箕輪初心:生方▲歴史秘話ヒストリア『世にもマジメな魔王:織田信長』の疑問?

平成31年(2019)4月3日 NHK総合 「歴史秘話ヒストリア」
は『世にもマジメな魔王 織田信長 最新研究が語る英雄の
真実』であった。紹介のHpには「室町幕府を倒し、新時代を
切り開いた戦国の革命児」という織田信長のイメージが覆され
始めている。実は、信長は最後の室町将軍・足利義昭の政権維持
のために懸命に奔走した、真面目で保守的な人物だったという。
最新研究から、真面目過ぎた戦国の『魔王』の素顔に迫る。」と
あった。
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私が「織田信長ってどんな人?」と聞かれれ、閃くのは、・・・
①「嫌い」が真っ先に、・・・史実からのイメージ・・・
・天正伊賀の乱・・・人間バーベキューで3万人大虐殺「悪魔」
 ★嫌い。・・・ユダヤ系のヒットラーのユダヤ人虐殺を同様
  独裁者イメージ、・・・「狂気」・・・だから、嫌い。
  アウシュビッツ収容所の画像・アンネの家に行った
武田の志賀城攻め3000人殺害・謙信も騎西城で3000人殺害
2人は虐殺から調略へ・・・信長はさらに延暦寺の砲火
・本能寺の変・・・・天正10年(1582)6月2日 明智光秀
★「ざまあみろ、・・・」って感じ。
②嫌いだけれど、信長関係の場所に行く?のは、興味はあるから。
・桶狭間の戦い1回・・・現場に行ったが、実際は?
・長篠の戦い2回・・・・鉄砲「3段撃ち」?
  武田の家臣に興味⇒井伊直政の家臣に旧武田家臣が多いから。
・清洲城2回・小牧城・岐阜城・安土城・・・城めぐりが好き。
・金ケ崎城(2回)からの撤退=信長唯一の敗戦だから、
③擦り込まれたイメージの踏襲の打破
 「擦り込まれたイメージを疑ってかかっているから」
・3人の比較 「不如帰」・・・擦り込まれたイメージは本当?
・直虎の時の「市川海老蔵」・・「魔王・悪魔・神様・尊厳」なの?
・信長協奏曲の「小栗旬」・・・・明るい反面キャラなの?
・「国盗り物語「高橋英樹」・・・うつけ・位牌に護摩・天才なの?
・織田信成は子孫・・・・★系図が気になる。
・「信長の野望」⇒歴史好き(甥など)・歴女が増加 戦略家なの?
 
 つまり、井伊直政の論文で「擦り込まれたイメージを
 どう史実からストーリー性を構築できるか?」が頭にこびり
 ついているから、・・・宗春さんのようにストーリーが
 描けないでいる。
 ストーリー性のある論文・・・あと2カ月半なのに、・・・
書けないよう。

世間は・・・
良いイメージ
「天下布武という夢の持つ人、独創的な人・革命児、天才、
 秀吉採用など能力主義者、斬新な戦術、最初の天下人の英
雄、めちゃ頭のいい人?口髭のダンディなキツネ顔のおじ様、
(家康タヌキ画像イメージ・晩年顔は爺秀吉キツネ顔イメージ)
悪いイメージ
「うつけ者、人を信じない人、神仏信じない人・天罰を恐れな
 い人、残忍な人、人に厳しいひと、人の意見を聞かない人=
傲慢な人、野望家、権威を無視する人、独裁者、、短気、気分屋、
第六天魔王・・・・」
人間的には好きになれないけれど 天下統一まであと一歩という
所まで行った英雄と評価する人もいるかもしれない。
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序章 「好きな歴史上の人物と理由(イメージ)
1)「あなたの一番好きな歴史上の人物はだれ?」
★私は「井伊直政ファン・・・
  おもちゃの甲冑も井伊直政・論文の井伊直政・・」
全国の街で 100人以上の方に街頭インタビュー。
1位・・・織田信長
2位・・・徳川家康
3位・・・豊臣秀吉
4位・・・坂本龍馬
5位・・・西郷隆盛

★あれまあ、あまり好きではない人物ばかり、・・・
 偶像化されているから?
 イメージが擦り込まれているから?
 学校教育でこれらの人物を扱うから、有名人だ思い込んでいる。
 「未だに、『不如帰』を採用している先生もいるようだ。」
織田信長の理由・・・★上記の「良いイメージ」と同じ。

歴代のNHK大河ドラマでも名だたる名優たちが演じた 信長。
ナレーター「天下統一への強い意志。近寄り難い威圧感。恐れられ
      あがめられる姿です。・・・」

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箕輪初心:生方▲「作られた英雄イメージ」
①織田信長の大河ドラマにおける「魔王=狂気」
NHK『国盗り物語』(高橋英樹)・・・賢い人間
  「うつけ」と言われていたが道三にも劣らぬ天才。
  斎藤道三は娘婿の信長が普段着で兵を従え鉄砲で武装。
  面会の際に正装姿を見て信長が後継者だ。
 (私のイメージが擦り込まれた。)
 道三のことをライバル視しながらも尊敬しており「まむし」
 と呼んでいた。
 比叡山延暦寺焼き討ちの際は「果断すぎる性格」と紹介
  結果。明智光秀との対立につながったとする。
NHK 『功名が辻』・・・「狂気の人」
NHK 『真田丸』・・・・真田昌幸「若い頃の信玄公のような
         気迫を感じた」
   「神仏を大事にしない人はろくな死に方をしない」と
NHK『おんな城主直虎』・・・「完璧な魔王」「魔王信長」の
  イメージは最高。市川海老蔵(団十郎)が格好良かった。
 
 ★私の擦り込まれたイメージ信長は若いころ、常識はずれな
 問題児。家臣や領民のあいだで「尾張の大うつけ者」と中傷。
 女性や民衆に対してやさしいという一面もある。
 他国での評価⇒斎藤道三の娘「濃姫」を貰ったときは
 鉄砲が先頭・・弓・・・頭のいい革新的なイメージを
 植え付けられ、・・・
 桶狭間では知略家・・・
 天正伊賀の乱で3万人人間バーベキュー非常に怖い人間
 イメージ・・・ 。総合すると多面性のある人間


②徳川家康の大河ドラマにおける「タヌキ親父」
『天地人』(2009年、松方弘樹)人間味のある悪役
『江〜姫たちの戦国〜』(2011年、北大路欣也)
   江にとっての慎重に行動する策士の後見人
『真田丸』(2016年 内野聖陽)
 小心者。慎重派・普通の喜怒哀楽のある人間的なイメージ
『おんな城主 直虎』(2017年、阿部サダヲ)
小心者・喜怒哀楽の大きな人間・我武者羅な人間、

 映画『関ヶ原』(2017年 役所広司)知略派イメージ


③豊臣秀吉の大河ドラマにおける「・・・」
『真田丸』・・・頭が切れる。・・・表の顔・裏の顔を
  小日向はイメージを作った。最後は痴呆老臣
   ★小日向イメージが焼き付いた。

④坂本龍馬
『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)
 『坂本龍馬』(山岡荘八著)
『お〜い!竜馬』(作:武田鉄矢、画:小山ゆう)
『陸奥圓明流外伝 修羅の刻』(画:川原正敏)
NHK『龍馬伝』(2010年、福山雅治)
顔がよくて、格好いい役・・・これじゃ、龍馬の
 イメージアップにナッチャウよね
NHK『花嵐の剣士 ~幕末を生きた女剣士・中澤琴~』(2017年、
 加藤雅也) 
 NHK『西郷どん』・・・坂本龍馬(小栗旬)が革新派・
薩長同盟の立役者を演じている。
 ★「薩長史観」と義経イメージのお判官びいきの結果・・・
「歴史の過大評価、・・・英雄視。」


⑥西郷隆盛
  NHK『翔ぶが如く』(1990年、西田敏行)
   人間味ある西郷のイメージ
  NHK『西郷どん』2018年、鈴木亮平
人間味ある西郷のイメージ
 ★「薩長史観」と義経イメージのお判官びいきの結果・・・
  反逆者に出来ない史観があると考えられる。

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ゲーム「武将たちが全国統一を目指す有名シミュレーションゲーム。
    信長は 誰よりも革新的な武将として登場します。

ミニドラマ「さあっ! かかれ!
ナレーター「今年 放送開始から10年がたった「ヒストリア」も
     全国統一の野望を抱く征服者として繰り返し描いてき
     ました。
     ところが…近年 歴史学者を中心にそんな信長像に対す
     る疑問の声が巻き起こっています。 」

~~~字幕~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最初の疑問。「本当に信長は天下統一を目指したのか?」。
 歴史学者「・・・考えを持ったことがないのではないか?」
続いての疑問。「本当に 信長は野望を抱いた征服者」。
歴史学者「・・・天下統一ではなく、天下静謐
ナレーター「平和な世の中を目指したという 信長。
・・・・」
★へえ? ホント?
★ハッハッハッハッ!無理?

Q「では なぜ彼は戦い続けたというのでしょう。
何故、闘ったか?」
 「将軍のために闘った。・・・」
「日本人が大好きな 戦国の英雄・織田信長。これまでのイメ
  ージとは異なる本当の魅力に迫ります。

~~~「歴史秘話ヒストリア」渡邊さわこ~~~~~~~~~~~~~
「この春から 案内役を務めます。アナウンサーの渡邊佐和子です。
 ・・・・」
「さて 今日の主人公は織田信長です。抜群な人気を誇る信長ですが
 意外にも 「謎に包まれた武将」と言えるかもしれません。

実は 信長は 関係する史料が比較的 少ない人物です。
例えば 出したり 受け取ったりした手紙で残っているのは
1, 500点ほど。秀吉や家康の半分以下です。
字幕 家康4000 秀吉8000 信長1500
そのため 信長のイメージの多くは江戸時代以降に書かれた
創作物から きています。
それが 研究にも影響を与えてきました。

そんな中 5年ほど前から注目されているのが
直接 関係する史料から信長像を見直す動きです。
画像「信長公記」
そして 浮かび上がってきたのは新たな織田信長の姿。
どうぞ ご覧下さい。


【1】第一章:エピソード1「室町幕府をもう一度本当の信長の野望」
●熱田神宮
「ここに 若き信長が送った一通の書状があります。 」
すなわち…信長の字に円型の【天下布武】の朱印
内田学芸員「極めて早い例・・・」

字幕・・天下に武を布(し)く
「信長が朱印に刻みスローガンとした この言葉はこれまで
  「武力による全国統一」を意味するとされてきました。

ドラマ「わしは 武力で天下を我がものとする。
  そのことをこの印判にて 世に知らしめん。ハッハッハッ。

「乱世に 全国統一を宣言するという・・・
 
 英雄・信長の「野望」とは
 ところが そのスローガンが押された書状の内容は
野望とは 程遠いもの。
そもそも 手紙は 朝廷に宛てたもの。

【天下布武】
「更に内容は朝廷からの贈り物に感謝しつつ
「領地回復」という 先方の願いをかなえることを約束しています。 」

ドラマ
①(贈り物を)頂きありがとうございます。」
①心得ました。

熱田神宮学芸員「朝廷・公家を大事にしていた。」

「つまり この手紙は古くからの権威である朝廷への
「敬意」が表れたもの。そこに押すハンコで「武力による全国統一」を
宣言するとは何だか おかしいと思いませんか?


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★★「織田信長は朝廷・公家を大事にしていたって本当?」
★疑問1「織田信長は本当に朝廷・公家を大事にしてたの?」
 一級史料だけの文面だけで、朝廷・公家を大事にしていた
 と解釈は無謀では?・・・・
 

①武田信虎・・・大永元年、信虎は室町幕府(足利晴義)に
 左京大夫への補任と叙爵を対し申請した。4月に信虎は
 政所執事の伊勢貞忠(北条早雲の親戚:伊勢流)が伝奏
 の広橋守光とともにに奏し、信虎は天皇より従五位下
 に叙せられた。
(『後柏原天皇宸記』『歴名土代』・・・丸島和洋)
・天文5年(1536)彦部晴直は武田信虎の第12代:足利義晴の
取次をした。武田勝千代は15歳の時、「武田晴信」となった。
「晴」は将軍:足利義晴からの偏諱。「信」は武田家の通字。
武田信虎は黒馬一頭・兼本銘の刀一腰を彦部晴直に送った。
彦部晴直の母は近衛関白政家の娘である。足利義政の外孫である。
足利家第10代義稙・第11代義澄・第12代義晴・第13代義輝
の4代の将軍に仕えた。 彦部稙直から彦部晴直になった。

②上杉謙信・・・
・天文22年(1553)9月 上杉謙信は精兵2000の兵を引き連
 れて上洛をした。第105代後奈良天皇に拝謁し、天盃と御剣を
 下賜され、戦乱鎮定の綸旨(りんじ)を受け取った。
(つまり、越後を治めること)

・永禄2年(1559) 第13代室町幕府将軍・足利義輝からの
「上洛要請」で長尾景虎(上杉謙信)は近衛前嗣に謁見した。
4月3日 長尾景虎は関東管領職就任の許しを得るため、
  長尾実景・長尾藤景・本庄実乃(さねより)・直江実綱・
  柿崎景家ら5000の兵を率いて、2度目の上洛をした。
 4月27日 長尾景虎は将軍:足利義輝に拝謁した
 5月1日 正親町天皇に異例の拝謁をした。
    莫大な献上物を送った。
 5月2日 長尾景虎は酒宴を催し、足利義輝・近衛前久を
    招待した。
  足利義輝から関東管領就任を下賜されるための下工作である。
6月26日 足利義輝から御内書・大館晴光の奉書を
    賜った。
①「裏書御免」の特権・・・名・官途名を省略できる権利
②塗輿・・・・将軍・3管領・相伴衆のみ許された漆塗りの輿
③管領:上杉憲政の補佐・・・ 管領並(管領同等)の待遇を
  与えられた。
  ※関東管領就任を正式に許された。
  =北条氏康を攻撃する大義名分の獲得。
④桐紋の使用・・・
⑤屋形号の使用許可・・・守護大名のみが使える号
 =国人領主→幕府から大名を許可された。
⑥信濃侵攻の許可・・・武田信玄を幕府名で討伐する許し
 =信濃侵攻の大義名分の獲得
長尾景虎は関白:近衛前久を奉じ、北条氏討伐を計画した。
10月下旬 長尾景虎は越後に帰国した。
 ★戦国時代の名目が必要だった。OKをするのは、将軍
 将軍の許可する慣例が続いていた。
 (つまり、関東を治めること))

③織田信長(平家の流れ)



④豊臣秀吉(お百姓)
武家の棟梁では、ないので、朝廷を利用・・・
 将軍にならず、関白・太政大臣・・・
 関白として諸大名に位階・官位を天皇名で代わりに出した。

⑤明智光秀の3日天下
明智光秀が織田信長に謀反を起こした時、朝廷は明智光秀
 を支持した。
理由は
①朝廷・公家は織田信長を嫌っていた。
②朝廷・公家は・・・権力を自分の物に出来る
 と思ったかもしれないし、・・・  

⑥徳川家康(源氏の出と系図査証)
 家康は天下をとると「禁中並公家諸法度」を金地院崇伝に命
 じて起草させた。
 法度によって朝廷の政治力を奪った。

戦国時代、武田や上杉は将軍・天皇にお伺いをたて、支配する
名目を立てた。正当性の問題として、・・・
織田も慣例として重んじているふりをしたのでは?
 と考えられる。
豊臣秀吉だって天皇の権威を利用する形で、関白となった。
徳川家康だって建前としては家康だって重んじている。
実際は「禁中並公家諸法度」で権力を弱めさせた。

私にとっては「信長は朝廷・公家に本気だった。」というのは
納得しがたい説である。
武家にとって、朝廷とどう結びつくか、利用するかの問題
どう正当性(名目)を手に入れるかであると考えられる。


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今 信長像の見直しが歴史学者たちによって進んでいます。
本人に 直接関わる史料だけで信長を捉え直そうとする
意欲的な試みです。」

歴史学者:掘新「軍記物はおもしろおかしく書いているだけ。
  我々は影響されてきた。」
これは当然のこと、・・

●最新研究
「最新研究から導き出される新たな信長像。一体 どのようなもの
なのでしょう。まずは 従来の説に基づいて信長が 全国統一を始める
きっかけとなった出来事を見てみましょう。

ドラマ
家臣「申し上げます。御屋形様に書状が参っております。
信長「書状とな?ほう 天下が向こうから転がり込んできたわ。
   ハッハッハッ。」
ナレーター「手紙の差出人は 足利義昭。父・義晴と兄・義輝が
  「元将軍」という由緒ある家柄の人物。
  各地を流浪しながら将軍の座を狙って大名たちに
  協力を要請していました。 」

●字幕・「系図」
絵 12代義晴・・・13代義輝
義昭

「この義昭は各地を廻っていた。」
★補足*************************
・天文19年(1550)足利義晴が死去。
  第13代:足利義輝となった。
 彦部晴直は、将軍義輝の申次衆として晴直朝廷・寺社の
  使い番をした。
  番衆に彦部輝信がみえる。
 彦部氏が将軍側近として行動していた。
 
 足利義昭は細川氏、三好氏らの下剋上により近江国朽木
 (琵琶湖の西)に流浪することが長かった。

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「この義昭について大正時代の歴史書には
こう あります。 」
●徳富蘇峰「近世日本国民史」
字幕「自由を剥奪」と「将軍を虚名」

★これは面白い。歴史研究をしていたのは知っていたが、
「信長は 義昭の自由を奪い実体のない将軍とした」。
信長が 義昭を利用したというのです。」

ドラマ①「通説」
「義昭めを 担げば わしのすることに誰も文句をつけられまい。」
ハッハッハッ… ハッハッハッ! 」

「ところが 直接関係する史料からは信長の こうした姿勢は
うかがえません。」

そこで もう一度 同じ出来事を新たな信長像に基づいて
描いてみましょう。

ドラマ
家臣「申し上げます。御屋形様に 足利義昭様より
  御内書が参っております。」
信長「なんと。 それは恐悦至極。義昭様は これほどまでに
  この信長を頼みに…。」

ナレーター「義昭は 信長以外の多くの大名にも
 協力を求める手紙を出しています。ところが その要請に
 本気で応えた形跡があるのは信長 一人です。」

ドラマ②「新説」
「この乱世を正すは 容易にあらず。されど 義昭様のため
天下静謐(せいしつ)のため身を粉にして働かねばなるまい。 」

ナレーター
「信長は 義昭に 自らの決意を記した返事を送っています。 」
●書状  「覚悟」
ドラマ
信長「御入洛につき記された御内書謹んで受け取りました。
   私は 義昭様の命令しだいでいつでも お供する覚悟です」。

ナレーター
 「史料を そのまま読むと義昭に尽くそうとする信長の姿が
  見えてきませんか?

ドラマ「天下布武」
  新たな信長像を探す試み。
  実は あの「天下布武」も
 「武力での全国統一」を意味しないとする説が有力になってい
 ます。その根拠は
 「天下」という言葉の 当時の意味。
 「このころ 日本に滞在したポルトガルの宣教師 ルイス・
 フロイスはこう 記します。」

●フロイス書簡 「 lenhor da Tenka 」
「五畿内の領主が『天下の領主』と呼ばれる」。

「なんと 「天下」は「全国」という意味ではなく 「五畿内」。
 つまり 京都に近い限られた地域を指すと思われるのです。

「これを踏まえ 金子さんは「天下布武」とは
「将軍が 京にいられるよう支える」という信長の決意を表すと
考えています。」

★★「天下布武でいう天下とは五畿内であるのは、本当?」
 ★本当かもしれない。天下統一を考えるほど、大大名では
 なかった。・・・。


◆参考文献*********************
神田裕理「織豊期の改元」『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』
  校倉書房、2011年。
神田千里、「中世末の「天下」について」、『戦国時代の自力と秩序』、
  吉川弘文館 2012初出:
  「中世末の『天下』について-戦国末期の政治秩序を考える-」
  『武田氏研究』42号、2010年を改稿。
神田千里 『織田信長』、筑摩書房〈ちくま新書1093〉 2014
神田千里 「ルイス・フロイスの描く織田信長像について」
   『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』41号、東洋大学。2015
金子拓『織田信長 <天下人>の実像』、講談社〈講談社現代新書〉2014
金子拓『織田信長 不器用すぎた天下人』、河出書房新社 2017
金子拓『戦国おもてなし時代 信長・秀吉の接待術』、淡交社2017
*****************************

ドラマ
信長「わしの武力で義昭様を 京の都にお連れし荒れ果てた都
 も 元の姿に戻す。そのことをこの印判にて 世に知らしめん。」

金子拓氏「将軍が安んじて京にいられる・・・状態を実現」

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★疑問2、「織田信長は京に無事にいられるようにするって本当?」
・永禄11年(1568) 2月8日、三好三人衆(三好長逸・三好宗渭
・岩成友通)の推挙により阿波公方:足利義栄が第14代征夷
 大将軍に就任した。
 9月室町幕府第13代将軍足利義輝の弟:足利義昭は、織田
 信長の軍事力を背景に上洛した。
 10月2日、三好三人衆と阿波三好家の軍勢を阿波に追いやった。
 松永久秀と三好義継は織田家に降った。
 織田信長が三好政権を駆逐して上洛し、足利義昭を将軍に奉じた。
 10月18日 足利義昭は第15代将軍に就任した。
 織田信長は将軍の後見人として権勢を振るうことになった。
 武田信玄は織田信長と同盟関係にあり、徳川家康とは敵対していた。
・永禄12年(1569)織田信長と武田信玄の同盟関係は終わった。
 武田信玄は反信長勢力に呼応して武田信玄は大規模
 な遠江・三河への侵攻を開始する。
 既に武田と相模後北条氏との甲相同盟も破綻。
 後北条氏では越後上杉氏との越相同盟を締結。
 家康は独自の勢力として遠江に侵攻した。
 武田は徳川とも今川領国割譲をめぐり対立関係となった。
・永禄13年(1570) 1月に信長は義昭の将軍権力を制限するため、
「殿中御掟」を義昭に突きつけて強制的に承認させた。
 足利義昭は信長に不満を抱いた。
 義昭は、信玄をはじめ本願寺顕如・朝倉義景・三好三人衆らに
 信長討伐を命じる御内書を発している。
 也家だ信玄は織田氏との同盟で応じなかった。
・元亀元年(1570)4月、織田信長は朝倉義景の討伐のため越前遠征
 を行った。妹婿:浅井長政の裏切りにより金ヶ崎の戦いで
 大敗し、撤退した。
 将軍・義昭が第一次信長包囲網を出した。
 各地の反信長勢力が決起し第一次信長包囲網が形成された。

 以上のような通説が正しいのでは?
 要は「織田信長は将軍家の跡目相続争いに乗じて足利義昭を
  奉じて、傀儡政権を樹立しようとした。足利義昭は自分は
 将軍の権威を獲得しようと思っているので、織田信長の横暴が
 許せなかった。」ということで、・・・
・元亀3年(1572)9月29日、武田信玄は重臣の山県昌景と秋山
虎繁(信友)に(3000説・5000説)の兵力を預けて信長の同盟
者である徳川家康の領国である三河に侵攻させた。
・元亀4年(1573) 3月10日、義昭は信長に対して挙兵した。
 足利義昭の動向は信長に内通した細川藤孝により知らされいた。
  4月12日、信玄が西上作戦の途上で野田城攻めの際、死去
 した。武田勢が撤兵したことで反信長勢力は滅ぼされ、・・
 織田信長は足利義昭を殺さず、京から追放した。足利義昭は
 三好を頼った。
 
「織田信長が足利義昭を殺さなかった理由は?・・・・
それ程、信長非道ではなかった。自分が天下人になる野望が
まだなかったことを意味するのでは?


******************************
金子拓氏「将軍は安んじて京にいる。・・・」

そして もう一つ信長の史料に多く出てくるスローガンがあります。
それは 「天下静謐」。
室町幕府の「正統な将軍」が「天下」 つまり 京都周辺を昔のように
穏やかに治めているという意味です。
「正統な将軍」=「天下」
**************************
疑問③「天下静謐」の意味はあってても解釈がちがうのでは?
「足利義昭公を奉じて、足利幕府を再興します」
信長だって「足利義昭を傀儡にして、天下は自分が治めます。」
とは書くはずない。武将の手紙なが基本的には戦略的なこ
とばっかりである。
「一次史料」の仕方によって信長像が変わってしまう。
私だったら「方便である。」と解釈する。
私も論文で、この辺りで金子氏同様の想像の領域になってしまう。
天下=正当な将軍
***************************

さて 義昭の手紙を受け取って3年後~~~~~~~~~~~~~。
「力を蓄えた信長はいよいよ 動きだします。
軍勢を岐阜から進め敵対勢力を蹴散らしながら京へ上りま
した。そして、 ひと月余りで天下を支配していた三好氏を
追い払いました。その直後 義昭は朝廷から晴れて 征夷大将軍
に任じられます。」
画像…義昭
このころの 信長と義昭の関係についてある僧侶が残した言葉。
「義昭様の御入洛に織田信長が付き従った」。

「そこから読み取れるのは上洛の主体があくまで 義昭だという
ことです。」

「こうして 将軍が3年ぶりに 京都に戻ったことで「天下静謐」とい
う理想に 一歩近づいた義昭と信長。
義昭は 最大の功労者である信長に心からの感謝の意を示しています。」

●史料「信長公記」以下の意味
ドラマ
「信長殿 わしは そなたを父のごとく思うておる。そなたがいて
 こその義昭じゃ。」

「ところが 史料によると信長は こんなことを言いだします。 」

ドラマ
信長「天下布武も相成りましたるうえは岐阜に立ち帰り また 己の領地を
治める身に 戻りとう存じます。」

「全国統一の野望どころか自分の国に戻ると言い始めました。 」

すると…。
ドラマ
「もはや 御父は都におってはくれぬのか?
子であるわしを… 見捨てると申すか…。
「うっ ううっ…。」と泣く。

ナレーター
「義昭は 信長にそばにいてほしいと頼みました。
二人が 信頼関係で結ばれていたことがうかがえます。」
*****************************
疑問⑥「信頼関係があった?って本当ですか?」
 信長公記の言葉を引用して、新しい想像の筋書きを創作
 したのではないか?
*****************************


信長が帰国して ふた月後~~~~~~~~~~~~~~~。
「急ぎの知らせが もたらされます。」

ドラマ
家臣「京にて 一大事にござりまする!」
「いかがした?」
家臣「三好の軍勢が公方様のおわす本圀寺に!・・」
馬がヒヒーン

「危機にひんした義昭を救うため信長は急ぎました。
 降りしきる雪の中先頭を駆けていく信長。 」

ドラマ
「行けぇ~! 」

「軍勢が 必死で追いかけたと言われます。岐阜から京都までの
120km余りを僅か 一昼夜で駆け抜けました。」

●京都市。

「この事件を きっかけに信長が 義昭のために造ったものが
近年 発掘されています。それは お城。

●信長の二条城と家康の二条城
●発掘調査の石垣
「大きさは およそ400m四方。地図上で比較すると
後に徳川家が築いた二条城と比べても色ない大きさです。
二重の堀を 全て石垣で固めた厳重な造りでした。」
*******************************
ちなみに、二条城は信長時代は金箔瓦であった。
 5つ目の金箔瓦であった。
 と考えると、ヒストリアのいうように、・・・信頼関係が
 あったと考えられなくもないが、私としては、京都の中で
 信長有りという威光を示したかったと考えている。
 金箔瓦は権力の象徴だから、・・・・
*******************************


ドラマ
義昭「こたびの御父の忠義厚く礼を申すぞ。」
「ははっあ、 恐れ入りまする。」

「史料から浮かび上がってきた新たな信長像。それは 戦国乱世に
室町幕府を中心とした秩序を取り戻そうとする少し意外なもので
した。義昭のために 懸命に尽くした信長。

●画像①「ヨーロピアンスタイルと鉄砲」
●画像②「一般的な信長像」
~~~ナレーターの和服のお姉さん~~~~~~~~~~~~~~~~
実は 義昭以外の人にもこまやかな心配りをする人物でした。

漫画
ある時 信長は
当時 畿内で最も栄えた港町堺の有力者 津田宗及を
岐阜城に迎えました。この時 宗及は 信長にお盆を贈ります。
塗り重ねた漆に 彫刻を施した見事なものでした。
 翌日、 お茶の席に招かれた宗及。
すると そこには 心ときめく光景が・・・。
茶道具の極め付きの名品が並んでいたのです。
その中に宗及が贈ったお盆もありました。
「花瓶」「柳一枝」
しかも 風情ある花入れが置かれ柳の枝が挿してあります。
贈り物への感謝を さりげなく示す信長の粋な計らいでした。
信長は 相手を心から理解し誠実に向き合おうとする
マジメな人だったのかもしれません。 」

「しかし そんな信長の性格は自らを窮地に追い込んでいくこ
とになります。」
ドラマ
「比叡山焼き討ち
1571年 信長による…
死者は3, 000人に上ったと伝わっています。
この出来事によって「残忍な独裁者」という信長の悪いイメ
ージが定着します。

****************************
疑問⑦比叡山焼き討ちは新説ではない。
史料解釈のしかたである。
①金子拓氏「延暦寺は中立を要請したが、聞き入れないので
 1年待って「仕方なく」「天下静謐」のために焼き討ちをした。」
 新解釈「義昭の天下のため、焼き討ちで3000人殺しをしかたなく
 やった。」
★②私の考え「天正伊賀の乱で30000人に人間バーベキューを考え
 ると、妖しい考え方である。
 ここでも、史料が欲しいところであるが、・・・・
 「児童、智者、上人一々に首をきり」(『信長公記』)
 子供も知恵者も上人(僧呂)も殺していた。
 のはどう説明するのか?・・・「天下静謐」のためなのか?
*****************************


「信長は なぜ焼き打ちを行ったのか?
実は そこにも将軍に 忠実に仕える信長の
意外な姿が浮かび上がります。」




【2】第2章「気づけば、孤立していた信長」******
「義昭が上洛した翌年。
字幕「永禄12年(1569)」
室町幕府が 天下を正しく治めるという目的に向け
義昭と信長は 本格的に動き始めます。 」

ドラマ
「天下静謐のため この信長。力を尽くしてまいる所存にござ
います。」


「信長が まず行ったのは武力で 各地の大名を打ち破ること…
ではなく…。
義昭の意を受け各地の敵対する大名同士を和睦させること。
そのため 書状を出します。
例えば 川中島で何度も死闘を繰り広げた武田信玄と上杉謙信。
更には 九州北部をめぐって争っていた毛利元就と大友宗麟。
和睦の呼びかけは 全国に及びました。 」

金子拓氏「和睦の仲介が将軍の政治的な力を回復することに
 なるから・・・・天下静謐に繋がるかんがえである。」
****************************
この意見には賛成。・・・・
でも、私は都は義昭様は私の力で天下を治めている。・・・
 後だけにはこの信長がいるぞ。・・・と若干、違う。
*****************************

一方 将軍の権威に従わない勢力に対し過激な姿勢を示した
のは 義昭でした。

ドラマ
義昭「若狭の逆徒を ただちに成敗すべし。頼むぞ。」
信長「ははっ。」

・元亀元年(1570)、若狭国へ遠征。
「信長が 義昭に討伐を命じられたのは若狭の武将 武藤氏。
若狭出身の義昭側近と対立関係にあったと思われます。」

ドラマ
「攻めよ!」

金子拓氏「天下静謐のため、やめろと言ったにもかかわらず、・・・
 ・・・信長は軍事行使、・・・・」

「ところが この義昭の指示が思いがけない方向へ波及します。
若狭の武将 武藤氏の背後に越前の有力戦国大名朝倉義景がい
たのです。 」
●画像
義昭家臣(武藤?字幕なし) VS 朝倉敏景

「こうして 義昭の命令で始まった戦いは織田と朝倉の全面対決
となります。更に…。」

ドラマ
家臣「一大事にございます!」
信長「いかがした?」
   「北近江の浅井殿が ご謀反!謀反にございます!」
「それは まことか!


「浅井長政は信長の妹・お市の夫で同盟の相手。それが 朝倉と通じ
敵に回ります。信長は 二人の強者に挟み撃ちにされました。 」

ドラマ
信長「我らは 袋のネズミではないか…。」
  「殿!」
家臣「殿!」
家臣「殿!」

「信長の生涯最大のピンチと言われた状況。それは 自らのせいと
いうより義昭に従ったため起きたことだったのです。 」
「この時は 何とか生き延びた信長。
しかし その直後 義昭のため生涯 消えない汚名を負う
ことになります。 」

******************************
疑問「武藤氏救援は真実か?」
・永禄11年(1568)7月、足利義昭が朝倉義景を見限り、織田信長
 を頼りに岐阜に向かった。
  朝倉景恒は前波景当と共に2000の兵を率いて近江国まで義昭
 を警護した。
 8月、宗家朝倉義景の命により朝倉景恒は若狭国に侵攻、小浜
 まで進み武田氏の跡継である武田元明を捕縛し一乗谷へ連行した。
・永禄12年で、織田信長に浅井方の不穏な動きが伝わって
 きていた。・・・
 金子拓説でいけば、
  「朝倉景恒VS 若狭武田氏」
 武田元明の家臣:武藤友益(景久)と朝倉景恒が未だ
 争っていることになる。
元亀元年、織田信長は若狭武藤氏=若狭守護武田家の救援を大儀と
 して、軍事行動を起こした説を採用している。
  「武田家に背く勢力の背景は朝倉氏でした。」という言い方を
 している。
 また、将軍の近江出陣も予定されていた。とも言われている。
 
 しかし、信長から毛利元就に宛てた書状には、
 「若狭国武藤を成敗する」文意の文がある。
  (『毛利家文書』)
 ★全く救援ではなく、成敗目的だったとする説も
 ある。若狭への出陣の口実で、浅井長政の動向の確認するため
  であったとも考えられる。
 信長は、浅井に動きがあった場合に備えて、京都に軍勢の
 控えを置き、岐阜方面などでも準備をしていたことが
 各種史料・資料からわかっている。
 信長はイメージとは違い、非常に慎重で、用意もしっかり整え
 なければ、大規模な危険な行動は起こさなかった。


*****************************


若狭攻めの 3か月後~~~~~~~~~~~~~。
「四国に追いやられていた 三好の軍勢が再び 都に攻め上がろう
としました。この事態を受けて 義昭が動きます。」

ドラマ
義昭「陣触れじゃ! 国中の軍勢を集めよ! 」
家臣「ははっ! かしこまりました!」

「義昭は またも信長の軍勢を中心とする3万とも言われる兵を動かし
三好に備えました。」
「一方の三好も 味方を募ります。
大坂本願寺や 延暦寺、浅井・朝倉などを自らの陣営に引き入れました。・

「この時 浅井と朝倉が近江から都に向けて進軍。
琵琶湖のほとりで織田方の軍勢との戦いが起きます。 」

「この事態に 信長も救援に向かいました。
劣勢となった浅井・朝倉の連合軍は近くの寺に逃げ込みます。
信長に焼き打ちされることとなる比叡山延暦寺である。
「信長は 延暦寺と粘り強く交渉をしました。」

ドラマ
「私たちに協力してくれるならば、かつての延暦寺の領地を
回復させましょう」。
「もしも このまま浅井・朝倉の味方をするならば
焼き打ちせざるをえません」。


「ところが延暦寺は 一切 返答しません。信長は待ちます。」


「そして 1年近くたった頃~~~~~~~~~~~~~~~~~。

ドラマ
信長「やむをえぬ。叡山を攻めるより 他なし。

「1571年比叡山 焼き打ち。天下静謐を保つための 苦渋の決断。
しかし 当時の人々は厳しく批判しました。
●「気の毒なこと、言葉に言い表せない。」
 (『御湯殿上日記』)

「こうして 天下静謐のため働いた信長は残忍な征服者のイメージを
まとうことになったのです。」


「更に 信長にとって悪いことは続きました。」
家臣「公方様の御家来衆の 悪しきうわさ、御屋形様には
  お聞きおよびにございましょうか?」
信長「うわさ? 何じゃ それは。 」
家臣「はっ。何でも 寺社や公家衆の所領を好き勝手にかすめ
  取っておるとか…。
 「そは まことか?」

男「平野神社の領地はことごとく義昭のものにされてしまった。
それを 家来に与えたようだ」。

「世を正しく治めるべき将軍が他人の土地を自分のものとした
という うわさ。マジメに 天下静謐を目指す
信長にとって 許し難いことでした。 」

金子拓氏「天下静謐があって、その上に、・・・」

●史料
「信長は 合わせて21か条にも及ぶ義昭の行動規範を定めます。」
「寺や領地を勝手に奪ってはならない。」
「他にも 義昭が理由なく金品を求めるのを禁じたり朝廷へ きちんと
貢献することなどを求めました。」

「天下静謐のためであれば義昭に対しても態度を変えない
マジメな信長。」

「しかし 次第に義昭は信長を疎ましく感じるようになってい
ったようです。」

ドラマ
義昭「ハッ 田舎大名風情が!

「更に その反感は それまで信長が良好な関係を保っていた
各地の勢力にも広がります。同盟関係にあった武田信玄も
●画像「立田信玄」
「信長と たもとを分かちました。」

そして 1573年。

ドラマ
「もはや 信長も滅ぶしかない。このままにては わしも共倒れじゃ。」

「ついに 将軍義昭が信長の敵対勢力と結ぶことを決めます。
この時 信長が義昭の側近に送った手紙。

●史料「足利義昭宛織田信長書状」
「ご丁寧に申し上げる。」

信長「義昭様に 丁寧にご説明申し上げようと思っています。
 共に天下を再興することが私の心からの望みなのです」。

「自分が 義昭に裏切られるとは夢にも思っていなかった信長。
しかし 人一倍マジメであったがゆえに周囲との距離は離れて
いく一方でした。


~~~ナレーターの和服のお姉さん~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ここまで 私たちが世にもマジメな人物として
紹介してきた 織田信長。
でも こんな あだ名を聞いたことありませんか?」

●「魔王」
なぜ このような恐ろしい あだ名が付いたのでしょう。

「宣教師 ルイス・フロイスによると…。
「信長のもとに たもとを分かった武田信玄の手紙が届きます。
その署名に
字幕「天台座主 信玄」とありました。
「天台座主とは比叡山 延暦寺のトップのことです。信玄は比叡山を
 焼き打ちした信長を強烈に皮肉ったのです。
これに対して 信長は 返信に
●字幕「第六天の魔王 信長」と署名しました。
仏道の修行を妨げる神のことです。
売り言葉に買い言葉で返した言葉が後世 恐ろしいイメージに
つながるとは本人も思っていなかったはずです。 」
~~~和服のお姉さん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ただ ひたすら 天下静謐を目指した戦国のマジメな魔王 織田信長。
彼は なぜ 悲劇的な最期を迎えなければならなかったのでしょうか。


【3】第3章エピソード3「将軍なき天下のに先へ英雄信長」
 未完の大望」
ドラマ
「田舎大名風情が!」

「共に 天下静謐を目指して5年近く。
 ついに 足利義昭は信長に対して兵を挙げます。
 信長は やむなく義昭が籠もる城に攻めかかりました。 」

そして 2日後~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。
ドラマ
家臣「義昭様を お連れいたしました。」
家臣「座れ!」
義昭「あっ…!」
家臣「かくなるうえはお覚悟を決めて頂く他あるまい。」
信長「待て!どこへなりと早く行かれよ。」
連れて行く

「命までは奪わなかった信長。ただ 追放しました。
「この結果 240年近く続いた室町幕府は事実上 滅亡した。
新たな時代が始まります。

******************************
疑問 信長は足利義昭を奉じて、足利幕府を再興しようとした。
「義昭も殺さず。追放にとどめた。」
★本当の意図は別にあった。・・・自分の近畿を治める名目が
 ないので、様子をみた。って考えるのはどうだろうか?
 朝廷を立てる算段が始まっていた。

*****************************

「そして この時、信長は 難しい課題に直面します。
将軍を追放した結果天下静謐のよりどころがなくなってしまった
のです。
信長が頼みにしたのは 朝廷でした。信長は 当時 経済的に苦しかっ
た朝廷のため 奔走を始めます。 」

「天皇家や公家の領地を一から調べ上げ長い戦乱で奪われた土地
があれば、それに代わるものを 補償しました。 」

「信長は これ以降、朝廷という権威を よりどころに天下静謐を
目指すことになります。」


学者「信長は・・・朝廷も」
字幕「「右近衛大将」」
「朝廷は 信長の働きを評価し「右近衛大将」という義昭を上回る 高い
官職を与えます。 」
信長は 「天下」 つまり、京都周辺の敵対勢力と戦いを続け
更に7年かけて30近い国を支配下に治めました。
ついに戦国の覇者となった 信長。
それは ひたすらに天下静謐を追い求めた結果だったのです。
******************************
疑問????

???????????????????????????????
(銃声)
ところが このころから信長に 不可解な行動が見られるように
なります。

金子拓氏「天下静謐の信長に違った動きがみられるようになり
ました」
******************************
疑問????30カ国時点で、・・・いら最初から
 「天下静謐」は詭弁かも?

???????????????????????????????

「全く ぶれなかった信長に生じた「きしみ」
それは 突然の死の1年ほど前のこと~~~~~~~~~~~。

●絵・・・「信長が決めた四国攻め」

そのころ 四国で勢力を広げていたのは土佐の長宗我部元親
かねてから 信長に承認を得て四国全域へと勢力を広げてい
ました。

金子拓氏「天下静謐に悪影響があったかというとそうじゃ
  ないわけですから、・・・・・・違和感を覚えてしまう。」

5年前 信長の四国攻めをめぐる書状が発見されました。
信長の ある家臣が元親に出したものです。」

●史料
家臣から長宗我部元親宛(明智光秀文書)



「元親様のご不満は もっともなこと」。
「どうか 穏やかなお気持ちを保って下さい。」

●林屋美術館橋本氏「主君の意を受けるのは当然であって、
元親を懸命に なだめようとしていたのは信長から 元親との
仲介を任されていた明智光秀だったのです。苦しい立場
やっぱり よく 分かりますね。」


「それまで信長を支えてきた 光秀。
天下静謐と矛盾する行動を強いられた時一体 何を思ったのか。
信長の命で四国攻めが始まろうとしていた。」

*****************************
疑問??
金子氏「①信長の四国攻めだけが何故か「天下静謐」の為ではなく、
 「暴走」・・・
 ②本能寺の変の原因である?

①3カ国段階で、「天下静謐」は詭弁?名目では
②本能寺の変の直接的原因とは思えない。
 通説は「光秀は、積み重なった怨みを晴らすべくしい逆
 に及んだ」とする「怨恨説」が主流であった。
   「明智光秀の怨恨説」
    「明智光秀の野望説
「明智光秀の突発説」
 「公家たちの裏暗躍説」
    ⇒ 「朝廷黒幕(関与)説」
「足利義昭黒幕説」
「徳川家康暗躍説」
   「豊臣秀吉暗躍説」
など、ウィキペディアには57ともっとたくさんあった。
「なぜ、明智光秀は織田信長を襲ったのか?」
  何十年も論争されてきたが答えは未だハッキリとは出て
  いない。
「ときは今 天が下しる 五月哉(さつきかな)」
  明智光秀が「愛宕百韻」で発した、信長討伐を決心した句
  と言われている
    (『長公記』)

・字幕「天正10年6月2日、」
「まさに その日。」

(銃声)
ドラマ

「信長は 明智光秀の裏切りにあいます。
天下静謐に 誰よりもマジメに向き合った織田信長。
四国攻めの その先に一体 どのような天下を思い描いていたのか。
永遠の謎になりました。
織田信長の死から…今 私たちが思い描く信長像は
史料が示す姿と一致しません。
葬儀が行われた大徳寺でその謎に迫る手がかりが見つかりました。
●画像「大徳寺」
信長の肖像画です。
近年 修理が行われ意外な事実が浮かび上がりました。
これです。
●画像
●山本英夫氏「表と裏の彩色がまったく違う絵が、・・・
  大幅な変更はありえない。」


「表に描かれた信長は薄い水色と茶色の控えめな衣装を 身にまとい
腰には脇差しを 1本 差しています。
ところが その下に描かれていたのは左右で色が違う 豪華な衣装。
刀は 大小2本を差しています。
画像・・ひげ
更に 赤外線を当てて調べるとひげの形を変え威厳を消し去る修正が
施されていました。
一体 誰が なぜこのように 描き換えさせたのか。
絵の制作年代などから指示を出したのは
信長のあと 天下人となった豊臣秀吉だと見られています。

山本氏「秀吉の信長へのコンプレックスからか、・・・」

「そして これ以降信長の悪いイメージが形づくられていきます。」

江戸時代初めに記された秀吉の伝記。
●伝記
「信長公が家臣に領地を与えるやり方は帳尻が合わないもの
だった」。

200年後の江戸後期には 残忍なイメージが語られるようになり
ました。
●松浦静山「??夜話」
「『啼かざれば 殺してしまおう 不如帰』
信長ならば こう詠むだろう」と
作られた歌が 世に広まります。

「ところが 明治になると信長は 一転 英雄となります。
朝廷を支えた信長は天皇中心の国づくりを進めた。」

●画像
「明治新政府にとって 好都合でした。 」
●教科書「忠誠心」
教科書でも 信長の忠誠心が強調されそれは 太平洋戦争が終わ
るまで続きました。

「英雄と悪役を行き来する信長像が形づくられたのです。
そして 今 私たちは 本物の信長に迫ることができたのでしょうか。
金子拓氏「私が考えた信長像・・・必ずしも・・・」

「信長を探す旅はこの先も続いていきます。」


【6】感想
「今の段階では最新情報はマジメな英雄と悪役「魔王・を行き
来する信長像・・・一応、新たな織田信長像を再構築できた。
であるから、歴史秘話ヒストリア『世にもマジメな魔王・織田
信長~最新研究が語る英雄の真実~』というテーマになった。
でも、論争は果てしなく続くよ。」
「線路は続くよどこまでも、・・・駅に到着するから、では
結論がでているなあ」と言っているわけではない。
歴史学者の論法は「先行研究はこれこれこうであったが、
当時の一次史料ではこう書いてある。だから、・・・
こういう人間像が考えられる。」である。だから、ストーリー
が必要であると経済学者・社会学者などもそう考えてるようだ。
「最新研究だから史実」とはならない。学者の「一次史料」
は極めて恣意的なストーリー性をもったものである。史料が
あれば、使い方次第でどうとでも「解釈」できるとも言える。
私でさえ金子哲氏の疑問点はこれだけ持ってしまうのだから、
私が書こうとしている「井伊直政:の論文など、疑問だらけに
なる。戦略的な文字で示された第一次史料・第二次史料でも・・・
時には戦略的で自分の心とは違う文書史料、家臣が主君を書い
たので、いいことづくめの第二次史料・・・これをどう解釈するか?
小説がかけないから、地方史としてなら、書けそうであるが・・・
論文となると先が思いやられる。恐い。



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