箕輪初心:生方▲福島旅行④『会津若松』内藤信節・西郷頼母・萱野長修

平成30年(2018)11月21日~22日、福島県にバス旅行に行った。
「会津若松城→大内宿→磐梯熱海温泉→金刀比羅神社→塩屋崎灯台」
である。会津若松城見物後は、鶴ヶ城会館でランチ。早く、飯食って、
散策だ。会津葵→内藤邸→西郷邸→宮泉→萱野邸に行けた。
内藤家先祖は武田信玄の家臣で箕輪城代(高崎市)であった。
西郷家の先祖:従兄弟も井伊直政の母の姉妹の娘婿で家老として
箕輪城(高崎市)に入った。土産は会津葵と宮泉の酒である。


箕輪初心:生方▲福島旅行①『会津』横山常守と海老名季昌・新島八重・小栗道子
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_44.html

①山川浩、田中茂手記…ロシア使節団→ヨーロッパ視察
②横山常守と海老名季昌…パリ万博→ヨーロッパ視察
③山本(新島)八重…スペンサー銃での籠城
④小栗道子…小栗叉一が横山常守にフランス語を教え、横山常守邸に
 身を寄せ、松平容保と死を悲しみ会津若松城に籠城→南郷で出産


箕輪初心:生方▲福島旅行②『会津若松城5回目』と福島の城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_45.html

箕輪初心:生方▲福島旅行③『会津若松城5回目』と『会津武士・子女』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_46.html



【1】平成30年(2018) 11月21日
06:30高崎
10:30 ~11:50 会津若松城4回目…★★★★面白い。

12:00 鶴ヶ城会館2回目
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●別行動**********
◆結果
1)会津葵支店カフェ
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2)会津葵本店
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3)内藤邸跡と内藤家の歴史
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・会津戦争終焉の地
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・平安時代 逸見の子どもで、内藤家一条家の庶流であった。
  逸見の子ども初代武田信光・・・
  一条家は兄説と叔父説がある。・・・
 ・鎌倉時代 4代目が一族の青木が養子:一条信長を継いだ。
  栁沢家・内藤家・青木家もいる。・・・
 ・戦国時代
  武川一族(山梨県北杜市)工藤(内藤)昌豊の養子:内藤昌明
  (まさあき)が養子になった。
  箕輪城主(高崎市)になった。
  武田信玄の10男は一条信龍である。
  武田氏滅亡後、武川:一条家家臣:青木など武川衆は井伊直政の
  家老クラスになっている。
  支流には栁沢吉保がいる。

武田信玄家臣:保科正俊
保科正俊→保科正直(妻は真田昌幸の娘)・内藤昌月兄弟
★内藤昌月に関しては内藤昌豊の実子とする説もあるが・・・・
→ 保科正光(妻は家康養女:多劫姫)→養子:徳川秀忠の隠し子
:保科正之となる。
保科正之は保科正光の叔父: 内藤昌月の息子:正光の従兄弟
長男:直矩(八千穂で帰農後)、会津藩家老
3男:信矩は箕輪で井伊直政家老となって、彦根まで行っている。
別の内藤家は高崎で酒井家次の家臣になったようである。
内藤昌明(まさあき)長男:直矩は徳川2代将軍:秀忠の庶子「保科
正之」の臣下として会津藩に入った。
保科正之から「わしの親戚である。」と喜んで迎えた。
保科正之から見ると、祖父:保科正直の弟:内藤昌明の子なので、
確かに身内であった。・・・大老職など重要ポストを担った。


・天保10年、会津藩内藤家9代目として誕生した。
 ①長男:会津藩家老:内藤信節(のぶこと)
 ②次男:会津藩:梶原平馬(梶原家に養子)
 ③3男:武川信臣
 (内藤家は本家だけが内藤姓を名乗り、傍流は武川姓を名乗るのが
  慣例であった。内藤家は一条氏系武川一族:現山梨県北杜市
  であった。)
 
 戊辰戦争時は内藤介右衛門信節(のぶこと)が11歳で内藤家(家禄
 1700石、後2200石に加増)を相続した。
 文久の頃には、江戸幕府の権威は失墜し、尊王攘夷論が巻き起こる
 京都は幕末志士の過激な行動などで治安が悪化していた。
 治安維持のため「京都守護職」が発案され、容保が就任を打診された。
容保は当初は断った。職に就けば会津の国力が落ちると予想され、家
 老:西郷頼母(たのも)も得策ではないと断固反対した。
 しかし、将軍後見職の一橋慶喜や政事総裁職の松平春嶽から徳川への
 忠誠を誓う会津藩家訓を引き合いに出され、容保は就任の決意を
 固めた。
 文久2年(1862) 藩主:松平容保が京都守護職を拝命した。
 内藤信節は23歳で京都勤番となった。
文久3年(1863)、第14代将軍・徳川家茂の上洛時には警護も
 任された。「八月十八日の政変」では攘夷派の長州勢を京都から追放
 した。孝明天皇から賞賛され、容保は天皇直筆の手紙と和歌を下賜
 された。
 2年後に若年寄に昇進した。
 禁門の変の時に8隊1000人の兵を率いて長州藩を撃退した。
 後の警護を薩摩藩に任せた為に藩主の叱責を受け若年寄を解職、
 蟄居謹慎させられた。
 復職し若年寄から家老になった。実弟・梶原平馬も家老になった。
・慶応3年(1867)、会津藩は京都守護職の辞任を申し入れたが聞き入れら
れなかったので会津から内藤信節と梶原平馬が上京し、老中:板倉に
 直談判し藩主の一時帰国を承諾させた。
 鳥羽伏見の戦いが始まると、将軍:徳川慶喜の大阪城入城に伴い守護職
 屋敷を土佐藩に引き渡して大坂に向かった。
  内藤信節は直接鳥羽伏見の戦いには参戦していなかった。
  枚方、守口方面へ戦場視察に出かけていたた。
 その間に将軍:徳川慶喜と藩主:松平容保が大坂城を抜け
 出して江戸へ帰ってしまった。
梶原兵馬・海老名季昌・横山常守・山川浩・田中など側近は船で
 江戸に戻った。
  内藤信節は藩主不在を堅く口止めし急いで江戸へ向った。
 会津の藩士たちが戦っている最中の事で藩主東帰騒動の責任を取って
 №3神保修理が切腹した。
  この後、奥羽越列藩同盟に内藤信節は実弟・梶原平馬と共に成立
 させた。
 
 慶長4年(1868) 戊辰戦争の勃発によって松平容保から家老職復帰
 を許された。西郷頼母は、江戸藩邸の後始末の任を終えたのち会津
 へ帰還する。
 西郷頼母を含む主な家老:梶原兵馬、若年寄:山川浩・横山常守
 たちは、松平容保の意に従い、新政府への恭順に備えていた。
 しかし、新政府側からの松平容保親子の斬首要求に態度を一変した。
 
 白河口
  総督:西郷頼母
  副総督:横山常守 5月1日戦死
 西郷頼母も白河城を攻略し拠点として新政府軍を迎撃した。
 白河口の戦い
 伊地知正治率いる薩摩兵主幹の西軍による攻撃を受けて白河城を
 失陥したが、その後2ヶ月以上も白河口を死守した。

箕輪初心●福島『白河小峰城』=戊辰戦争最大の死者
https://53922401.at.webry.info/201306/article_12.html

 7月2日に棚倉城陥落の責任を取らされて総督を解任された。
  西郷頼母を罷免された。
  西郷のに代わりに、内藤信節が総督となった。
  
 会津戦争
  内藤は勢至堂方面の陣将として出陣したが母成峠が破れた。
  城下に敵が押し寄せるとの報を聞き大平口の原田対馬隊を吸収して
   1000人余りの大部隊を率いて鶴ヶ城に入り三ノ丸の守備に
 ついた。
 西郷頼母は若松城に帰参した。
8月25日 西郷頼母は、再び恭順を勧めた。
 しかし会津藩士の多くは、徹底抗戦を主張した。
 西郷頼母は、長子・吉十郎のみを伴い城から脱出した。
 越後口の萱野長修の軍への連絡にかこつけた追放措置とされる。
 道中には家老:梶原平馬の命令で刺客が差し向けられた。
 刺客の任に当たった者たちは敢えて頼母親子の後を追わなかった。
その間、西郷家一族21人は西郷邸で自決した。

 内藤家一族は会津若松入城出来ず、菩提寺のある川面村に避難した。
  新政府軍が菩提寺:泰雲寺周辺を包囲したた。
  内藤一族12人はもはやこれまでと揃って自決した。
  隠居していた内藤信節の父・信順、母・とも(つや)、信節の妻・
  ふさ(ひさ)、信節の長男・英馬、娘・ひで、妹のとく、つぐ、姪と
  叔母の計九名と家臣四名と上田家の五人が泰雲寺書院にて自刃した。
 
 会津藩降伏後、東京で謹慎生活をした。
 は山川浩の共に斗南藩移住し藩の存続に尽力した。
 廃藩置県後、多くの藩士が会津に帰った。
 内藤信節は青森県五戸村に残り土地の開拓や子供達の教育に生涯を捧げ
 た。61歳で没した。
 
 弟の梶原平馬は斗南藩の移住後廃藩置県で青森県になると庶務課長と
 なった。
 その後北海道根室に後妻・貞と共に移住し根室で亡くなった。

 末弟:武川信臣は鳥羽伏見の戦いで敗れ江戸に引き揚げたが会津藩の
 帰藩命令に従わず彰義隊の幡随院分屯の信意隊隊長となった。
 80人余りの隊士を率いて奮戦した。
 上野で西軍に破れた。
 江戸市中に潜伏していたが、鳥取藩士に捕縛された。
 武川信臣は元会津藩上屋敷のあった和倉門の獄に幽閉された。
 彰義隊士で会津藩家老の弟という事で烈しい拷問を連日受けた。
 武川信臣は「石抱きの責め」)を受けていた。
 会津武士の意地を通し和歌を残した。
 「君と親の 重きめぐみに くらぶれば
  千引の石 の責はものかは」
 明治元年(1868)、大赦令が出る3日前に斬首された。享年24。


4)西郷邸跡と西郷家の歴史・西郷頼母の生涯

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箕輪初心★幕末偉人【西郷頼母】=西郷隆盛と同じ先祖。
https://53922401.at.webry.info/201301/article_7.html

・平安時代 西郷頼母の先祖は肥後の菊池一族である。
・鎌倉時代 薩摩の西郷家と三河の西郷家に分かれた。
・永禄7年(1667)松平元康(徳川家康の)時代に三河西郷家は
 傘下に入った。
 西郷局が徳川家康の側女になった。秀忠を生んだ。
・天正3年、武田信玄家臣:秋山信友が三河に侵攻してきた際、
 西郷義勝が戦死した。義勝の子はまだ生後まもなかったため、
 徳川家康は清員の嫡男:家員に西郷氏の宗家を継がせた。
 ※西郷義勝の妻(西郷正勝の外孫)は清員の養女として、徳川
 家康の側室:西郷局となり、徳川秀忠と松平忠吉を産んだ。

「西郷家員」の子孫・・・第一家老子孫:西郷頼母、
 
井伊直政の「御付人」家老:西郷正次は従兄弟である。
従兄弟は井伊直政の母の姉妹の婿で家老である。
・西郷清員の弟は徳川御三家にもいる。

・江戸時代
西郷家は会津藩に保科正之の家老として移封し、以後松平家に仕えて
いる。西郷家は 傍流の1つとして見られており、初代の西郷頼母助
近房以来200余年、会津藩松平家の代々筆頭家老の家柄である。

幕末には会津藩(現福島県会津若松市)家老1700石の西郷頼母を輩出
した。西郷頼母近悳(頼母と表記)で9代目となっていた。

・幕末:会津戦争
 西郷頼母は会津から落ち延びて榎本武揚や土方歳三と合流して箱館
 戦線で江差まで戦った。
 旧幕府軍が降伏すると箱館で捕らえられた。
 館林藩の預け置きとなった。
・明治3年(1870) 西郷家は藩主:保科家(会津松平家)の分家でも
 あったため、九曜紋を持ち、本姓の保科に改姓し、保科頼母となる。
・明治5年(1872)赦免され、伊豆で依田佐二平の開設した謹申学舎塾
の塾長となる。
 ★松崎町の依田家も信濃:依田・芦田一族であった。
 依田8家あるので、どの依田家かは不明・・・
 先祖は木曾義仲の従兄弟である。

箕輪初心:生方▼伊豆西27『松崎町のナマコ壁の景観&歴史
「文覚・依田・西郷頼母」』
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201609/article_36.html

・明治8年(1875) 都都古別神社(現福島県東白川郡棚倉町)の宮司
となった。
 西南戦争が勃発すると、西郷隆盛と交遊があったため謀反を疑われ、
 宮司を解任される。隆盛と頼母の手紙のやりとりはあった。
 慶応年間からの知り合いである(伝)。
★先祖が一緒であった。

・明治12年(1879) 長男の吉十郎が病没したた.
甥の志田四郎(後の柔道家・西郷四郎)を養子とし、柔術を教えた。

・明治13年(1880 松平容保が日光東照宮の宮司となると、西郷頼母は
 禰宜となった。
※松平容保は日光東照宮の宮司をつとめた。
 松平容保・西郷頼母は最後まで徳川を護ったんだなと思うと
 胸に込み上げてくるものがある。

・明治20年(1887) 日光東照宮の禰宜を辞し、大同団結運動に加わ
た。

・明治36年(1903) 会津若松で死去。享年74。
 墓所は妻・千重子の墓とともに、会津の善龍寺にある。

箕輪初心:生方▼伊豆西27『松崎町のナマコ壁の景観&歴史
「文覚・依田・西郷頼母」』
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201609/article_36.html




5)會津 宮泉銘醸 約3000円を2本、漬け物を買った。
「サケ コンペティション」 純米酒部門で宮泉銘醸の「会津宮泉 
純米酒」が1位を獲得しました。・・・通販で出てしまって、
残りが少ししかありません。とおっしゃっていたが2本戴いた。
漬け物の買ったので、7000円程かかった。
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6)萱野邸跡と萱野権兵衛長修の生涯
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萱野家は加藤嘉明について会津にやって来た。
保科正之に仕え、会津藩の番頭や奉行を務めた。
・・・・
父:萱野長裕は家老に取り立てられた。家禄1,500石であった。
 萱野長修(ながのぶ)は幼少の頃から武道の錬磨に励み、一刀流
 溝口派の達人として知られた。兵学にも精通し、 家を継ぐ前から
 藩校日新館にあって武講の教官を勤めていた。読書は漢学・歴史
 を研究し、謡曲や茶道にも通じていた。

・文久3年(1863)萱野長修は家督を継いで藩主・松平容保に仕えた。
 松平容保が京都守護職になると、京都に追従した。
・慶応元年(1865)松平容保に家老に任じられた。
  容保の側近としてその補佐役を務めた。
 権兵衛を襲名した。
・慶応4年(1868) 鳥羽・伏見の戦い
梶原平馬は江戸で資金、軍備の調達にあたり、桑名藩主・松平定敬、
 越後長岡藩家老・河井継之助とともに汽船で新潟に上陸した。
梶原平馬は一時、新潟港の守将になったが、ヨーロッパ帰りの
 田中に任せ、会津へ帰還した。
会津戦争
 藩の重臣の多くは陣将として国境に派遣された。
 会津藩は上州の旧新治村にも町田久助らを派遣した。(三国戦争)
 会津藩は檜枝岐から尾瀬を越え、片品にも派遣し交戦した。
 大江湿原に土豪を掘って、西軍を待ち受けた。
 次第に撤退していった。
白川口の戦い
 総督:西郷頼母
 副総統:横山常守
 5月1日、横山常守が戦死した。
 7月2日に棚倉城陥落の責任を取らされて総督を解任された。
  西郷頼母を罷免された。
  西郷のに代わりに、内藤信節が総督となった。

日光口の戦い
 大鳥圭介は宇都宮の戦いで敗北した。大鳥啓助の率いる旧幕府歩兵は、
 会津藩領に入った。
 山川大蔵(後の浩)が率いる会津軍増援部隊が到着した。
 閏4月20日~5月6日に山川大蔵(後の浩)今市宿の占領を試みた。
 しかし、板垣退助率いる西軍に被害を蒙った。撤退した。
 萱野長修も日光方面へも出撃した。
 大内宿でも交戦したが、撤退した。
 
西軍は高崎藩・吉井藩・小幡藩らを先導に三国戦争→
萱野権兵衛も、幕府預かり地(魚沼郡)の防備のため水原に行った。
おじや堀ノ内戦い・・・
西軍は長岡藩と戦った。・・・三条を越えた。
萱野権兵衛は越後蒲原(田上町)の会津領に撤退した。
新潟港の守将:梶原兵馬が
西軍は新潟港にも迫った。
田中もときは戦死した。

萱野権兵衛は間もなく会津若松城に戻った。
藩の重務を処理することになった。

会津戦争
 萱野権兵衛は大寺にて迎撃体制をとった。
 西軍は二本松城を攻略すると、西軍は南方の母成峠に進路を取った
 ために戦闘にはならなかった。
8月21日 西軍が藩境を突破した。
 萱野権兵衛は城外に打って出て戦うことになった。
8月25日、 萱野権兵衛・古屋作左衛門らは旧幕府軍の衝鋒隊を
 率いて高久(現会津若松市神指町高久)付近に布陣した
 会津若松城を囲む西軍を突破しようとした。
 同行を願い出た娘子隊も戦闘に巻き込まれ、中野竹子が討死した。
 萱野権兵衛は高久付近に留まって、城内への連絡や補給路確保に
 継続した。
 西郷頼母は恭順・降伏を再び唱えた。
 松平容保は西郷頼母に対し、権兵衛への連絡役を命じた。
 越後口の萱野長修の軍への連絡にかこつけた追放措置とされる。
松平容保の温情ともとれる。
 西郷頼母は、長子・吉十郎のみを伴い城から脱出した*説もある。
 道中には家老:梶原平馬の命令で刺客が差し向けられた。
 西郷頼母は会津から去った。
 西郷一族は自宅で21人が自刃した。
 刺客の任に当たった者たちは敢えて頼母親子の後を追わなかった
 西郷頼母は函館戦争に加わった。
 
 会津若松城が包囲された。
 萱野権兵衛は高久に布陣して城内との連絡や補給に従事した。

9月22日、会津若松城が開城となった。
 西軍では、会津戦争の首謀者に責任を取らせようとした。
「松平容保は門閥の出身であり、新政府への反逆を企てたとは思われ
ない。よって会津藩より首謀者を出頭させるべし」と命じた。
会津藩の重役に責任を取らせることにした。
萱野権兵衛は名乗り出た。
権兵衛は「謹んで裁きを受ける心底である」と申し出た。
家老の席次からすれば、西郷頼母・田中土佐、神保内蔵助らがいた。
西郷頼母は函館に向かった。田中土佐、神保内蔵助すでに自刃して
いた。 会津藩のすべての責任を一身で引き受けた。

萱野権兵衛は開城後は東京へ送られ松平喜徳と会津藩士:4名と共に
久留米藩邸にお預けとなり、謹慎した。
山川浩・内藤信節・梶原兵馬・海老名季昌・井深宅右衛門らも同行した。
新政府による沙汰を待つ事になった。
戦後、萱野権兵衛長修・山川浩・海老名季昌ら家臣は
松平容保の助命嘆願を願い出でた。
萱野権兵衛長修 「主君には罪あらず。抗戦の罪は全て自分にあり。」
と述べて、松平容保の命がけで嘆願した。
松平容保は死罪を一等を減じられ、幽閉で済むことになった。

上席3人の処断が決まったが、第4席の萱野権兵衛長修が刑を
受けることになった。
萱野権兵衛は謹慎所にあてらやれた有馬家では、丁重な酒肴を用意
してくれたが、萱野権兵衛は辞退し、茶を立てて仲間に振る舞った。
また、一刀流溝口派の奥義が絶えてしまうことを惜しみ、手元にあった
竹の火箸を用いて、井深宅右衛門に奥義を伝授した(伝)。
有馬家に厚く礼を述べて、飯野藩保科家下屋敷に向かった。

・明治2年(1869)5月18日 
保科邸には山川大蔵、梶原平馬が来ていた。萱野権兵衛に松平容保
と容保姉:照姫からの2通の親書を渡した。松平容保は権兵衛に詫
び、忠義を感謝する言葉と、照姫の権兵衛を惜しむ歌が綴られてい
たそうである。萱野権兵衛は心のこもった書状を頂戴したことを喜
び、切腹の座に臨んだそうである。 介錯を務める保科家の剣客:
沢田武司には、松平容保から「貞宗」の名刀を用いるよう渡されて
いた。
飯野藩保科家下屋敷での保科家家臣: 沢田武治の介錯で自刃した。
会津藩家老・萱野権兵衛が戊辰戦争に敗れた会津藩の責任を一身
に背負っての自刃であった。

・会津戊辰戦争終結の地(東栄町)
・福島県立博物館
・蒲生氏郷の墓…会津若松市 栄町2-12 には、行けなかった。



◆福島県ブログ一覧***********************
【1】城など
箕輪初心●福島『裏磐梯檜原4城』=伊達政宗の執念
http://53922401.at.webry.info/201307/article_2.html

◆◆ 箕輪初心★喜多方ラーメン&北塩原村『網取館』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_19.html

◆◆ 箕輪初心●福島『会津若松城1回目』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_22.html

◆◆ 箕輪初心●福島『会津若松城2回目』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_23.html

◆◆ 箕輪初心●福島『二本松城』=伊達政宗父の弔い合戦 ◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_8.html

◆◆ 箕輪初心●福島『桑折西山城』=伊達政宗の先祖の城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_9.html

◆◆ 箕輪初心●福島『大仏→福島城』=伊達政宗の先祖の城 ◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_10.html

◆◆ 箕輪初心●福島『大森城』=伊達政宗の会津平定の拠点 ◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_11.html

◆◆ 箕輪初心●福島『向羽黒山城』=蘆名盛氏の隠居城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_18.html

◆◆ 箕輪初心●【猪苗代城】&ふるさと歴史館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201305/article_12.html

箕輪初心●福島伊南町『久川城』=奥会津の名城
http://53922401.at.webry.info/201306/article_19.html

箕輪初心●福島【田島郡役所】&『鴫山(しぎやま)城』
http://53922401.at.webry.info/201306/article_30.html

箕輪初心●福島:三春の滝桜&『三春城』 
http://53922401.at.webry.info/201306/article_13.html

箕輪初心●福島『白河小峰城』=戊辰戦争最大の死者
http://53922401.at.webry.info/201306/article_12.html

箕輪初心:生方▲福島「白河の関&文化財センター白河館」:かみつけの里旅行
http://53922401.at.webry.info/201506/article_4.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201506/article_4.html


【2】山など
◆◆ 箕輪初心▲『磐梯山』&白布温泉&米沢 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_15.html

◆◆ 箕輪初心▲『安達太良山』&二本松城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_14.html

◆◆ 箕輪初心▲『会津駒ヶ岳&檜枝岐温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_18.html

◆◆ 箕輪初心▲『西吾妻山』&白布温泉&銀山平温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_16.html

◆◆ 箕輪初心▲『平ヶ岳』&銀山平温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_17.html

◆◆ 箕輪初心○福島檜枝岐の話&歴史 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201306/article_20.html

▲▲ 箕輪初心▲平ヶ岳2回&銀山平温泉 ▲▲
http://53922401.at.webry.info/201306/article_17.html

箕輪初心▲百名山№54平ヶ岳=楽ちんコースで2回登頂
http://53922401.at.webry.info/201306/article_17.html

▲▲ 箕輪初心▲尾瀬41回 ▲▲
http://53922401.at.webry.info/201106/article_6.html

▲▲ 箕輪初心▲景鶴山=GWしか登れない山 ▲▲
http://53922401.at.webry.info/201105/article_3.html

箕輪初心▲燧ヶ岳2回&戊辰戦争
http://53922401.at.webry.info/201306/article_21.html

箕輪初心▲奥会津▲田代山&水引曲屋集落&湯ノ花温泉
http://53922401.at.webry.info/201306/article_22.html

箕輪初心▲福島:箕輪山1728m撤退&横向温泉「中の湯旅館」
http://53922401.at.webry.info/201405/article_21.html

箕輪初心:生方▲2017スキー№9【安達太良シールくじけ登山】&奥岳温泉
http://53922401.at.webry.info/201702/article_27.html


【3】陶芸
◆◆ 箕輪初心◆会津本郷焼3回 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_28.html


【4】「新島八重」と会津若松
◆◆ 箕輪初心★会津若松:新島八重ゆかりの地を巡る旅 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★会津若松城1回目&会津の名所 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_22.html

◆◆  箕輪初心★「会津若松城2回目」◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_23.html

◆ 箕輪初心★会津:飯盛山&白虎隊2番隊の自刃 ◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_24.html

箕輪初心★小笠原長時の波乱の人生&会津
http://53922401.at.webry.info/201304/article_27.html
★福島県会津若松市の大龍寺に墓がある。

◆◆ 箕輪初心◆日新館:保科正之&新島八重のパネル展 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_25.html

箕輪初心◆新島襄父の故郷:安中&新島八重の故郷:会津若松
http://53922401.at.webry.info/201304/article_26.html

箕輪初心●福島『会津若松城2回目』:新島八重も籠城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_23.html

箕輪初心★幕末偉人【西郷頼母】=西郷隆盛と同じ先祖。
http://53922401.at.webry.info/201301/article_7.html


【5】街道
箕輪初心◆【東山道⑤】陸奥編(福島・宮城・岩手・山形・秋田)
http://53922401.at.webry.info/201103/article_19.html

箕輪初心★会津西街道②福島編~大内宿~会津
http://53922401.at.webry.info/201402/article_6.html

箕輪初心◆米沢街道=会津街道「会津~桧原峠(白布)~米沢」
http://53922401.at.webry.info/201402/article_7.html


【6】「奥の細道」松尾芭蕉

箕輪初心★松尾芭蕉⑱奧の細道⑦【須賀川】&▲磐梯山&西吾妻山
http://53922401.at.webry.info/201208/article_2.html

箕輪初心★松尾芭蕉⑲奥の細道⑧【郡山~福島~飯坂】
http://53922401.at.webry.info/201208/article_3.html


【7】その他

箕輪初心:生方◆二本松市『①高村智恵子の生家&②智恵子記念館
&③戸田屋』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_29.html

箕輪初心:生方▲福島県二本松市:ランチ「造士館」と『大隣寺2回目』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_30.html








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