箕輪初心:生方▲東京「旧古河庭園」・「妙義神社」

今回の目的は「親戚の四十九日法要」である。でも、ちょっと寄り道
した。4月13日の計画は中仙道蕨宿・原宿の太田美術館が計画だっ
た。でも、結果は、中仙道蕨宿⇒旧古河庭園⇒駒込の妙義神社⇒大田
区の親戚宅泊。古河財閥の創始者:古河市兵衛~二代目に陸奥宗光
次男、潤吉が養子~古川虎之助~西郷従道の孫:従純が養子・・・
とにかく、古河と言えば、私には足尾鉱毒事件の悪いイメージしかない。
鉱毒患者の上に聳える「悪魔の舘」・・バラ園の土の中から、手がうご
めき、ムンクの「叫び」も似た「私の体を返せ。」といううめき声を
妄想しながら、園内を廻った。

画像


◆4月13日
1)中仙道蕨宿
★行ってないと思って、行ったが、タクシーまで使っていった所だった。
 15kgの荷物を持って、宿の散策。まず、酒屋によって、ビールだ。
 俺の発想の一つに宿で名物を食うことだ。」
 酒屋のかみさんが「今井さんのウナギだ高いけど、最高ですよ。」
 と教えてくださった。
画像

癒やしの鰻「大好きな鰻」


癒やしの分館「都会のオアシス」
 シルバーの方と40分・・・戦争と介護の話

癒やしの「春の装い」
画像





2)旧古河庭園

画像

画像

画像

コーヒータイムは終わった。
画像

画像

・癒やしの可愛い女の子
会話が不思議、???
「お母さん、バラの絵を描きたい。」
★ママじゃない。
「あまりさいていないね。どれにしようか?」
と、子どもに選ばせる。
お母さんのレベルが高~~~。
女の子の持っているのは、ミニスケッチブック。

・階段を下るときの会話も聞いた。
健やかな会話・・・子どもがめちゃ、頭いい。
危ない所で手を繋ぐお母さん。
画像


後ろにつきながら、会話を聞いた。
画像

画像

画像

・可愛い女の子
画像

 ★癒やしの母子
5m程、離れて歩く娘・・・
「橋、気をつけてね。」と私は女の子に声をかけた。
「うん、ありがとう。」と頷く。なんて可愛い。

橋の前で、待ち、娘のリュックを持ち、なにげなく手を
繋ぐお母さん。

画像

画像

画像

画像

画像

トイレ前で
「ここで、待っていてね。」
「うん。」とうなずく。
画像

女の子はお母さんがトイレに行っている間、30m離れた
ベンチで座って待つ。スケッチブックを取り出し、絵を描く。
お母さんが「あれえ、・・・??」とよぶ。
私は「この先のベンチで座って待ってらっしゃいますよ。」
とお母さんに言ってあげた。
「すみません。」
お母さんは娘を確認し、小走りで向かう。
癒やされたのは、綺麗なお母さんと会話するスケッチブックを持った
可愛い4~5歳の女の子。
お母さんとの会話が心の豊かさを感じさせてくれた。
自立を促す子育て・・・こういう育て方もあるんだな。


・本郷通り・・・日光街道か?

画像

画像



3)駒込「妙義神社」
画像

★何で、東京に「妙義神社」があるのだろうか?
画像

画像

画像


・ 縄文時代?
  日本武尊が東征した際、当地に陣営を構えたとされる。
   (社伝・・・信憑性はない。縄文時代だから)
・白雉2年(651)5月12日、 飛鳥時代に社殿が創建され、白鳥社と
  号した。
  (伝承。豊島区最古の神社とみられている。)
・1400年頃 新田義貞の一族:今井氏が妙義神社とした。
(神主さんが教えてくださった。)
・文明3年(1471)3月、太田道灌は妙義神社へ参詣し神馬宝剣を寄進、
  古河公方・足利成氏攻略の戦勝を祈願した。
  近臣・樋口与三郎兼信と次のような連歌を詠んだと伝えられている。
  「雲拂ふ 此神垣の 風の音 道灌
  「草をも 木をも吹しほり行 兼信
  道灌は戦に見事勝利し、凱旋の際に社領十五貫文を寄進している。

・文明9年(1477) の豊島勘解由左衛門尉泰経らの討伐時に戦勝祈願、
・文明11年(1479) 春の千葉孝胤攻略時においても妙義神社に必勝を
  祈願し、いずれも勝利を収めた。
※太田道灌が駒込妙義神社に3度戦勝を祈願し、3度とも勝利を
  収めたことから「勝負の神様」「戦勝の宮」と呼ばれるように
なった。

・大永年間(1521~1527)遠山丹波守が庇護した。
★子どもは江戸城本丸在
美濃出身。

・永禄12年(1569) 冨永神四郎が庇護した。
 ★子どもは江戸城二の丸在。
   伊豆の土肥出身。土肥金山の掌握。北条家№4

・天正年間(1573~1593) 松田尾張守康秀が社領を没収し一時
  衰退した。

・天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原の陣では、徹底抗戦を
 主張するも、秀吉側の堀秀政らの誘いを受けて長男・笠原政晴
 (政尭)と共に豊臣方に内応しようとし、打ち首になった。

・寛永年間(1624~1645) 代官:野村彦太夫によって再建された。

・昭和20年(1945) 4月の空襲によって社殿・社務所のほか、社宝として
 収蔵されていた道灌奉納の宝剣、道灌の木像、古文書・古記録など一切
 が焼失した。
・昭和40年(1965) 3月、現社殿が再建された。


癒やされる
私は神主さんに、人物の説明をアドバイスした。
神主さんは「勉強不足ですみません。
 ありがとうございます。・・・」と感謝された。
画像

4)大田区S邸(夕食)
画像

画像

画像


今日は120年続く、大津の家のウナギ・・
 ウナギづくしだ。3日後は浜松の井伊谷・・・
 大好きなウナギが3連続・・・最高の人生、、、
●ウナギづくしの1週間が始まる予感がしている。Hpで調べたら、
蕨宿には鰻屋があった。今日は大田区の3代目大津の家の鰻を酒
の肴に美味しい酒を飲むかも?案の定、用意してくれていた。

翌日は浜松の藤田屋の鰻かも、・・
おぼろげながら見えた俺の鰻を食べる週間。目指す方向が決まっ
た。今週は田山花袋なみに、鰻を食べる人生の一コマを生きがい
としてを送ってみたい。まずは、鰻のお重は3000円~4000円×
最低3日間+冷蔵庫の1980円の鰻を食うと4回になるな?
A氏が言っている残りの人生・・・歴史の勉強で生きるという言葉
が引っかかっている。でも、なんか空しくて、鰻は最低4回食べる
を実行しようと考えた。


◆4月14日
5)大田区S邸(朝食)


6)韓国ドラマ「輝け、ウンス」
オ・ウンスは誰もがいばらの道を歩んで夢だった高校教師としての赴任
キム・ビンナは、祖母・娘婿の父親と3人暮らしの医者で金持ちで何
不自由なく暮らしている女子高生となった。
ある日、ウンスの母親が働く百貨店で2人は出会うが、出会った
時からお互いの印象は最悪。まさに犬猿の仲・・・。
 ウンスは初出勤の日、気合を入れて初めて担任をするクラスに向か
う途中で、ある女子高生とぶつかる。その女子高生こそ、あのビンナ
だった。
 教師と生徒であるが、結果、友人の嘘の証言でウンスは学校を辞
めることになり、惨めな生活を送ることになった・
 ビンナはアメリカに留学することになった。
 しかし、7年後、・・・
はウンスの兄の嫁になった。
“女教師ウンスと女子生徒ビンナ”が、
 “ビンナが兄嫁とウンス弟嫁”として再会!?
 そのうち、ウンスの実ママとビンナ実パパが結婚?
★全然、訳の分かんないドラマをみた。



6)厚木で49日法要


7)レンブラントホテル厚木「中津川」」
★凄く、奮発したね。おつきの和服の美人姉さんが3人・・
高いだろうな。
 体裁のいい器・・・でも、ボクは焼き物屋さんだから、
 程度が分かる。器は今一だった。



◆4月15日

夕食「シャクナゲ」トマトクリーム・・・


◆4月16日
高崎⇒浜松
井伊谷で講演会


◆4月17日
 井伊谷散策


◆4月18日


◆4月19日 
梅の消毒。・・・
鰻、 帰って来て冷蔵庫の鹿児島産1980円をくって、・・・



★明日は、・・・

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック