箕輪初心:生方▲『新田義貞死後の新田・里見一族』&「足利方についた新田・里見一族」

里見氏は贈鎮守府将軍・新田義重の庶長子:新田義俊(里見太郎)を初代
とする。新田義俊が上野国碓氷郡(八幡荘)里見郷(現群馬県高崎市上里
見町・中里見町・下里見町)に移り、土地の「里見」を苗字としたことに発
する。 系図によると新田義俊は新田竹林六郎太郎とも称していることから、
新田荘内にも所領を持っていた。里見氏の本拠を竹林(高林)郷とする
研究もある。
里見義俊の次男・田中義清は越後に所領を得て下向した。里見義成の次
男・義継は越後国波多岐荘大井田郷(現・新潟県十日町市)に所領を得、
義成の三男・鳥山時成も波多岐荘に所領を得た。大井田氏・鳥山氏・田中
氏など、里見氏の支族は越後新田党を形成し、南北朝の動乱期には宗家の
新田義貞に従って活躍した。
 しかし、新田義貞の死後、足利氏に従属する新田一族・里見一族が出て
くるようになった。生き残り作戦がずうっと続くんですね。戦国時代の箕
輪の長野氏のように、真田のように、・・・



・元徳3年/元弘元年(1331)?(諸説)新田義貞の3男新田義宗が生まれた。
 新田義宗は父:新田義貞の戦死後、越後の新田一族に匿われて成長
したと思われる。
元弘3年(1333) 5/22 新田義貞・里見義胤軍が鎌倉へ突入し、北条軍を
 攻め落とした。化粧坂・巨福呂坂からも義貞軍が幕府方の防衛戦を突破
 して乱入した。北条高時ら東光寺で自刃し鎌倉幕府滅亡した。
  新田義貞は鎌倉大御堂谷の勝長寿院に本陣を置く。
越後の大井田氏継は越後新田党をまとめ、新田義貞が挙兵した際には、
 大井田経隆?が越後より2,000騎の軍勢で参上し、義貞軍の中核として鎌
 倉攻めに加わった。
※新田一族の中の岩松氏は新田義貞の鎌倉攻めの時から足利尊氏に
 従っていた。
 鎌倉幕府が倒された時、岩松氏は恩賞として伊勢・遠江・駿河・甲斐
 ・陸奥・出羽・播磨・土佐の各国で十ヶ所の地頭職を与えられていた。
 新田一族の中で足利尊氏の最も優遇された。
 途中から足利尊氏についた山名時氏が優遇された。

 新田一族は南朝方としての行動を続けていたため、新田荘の所領は
 足利方に没収された。岩松氏の与えられた。
 里見氏の所領だった新田荘内の大島・鳥山・牛沢・太田・高林も
 岩松氏の所領になった。
 新田氏が南朝方として衰退していく中でで、新田氏の惣領の立場は
 岩松氏が手に入れることになった。

8月5日 新田義貞が従4位下越後守となった。
  (越後)・上野・播磨の国司に任じられる
   長男新田義顕は越後の国司。
   ●越後国守護代に里見五郎義胤がなった。
 里見義胤(新田義胤)は戦功により、後醍醐天皇から伊賀守に
  任ぜられた。  
 弟:脇屋義助は駿河の国司となった。
  
※鎌倉時代から越後では里見氏の一族が拡がって所領をもっていた。
 ①里見義成の次男:伊賀蔵人義継が越後国波多岐荘大井田郷(新潟県
 十日町市)に移った。
  里見(大井田)義継⇒長男:大井田氏継。次男:大島時継
 ③里見義成の3男:鳥山時成も新田荘鳥山のほかに波多岐荘の
  入馬・今泉・深見・倉俣(新潟県十日町市・津南町・中里町)
  などを所領にしていた。
  系図によっては
  ・烏山時成の子は鳥山頼成
  ・烏山時成の子が鳥山五郎伊賀守義胤

 ★十日町市の里見関係の城には6城行っているが、
  写真は消滅した。
   
・延元2年/建武4年(1337)3月6日(4月7日) 新田義貞の長男:
 義顕が越前金ケ崎城で死んだ。 
 越後妻有・はたき庄を拠点とする大井田氏鳥山氏やなどの越後里見氏の
 一族は、新田義興・義宗を支援して南朝方としての行動を続けていた。
 越前での攻防で里見一族は、惣領の里見時義や越後守護代:里見伊賀
 五郎(里見伊賀守義胤)・里見義盛などは討ち死にした。
 上野里見一族は目立たなくなっていった。

・延元3年/建武5年(1338)閏7月2日(8月17日)新田義貞が討ち死に
 した。
新田一族系で、足利幕府の要職についたのは
新田系山名一族、新田系岩松一族、新田系大舘一族などである。
新田宗家&脇屋子孫は苦しい道を歩んだ。

・康永元年・興国3年(1342)
後村上天皇は中国・四国方面の総大将に脇屋義助を任命した。
 脇屋義助は四国&中国の南朝方の取りまとめ役として総大将に
 なったのだ。
★即位間もない後村上天皇は、綸旨や、軍勢催促・所領安堵
 を行った。南朝方の弱体化に焦っていたのだ。
★南朝方総大将:脇屋義助の任務は大変な負担であったろう。
  左馬権頭、弾正大弼などの官職についた。

脇屋義助は勢力を保持している伊予国今治に渡った。
伊予守となったのだ。
 伊予で足利勢と戦った。
脇屋義助は国分寺で軍議を練った。
伊予の国府にて急な病に倒れ、帰らぬ人となった。急死した。
  (享年38歳)

★脇屋義助が病に倒れなければ、南北朝の動乱はもう少し違った
 かもしれない。歴史に「~~タラ」「~~レバ」はないのだ。

脇屋義助の死を知った讃岐の細川氏(★友達の細川の先祖)は、
大館氏明(脇屋義助の甥)の守る世田山城を攻め、落城させた。
 
※以後、南朝方は急激に力が衰えていった。~~~~ 

・康永元年・興国3年(1342)
長兄の新田義顕が死に、次兄:義興の生母が上野国一宮抜鉾
神 社神主の娘と身分が低かったため、義宗が嫡子として扱われた。
成長すると兄義興、従弟の脇屋義治らと越後、関東で南朝方を指揮する。

 脇田義治は里見氏所領:越後の波多岐荘や妻有荘に向かった。
 しかし、軍勢としては、応援軍:越後里見一族を束ねる大井田氏弼?
 だった気がするが・・・
 (★新潟県十日町市史)
 新田義貞の次男義興、三男義宗らと合流して東国で活動するよう
 になった。

【1】観応の擾乱における「新田一族と里見一族」
・観応元年(1350) 足利尊氏と足利直義(ただよし)兄弟が政治指向の
違いから分裂し、内乱状態になった。
・観応年間(1350~1352) 観応の擾乱

正平?年(1352) 閏2月、正平の一統が崩れた。
 兄:足利尊氏 VS 弟:足利直義
足利政権(室町幕府) 実態は足利政権だけにとどまらず、対立
 南朝と北朝の対立to支持する武家や公家と武家どうしの確執
 となった。
 
新田一族は観応の擾乱で足利直義方に付き足利尊氏に敵対した。

・正平7年(1352)  南朝の一斉蜂起。
①畿内
 北畠顕信・千種顕経・楠木正儀+足利直義派残党
②上野国
正平7年/観応3年(1352)閏2月15日、新田義宗、義興と
 脇屋義治は宗良親王を奉じて上野国で挙兵した。
③信濃国 
 征夷大将軍:宗良親王も挙兵した。
④北条時行の残党 
⑤足利直義派残党
⑥上杉憲顕
 新田義宗や兄:新田義興ら新田一族は足利直義派の上野守護上杉憲顕と
 結んで、後醍醐天皇の皇子宗良親王を迎えて上野国で蜂起した。
「武蔵野合戦」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
武蔵国金井原(東京都小金井市)などで足利尊氏と合戦に及んだ。
 新田氏は三浦氏の支援を受け、新田義興は迂回して鎌倉に突入した。
→鎌倉に進撃。足利尊氏の子:足利基氏を敗走させ、鎌倉の奪還を
  果たした。
  足利直義側が鎌倉を一時的に占拠した。
 新田義興が鎌倉へ突入したときには、里見系田中氏・大井田氏などの
 一族がいたが、里見姓はいなかった。

 武蔵国石浜(東京都台東区)で新田義宗と足利尊氏は対陣していた。
 足利尊氏と足利基氏は合流し、新田義宗を破った。
 新田義宗は退いて笛吹峠(埼玉県嵐山町)に陣を敷き、足利軍を迎え
 撃った。
 足利直義方だった上杉憲顕は応援に駆けつけた。
 新田軍は足利軍に敗北し越後へ落ち延びた。
 3月2日、新田義興は鎌倉を脱出し、関東南朝方の挙兵は鎮圧された。
最終結果・・足利尊氏軍が勝利。新田義宗・脇屋軍が敗れた。

・文和元年(1352)足利直義が足利尊氏に殺された。
 新田義興は上野方面で反足利活動を続けた。
 その後、新田義宗も越後へ退却して反足利活動を続けていた。

・南朝:正平7年・北朝:文和元年(1352)から2年間
 相模:河村秀国・河村秀経らは新田義興・脇屋義治ととも河村城に
 籠城し、新田一族同族:畠山国清を主将とする足利尊氏軍の攻撃
 をしのいだ(伝)。
 しかし、南原の戦いで敗れ、河村城は落城し河村一族の多くは
 討死した。
 新田義興・脇屋義治は中川城を経て甲州に逃れた。
①宗良親王は信濃に逃亡。
②新田義宗&義興、脇屋義治は越後へ逃れた。
③北条時行は捕縛されて処刑された。

・文和2年(1353)11月5日
 脇屋義助の子:義治や新田義貞の子:義興&弟義宗は、
 越後小国城(長岡市)で南朝の兵を挙げた。
 (★小国城は弥彦神社近くで、後に直江兼続の弟が入城)
 北朝軍の和田義成&景茂に小国城を攻められ落城した。
 小国政光は天神山城を拠点に南朝方として活躍した。

・正平13年/延文3年(1358)、足利尊氏が没した。
 新田一族は関東で再決起を図り東国の南党に働きかけた。
 新田義興が武蔵国矢口渡で足利基氏方に謀殺された。
 その後、新田義宗。脇屋義治は越後を中心に散発的に行動するが、
 南朝方の劣勢が響き、組織的蜂起はできなかった。

・延文4年(1359) 南朝の征西将軍懐良親王が太宰府(福岡県太宰府
 市)を攻撃した。
 親王に従った新田一族の中にに里見十郎がいた。

・正平23年/応安元年(1368)、足利義詮、足利基氏が病死した。
 1月、武蔵平一揆の乱が起こった。
 武蔵で河越直重らの武蔵平一揆に呼応して、
 越後で脇屋義治と挙兵した。義治は出羽に逃れた。
 上野沼田荘(現白沢小学校付近)で敗北し、新田義宗は戦死した。
  (異説あり)
 南朝方の勢力はほとんど消滅して足利方への抵抗も終わっていった。
新田一族は潜伏するか、岩松氏の支配する新田荘へ帰ってひっそりと
暮らしたのであろう。

 3代:関東公方:足利氏満は軍勢を率いて河越に出陣そた。
 
 6月17日 京都から引き返した関東管領・上杉憲顕も加わって、
 平一揆を鎮圧した。
(貞治は応安に改元)9月19日n上杉憲顕が亡くなった。
 上杉憲顕の息子:能憲と甥の朝房が関東管領に就任した。
 足利氏満は2人の補佐を受けた。
 上杉憲春・宇都宮氏綱をはじめとする関東諸勢力と戦い、関東に強力な
 支配権を形成した。
 正平24年/応安2年(1369)1月 足利氏満は元服、従兄で第3代将軍の
 足利義満の偏諱を受けて氏満と名乗った。

・天授5年/康暦元年(1379)、康暦の政変
  中央で室町幕府内部の抗争が起こった。
足利氏満は将軍職への野望をもち、将軍足利義満に謀反を企てた
 新田一族の鳥山・世良田・額田・大島・大館・堀口・桃井などは
 足利氏満に臣従した。
 足利氏満は支持勢力を広げるために、流浪していた新田一族に仕えて
 いたものたちも許し、上野国や武蔵国で所領を与えた。
その後、足利氏満は関東の親幕府派や南朝方の武家などを攻撃した。
 新田氏や小山氏、小田氏、田村庄司氏などを次々と討伐していった

・室町時代
 里見氏の一族の仁田山里見氏は仁田山(現群馬県桐生市)に
 所領が与えられた。





●足利尊氏についた新田一族・里見一族************
1)岩松経家
・正慶2年/元弘3年(1333) 岩松家は新田一族の惣領である
 新田義貞の挙兵に従った。
 兄弟は世良田義政(諸長子で養子へ)、本空、経家(惣領)、
 頼宥、土用王(直国)である。
  (★『系図纂要』の岩松氏系図)
・建武元年(1334)12月、足利直義が成良親王を奉じて鎌倉将軍府を
  形成した。岩松氏の惣領:岩松経家は新田義貞から離れ足利
 直義(ただよし)への接近した。
 足利直義は岩松経家弟の土用王を元服の加冠で烏帽子親となり、
 足利直義から偏諱を受けて直国と名乗った。
 建武の新政では足利高氏(尊氏)に従っている。
 以降、足利尊氏方に属し飛騨守護や関東廂番を歴任する。
・建武2年(1335)7月、中先代の乱
 岩松経家は武蔵高麗郡女影原で北条時行勢と戦い戦死した。
岩松経家の嫡子:泰家は幼少であったので、叔父:岩松直国
 が成長まで岩松氏の家督を継ぐことになったようである。
・建武3年(1336)6月9日、岩松直国は足利直義の命で美濃国
 ・尾張国等の軍勢を率いて京へ向かった。
  足利直義の鎌倉府執事:上杉憲顕の娘を妻に迎えた。
(★久保田順一著『上杉憲顕』)
・興国7年/正平元年/貞和3年(1347)岩松直国は新田荘由良郷
  地頭職に補任された。
 (★峰岸純夫著『新田岩松』・・正木文書:群馬県史資料編より)
・正平5年/観応元年(1350)12月23日、新田荘内の世良田右京亮
 ・桃井直常らの旧領を与える旨の高師直奉書が室町幕府将軍:足
 利尊氏)より下された。
 (峰岸純夫著『新田岩松』「幕府執事高師直奉書」『正木文書』)。
・正平6年/観応2年(1351)7月3日 岩松直国は足利直義より
 全知行を安堵された。
(峰岸純夫著『新田岩松』7月3日付「足利直義御教書」『正木文書』)
 ※南北朝の争乱期には、岩松氏は、新田氏没落後は新田一族の惣領
 としての地位を固めた。新田義宗と惣領職を2分した。
・岩松直国は観応の擾乱でも足利直義派の武将として活動していた。

2)山名時氏
・元弘3年(1333)8月 鎌倉幕府が滅亡。
 山名時氏は鎌倉の将軍侍従であった。
 新田義貞が上洛すると、山名一族もそれに従った。
 山名政氏と嫡男:時氏は惣領:新田義貞に従って行動した。
・元弘3年(1333) 建武の新政
4月 山名時氏は伯耆守になった。 
 8月9日~各地で戦いが始まった。
  北条時行 VS 足利尊氏
    相模川の戦い
   北条時行を破った。
 8月12日(9月7日)小夜中山合戦(掛川市)
  今川頼国は名越邦時が討ち取った。
  山名政氏・時氏父子は新田義貞を離れて足利尊氏に味方して
  奮戦した。足利尊氏方の勝利に大きく貢献した。
・建武3年(1336)
 山名時氏は足利尊氏の将として活躍した。
  湊川の合戦
  足利尊氏 VS 新田義貞・堀口
・建武4年(1337)
 足利尊氏は 山名時氏の軍功に対して、伯耆守護に補任した。
 →足利尊氏の信頼を得た山名時氏は、住んでいた山名
  郷を離れ、伯耆国の領主となった。
  実際は(藤岡の)小林左京助が守護代を務めた。
  (★山本隆志著『山名宗全』)

◆里見系図**************************
●②2代里見義成・・・京都大番役。
  源頼朝の側近として活躍。「伊賀守」
  里見一族は上野国の里見郷~榛名山付近を拠点として越後国まで
 勢力を拡大した。
●長男:③里見義基
●次男:大島義継→●大島時継(上野新田在住系)・→○→○→
        └●大井田氏継(越後十日町在住系)→○→
 大井田氏の庶家は羽川氏・矢島氏・大岡氏など
●3男:鳥山時成→●鳥山経成(上野新田在住系)→・・・・・
         ●鳥山頼成(越後十日町在住系)→○→○→→
●4男:美濃義直→○→○→○・・
  里見義直(『承久の乱』で戦功で美濃国円教寺の地頭となった。
  『観応の擾乱』で滅亡?・・・
安房里見初代:里見義実か?(★峰岸純夫説)
●5男・豊岡義行→豊岡行成・・・×?

・建武4年(1338)7月、越前国藤島で新田義貞が戦死を遂げた。
 
 里見一族に足利尊氏に従う者が続出して里見氏は没落を免れた。
 鳥山3名・里見2名・・・・
 つまり、里見一族は北朝側と南朝側に別れた。

⑦6代目:里見義胤の子:⑦里見義連・・・陸奥守。
 現福島県山本に在住。
  ○長男:里見基義
  ○次男:山本胤幸・・・・里見系山本氏の祖
  ■3男:里見氏連       
(里見系図))


3)美濃里見氏
 美濃里見氏は、里見義成の4男・義直が承久の乱後に美濃国円教寺
 の地頭となり、移住したことに始まる
   (『尊卑分脈』)
・延元元年/建武3年(1336)懐良親王を征西大将軍に任命し、九州に
 向かわせた。里見十郎は懐良親王に従った。
  里見義宗の父:里見十郎義景に可能性もある。
・南北朝時代、里見義宗は北朝方新田義貞可側について所領を得た。
・康永4年(1345)、将軍足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るために
建てた天竜寺(京都市右京区)の完成記念式典で、里見蔵人(民部
少輔)義宗が足利尊氏の行列に供となった。
「蔵人」・・・美濃里見氏は歴代「蔵人」を名乗っている

・貞和5年/正平4年(1349)足利尊氏の弟:足利直義と足利家執事:
 高師直と京都で軍事衝突をした事件の時に、里見義宗は直義派だ
 った。
「貞和五年八月十二日の宵より数万騎の兵上下へ馳違ふ。馬の足音
 草摺の音、鳴休隙も無りけり。先三条殿へ参りける人々には、
 吉良左京大夫満義・・上杉伊豆守重能・・・和田越前守宣茂・・・
 伴野出羽守長房・・・小幡左衛門尉・・・里見蔵人義宗・・・
 是等を宗との兵として都合其勢七千余騎、轅門を固て扣たり。」
 
「執事師直の屋形へ馳加る人々には
 山名伊豆守時氏・・・ 大島讃岐守盛真・・・・桃井修理亮義盛
・・・伴野出羽守長房・・・小幡左衛門尉 ・・・里見蔵人義宗」
「将軍是に驚かせ給ひ、三条殿へ使を以て被仰けるは、「師直・師泰過
 分の奢侈身に余て忽主従の礼を乱る。末代と乍云事常篇に絶たり。此
 上は如何様其へ寄る事も可有、急是へ御渡候へ。一所にて安否を定め
 ん。」と被仰ければ、左兵衛督馳集たる兵共を召具して、将軍の御所、
 近衛東洞院へぞ御坐ける。此事の様を見、不叶とや思けん、初馳集た
 る兵共、五騎十騎落失て師直の手にぞ加りける。されば宗徒の御一族、
 近習の輩無弐忠を存する兵僅に千騎にも不足けり。」
◆引用サイト(太平記巻第27その2)
 http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-27-2.html
 ・観応の擾乱で足利直義に味方し没落した。


※安房里見氏初代・里見義実の出自については、美濃里見氏の系統と
  する関連付けの説もある。
 (峰岸純夫先生の旧榛名町での講演会)


4)越後の里見氏系大島一族:大島讃岐守義政と大島讃岐守義真父子
・建武2年(1337) 大島讃岐守義政・大島讃岐守義真父子は鎌倉で建武
 政権に反旗をひるがえした足利尊氏討伐に出陣した。
 
・貞和5年/正平4年(1349)観応の擾乱
大島讃岐守義真は足利直義・高師直の側に付いた。
(太平記巻第27その2)
  新田一門として足利軍と戦っているので南朝方である
  父子が南北に分かれていた。

5)越後の里見氏系鳥山氏一族:鳥山伊賀守房成・兵部少輔貞直父子
・建武4年(1337) 鳥山伊賀守は越前で討死した。
   鳥山房成の父:鳥山伊賀守義盛かもしれない。
・鳥山房成は生き残った。子は鳥山兵部少輔貞直・・・
 ・・戦国時代。子孫・鳥山伊賀守時成は上野国新田郡鳥山村を根拠として
 いた。つまり、足利尊氏についたことになる


6)奥州出羽の里見氏
・延元元年/建武3年(1336) 里見義宗は家督を継ぐと天童氏と称した。
  里見氏の一門を家臣団として編成して勢力を拡大するとともに、
 上山氏・東根氏・鷹巣氏という庶流を領内各地に移住させて支配権を
 確立していった。
・ 正平11年/文和5年、延文元年(1356) 8月 斯波家兼2男:斯波
  兼頼は最上郡に入部して、最上兼頼になった。
天童義宗の後には、斯波氏支族:最上氏から最上直家の子・頼直が入っ
 ている。
 (最上頼直は斯波家兼2男:最上兼頼の孫で、義宗の大甥にあたる。)
 天童氏は新田系の家系ながら足利系の血をひくこととなった。
 
・貞治年間(1362~68)、小笠原義冬が出羽国雄勝郡三俣(秋田県
 増田町)「羽後」増田城を築城した。(有力説)である。
・貞治四年(1364) 小笠原義冬が、満福寺に奉納した大般若経に、
大旦那として里見義忠・義安の名がある。
  小笠原義冬は甲斐国一宮(山梨県一宮町)の出身で、小笠原長清
 の子孫である。小笠原宗家本流は佐久の伴野氏であった。
 霜月騒動で没落・・・
  
 小笠原義冬は足利尊氏が陸奥国を支配するために設けた奥州探題の
 一員として派遣された。里見義忠・義安も派遣されたのであろう。
※里見義忠は「榛名町」では、新田義貞の父とされている人物で
  あるが、年代的に合わない。

・天授元年(1375)北朝方の成生荘の荘官:里見頼直が、成生から天童に
 城を移し、さらに堅固な山城にした。  
 天童氏は延沢・飯田・尾花沢・楯岡・長瀞・六田・成生家らとともに最上
八楯を形成し、最上氏や出羽に侵攻をたくらむ伊達氏と対抗していった。


7)鎌倉公方家家臣
 里見8代:里見基義の子里見家兼は鎌倉公方足利満兼に召しだされ
  て常陸国に所領を得た。
  里見家兼の子の里見家基は、足利持氏に奉公衆として仕えた。

◆参考サイト
https://www.city.tateyama.chiba.jp/satomi/kanzenban/kan_1shou/k1shou_4/k1shou_4.html

新田側の新田一族・里見一族の家臣 VS 足利方の新田一族・里見一族の家臣 
①新田義貞と3男:新田義宗の家臣しての新田一族・里見一族の家臣
②足利尊氏と足利直義の家臣しての新田一族:岩松氏・山名氏・大舘氏
 観応の擾乱
足利尊氏側の新田系岩松氏・新田系大舘一族
 足利直義側の山名時氏・越後里見一族:大島・鳥山
③足利鎌倉公方に仕える里見一族宗家:里見家兼
④足利氏の奥州探題に属する里見一族:里見(天童)義宗・新田義基




▲河内源氏:新田義重~新田義貞と足利尊氏のブログ一覧*****
●河内源氏新田氏&上野国編~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●【0】河内源氏①源頼信→②源頼義→③源義家→④源義国→
⑤新田義重
箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏&上野国:八幡荘』
http://53922401.at.webry.info/201412/article_11.html

箕輪初心★久保田順一先生20141129『河内源氏の上野国:八幡荘』
後編
http://53922401.at.webry.info/201412/article_12.html


●【1】新田義重の関係~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心★高崎:新田義重&茶臼山城
http://53922401.at.webry.info/201309/article_27.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_27.html

箕輪初心●群馬:寺尾の城《新田義重をめぐる旅》
http://53922401.at.webry.info/201102/article_29.html

◆◆ 箕輪初心●群馬高崎:寺尾中城1回目 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201012/article_20.html

◆◆ 箕輪初心●茶臼山城=寺尾城本城・新田義重の城◆◆
http://53922401.at.webry.info/201012/article_19.html

箕輪初心●群馬『寺尾中城2回目』=新田義重の城か?
http://53922401.at.webry.info/201302/article_27.html


●【2】里見氏関係:里見義俊~
箕輪初心●里見一族①「新田から里見へ」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_33.html

箕輪初心●里見一族②「初代:里見義俊→2代・義成
~3代:義基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_34.html

箕輪初心●里見一族③「4代義秀~10代家基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_35.html

箕輪初心●里見一族シリーズ②「初代:里見義俊→2代・
義成~3代:義基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_34.html

箕輪初心★2代目:里見義成
http://53922401.at.webry.info/201309/article_30.html

箕輪初心★里見一族の歴史:リニューアル版
http://53922401.at.webry.info/201309/article_29.html

箕輪初心●里見一族①「新田から里見へ」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_33.html

箕輪初心●里見一族②「初代:里見義俊→2代・義成
~3代:義基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_34.html

箕輪初心●里見一族③「4代義秀~10代家基」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_35.html

箕輪初心●里見一族④「安房里見前期5代⑪~⑮」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_36.html

箕輪初心●里見一族⑤「後期安房里見」⑯~⑳
http://53922401.at.webry.info/201102/article_37.html

箕輪初心●里見一族⑥「南総里見八犬伝&群馬」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_38.html

箕輪初心●里見一族⑦「日本ハム:斉藤佑樹投手も子孫?」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_39.html

箕輪初心●里見一族⑧「高津戸城」=桐生仁田山で114年
http://53922401.at.webry.info/201102/article_45.html

箕輪初心●里見一族⑨「里見城&上里見城など」
 (高崎榛名)」=武田信玄に抵抗。
http://53922401.at.webry.info/201102/article_46.html

箕輪初心●群馬【仁田山城&谷山城&皿窪砦】&『里見一族』
http://53922401.at.webry.info/201205/article_16.html

箕輪初心●箕輪城№81「大塚實氏&里見繁美氏の講演会」
※里見氏&長野氏の関係についてである。
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html


箕輪初心■群馬【下仁田町の特産品&山&名所・観光地】
★ここで、里見哲夫先生のことを書いた。
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html

箕輪初心★水戸天狗党VS高崎藩本陣里見哲夫先生宅
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心●山形【天童城】&里見氏・松尾芭蕉立石寺&セミの話
http://53922401.at.webry.info/201307/article_10.html

箕輪初心●千葉:安房里見氏の歴史&本城の変遷:復刻版
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201404/article_15.html

箕輪初心○千葉【館山城】=里見八犬伝の博物館
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201404/article_16.html

箕輪初心★人形劇ミュージカル『里見八犬伝』in2013榛名初演
https://53922401.at.webry.info/201309/article_28.html

箕輪初心:生方▲伊香保№11≪滝沢馬琴:文政年間?≫①『伊香保の額論』
&②『南総里見八犬伝』
https://s.webry.info/sp/ubu3blog.at.webry.info/201810/article_21.html


●【3】山名氏関係:山名義範~
箕輪初心●群馬:高崎「山名義範館」=子孫は山名宗全
http://53922401.at.webry.info/201102/article_31.html

箕輪初心:生方★2015高崎『山名義範』に関わる疑問点
&久保田順一先生・山本隆志先生の研究
http://53922401.at.webry.info/201510/article_21.html

箕輪初心:生方★20151017山本隆志先生講演会『山名義範の子孫:山名時氏』
http://53922401.at.webry.info/201511/article_9.html

箕輪初心:生方★『山名宗全の祖父:山名時義→父:時熙』&足利義満の陰謀
http://53922401.at.webry.info/201511/article_13.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201511/article_13.html

箕輪初心★「上野国:山名義範~応仁の乱:山名宗全」
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_26.html

箕輪初心●兵庫『出石:有子山城』=山名一族の古城
http://53922401.at.webry.info/201304/article_20.html

◆◆ 箕輪初心●『竹田城』前編=天空の城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_17.html

箕輪初心◎兵庫:『竹田城』後編=日本のマチュピチュ
https://53922401.at.webry.info/201304/article_18.html



●【4】新田義貞と群馬~~~~~~~~~~~~~~
箕輪初心●太田『台源氏館』=新田義貞誕生の地説
http://53922401.at.webry.info/201303/article_21.html

◆◆ 箕輪初心●旧新田町『新田館』=新田義重館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_1.html

◆◆ 箕輪初心●旧新田町『安養寺館』=新田義貞館説 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_7.html
★新田義貞の生まれた場所の各説の詳細を記載した。
★明王院・・・峰岸純夫先生説

◆◆ 箕輪初心●群馬旧新田町『江田館』=江田行義館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_14.html

箕輪初心●群馬新田荘遺跡『反町館』=新田義貞伝説
http://53922401.at.webry.info/201303/article_15.html

◆◆ 箕輪初心●群馬『新田義重を巡る旅』 ◆◆
  『寺尾=太田説&高崎説』 
http://53922401.at.webry.info/201102/article_29.html

◆◆ 箕輪初心●群馬旧尾島『9城一覧』 ◆◆ 
http://53922401.at.webry.info/201302/article_28.html

箕輪初心●群馬旧尾島町8『岩松館=青蓮寺』源義国~岩松代々の館
http://53922401.at.webry.info/201303/article_11.html

箕輪初心●群馬旧尾島①『新田館』=世良田総持寺
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201303/article_1.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「新田館」=新田義重館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_1.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「徳川館」=徳川義季館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_4.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「長楽寺&世良田館」=世良田頼氏館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_5.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「満徳寺」=徳川義季の娘 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_6.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「安養寺館=明王院」=新田義貞の館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_7.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「大舘館」=大舘宗氏の館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_9.html

◆◆ 箕輪初心●群馬「堀口館」=堀口貞満の館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_10.html


●【3】新田義重の自立への道******

箕輪初心●新田義貞①「誕生~楠木攻め」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html

箕輪初心●千早城:楠木正成の籠城&新田義貞
https://53922401.at.webry.info/201304/article_6.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞②「新田~鎌倉進軍」  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_41.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_41.html

箕輪初心★新田義貞「生品神社挙兵~鎌倉進軍コース」
http://53922401.at.webry.info/201303/article_18.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201303/article_18.html

箕輪初心●新田義貞③「2度の鎌倉攻撃」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_42.html

箕輪初心■古都:鎌倉③新田義貞の鎌倉攻撃
http://53922401.at.webry.info/201202/article_2.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201202/article_2.html


+++新田義貞VS 足利尊氏+++++++++++++
箕輪初心●新田義貞④「足利尊氏との対立」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_43.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_43.html

箕輪初心▲静岡小川町『箱根竹ノ下の戦い』
(足利尊氏VS新田義貞)
http://53922401.at.webry.info/201412/article_3.html

箕輪初心●福井「金ヶ崎城」①新田義貞&②木下藤吉郎
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

箕輪初心●新田義貞⑤「若狭に逃亡~福井で38歳没」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_44.htm

◆◆ 箕輪初心★新田義貞⑤「福井:金ヶ崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

箕輪初心★新田義貞⑥「福井:そま山城」=新田義貞の最後の城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★新田義貞⑦「福井:新田義貞の最後」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html

箕輪初心▲群馬太田「大田山義貞院金龍寺」:新田義貞供養塔
http://53922401.at.webry.info/201403/article_25.html

箕輪初心★松尾芭蕉35『奧の細道24』【松岡~永平寺】&丸岡城・大野城
https://53922401.at.webry.info/201208/article_20.html
★福井県、称念寺「新田義貞の首塚」

箕輪初心■福井「6回目奥・7回目」=奥の細道番外編
https://53922401.at.webry.info/201104/article_26.html
★福井県丸岡市の称念寺に新田義貞の胴塚がある。
※新田義貞の「滝口寺」胴塚・「二尊寺」首塚(京都嵐山)
※新田義貞の胴塚(神奈川県小田原市)

箕輪初心▲本庄【金窪城】&新田義貞四天王:畑時能の最後
http://53922401.at.webry.info/201409/article_20.html

箕輪初心:生方▲群馬県邑楽町:篠塚城&新田義貞四天王:篠塚重広
https://53922401.at.webry.info/201802/article_28.html

箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向
http://53922401.at.webry.info/201303/article_22.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201303/article_22.html

箕輪初心★新田岩松の歴史&男爵:新田俊純
http://53922401.at.webry.info/201311/article_9.html

箕輪初心◆群馬:沼田会津街道=4コース~鎌田~尾瀬
http://53922401.at.webry.info/201311/article_23.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_23.html
 ★新田義宗の墓

箕輪初心★新田岩松の歴史&男爵:新田俊純
http://53922401.at.webry.info/201311/article_9.html

箕輪初心▲埼玉所沢【小手指ヶ原古戦場の3つの合戦】
http://53922401.at.webry.info/201407/article_9.html

箕輪初心■福井「6回目奥・7回目」=奥の細道番外編
★福井県丸岡市の称念寺に新田義貞の胴塚がある。

箕輪初心:生方▲群馬県邑楽町:篠塚城&新田義貞四天王:篠塚重広
https://53922401.at.webry.info/201802/article_28.html

箕輪初心▲群馬:【高山館&高山城】&高山氏の戦国時代
https://53922401.at.webry.info/201505/article_20.html
★南北朝時代、高山氏は新田義重に付き、足利尊氏と戦った。

箕輪初心▲本庄【金窪城】&新田義貞四天王:畑時能の最後
http://53922401.at.webry.info/201409/article_20.html

箕輪初心▲神奈川【河村城】:河村氏→上杉氏→北条氏
http://53922401.at.webry.info/201412/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201412/article_1.html

箕輪初心:生方▲20171111田中大喜先生講演会『新田一族の中世:
「武家の棟梁」への道』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_13.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政№5【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政№119『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政№5【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201701/article_11.html


箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』
&【井伊道政・宗良親王】
https://53922401.at.webry.info/201712/article_2.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』
&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html

箕輪初心:生方▲大草城&大河原城*宗良親王&香坂高宗
http://53922401.at.webry.info/201606/article_12.html

箕輪初心:生方▲富山№28【高岡浅井城&赤丸城の遠望】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201706/article_11.html

箕輪初心◆群馬:沼田会津街道=4コース~鎌田~尾瀬
★新田義宗の墓
http://53922401.at.webry.info/201311/article_23.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201311/article_23.html

箕輪初心★新田義貞の弟:脇屋義助&子孫の動向
https://53922401.at.webry.info/201303/article_22.html

●2019年
箕輪初心:生方▲2019山本隆志先生講演会『西上州の武士と南北朝の動乱』
https://ubu3blog.at.webry.info/201906/article_6.html

箕輪初心:生方▲群馬県立歴史博物館『大新田氏展』とMy新田義貞関連
のブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201906/article_7.html

箕輪初心:生方20190428山本隆志先生講演会「新田義貞の登場」レジュメ
https://ubu3blog.at.webry.info/201906/article_8.html

箕輪初心:生方▲20190519久保田順一先生講演会『新田義貞の子孫たち』レジュメ
https://ubu3blog.at.webry.info/201906/article_10.html

箕輪初心:生方▲『新田義貞の本と雑誌』&My新田義貞関連のブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201906/article_11.html


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箕輪初心▲畠山国清①【伊豆修善寺城】南北朝時代の築城
http://53922401.at.webry.info/201503/article_4.html

箕輪初心★畠山国清②【伊豆金山城=大仁城説】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_5.html

箕輪初心▲畠山国清③【伊豆:国清寺】→畠山義深の生涯
http://53922401.at.webry.info/201503/article_6.html
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●【6】足利初代~8代:足利尊氏
箕輪初心◆【足利初代~8代足利尊氏】&栃木:足利氏館3回目
http://53922401.at.webry.info/201312/article_6.html

箕輪初心★足利8代目:足利尊氏=室町幕府を開幕
http://53922401.at.webry.info/201312/article_7.html
★峰岸純夫先生の本をまとめた。

箕輪初心●足利氏館跡:足利尊氏を輩出した城&100名城
http://53922401.at.webry.info/201311/article_5.html

箕輪初心◆埼玉入間『入間川御陣=徳林寺』&足利基氏の生涯
http://53922401.at.webry.info/201407/article_8.html

箕輪初心★埼玉【足利基氏館】&『足利基氏&上杉4代:憲顕』
http://53922401.at.webry.info/201405/article_24.html

箕輪初心:生方▲20151107久保田順一先生講演会
『上杉憲顕と南北朝の動乱』
http://53922401.at.webry.info/201511/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★新田一族「千利休」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_27.html


★明日は?

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