箕輪初心:生方▲伊香保№75【井伊直政・直孝・直勝の伊香保支配は41年か?】

天正18年(1590)井伊直政が箕輪城に12万石で入った。伊香保の地は
井伊直政の支配地となった。井伊直政の支配地は杢が橋関所(現渋川市
金島)・東山道(奥大道)の碓氷峠まであった。慶長3年(1598)井伊直政
は高崎城を完成させた。中仙道・三国街道の三国街道の野田宿(現吉岡
町)からの脇道:伊香保道も整備、監理する必要があった。越後上杉景
勝、信濃の真田昌幸を牽制するためである。したがって、水沢観音や
伊香保・榛名神社は井伊直政の管理下に置かれた。慶長7年(1602)2月、
井伊直政は高崎から佐和山に移封になった。井伊直孝は白井に1万石
で入封した。しかし、伊香保は三国街道の脇道として、井伊直孝が継続
して監理していたと考えられる。慶長14年(1614)井伊直継が安中に分封
された。井伊直継は伊香保に関所(口留番所)を設け、地元の功労者十四
人のうち二人廻番とした。寛永8年(1631)口留番所(関所)が幕府直轄地と
して設けられた。寛永9年(1632)12月15日、井伊直勝は家督を子の井伊直
好に譲って隠居した。結局、井伊家が伊香保を、41年間、支配した計算に
なる。
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箕輪初心:生方▲「日高病院からの井伊直政の領有地遠望」&
箕輪城№279『直政時代の本丸』
https://ubu3blog.at.webry.info/201902/article_1.html


◆伊香保の中世~近世*****************

・室町時代(文明年間頃・・・上州白旗一揆・応仁の乱頃?)

・文明18年(1486)≫堯恵『北国紀行』
 伊香保温泉7泊・・・榛名湖に
 
★堯恵(ぎょうけい)7泊・飯尾宗祇2カ月・島田宗長:数日などが
 伊香保に長逗留していることから、上州白旗一揆・応仁の乱頃には
 伊香保は既に整備されたと考えるべきであろう。
 例えば、白井長尾景仲・景信・景春の誰かが宿泊施設を整備したと
 考えられる。
 (※『伊香保誌』には掲載されていない。)

■「上杉定正(昌)の家臣長尾景春入道伊玄此地を領し、処士五人に分ち
 あたへ浴室をかまへ、筧を以って温泉をとり、病人に浴せしむ。木暮氏
 も其処士の末也。」木暮氏との会話
 (★跡部良顕:元禄11年(1698)≫『伊香保紀行』)

・戦国時代・・
■≪飯尾宗祇≫連歌師。
 2回、上野国に来ているらしい。
・文亀2年(1502) 伊香保温泉に入湯した。
 『伊香保三吟百韻』・・宗祇+弟子2人
  ★宗祇は、大戸から草津温泉にも行っている。

■≪宗長≫:連歌師

・戦国時代、白井は関東管領:上杉顕定の執事:長尾景仲の居城、
または支配地であった。白井城にいた上杉家家宰:長尾景仲→長尾
景信→長尾景春→関東管領:上杉顕定の兄:上杉定昌(正)ら
の誰かによって、白井~伊香保街道・伊香保温泉が整備された
はずである。伊香保温泉の元湯(露天風呂源泉近く)があった。

■≪上杉憲政・長尾景英?長尾景誠?長尾景憲≫
・天文~永禄年間(1530~70) 関東管領:上杉憲政の家臣:
子持の長尾氏から家臣である木暮・岸・千明・島田・大島・永井・後閑
 などが伊香保の地を与えられ温泉経営に当たることになった。
共同浴場や旅籠は現橋本ホテル付近の源泉近くにあった。
 露天風呂駐車場の上、河鹿橋手前の『千明元屋敷』が現在でも知られ
 ている。
根拠①温泉はないと堯恵は伊香保温泉には入っていないはずである。
堯恵は伊香保温泉に入ったときには伊香保温泉源泉近くの「千明元屋敷」
のような宿泊施設に泊まったと考えられる。古文書がないので、推測の域
を出ないが、千明は伊香保温泉のベースを造った人物の一人であろう。
根拠②文亀2年(1502)越後国府→鳥居峠→大戸(現東吾妻町)
→伊香保温泉→浜河(現高崎市)・・・忍(行田)→多胡記念館の資料では
「宗祇は草津に行かず、伊香保に行った。」と展示している。私も宗長
『宗祇終焉記』からそう思っている。一般には「2月26日 宗祇・宗長は
草津へいった。宗長は草津温泉で療養=湯治することになった。草津で
宗祇は宗長と別れて中風の湯治のために伊香保にやって来た。 宗祇は
伊香保温泉で休憩・・・発病した。「ふたかた(二まわり)
になった。」次の5月下旬川越なので、たぶん、2カ月?も伊香保にいた。
「いかにせむ ゆふつけ鳥(鶏)の  しだり尾に 
    声恨むの  老のねさめを」
「千明仁泉亭」のHpには「連歌師・宗祇が、中風の治療のため伊香保の
宿を訪れ、その効能を「めぐみの湯」と呼んだ。1502年(文亀2年)を創業
年とする。「めぐみの湯」を「仁乃湯」と書き、屋号の「仁泉亭」の由来と
なった。」とある。従って、宗祇は「千明元屋敷」に2カ月いたと考えるの
が妥当性がある。時には、上杉顕定の兄:上杉憲
・天文20年(1551)、時の関東管領・上杉憲政が北条氏康に敗れて上杉
謙信のもとへ逃亡した。(諸説あり、①水上滞在説、②中之条説、野反湖
からの逃亡説等)後、永禄3年(1560)長尾景虎の第一次関東出兵では、白
井長尾氏・惣社長尾氏(上杉謙信の一族同族)・箕輪城主:長野業政は長尾
景虎の幕下に入った。長尾氏は真田幸隆(幸綱)に攻め立て、越後に行った
こともあった。上杉謙信の死後、御館の乱が起こり、長尾氏は真田野の支配
下に入った。
 
■≪武田勝頼≫(1546~1582)
武田信玄(晴信)4男。母は諏訪頼重の娘。元服後に諏訪氏を称し、
信濃伊那郡高遠城主となる。父信玄の死後家督を継ぎ、織田・徳川
・北条氏に抗して奮戦する。美濃・三河進出を企んだ。
天正3年(1575)長篠の戦い
織田信長&徳川家康連合軍 VS 武田勝頼
 結果・・・武田勝頼軍の大敗
◆◆ 箕輪初心◎【長篠の戦い前編】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_25.html

◆◆ 箕輪初心◎【長篠の戦い前編】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_27.html

・天正3年(1575)武田勝頼は長篠の戦いに徳川・織田連合軍
に大敗を喫すると、・・・真田昌幸に命じて、伊香保温泉の整備を命じられ
た。配下の長尾憲景は箱田城にいたりもしたが、白井の岸(長尾一族)や千
明・木暮・福田らに命じて、石段街の原型を造らせた。天正4年には武田勝頼
は大胡方面を攻撃した。女淵城の素肌攻めが事実かどうか不明であるが、・・

・武田勝頼の命令により、真田昌幸が現在の温泉街の原型を造った。
 武田勝頼が、負傷した兵士を傷癒すために、当時、岩櫃城城主:
 真田昌幸に命じて、温泉療養施設を造らせたものが始まりと言わ
 れている。共同浴場や旅籠は現橋本ホテル付近の源泉近くにあっ
 た。『千明元屋敷』が現在でも知られている。
 真田昌幸はより多くの戦傷者を収容するため湯宿を広い場所に移転
 することにした。

・天正4年(1576)、真田昌幸配下:白井城主:長尾景憲家臣:小暮氏、
千明氏、岸氏、大島氏、島田氏、望月(永井)氏、後閑氏の七氏が湯元
から現在地に集落を移し、伊香保の石段街を造った。現在の石段街のあ
る場所である。工事は現在の伊香保露天風呂の 隣のから湧き出す源泉
かた木製の導管で引き、多くのの浴場に分湯する工事を行った。
湯元から温泉を引き、石段を作り、中央に湯桶を伏せ左右に調整、区画
された屋敷に湯を分けるという日本初の温泉リゾート都市計画であった。
石段は現在の石段街の原型となった。
分湯は「小間口制度」と呼ばれているものである。「小間口」を持つ家
は12家あった。
つまり、『千明仁泉亭』『木暮金太夫』『岸権旅館』などは、戦国時代に
創業が開始されたことになる。そして、千明・木暮・岸など武田家臣の
土豪がこの地に残り、代々温泉宿を引き継いだのだ。
・天正9年(1981)遠江の高天神城の戦いに敗れた。その後、
・天正10年(1582) 義理の叔父:木曽義昌や穴山梅雪らの反逆に遭い、
真田昌幸が勧めた『岩櫃城近くの潜竜院』に来ないで、甲斐の岩殿
城に向かう途中、天目山に追い詰められて自害した。


■≪真田昌幸≫
◆◆ 箕輪初心★真田3代   ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201111/article_29.html
http://53922401.at.webry.info/201111/article_30.html


・天正9年には高天神城(掛川市)を総攻撃されたが、助けには行けな
 かった。

・天正10年(1582)武田氏滅亡時には長尾憲景は真田昌幸の配下として、
 北条氏直に真田・長尾の臣従を図った。(文書あり)。
 ・・・長尾氏は北条氏の家臣となった。
4月真田氏・長尾氏は織田配下滝川一益の支配下にはいった。
6月、本能寺の変で、織田信長が死ぬと、・・沼田をめぐって、真田・
 北条の争いださらに激化した。・・


・天正18年(1590)の小田原征伐で白井城は前田利家
   ・上杉景勝の攻撃の前に落城し、長尾氏は没落した。

天正18年(1590)~慶長5年(1600) 伊香保温泉は井伊直政の
 領国下に置かれた。

・天正18年(1590)、徳川家康が関東地方に移封になった。
 徳川家康は、白井に本多康重を2万石で入れた。
 本多広孝の嫡男:本多康重は永禄9年(1566)から住んでいた
 三河田原城から移封だった。
 本多康重の娘は総社城の諏訪頼水正室となっている。
白井藩の立藩のもととなる。
本多康重は、白井城下町の整備に尽力し、藩の基礎を固めた。
 

◆井伊直政は12万石で箕輪城に入った。
渋川金島~伊香保温泉~水沢観音~渋川八木原~吉岡~榛東~
 旧群馬町~高崎~倉賀野~・・旧箕郷~旧榛名~(倉渕松平5000石)
 榛名神社~板鼻~安中~松井田・・・も領地に含まれる。
 ★伊香保温泉・榛名神社も所領地である。


・慶長3年(1598)井伊直政は高崎城を築城した。

・慶長3年(1598)~慶長6年(1589) 
 三国街道の整備と中山道の整備を始めた。
 高崎城内にも中仙道と通した。
 (今の中仙道は酒井家次時代)

箕輪初心:生方▲2018高崎№36 ~38「井伊直政時代の中仙道」と『安国寺』
https://ubu3blog.at.webry.info/201812/article_8.html

 新町宿・倉賀野宿・高崎宿・板鼻宿・安中宿(新規作成)・高梨子宿?
 松井田宿(戦国時代、武田が外郎氏を置いて武器・食料の運送をさせ
 ていた)・横川宿?・坂本宿?
 (もしかしたら、井伊直勝時代かもしれない。最初の碓氷の関所は
  違う場所であるから・・・)
 現渋川の金井に関所を設けた。碓井には関所(現在の碓井の関所ではない。)
 を設けた。

・慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い
 榊原康政・本多康重・酒井家次は徳川秀忠軍に属していた。
 高崎城で2万の軍勢が烏川の増水で3日間、滞在した。
 その後。上田城の真田昌幸と戦った。
 
・慶長6年(1601)  井伊直政の近江の佐和山城18万石で
  移封。
  諏訪頼水が高崎城代となった。
 (★新編高崎市史)
 ( 後、諏訪頼水が諏訪高島城へ移封。)


  秋元長朝は井伊直政の推挙で総社に入った。
 →秋元長朝が惣社(前橋市総社町総社神社本丸)入封。     
※秋元長朝は6千石が加増され1万石の所領の大名となった。
  秋元長朝は天狗岩用水も企画した。

 白井の本多康重は、殿軍を務めた武功を賞されて三河国岡崎藩に
 5万石で加増移封された。
 
・慶長6年(1601)に松平康長が2万石で入った。
  松平康長の父:康親の娘は井伊直政の妻:「花」である。
  蒼海城(現総社神社等)から総社城に城を移した。
 天狗岩用水の開削のため、井伊直政に白井の本多康重に
 利根川からの取水口の開削を依頼した。
 井伊直政は1月~2月に佐和山(現滋賀県)に行かなければ
 ならなかった。仲立ちは井伊直孝がすることになった。

 2月、井伊直政が佐和山18万石に移った。
  (含安中3万石)

・慶長7年(1602)松平康長は白井から下総国古河藩へ移封となった。
代わって徳川四天王で有名な井伊直政の次男・井伊直孝が吾妻借猪
(現北軽井沢)五千石から白井に1万石で入った。

・慶長7年(1601)~慶長9年(1604)総社藩主:秋元長朝により
 天狗岩用水は開削された。(越中堀)
   (利根川→総社→高崎藩領)
井伊直孝の兄・井伊直勝は父の後を継いで彦根藩主となっていた。
井伊直継は病弱であった。

・慶長14年(1614)大坂冬の陣において、井伊直継に代わって直孝が
 出陣して武功を挙げた。
 井伊直継より井伊直孝のほうが井伊直政の才能を受け継いでいた
 ことなどを評価された。
 
 井伊直継は直勝と名を変え、安中に分地させられ、安中藩を立藩した。
彦根から、家臣が74名?ついてきた。
  松下一定(中野直之次男)、小野源造(小野万福)、里見允蔵助、
 萩原図書、鈴木重好など・・・

・元和2年(1616)、家康の命により直孝が新たに彦根藩主となった。
井伊直勝は現在地に碓氷の関所を移した。中仙道が確定したからである。また、
現渋川金井の関所の整備にも努めた。

安中藩井伊直勝は「伊香保道は三国街道の抜け道であったので、その取り
締まりに伊香保入口に関所(口留番所)を設け、地元の功労者十四人のう
ち二人廻番、下番に村民二人づつ選んで警護に当たらせ、麦六石、ヒエ六
石の十二石をあたえその費用は十四人で分担いたしましたので、荏胡麻と
大豆の免税と御普請人足や課税も赦される特権を与えられました」
 (伊香保の関所案内板)。
伊香保の地が安中藩の管轄であった。
伊香保の地は井伊直政・直孝・直継と井伊家が支配したことになる。



・江戸時代・・・遊興保養地として栄えた。

・慶長19年(1614)、「上野国天台宗榛名山巌殿寺法度之事」が出され、
上野山寛永寺の支配下におかれた。
 ★途中まで、井伊直政の管理下にあった。



箕輪初心:生方▲井伊直政№261久保康顕先生初出史料
『西郷正次・椋原政直と榛名神社』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_54.html

その後、榛名神社信仰は「榛名講」として広がった。
榛名神社も信仰を集め、「御師=案内人」は榛名講・榛名詣の帰り
に案内で湯治をかねて伊香保に案内した。
 多くの人が訪れるようになった。


・元和2年(1616)白井には西尾忠永が2万石で入った。
・元和4年(1618)西尾忠永が 常陸国土浦藩へ移封となった。
  本多康重の次男本多紀貞が1万石で入封した。

・元和9年(1623)、本多紀貞は嗣子なくして死去したため、白井藩は
 廃藩となり、白井城は破却、所領は旗本領として分割された。

寛永8年(1631)口留番所(関所)が幕府直轄地として設けられた。
温泉地の安全と往来する者の保護のためでもあった。 
 三国街道の裏往還の要所として、幕府の命により設けられた。
 関所は、間口5間奥行3間の約15坪の萱葺屋根の建物で周囲に
 木柵があり、東西に門扉があった。
 上野国の幕府領は利根郡、吾妻郡、群馬郡、碓氷郡、甘楽郡など
 にあった。


・寛永9年(1632)以降は伊香保は幕府の直轄地(天領)となっている。

・寛永9年(1632)12月15日、井伊直勝は家督を子の井伊直好に譲っ
て隠居した。

・正保2年(1645)6月、井伊直好は三河西尾藩に移封となった。 

・寛永16年(1639)に引湯権に関する温泉構造の規定が定められた頃
には、温泉の引き湯口を持つのは14氏になっていた。
1)大屋12軒と干支
「子」小暮武太夫  「丑」小暮八左衛門 「寅」小暮金太夫 
「卯」島田平左衛門 「辰」岸権三衛門  「巳」岸六左衛門 
「午」永井喜左衛門 「未」大島勘左衛門 「申」岸又左衛門 
「酉」千明三右衛門 「戌」後閑弥右衛門 「亥」島田治左衛門

2)干支が与えられなかった大家2軒
「乾」福田金左衛門 「坤」島田権右衛門

・元禄・寛保期
  伊香保温泉は観光名所・湯治場となっていった。
  上記の14軒は自分の土地に旧家臣などに土産屋などをさせた。
  客の到来に伴い、湯女から次第に娼妓になる者も増えた。

・永亨3年(1746) 大屋に十二支が名付けられた
■安永2年(1773)高山彦九郎:「赤城行」


・寛政3年(1791)吉川栄左衛門貞寛と近藤和四郎は幕命により
 上野国の天領(幕府直轄地)の代官となった。

・寛政5年(1793)上野国の天領をを統括する陣屋が置かれた。
吉川栄左衛門貞寛は伊香保の口留番所が管轄下となった
・天明3年(1783) 浅間山爆発
西上州は大飢饉に見舞われた。



※文化8年(1811) 2月吉川栄左衛門貞寛が亡くなった。
・文化11年(1814)12月29日より吉川栄左衛門貞幹が代官と
 なった。9年にわたって善政を敷いた。
(★群馬県史通史編)
(★高崎経済大学教授:西沢敦男編『江戸幕府代官履歴辞典』
  ・共著『江戸時代の全代官事典』)
 ★つまり、2代吉川栄左衛門貞幹が代官で伊香保の関所も統治
  していた。
・文政6年(1823)?伊香保神社掲額事件
  ≪千葉周作≫VS≪樋口定輝≫
   北辰一刀流VS 馬庭念流


・明治時代初頭は伊香保は前橋藩領となった。
 






箕輪初心:生方▲箕輪城№258・井伊№99松下清景が住んだ【箕輪城】
と松下3代の墓のある【竜門寺】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№100『第40話:天下の草履番』
と【箕輪城・竜門寺】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№101 『41話:この玄関の片隅で』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_17.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№257&井伊直虎№102【松下3代の墓のある竜門寺】
&創新館
http://53922401.at.webry.info/201710/article_19.html

輪初心:生方▲箕輪城№258&井伊直虎・直政№103『2017/10月箕輪城関係情報』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_20.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№258&井伊直虎№104小和田哲男先生
『箕輪城と講演会』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№105直政略史と井伊家の墓
http://53922401.at.webry.info/201710/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№106▲第42話「長篠に立てる柵」
&『設楽が原』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№107『43話:恩賞の彼方に』&諏訪原城
http://53922401.at.webry.info/201710/article_30.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№108『第44話:井伊谷のばら』
&直虎の絵等
http://53922401.at.webry.info/201711/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№110『石垣山一夜城』4回目
http://53922401.at.webry.info/201711/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№111『北条氏政の墓・八幡山古城東郭』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№112『小田原城』5回目
http://53922401.at.webry.info/201711/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№113『井伊谷遺産センター』
井伊谷の歴史
http://53922401.at.webry.info/201711/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№114『井伊谷妙雲寺』直虎と南渓
の位牌・南渓肖像画
http://53922401.at.webry.info/201711/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊谷『謂伊神社』&モロード様
=客人神のうんこ神様?
http://53922401.at.webry.info/201711/article_18.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№119気賀②展望台からの気賀と『堀川城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№117気賀③「長楽寺」・『井伊直親の墓』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№120祝田【蜂前神社】と『徳政文書』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№121気賀⑤『刑部城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№122気賀⑥『本陣・復元関所』と【近藤家】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№123三ヶ日町『佐久城』
&【浜名氏と上野国長谷寺】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_29.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html

箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』&【井伊道政・宗良親王】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html

箕輪初心:生方▲愛知県①『比丘尼城』:【足利直冬→・熊谷重実→近藤満氏】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№125愛知県②『宇利城』と【近藤康用・秀用】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№ 126『柿本城』&【鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№127愛知県③『野田城』:菅沼定盈
http://53922401.at.webry.info/201712/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№128愛知県⑤『長篠城2回目』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№129愛知県⑥『武田勝頼の長篠の陣所』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№130愛知県④『設楽ガ原』と「山県昌景の墓」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№131愛知県⑦『鳳来寺』の井伊虎松
http://53922401.at.webry.info/201712/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『奥山方広寺』:井伊一族:奥山家菩提寺
http://53922401.at.webry.info/201712/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊谷「北大岡古墳」と浜松鰻屋「藤田」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『二俣城』松井→依田→大久保
http://53922401.at.webry.info/201712/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№132『鳥羽山城』:二俣城攻略の城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_14.html

箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』
&【井伊道政・宗良親王】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№134浜松「曳馬城」と「椿姫観音」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_15.html

箕輪初心:生方▲「鰻の思い出と鰻の歴史」&「浜松の思い出」
http://53922401.at.webry.info/201712/article_16.html

箕輪初心:生方▲伊豆の歴史・ダイビングと静岡の城ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201712/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政№137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政№140『本能寺の変~天正壬午の乱~小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№141『天正13年(1585)第一次上田合戦~天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№142『天正18年山中城攻撃~小田原城攻撃
~箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政№150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政№157『彦根藩主:井伊直孝が6~7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№162『①彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根②『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№165&彦根④『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根⑤『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根⑥『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№166&彦根⑦『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html

箕輪初心:生方▲彦根⑧『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_31.html

箕輪初心:生方▲彦根⑩『彦根城博物館の展示品』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№167&彦根⑪『長純寺』姉:高瀬姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201802/article_3.html

箕輪初心:生方▲彦根⑫「旧鈴木家屋敷→俳遊館」と『蓮華寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№168&彦根⑬箕輪→高崎→彦根『大信寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_6.html

箕輪初心:生方▲彦根⑭箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町
・蓮着町?』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_8.html

箕輪初心:生方▲彦根⑮『善利(せり)の足軽長屋』と箕輪
・高崎類推足軽長屋
http://53922401.at.webry.info/201802/article_9.html

箕輪初心:生方▲彦根⑯『箕輪安国寺→高崎安国寺→彦根宗安寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_10.html

箕輪初心:生方▲彦根⑰『近江牛』→『キリスト教会』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」
http://53922401.at.webry.info/201802/article_12.html

箕輪初心:生方▲彦根⑱『彦根城二の丸=2郭の井伊家家老』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_14.html

箕輪初心:生方▲彦根⑳3郭『埋木舎』&「池田太右衛門家」
・「鈴木権十郎家」
http://53922401.at.webry.info/201802/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№171&彦根21『木俣守勝と木俣守安』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_17.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№172彦根22『長野業実』と縁者開山の寺
http://53922401.at.webry.info/201802/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№173&彦根22『井伊直政の生涯』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201802/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№174「家臣安中氏の歴史」と『井伊直勝と安中城』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№175『井伊直政正室:唐梅院と安中大泉寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№176『家臣:里見内蔵丞』と
「安中秋間の里見家の墓の謎」
http://53922401.at.webry.info/201802/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№177『孫:井伊直好と安中桂昌寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_23.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№259『長野業政同心衆の城?:上飯塚城』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_35.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№260&井伊直政№178『2018雪の箕輪城』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_1.html

箕輪初心★2019最近の元旦定番『初日の出は箕輪城付近、初詣は長純寺』
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_1.html

箕輪初心:生方▲高崎№28『上州戦国物語』&
「アラブ楽器:カーヌーン奏者:植月氏」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_7.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№233かみつけの里【榛名神社文書】の解説
&久保田順一先生説
https://53922401.at.webry.info/201612/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№32榛名神社の歴史「座主→武将の俗別当
への移行」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_6.html

箕輪初心:生方▲2018箕輪城№265『第16回箕輪城祭り後編:
関ヶ原攻防戦と式の皆さん』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_3.html

箕輪初心:生方▲2018年箕輪城№265『第16回箕輪城祭り前編「パレード』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_2.html

箕輪初心:生方▲井伊直政№261久保康顕先生初出史料『西郷正次
・椋原政直と榛名神社』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_54.html

箕輪初心:生方▲高崎№27▲久保康顕先生講演会『戦国時代の榛名神社』
と井伊直政
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_53.html

箕輪初心:生方▲2018高崎№25箕郷『箕輪のきつねの嫁入り』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_49.html

箕輪初心:生方▲2018箕郷『10月28日箕輪城まつり開催予定』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_45.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№263『2018年3月本丸西虎口門の復元状況』
https://53922401.at.webry.info/201803/article_8.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№262「旧下田邸は井伊直政作?堀部安兵衛作?」
https://53922401.at.webry.info/201803/article_2.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№261&井伊直政№178『2018雪の箕輪城』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_1.html

箕輪初心:生方★箕輪城№260?【長純寺】:長野業政供養塔に初詣
https://53922401.at.webry.info/201802/article_36.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№259『長野業政同心衆の城?:上飯塚城』
https://53922401.at.webry.info/201802/article_35.html

箕輪初心:生方▲箕輪城№258・井伊№99松下清景が住んだ【箕輪城】
と松下3代の墓のある【竜門寺】
https://53922401.at.webry.info/201710/article_7.html




★明日の伊香保は徳冨蘆花かな?

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