅前で
 新島八重・湯浅治郎の出迎えを受けた。
 新島襄&新島八重は有田屋に7日間泊まった。
 ・30人が洗礼。
  柏木義円らを排出。
 (★有田屋のミニ博物館資料館より)
 安中で合流した後、2人そろって福島県会津若松市へ向かった。
会津で鶴ヶ城を見学、戊辰戦争の生存者に話を聞いて深い悲しみ親しみ
を覚えた。東北伝道の情熱を持った。
新島襄は手紙の中で「スパルタン人種ニ近き人間之ある福島県下」と
記した。

◆◆箕輪初心★新島襄:安中&新島八重:会津若松 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_26.html

◆◆ 箕輪初心◆会津:新島八重を巡る旅 ◆◆
  山本覚馬・新島八重の実家跡&山本家の墓を掲載
http://53922401.at.webry.info/201304/article_21.html

箕輪初心★『日新館&保科正之&新島八重のパネル展』
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201304/article_25.html

◆◆ 箕輪初心★京都の新島襄宅&八重さんの墓 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_13.html


◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄2』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm

◆◆ 箕輪初心★新島八重周辺「湯浅治郎&八重さんの醤油」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★住谷天来 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_20.html

箕輪初心★『新島襄&新島八重の上州』企画展in群馬
https://53922401.at.webry.info/201305/article_22.html

◆◆箕輪初心★新島襄:安中&新島八重:会津若松 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_26.html

◆◆ 箕輪初心★新島八重周辺「湯浅治郎&八重さんの醤油」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★住谷天来 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_20.html

◆◆ 箕輪初心★住谷悦治 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★柏木義円 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_22.html

◆◆ 箕輪初心★内村鑑三 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_23.html

箕輪初心★『新島襄&新島八重の上州』企画展in群馬
https://53922401.at.webry.info/201305/article_22.html

箕輪初心★新島八重の周辺②『新島襄&徳富蘇峰』
https://53922401.at.webry.info/201302/article_7.html

◆◆ 箕輪初心★『伊香保を愛した徳富蘆花』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html

箕輪初心★爽やかな秘話『新島八重子回想録』の紹介
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201302/article_10.html

箕輪初心★群馬【新島襄】=2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」夫
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

箕輪初心:生方▲津和野【西周(あまね)&山本覚馬→新島譲】
&【森鴎外&羽鳥千尋】
https://53922401.at.webry.info/201512/article_12.html


★平成30年(2018)11月21日、会津若松城に行った。
 山本八重(新島八重)にちょっと感じてきた。



この記事へのコメント

宗春
2018年11月28日 20:57
今晩は
 報告です。
Wikiの長野吉業の所に
 『白井長尾氏の旧臣が残した「永井権兵衛書状」によれば、長尾伊玄(景春)の娘が“永野信濃守様の御惣領永野五郎”に嫁ぐ』とある。
 これを、落合氏への書状にある「長野左衛門五郎」充てたらどうだろうか。景春の娘を業盛へ嫁がせるのは無理があるとして、吉業に嫁いだとしており、しかも景春の娘ではなく景英の娘と世代の違いを吸収するためにこじつけている。

素直に景春の娘が上野長野本家の左衛門五郎に嫁いだと考えた方がすっきりする。私はこの左衛門五郎を房業もしくは方業と考えている。世代的なつじつまと、白井長尾氏とのつながりを考えた場合すっきりする。ただしこの場合方業=業政ではなく方業・業政父子と考えたい。
 つまらん思い付きですが、これら研究が進むことを願います。
宗春様
2018年12月03日 05:41
景春の娘は信濃守の惣領長野五郎に嫁ぐ。 
落合氏への書状の長野五郎・・・新発見ですね。
時代的に房業がひったりする気がします。
信濃守・左衞門・・・どちらも長野家総領家
を意味しますしね。凄いです。

「永井権兵衛書状」の本物が見たいです。

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