箕輪初心:生方▲伊香保№62『大塚楠緒子をめぐる夏目漱石と大塚保治M27』の関係

・明治元年(1869)12月20日上野国前橋生まれ。明治26年(1893)
夏目漱石は東京帝国大学文科を卒業し、大学院に進んだ。7月
頃から10月半ばまでの3ヶ月間寄宿舎に居住した。同じ寄宿舎に
2歳上の小屋(大塚)保治がいた。2人は一緒の部屋になったことも
あった。控訴院長:大塚正男は帝国大学の寄宿舎舎監:清水彦五郎
に頼んで、婿養子を相談していた。紹介されたのが、夏目金之助と
小屋保治であった。大塚楠緒子が好意を抱いたのは夏目漱石の方
だったようだが、・・・。明治27年(1894)7月25日、夏目漱石は
伊香保温泉に来た。夏目漱石は小屋保治を伊香保に呼び出した。
小屋保治は大塚楠緒子を廻って、夏目漱石と三角関係にあったのだ
ろう?大塚楠緒子の美貌・才能に心を奪われ、小屋保治と争う形
になったことが想像される。でも、夏目漱石が失恋したらしいが、
夏目漱石は大塚保治の妻:大塚楠緒子ずう~と片思いしていたよう
である。
画像


箕輪初心:生方▲伊香保№60-1『夏目漱石M27』大塚楠緒子との結末?
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_5.html

箕輪初心:伊香保№60-2『徳川家康家臣:夏目吉信と子孫夏目漱石の温泉廻り』
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№61≪夏目漱石の憧れ大塚楠緒子M27≫『湯の香38』
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_8.html



【1】夏目漱石の伊香保温泉
■≪夏目漱石≫ (1867~1916)
・明治27年(1894)7月25日、伊香保温泉に向かう。理由は
①結核の療養のため(通説)
②友人?親友?の小屋保治(1868-1931)が群馬県前橋に帰省して
いるので行った説
③恋敵:小屋保治と三角関係だったのでけりをつけに?
  前橋に帰省中の小屋保治(後大塚)保治を呼び出した説。

明治27年(1894) 7月25日付 小屋保治あて書簡
 「拝啓仕候小生義今七時二十五分の汽車にて出立午後六時頃当地着表面
 の処に止宿仕候。室は北向六畳にて、兼ねて御話しの山光嵐色は、戸外
 に出でなくとも坐して掬すべき有様に少しは満足致し候。しかし浴室な
 どの汚なき事は余程古風過ぎて余り感心つかまつりがたく候。かかる処
 に長居は随分迷惑に御座候へども大兄御出被下候はば聊か不平を慰すべ
 きかと存じ夫のみ待上候願くは至急御出立当地へ向け御出発被下度願上
 候也。余は後便に譲る」
     七月二十五日夜            夏目金之助
   小 屋 様

7月25日から伊香保に何日いたか不明。
夏目漱石は小屋保治に会った直後、伊香保温泉を離れ、
松島・瑞巌寺漂泊の旅をした。
夏目漱石は深い厭世に苦しんでいた。


8月 小屋保治は大楠楠緒子と見合いをした。

10月16日付、小屋保治宛夏目漱石書簡
 「遊子標蕩の末遂に蠕袋を此所に葬り了り申候 
 御閑暇の説は御来会可被下候
  小石川表町七十三番地法蔵院にて 夏目金之助」


・明治28年(1895)
1月 小屋保治と大塚楠緒子が入籍した。大塚保治と改姓した。

3月上旬、夏目漱石は弟の袴を借りて大塚保治と大塚楠緒子の
 披露宴会場:星岡茶寮に出席した。

4月 夏目漱石は松山へ嘱託講師として赴任した。
 大塚楠緒子への失恋が夏目漱石を松山に流浪させたのか?


12月末 夏目漱石は中根キヨ(鏡子)と見合いした。
貴族院書記官長の中根重一と豁子(かつこ)夫妻の長女:キヨ。

・明治29年(1896) 6月夏目漱石は中根キヨと結婚した


・明治29年(1896) 大塚保治は約4年間、ヨーロッパに留学した。

 7月28日付、大塚保治宛夏目漱石書簡(ドイツ留学中)
 「(略)…先日は独乙着の御手紙正に拝受仕候愈御清適御勉学の
 御模様結構のことに存候国家の為め御奮励有之度切に希望仕候
 …(後略)」
 

・明治33年(1900) 帰国後、東大教授となり、最初の美学講座
を担当。美学講座の初代日本人教授となる。
 文展創設を進言し,美術審査員としても活躍した。
 学士院会員。

・明治38年(1908) 漱石の「吾が輩は猫である。」が発刊された。
水島寒月のモデルは大塚保治であった。
 漱石の「こころ」の主人公も乃木大将説と大塚保治説がある。

画像

昭和38年 大塚保治は「自分は夏目君の性格や思想なぞを知って
 いる点で、恐らく随一だろう」と語った。


 
・明治38年(1905) 雑誌『太陽』1月号に詩「お百度詣」を発表した。
お百度詣   大塚楠緒子
           
   ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
   ふたあし国を思へども、
   三足ふたゝび夫おもふ、
   女心に咎ありや。

   朝日に匂ふ日の本の    
   国は世界に唯一つ。
   妻と呼ばれて契りてし、
   人も此世に唯ひとり。

   かくて御国と我夫と
   いづれ重しととはれれば(とはれなば)
   たゞ答へずに泣かんのみ
   お百度まうであゝ咎ありや
  (『太陽・第11巻第1号・1905年』収載)

 妻が、戦場にいる夫の無事を願って、お百度詣でをしている姿が
 浮かびあがってくる。『かくて御国とわが夫といづれ重しととはれ
 なばただ答へずに泣かんのみ。お百度まうで、ああ咎ありや。』
夫のほうが大切に決まっているが、『非国民』として、非難される
 ためか?答えられず。に泣くしかなかったのであろう。
 大塚楠緒子は日露戦争に出た夫の無事を祈りつづけたのであろう。

・明治39年(1905) 佐佐木信綱選によるアンソロジー『歌集・あけぼの』
に掲載される時には「かくて御国と我夫と」の1行が削られた。

 与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」と並ぶ反戦詩として有名で
 ある。大塚楠緒子の詩、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」の陰
 に隠れて、戦争を批判した詩としては、反響は少なかったようである。


・明治38年 大塚楠緒子『湯の香』が発刊された。
「姫様お寒くはいらっしゃいませんか。」
と侍女の京は頚を傾げて問ひながら袖を重ねた。 
 槐(えんじゅ)の菓子器、黒柿の盆、赤や紫に塗った独楽やら、袋に
入った子持箸、手に取りに寄る人日毎に減って、鞄(かばん)やら行季と
共に湯治帰りの客を乗せて物聞橋を渡って、往く人力車の地響きが此所
までも響いて、それで、何とはなしに斬う寂れてゆくのではあるまいか
と思はるゝ、夏も果て方の湯元細工の店の前を、姫は緋鼻緒の三枚草履、
絹足袋の爪先白く羽根のやうに軽くセル裳裾を披いて、さつさつと。
…(略)
★この短編小説には「榛名」という言葉がでてくる。
 「湯治」と出てくるので、伊香保温泉が舞台である。
起…姫と絵描きの青年の出会い
承…恋に発展
転…姫は伊香保温泉の露天風呂?の岩陰で「裸婦のモデル」になる。
結…姫「ぞれじゃ、私は狐につまゝれたのかしら。」
(大塚楠緒子「湯の香」『女鑑』昭和38年)
絵描きは夫:小屋(大塚)安治なのか、夏目漱石なのか?


・明治39年1月9日付 森田草平宛 夏目漱石の手紙
「夏休みに金がなくなって大学の寄宿舎に籠城したことがある。
而して同室のものが置き去りにして行った蚤を一身に引き受けたのには
閉口した。其時今の大塚君が新しい革鞄を買って帰って来て明日から興
津へ行くんだと吹聴に及ばれたのは羨ましかった。やがて先生は旅行先
で美人に惚れられたという話を聞いたら猶うらやましかった。」
大塚が美人(楠緒子)に惚れられた事を吹聴されて羨ましかった
という書簡である。


・明治30~40年代の文壇では、大塚楠緒子は女性としては一番注目
 されていた。

大塚楠緒子は夫の保治が、日露戦争で駆り出されてしまい、残された
漱石が「吾輩は猫である」を発表し、名声を挙げた時であった。
この頃、大塚楠緒子は、自分の小説を新聞社に紹介してもらうために、
夏目漱石を訪ねていた。小説を指導して貰うこともあった。
 
大塚楠緒子は、漱石が間に入って、朝日新聞紙上に連載小説
『空薫(そらだき)』を書いてもらったこともあった。
大塚楠緒子は「万朝報」や「朝日新聞」に連載小説を発表した。
ゴーリキー、メーテルリンクなどの翻訳もした。

夏目漱石との愛が噂された。
、「吾輩は猫である」ですでに有名になっていた夏目漱石を「師」
 のように慕った大塚楠緒子は夏目漱石の弟子のように振舞った。

 夏目漱石の妻:鏡子は見合い結婚する前から大塚楠緒子を知っていた。
妻:鏡子は美人聡明で才女の大塚楠緒子と夫:夏目漱石が一緒のところ
を見る度に、妻の鏡子が不安になり、焼きもちを焼いたであろう。

夏目漱石は「あれ(大塚楠緒子)は理想の美人だね」などと口をすべらせ、
鏡子をやきもきさせたこともあった。
大塚楠緒子は漱石より8つ下であった。

NHKドラマ『夏目漱石の妻』
画像


第1回「夢みる夫婦」
裕福な家庭に育った19歳の中根鏡子(尾野真千子)は、高級官僚の
父・重一(舘ひろし)にすすめられ、夏目金之助(漱石の本名・長谷川博己)
と見合いをする。金之助に一目ぼれする鏡子、一方金之助は鏡子の屈託
の無い笑顔に魅了され二人は結婚、金之助が高校の教師として赴任した
熊本で新婚生活を始める。金之助は帝大出のとびきりの知性派ではある
が、実は幼少時に養子に出され、家庭の温もりを知らない気難しい人物
あった。夫のために家事や様々なことに頑張る鏡子だったが、失敗を繰
り返しとんでもない事件を起こす。

第2回「吾輩は猫である」
英語研究のため夏目金之助(漱石の本名・長谷川博己)はイギリスに留学、
鏡子(尾野真千子)は東京の実家の離れで暮らすことに。ほどなく金之助
は神経衰弱で様子がおかしいという噂が鏡子の元に届く。不安になった
鏡子は、父の重一(舘ひろし)や、正岡子規(加藤虎ノ介)に相談する。
月日がたち2年余りの留学を終えて金之助が帰国。金之助との平穏な
暮らしを願う鏡子だったが、金之助は急に暴力を振るうような人物に変
わっていた。

第3回「やっかいな客」
夏目金之助(漱石:長谷川博己)の書いた小説「吾輩は猫である」が評判
を呼び、金之助は一躍作家として有名になる。そして金之助は教師をや
めて作家になることに興味を示すが、鏡子(尾野真千子)は猛反対する。
そんなある日、金之助が幼い頃に世話になった養父の塩原昌之助
(竹中直人)が、夏目家にやって来る。塩原は金之助に昔のように親しい
つき合いをしてくれと頼むが、金之助は金が目当てとではないかと疑う。

最終回「たたかう夫婦」
「最近夏目金之助(漱石:長谷川博己)が女流作家の大塚楠緒子(壇蜜)と
親しくしていると知った鏡子(尾野真千子)は、気分が穏やかでなかった。
そんなある日、夏目家に親しく出入りしていた足尾銅山の元坑夫・荒井
(満島真之介)が、荒井は再び夏目家を出入りするようになり、金之助の
原稿チェックをするようになった。そして足尾銅山のことを書き上げた小
説が『坑夫』だった。 荒井は金之助の原稿を勝手に読むようになり、そ
れをたしなめた鏡子に「この原稿には先生の理想の女性が書かれてい
る」と鏡子を挑発する。結婚当初より、金之助は女流作家・大塚楠緒子
(壇蜜)のことを理想の女性だと言っていた。どうやら最近、金之助は大
塚楠緒子と親しいらしい。荒井はそのことを言っているのだ。
荒井は鏡子のいとこの山田房子(黒島結菜)から借金したまま姿を消す。
房子と荒井の行方を捜す鏡子。一方その頃から小説の執筆で忙しくなっ
た金之助は、持病の胃の病の療養のために静岡の修善寺に行くが…。
量吐血し危篤状態になった。このままダメかもしれない…誰もがそう思っ
たが、なんとか持ちこたえた金之助。無事、生還を果たした。
 体力も回復し元気になった金之助は、その後も執筆を続け『こころ』・
『三四郎』などを書き上げた。
 長野での公演以来を受けた金之助は、鏡子とともに旅立った。それは
2人が結婚して15年目にして、初めての穏やかな2人だけの旅だった。 」
 (ネットより引用)


1)大塚楠緒子の短歌
「ふみの中に はさみし菫 にほひ失せぬ 
   なさけかれにし    こひ人に似て 」
大塚楠緒子
★意味…本の間にはさんでおいた菫(すみれ)の花の匂いが消えて
 あせてしまった。それは情け=熱愛を失った恋人の似ている。」
 まあ、情熱的ですこと。色っぽい歌で・・・まだ、夏目漱石を
 思っていたのであろうか?

・明治43年(1910) 11月9日、流感に肋膜炎を併発し、娘3人と
息子を残し、大磯の別荘で死去した。36歳の若さで亡くなった。

 11月13日、43歳の夏目漱石は、入院中の長与胃腸病院の病室で
新聞に目を通していた。なにげなく見ていたのだが、ある記事を目
にした途端、漱石の顔色が変わった。そこには、大塚楠緒子の死去
が報じられていたのである。
楠緒子の葬儀は19日に東京で行なう旨が書かれていた。


大塚保治は病院に電話をかけた。
「新聞の死亡広告に友人総代として(漱石の)名前を載せさせてもら
ってもいいか。」
という問い合わせをした。

夏目漱石は丁重にお悔やみを述べたあと、死亡広告の依頼の件について
即座に承諾した。


2)夏目漱石の俳句
大塚楠緒子は才色兼備で夏目漱石が恋した人・・・・。
夏目漱石が思いを寄せていた大塚保治の妻:楠緒子は35歳で
この世を去った。

漱石は病床の上で楠緒子へ手向ける哀悼の句を詠んだ。
「棺には菊抛(な)げ入れよ有らん程」
「ある程の 菊投げ入れよ 棺の中」
★意味…「ありったけの菊をせめてもの別れに、棺桶の中に投げ入
れてあげたい」と願った。
夏目漱石は、彼女の死を悼んで、「ある程の 菊投
げ入れよ 棺の中」という句を捧げた。
夏目漱石の心のうちは?・・・相手は人妻。

11月19日、葬儀の日
 晴天だった。漱石は病室の窓外に目をやりながら、
「いい天気でよかった」
と、出席できない葬儀の席に思いを馳せた。

「生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の
 有様を思う(夏目漱石『思い出す事など』)

大正6年(1917)1月 大塚保治「学生時代の夏目君」
 「自分は夏目君の性格や思想なぞを知っている点で、恐らく随一
だらうとは信じてゐるが、学生時代の夏目君と云はれると、同君の
性向を躍如とさせるやうなインシデントが記憶に残ってゐない。さ
う云ふものは却って、大学卒業後暫らく一緒の家にいた菅寅雄君と
か、同級だった狩野享吉君なぞの方が詳しく知ってゐる筈である。
 初めて夏目君と相識ったのは、自分が卒業して、大学院にゐる時
であった。同君は確か自分より二年下だったと思ふ。兎に角自分が
大学院にゐて、寄宿舎にゐる時、夏目君も入舎して来た。その頃の
文科生は数も少なく、寄宿舎でも二三室を占領してゐるだけだった
から、夏目君とは同室になった事もあり、又向かひの室に居たこと
もある。
 其時分話がよく合ったのは覚えてゐるが、果たしてどんな問題を
喋り合ったものかは、毫も記憶にない。唯同君の学生時代の態度も、
後の夏目君と異なりがなく、・・・学生時代の事と云へば、先づそ
んな処である。・・・」  
                    

・昭和6年(1931) 大塚保治、3月2日死去。64歳。
遺稿に「大塚博士講義集」がある。


●夏目漱石『硝子戸の中 』(新潮文庫)
「日陰町の寄席の前まで来た私は、突然一台の幌俥(ほろぐるま)
に出合った。私と俥の間には何の隔りもなかったので、私は遠く
からその中に乗っている人の女だという事に気がついた。…(略)
…車上の人は遠くからその白い顔を私に見せていたのである。私
の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながら
じっとその人の姿に見惚れていた。同時にこれは芸者だろうという
推察が、ほとんど事実のように、私の心に働きかけた。すると俥が
私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、艇寧
(ていねい)な会釈を私にして通り過ぎた。私は微笑に伴なうその
挨拶とともに、相手が、大塚楠緒さんであった事に、始めて気がつ
いた。
次に会ったのはそれから幾日目だったろうか、楠緒さんが私に、
「この間は失礼しました」と云ったので、私は私のありのままを
話す気になった。「実はどこの美くしい方かと思って見ていました。
芸者じゃないかしらとも考えたのです。」
その時楠緒さんが何と答えたか、私はたしかに覚えていないけれど
も、楠緒さんはちっとも顔を赧(あか)らめなかった。それから不
愉快な表情も見せなかった。私の言葉をただそのままに受け取った
らしく思われた。
それからずっと経って、ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へ訪ねて来
てくれた事がある。しかるにあいにく私は妻と喧嘩をしていた。私は
厭な顔をしたまま、書斎にじっと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ば
かり話をして帰って行った。
 その日はそれですんだが、ほどなく私は西片町へ詫あやまりに出かけ
た。
「実は喧嘩をしていたのです。妻も定めて無愛想でしたろう。私は
また苦々にがにがしい顔を見せるのも失礼だと思って、わざと引込ひ
っこんでいたのです」
これに対する楠緒さんの挨拶あいさつも、今では遠い過去になって、
もう呼び出す事のできないほど、記憶の底に沈んでしまった。
 楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる
頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支ないかと電話で問
い合された事などもまだ覚えている。私は病院で
「ある程の菊投げ入れよ棺の中」
という手向(たむけ)の句を楠緒さんのために咏んだ。それを俳句の好き
なある男が嬉しがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行っ
たのも、もう昔になってしまった。
(電子書籍版『硝子戸の中』(25) ・青空文庫より)



◆参考論文 Ciiniより
中村 潔『小屋保治宛「夏目金之助書簡二通」をめぐって』*****
抄録
明治二十七年七月二十五日、夏目金之助は伊香保温泉松葉屋旅館で
小屋保治と対談。その直後、松島・瑞巌寺漂泊の旅があり、深い厭
世に苦しんでいたことは周知のこととされる。帝国大学寄宿舎を出
て、学友菅虎雄宅に寄食したが再び放浪。小石川区表町の尼寺法蔵
院に下宿。菅虎雄の紹介で、鎌倉円覚寺塔頭帰源院で参禅。
 然し齋藤阿具宛書簡に、「遂に本来の面目を撥出し来たらず」と
ある。翌二十八年四月に、帝大での研究生活から離れ、高等師範学校
・東京専門学校を辞職して愛媛県尋常中学校に赴任。すべてを捨てて
の松山行きとして、これまた周知の事実。こうした事に関連して、
昨秋本学「国語国文学会」に報告した。以後書簡の順序を整理し、
小屋保治の人物像に触れることにより、金之助の失意を理解する一助
とした。その理由は、漱石作品の多数に失意を主題とするものが見ら
れ、それらの原点として小屋保治と楠緒子の存在は無視することが出
来ない。本稿は、これを裏付けるために金之助書簡の検討に加え、
礒部草丘の一文にも触れることにした。




◆参考サイト
夏目漱石の恋人説とその背景
(2)大塚楠緒子との関係
http://www.dia.janis.or.jp/~nasimoto/souseki/naoko-2.htm
★書面から追求している論文である。



●▲■箕輪初心:生方▲温泉ブログ(群馬編)***********

箕輪初心:生方▲2018『草津温泉』・『草津に歩みし141人+α』のブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201809/article_55.html

箕輪初心:生方▲『温泉百話―東の旅』(ちくま文庫2018年)
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_1.html

◆総論編**************************
◆◆ 箕輪初心★『伊香保の歴史詳細&訪れた文人墨客』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_5.html

箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
https://53922401.at.webry.info/201503/article_30.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201503/article_30.html

◆各論編**************************
◆◆【古代~平安時代の伊香保・榛名】************
伊香保№00『エロ解釈万葉集伊香保編9首』古代~鎌倉時代
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_13.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』①山名駅~山名
八幡宮~山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』②山上の碑
~山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』③山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】④山名城4番~10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』⑤根小屋城2回目
https://53922401.at.webry.info/201510/article_29.html


◆◆【鎌倉時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№00補足篇≪鎌倉時代の歌人たち≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_23.html


◆◆【南北朝時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№12『伊香保神社縁起』と南北朝時代『神道集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_24.html

◆◆【戦国時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲箕輪城№233かみつけの里【榛名神社文書】の解説
&久保田順一先生説
https://53922401.at.webry.info/201612/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№32榛名神社の歴史「座主→武将の俗別当
への移行」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_6.html


箕輪初心:生方▲伊香保№01≪長尾景仲→景信→景春→上杉定昌
の伊香保温泉開発?≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№02≪堯恵(ぎょうえ)文明18年(1486)≫
『北国紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№03≪宗祇:文亀2年(1502)≫連歌師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保温泉№4≪宗長≫ 連歌師:『宗祇終焉記』・『東路の津登』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№4≪真田昌幸:天正4年(1576)石段街の基礎造成≫
と真田3代ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_7.html

◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_9.html

箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_10.html

箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
https://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№261久保康顕先生初出史料『西郷正次・
椋原政直と榛名神社』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_54.html

箕輪初心:生方▲高崎№27▲久保康顕先生講演会『戦国時代の榛名神社』
と井伊直政
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_53.html

◆◆【江戸時代の伊香保・榛名】*****************
箕輪初心:生方▲伊香保№13『江戸時代の文学:伊香保・榛名総集編』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_25.html

箕輪初心:生方▲伊香保№23『江戸時代の旅と飯盛女』&『伊香保に町人来訪』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_46.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25『榛名講』での御師の役割と『伊香保温泉』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_47.html

箕輪初心:生方▲伊香保№15≪中川内膳正妻:寛永年間(1624~1645)≫
『伊香保記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_27.html

箕輪初心:生方▲伊香保№16≪跡部良顕:元禄11年(1698)≫『伊香保紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊香保№17≪建部涼袋:延享2年1745≫『伊香保山日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_33.html

箕輪初心:生方▲伊香保№18≪油谷倭文子(ゆやしずこ):寛延3年(1750)≫
『伊香保の道行きぶり』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25≪塩原太助:宝暦12年(1762) ≫:榛名神社で祈願
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_50.html

箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫
尊皇思想家『赤城行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_11.html

箕輪初心:生方▲伊香保№19≪平沢旭山:天明5年(1785)≫漢学者・国学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№20≪吉田芝渓:寛政元年(1789)≫千明仁泉亭
『浴泉奇縁』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№07≪奈佐勝皐(かつたか)天明6年(1787)≫
『山吹日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_15.html

箕輪初心:生方▲伊香保№21≪関重嶷:寛政12年(1800)≫伊勢崎藩家老
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_41.html
★嵩山彦九郎と仲良しだった。

箕輪初心:生方▲伊香保№29≪清水玄叔(烏涯)享和3年(1803)≫
『上州榛名詣』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪小林一茶:文化5年(1808)≫『草津道の記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_44.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪八隅芦庵:文化7年(1810)≫『旅行用心集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_43.html

箕輪初心:生方▲伊香保№30≪香川景樹:文政元年(1818)?≫歌人
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保№26≪清水浜臣:文政2年(1819)≫『上信日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_52.html

箕輪初心:生方▲伊香保№08≪十返舎一九:文政2年(1819)≫文学者
・エロ浮世絵師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪千葉周作:文政6年(1823)?≫:木暮武太夫泊
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_16.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪樋口定輝:文政6年(1823)?
伊香保神社掲額事件≫馬庭念流
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊香保№11≪滝沢馬琴:文政年間?≫①『伊香保の額論』
&②『南総里見八犬伝』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№100番外編≪司馬遼太郎『北斗の人』≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№27 ≪安積良斎:天保9年(1838)≫榛名神社
・木暮武太夫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_1.html


◆明治時代編************************
箕輪初心▲伊香保№33≪新居守村:明治3年(1870)≫榛名神社の神仏分離取締
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_9.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35群馬県立土屋文明記念文学館
「榛名・伊香保文学紀行46人」
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2018高崎№30『鼎談』と【小栗上野介忠順企画展】
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_10.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35≪デシャルム大尉:M6≫フランス人将校
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_12.html

箕輪初心:生方▲伊香保№36≪三遊亭円朝M7≫落語家『霧隠(陰)
伊香保湯煙』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_13.html

箕輪初心:生方▲伊香保№37≪アーネスト・サトーM10 ・M28≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№38≪ベルツ博士M10・M13・M14≫「楽山館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_17.html

箕輪初心:生方▲伊香保№39≪小林虎三郎M10≫『米百俵』と「伊香保日記」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_19.html

箕輪初心:生方▲伊香保№42≪英照皇太后陛下(考明天皇の皇后)M12≫「凌雲閣」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№43≪大槻文彦M12・M15・M40 ≫「楽山館」「村松旅館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№44≪岸田吟香:安政6年(1859) ・安政7・M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_24.html
★非常にユニークな人生を歩んだ。

箕輪初心:生方▲伊香保№46≪箕作麟祥M12楽山館≫法学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_25.html
箕輪初心:生方▲伊香保№47≪田中芳男:M12≫パリ万博→上野動物園設立
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_26.html

箕輪初心:生方▲伊香保№48≪島田三郎:M12「楽山館」≫書記官:衆議院議員
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_28.html

箕輪初心:生方▲伊香保№49≪森槐南M12≫漢詩人、官僚
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_30.html

箕輪初心:生方▲伊香保№50≪鈴木(鯱)松塘(しょうとう)M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_31.html

箕輪初心:生方▲伊香保№51≪北村重威M12≫築地精養軒・上野精養軒
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_34.html

箕輪初心:生方▲伊香保№52≪成島柳北M12:木暮武太夫泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№53≪末広鉄腸M12木暮武太夫11泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_36.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪英照皇太后:M12/M13「楽山館」≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_38.html

おまけ****************************
箕輪初心:生方▲歴史に隠れた大商人「清水卯三郎」のパリ万博と
『ジャポニズム』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_40.html



箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16(1883)?≫
「榛名湖水質調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html


箕輪初心:生方▲伊香保№54≪三島中州:M13木暮武太夫泊≫漢学者・官僚
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16?≫ 「榛名湖水質調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16(1883)?≫ 「榛名湖水質調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№56≪新島襄・新島八重M22:千明仁泉亭で療養≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_43.html

箕輪初心:生方▲伊香保№57≪小沢如風:M22≫
&「伊香保・榛名ブログ途中経過一覧」
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_2.html

箕輪初心:生方▲伊香保№58 ≪金井之恭:伊香保の別荘≫
→『ハワイ公使館』
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№59≪ロバート・W・アルウィン≫ハワイ公使別邸
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№60-1『夏目漱石M27』大塚楠緒子との結末?
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_5.html

箕輪初心:伊香保№60-2『徳川家康家臣:夏目吉信と子孫夏目漱石の温泉廻り』
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№61≪夏目漱石の憧れ大塚楠緒子M27≫『湯の香38』
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_8.html



★明日の伊香保は大隈重信かな?

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック