箕輪初心:生方▲江戸城留守居の古文書『御留守居勤方手扣』書下文⇒読み⇒解釈』

『御留守居勤方手扣』は、留守居の職務に関する諸種の心得や
先例を記した覚書である。大奥の見廻りや人事、「御雛拝見」・
「御煤納(おすすおさめ)」など大奥の年中行事の作法が詳細
に記されている。内容は江戸後期から幕末にかけてのもので
全5冊ある。
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 (東京都所蔵絵図)
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江戸城38.JPG
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(天守台・・・群馬の藤岡:天引石使用)

箕輪初心★東京【江戸城の歴史詳細】太田道灌~上杉~北条~徳川
https://53922401.at.webry.info/201410/article_35.html

箕輪初心★東京【江戸城】=日本最大の城域
https://53922401.at.webry.info/201111/article_19.html
★最大は駿河城と判明・・・2019年

箕輪初心:生方▲平野明夫編『家康研究の最前線ここまで
わかった「東照神君」の実像』
https://ubu3blog.at.webry.info/201808/article_27.html



【1】江戸幕府の仕組み****************
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(大江戸歴史散歩を楽しむ会より引用)
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 (情報史学研究所より引用)
江戸幕府における留守居は、老中の支配に属し、大奥の取り締まり
や通行手形の管理、将軍不在時には江戸城の留守を守る役割を果た
した。



【2】江戸城「大留守居」・「留守居」の歴史********
・江戸時代初期
 役高は5000石で旗本から選任され、定員は4名から8名である。
 旗本で任じられる職では最高の職であった。
 1万石以上・城主格の待遇を受け、特権として次男まで御目見が
 許されたり下屋敷を与えられたりした。
 「大留守居」が設置され、旗本でも最高位の格式が与えられた。

・寛文5年(1665)~延宝2年(1674)
 伊予今治藩主松平定房が大留守居
高齢だったが健康という理由から任命された

・元禄11年(1698)~元禄13年(1700)
 に上野前橋藩主酒井忠挙が大留守居
酒井忠挙の場合は高い家格に合わせた閑職であった。

・元禄13年(1700)~元禄14年(1701)
  越後高田藩主稲葉正往が大留守居
 稲葉正往は老中に就任していることから昇進を控えた役職。

 つまり、老中からの左遷でなった場合と老中への昇格を前提
 に老中のポストが空くまで一時的になった場合がある。
 

 次第に将軍が江戸城から外出する機会が減少したことと
 幕府機構の整備による権限委譲によって、地位は低下た。

・元禄年間前後には長年忠勤を尽くした旗本に対する名誉職と
  なった。
 留守居は本丸・西の丸・二の丸に配置された。
 格の高い順に
 留守居
 西之丸留守居
 留守居番
 二之丸留守居

・天保7年(1836)版の大概順での席順(旗本も任ぜられる役限定)
①本丸留守居…老中の支配下宿直により大奥の警備、奥向きの用務
  を取り扱った。
留守居:5番目(伏見奉行の下、大番頭の上)・5,000石高・諸大夫
次第に2000石~1000石の旗本が任じられた。
重要な役であったが、老人の官職になっていった。
閑職といって差し支えない役職であった。

②西丸留守居…若年寄の支配下役高2000石で諸大夫役。
西之丸留守居:34番目(浦賀奉行の下、百人組之頭の上)
 長年勤仕を果たした旗本に対する名誉職であったが
 本丸留守居とは異なり左遷の意味合いを含むことも
 多かった。閑職といって差し支えない役職であった。

③留守居番…若年寄の支配下・1,000石高・布衣
 54番目(大坂舟手の下、先手(弓又は筒)頭の上)
閑職といって差し支えない役職であった。

④二丸留守居…若年寄の支配下。役高700石で布衣役。
 二之丸留守居:67番目(舟手の下、納戸頭の上)
 長年勤仕を果たした旗本に対する名誉職であったが
 本丸留守居とは異なり左遷の意味合いを含むことも
 多かった。
閑職といって差し支えない役職であった。
留守居とは同僚ではあるが、直接上下関係はなかった。

留守居は4~5名、
・天保15~  佐野日向守政行
・安政5~  掘伊豆守利堅
・安政5~  稲生出羽守正興
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 (西沢淳男教授作成)
計、のべ13名、・・・12名


【3】「御留守居の支配」***************
基本は№1御留守居⇒№2御広屋敷用人⇒№3番頭
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 (西沢淳男教授?)
●公用人ーー祐筆(右筆)
●留守居与力??留守居同心 
 (留守居;大奥の取締り、大名などの婦女の諸国関所手形改め事務)
●裏門切手番頭 裏門切手番同心   ※番頭(ばんがしら)
●具足奉行??組頭 ?? 具足奉行組同心
▲大筒役 大筒下役組頭??大筒下役(別史料より)
●鉄砲玉薬奉行??組頭??同心
       ??焔硝蔵掃除之者
(文久2年より講武所奉行の管轄)
●鉄砲箪笥(たんす)奉行
  (大箪笥方)組頭 ?? 組同心
(小箪笥方)組頭?? 組同心
鉄砲会所(年寄1名)
(文久2年より講武所奉行の管轄)
●弓矢鑓(槍)奉行??組頭 ?? 組同心
(文久2年より講武所奉行の管轄)
●幕奉行??同心 ?? 中間
●富士見宝蔵番頭 ??組頭 ?? 番衆・下番
●天守番頭 天守番・天守下番(番衆)
  (1657年天守閣焼失後も役職は存在し続けた)
●裏門切手番頭 裏門切手番同心 

●御台様御簾中様御広屋敷番之頭
      ?? 番衆??広敷伊賀者
           ??広敷進上番
(御台様広敷番之頭 広敷添番・広敷添番並・広敷伊賀者)

●進物取次番頭??進物取次上番・下番

●伊賀衆組頭??広敷添番 
?? 伊賀衆詰所役
●明屋敷番伊賀者組頭??明屋敷番伊賀者
●明屋敷番調番役
●明屋敷番勘定役
●奥火之番
●中間頭 ??組頭 ?? 中間

追加************************
▲西丸切手門番頭 西丸切手門番同心
▲西丸山里伊賀者・広敷進上番・広敷下男頭
▲広敷下男組頭・広敷小人・広敷下男
▲広敷下男並小仕事之者・広敷小遣之者
 ▲御簾中様広敷番頭 西丸広敷添番
 ▲下男頭??下男組頭??下男




【4】『御留守居勤方手扣』
『御留守居勤方手扣』国立公文書館蔵
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatamotogokenin/contents/photo.html?c=2&m=8&i=2

翻刻はされていない。
高崎経済大学の西沢淳男教授が翻刻中である。
書き下し文は西沢淳男教授による。

はじめに
1)表紙と題
御留守居勤方手控
戸川より借写
※戸川播磨守安清 
万延元年(1860)7月1日~元治元年(1864)5月20日
(★留守居の資料)

2)目次
 1~32

※参考「江戸城」
『国史大辞典2』p.317「江戸城」の項目
 「江戸城・本丸表・中奥・大奥図」がある。

※参考「江戸城本丸の略図」
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表向・中奧
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奧(大奥)
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本丸は将軍の住居であり、政治をおこなう場所である。
建物の北西部には五層の大天守(明暦の大火で焼失)、
南には富士見の三層櫓があった。
 
 本丸御殿の中は3区域からなる。
1)表…江戸城本丸「表」は公用エリアである。
  江戸幕府の役所のエリアである。将軍への謁見(お目通り)
  や役人たちが仕事をする座敷などがある。
  儀式のための大広間や檜之間などがある。
 「忠臣蔵」で有名な松ノ廊下(大廊下・御成廊下)もある。
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 (松の廊下付近)
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2)中奥…将軍の住居区である。
  将軍が書類に目を通す仕事場でもある。
 将軍のプライベートエリアということになる。
  御休息の間、御座の間、井呂裏之間、湯殿などからなる。
  御鈴廊下を通って、大奥へ行ける。

3)奥(「大奥」)…将軍の妻や奥女中たちの居住エリアである。

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【壱】「安政五年1858六月朔日(1日)」 **********
(※目次:「檜之間謁之事」を受けて)
一つ、坊主組頭(註1)より謁之有る旨申し聞く。御目付(註2)
へも同人(茶坊主組頭)より申す通り、火之番(註3)へ謁之有
る旨申し達つ。檜之間(※図参照)にて絵図面の通り加賀中納言
国使者御敷居内へ入り、目録差出候に付き、請け取り申し上げる
べく旨、申し上げ候処、使者引き候と御目録火之番組頭罷り出で
候間、相渡し、引く。」

※檜之間…※(上記絵図参照)御本丸表向・御座敷絵図の中央。


志ん上(※進上の目録)
干し鯛 1箱
   御樽  1荷
           加賀(※加賀中納言)国使者
松平玄蕃
 
右小札、

坊主組頭(註1)…若年寄配下。
 数寄屋坊主は茶壺を江戸城内の 富士見櫓の上層に納め管理し、 
 幕府の茶礼・茶器のことをつかさどった。(※大辞林など)
御目付(註2)… 若年寄支配下。 
 御目付の配下に徒目付、小人目 付がいた。旗本、御家人の
 監視や役人の勤怠などをはじめとする政務全般を監察した。
 西の丸におかれた。

火之番(註3)…御留守居配下。 奧日之番2


【弐】「御守殿の御住居」****************
「 御守殿 (ごしゅでん)御住居に池田甲斐守同道にて罷り越し、
 退出前に麻の裃に着替え、一橋、龍之口、桜田、三田の四軒へ
 参った。本郷は御普請中に付き御断りの故に参らなかった。」
 
1)御守殿 (ごしゅでん)…大名に嫁いだ将軍の娘たちが住
  んでいた場所である。
  池田甲斐守…池田甲斐守長顕は安政4年(1857)より留守居役
  となった。
 
2)御守殿の御住居
①一橋…11代家斉の娘:永姫 
   一橋民部卿斉位(なりくら)の家
 
 ②龍之口…11代家斉の25女:喜代姫
   姫路:酒井雅楽守忠学の家
 ③桜田…11代家斉の24女:末姫
   安芸:浅野斉粛(なりたか)の家
 ④三田…12代家慶養女:精(あき)姫     
  久留米:有馬頼咸(よりしげ)の家
⑤本郷…11代家斉の21女:溶姫
   加賀前田斉泰の家
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「玄関へ参り、取次が出て来られる間に、名前を申す。 提刀
 (さげとう)にて上がり、早老(老中)候処、御用人部屋へ
 相通り、それより奧宣(のたまう)旨申し聞き候間、脇差
 (小刀)ばかりにて案内参り候間、跡に付き罷り越し候処、
 入り口にて案内下し居候間、それより上之間の敷居内へ両人
 とともに入り着座す。老女(姫についていった家臣)向きに
 出居り候間、老女に御機嫌の宣旨(せんじ)を申し、恐悦を
 申し上げ、稲生出羽守が同役を仰せつけられ、有難き旨を申
 し上げ、拙者結構、仰せつけられ、有難く拝領物の御礼を申
 し上げ、時候の挨拶をいたし、引く。御用人部屋へ罷り越し
 退散する。式台まで取り次ぎ送る候間、挨拶に及び退散する。
 いずれも同様の振る合いなり。」

※提刀(さげとう)…立礼する時の姿勢で、弦を下にして下げて
 親指に鍔をかけず、腕を 伸ばして状態で刀を持つこと。

稲生出羽守… 稲生出羽守正興。
 安政5年4月24日~文久元年11月18日



【参】「毎月三日十三日廿三日、二の丸見廻り候の事」******
「(毎月3日、13日、23日は二の丸の見廻りのために、)
 朝、御広敷に罷り出でなくてよい。(二の丸から)退出懸けしたら、
 罷り出る。御機嫌伺いを御用人部屋へ罷り越して居番の頭より宣旨
 (せんじ)を承り、塩見下の御広敷の御門の玄関にて刀を取り
 なして持ち、(玄関から)上がられた後は、番の頭に出居する。
 御広敷へ案内いたし、内へ入り着座する。表使を出居る。
 御別状が無い旨を承り、退散の事。23日は長局見廻りが相済み、
 御広敷にて別条の儀無きを承り、退散の事。」


【四】「毎月廿五日、御広敷・長局の見廻り候の事」******
(毎月25日は御広敷・長局の見廻りのために)、朝、
御座敷に罷り出ず、方に都合の由(「訳」)をのたまう。退出懸け
したら、御広敷に出る。御広座敷にて御用人部屋に罷り出て、
御用人同道にて長局を廻りが相済んだら、御広座敷へ着座す。
表使い別条無き旨聞き申し、承り、御用人部屋に罷り越し、
退散の事。」


***中略************************


【五十一】御御台様(1)御広敷番の頭(2)、新規仰せ付けられ
 候節、御広敷添え番ならびに伊賀者引渡方********

一、右は当番・明番(3)・年番・月番にて取り扱いより廉(4)
  これ無く、右引き渡しの儀、番の頭より泊所え、申し出る候
  間、日限取り扱い、其の節の当番にても明け番にても、
  都合次第出席致す

一、当番にても明け番にても御機嫌伺いのため、御広敷え罷り出
  で、御用人部屋へ相越え、控え居り候得し者、古役の番の頭
  罷り出で、御引き渡し、寄付が宣旨(5)申し聞き候間、罷
 り出で、図の通り着座致す。万端差し図  を請け相勤め候様
 申し渡す
    右席図左通り




御台様(1)…天璋院
御広敷番の頭(2)…(上記参照)
明番(2)…宿直や夜通しの勤務休みの番 正午~正午の24時間体制
廉(4)… 特に取り上げるべき事項
宣旨(5)…この場合、天璋院などの命令か?
進上(6)…献上品


【五十二】神田祭礼(7)の節、当番の者心得**********
一、当番の者は御礼の刻限(に)登城、部屋え相揃い、夫より御広
  敷え罷り出で、例の通り御機嫌相伺い、当日御祝儀も申し上げ、
  夫より御広敷え罷り越、御広敷番之頭呼び寄せ、後刻御礼後、
  吹上上覧所え相廻り候節、付け人にて相廻り候間、其の団申し渡し
  置き候様申し談ず、夫より御表え相廻る。
一、御札の節、例の通り 御目見え罷り出でる。
一、御台様吹上 上欄所え何時被為 入候段、御先の同より注進状を
  以申し来り候わば、その段御用番御老中方え口上にて申し上げの
  覚書、御同朋頭へ相達、尤も御供揃御刻限等にて右注進申し来た
  り候わば、
御用番後老中方宅え紙面を以て御達し候様、家来え申し付け置く。
一、御礼 御目見え相済み候わば、大目付・御同朋頭え吹上 上覧所
  え相廻り候間、 御城の方明きに相成候段相断ち置き、控え所に
  て平服に着替え、御広敷え相廻り、自分之共は泊まり所え相
  帰り、番之頭え申し付け、付き人として差出、御広敷御玄関より
  下り、平河口御門より竹橋通り日罷り越し、吹上役所門より入り、
上覧所下陣より刀持ち上り、控え所え相通り、祭礼見物致し、
祭礼済みにて、猶亦付き人にて以前の通り罷り越し、登 城、
直ちに宿所え相越す。

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 (大江戸歴史散歩を楽しむ会より引用)
神田祭礼(7)…江戸天下祭
 神田祭(江戸総鎮守)と江戸中の氏子を(将軍家産土神)を指す。
・慶長5年(一六〇〇年)、関ヶ原の戦いの時、徳川家康が戦勝
  祈祷をした。
 9月15日、神田祭の日に勝利した。
・慶長8年(一六〇三年)江戸城増築に伴いに神田台へ、
・元和2年(一六一六年)江戸城の表鬼門守護の場所にあたる神田
 に遷座し、 幕府が 社殿が造営した。徳川将軍家が縁起のいい
 祭礼として執り行うように命じた。
 天下祭は神輿だけでなく、神話や歴史上の人物をかたどった人形
 を飾った山 車を中心に曳き回していた。
 (★「神田明神選書5」『江戸天下祭の研究』)
 神田祭は九段坂から田安門に入る。吹上の上覧所(現在の乾門の
 場所)の前を通る。吹上の上覧所で将軍に拝謁する。竹橋門を出る。
山王祭は山車が山下御門に集結し、山王権現社まで練り歩いた。
 神輿が加わり、麹町通りから桜田濠奥の土橋を渡り半蔵御門を
 通って江戸城内に入った。
 上覧所で将軍や大奥の人々の御覧に供した。行列は城内を練り
 歩き、竹橋門から出る。常磐橋門を出る頃には夜になっていた。
・天和元年(1681)より、6月15日の山王祭列、9月15日の
 神田祭が隔年の開催となった。
 
・文化元年(1804)の山王祭を最後に神田祭が人気を集め派手にな
 りすぎたため、財政難から江戸天下祭は幕を閉じた。


【五十三】八代蜜柑(8)被為進前日心得***********
(八代ミカン進ぜなられる前日心得)
一、明幾日 姫君様方、八代蜜柑遊ばされ候につき、御使い入り
  候段、御書付け、御用番御老中方より御同朋頭を以て御渡す。

一、右につき、御目録御側衆より相渡され候段、肝煎りを以て申
  し越され候に付き、中の間(9)え罷り越 御使い帰り、言
  上の節の通り、御障子の方に着座、同断の節の通り、御側衆
  二枚戸内に着座、相渡され候間請け取り、控え所え引く

一、右につき、御賄い頭呼び寄せ、御品御請け取りの儀ならびに
  御品持ち人新組の儀も申し談じ置く

一、右御品に付き添い罷り越す、火之番の儀は同組頭に申し談じ置く
一、御目録箱持の黒鍬(10)ならびに御小人の儀も前同断、火之番
  組頭(11)え申し断じ置く


●用語解説
八代蜜柑(8)…肥後(熊本)八代の温州ミカンのこと。
寛永九年 (一六三二年)細川忠利が将軍家光へ八代蜜柑を
 四万二千個を献上し、毎年熊本藩の恒例になった。

中の間(9)…上図参照(黒書院近くの羽目の間の隣)
黒鍬(10)…黒鍬(組)は三河松平氏時代からの世襲制の小者・中
   間で若年寄 支配。小刀のみ所持し小者・中間として江戸城
  内の修築作業や幕府からの諸令伝達や草履取り等に従事した。
  一人当たり十二俵一人扶持が原則であった。
 黒鍬頭など役職に付くと、役高が加算された。
 ★時代劇の中では忍者集団として出ることもあるが、忍者ではない。
 城内には伊賀組がいる。

火之番組頭(11)…御留守居配下(上記参照)




【五十六】「 和蘭領事館登 城 」************
一 安政五年四月朔日、当服着用月次御礼、例之通於羽目間
 御目見相済、正月六日寺社御礼之節通、山吹之間細廊下?
 菊の間江入、御目付部屋前通罷越。柳之間より大広間江相越
 五節句之通同所三之間御椽江五節句より少々上之方江進ミ着
 座、蘭人 御目見相済 御車寄之方御衝建之内江入候与
 一同罷り立、引   
 右着座之図。
20181013edozyo011.JPG


●「読みめますか?」私が全部は読めません。

2)読み (含先生の訂正)
五十六 和蘭(オランダ)領事館登 城
一つ 安政五年四月朔(さく)日、当服(とうふく)着用
   月次御礼(つきなみおんれい)、例の通り羽目間に於
   いて
   御目見え相済り、正月六日寺社御礼之節(せつ)の通り
   山吹の間細廊下より菊の間え入り、御目付部屋前と通り
   罷り越し、柳の間より大広間え相越し五節句の通り同所
   の三の間御椽(ごえん)え五節句より少々上(かみ)の
   方え進み着座、
   蘭人(らんじん) 御目見相済み 御車寄せの方 
   御衝建(おんついたて)の内え入り候と
   一同罷り立ち、引く。   
   右着座之図。



3)意味・解説(含先生解説)
  
① 五十六 長崎から来た和蘭(オランダ)領事館が江戸城に登城時
の留守居の役割

② 安政五年四月朔(さく)日=4月1日、
1月~12月の各月に朔望がある。
朔日=1日、望日=15日
       (新月と満月の意味もある。)

③当服(とうふく)着用、
天皇謁見用の決められた正装

④月次御礼(つきなみおんれい)
月次御礼は大名・諸士に対する定例の将軍謁見日
 A、毎月朔日1日・望日15日・28日を基本としていた。

補足************************** 
将軍謁見日・・・幕府の年中行事は、年始から始まる。
1)正月
元旦には御三家、御三卿、加賀藩主、譜代大名、
1月2日 外様大名、御三家・御三卿の嫡子、布衣役の旗本、
1月3日 無官の大名や御用達商人などが年始に登城した。
    そして能を見る御謡始(おうたいはじめ)がある。

2)五節句等祝日の謁見
  諸大名が登城し、祝儀を言上する。

 1月7日の七草(ななくさ)
  3月3日の雛祭(ひなまつり)
  5月5日の端午(たんご)
  7月7日の七夕(たなばた)
  9月9日の重陽(ちょうよう)

  6月16日嘉祥 厄除けのため、将軍から菓子がげしされる。
  8月1日八朔(はっさく)諸大名が太刀馬代献上する
   徳川家の江戸打ち入りの日として重視された。
(徳川家康が江戸城に入った日)
  10月上亥日玄猪 10月の最初の亥の日に当てられた収穫祝い
           の玄猪(げんちょ)では将軍から餅が下
           される。
諸大名の登城は、原則として毎月1日、15日、28日の
 月次御礼(つきなみおんれい)がある。
 登城が頻繁になるのを避けるため、
 1月・2月・3月・8月の1日がなかった。
 6月・7月の15日
 3月・5月・6月・8月・9月・10月・11月の28日は月次御礼
 がなかった。
11日には具足御祝
 

3)相続・叙任・参勤などの際にも大名・旗本らの拝謁。
 
 将軍との謁見の場では、大名・諸士の家格に応じて、拝礼の
 場所、座次が厳格に決められていた。
 何枚目の畳に座るかというところにまで決まっていた。

登城した大名の控えの部屋、殿席についてはどこで将軍に
 拝謁するかは大名の格式によって違う。
 礼席は大名に於いては年始、八朔、五節句、月次ごとに
 異なっている。
 例えば、殿席が大広間や留之間の大名は、年始、八朔、五節句
 は白書院であるが、月次は黒書院となっていち。

 例えば町奉行、勘定奉行の年始は大広間ですが、八朔、五節句
 は白書院であり、月次は羽目之間となっている。
 そうである。

年始のように公的な性格が強い儀式は玄関に近い部屋、月次(つき
なみ)のように日常的な儀式は、表の奥に近い部屋で行われていた。

●朝廷と幕府の儀式
 正月13日に将軍名代として高家が京都御所に上り、禁裏に参内
して新年の祝賀を申し上げ、禁裏(天皇)、仙洞(上皇)、女院、
女御に進物を献上する。
 朝廷は答礼として、朝廷と幕府の間を取り持つ武家伝奏役の勅使
が江戸に下向、将軍に拝謁して天皇の聖旨、上皇の院旨を伝える。
2月下旬か3月上旬 勅使が江戸城を訪れる。
 年頭慣例は朝廷と幕府の関係を密接に保つための重要な儀式であ
 り、朝廷、幕府の双方とも最大級の饗応を持って応接した。

***************************** 
20181016sosiki001.jpg 
 (大江戸歴史散歩を楽しむ会より引用)

⑤例の通り羽目間に於いて御目見え相済り、

⑥正月六日寺社御礼之節(せつ)の通り
意味・・・「寺社の将軍への謁見の時の通り・・・」

⑦山吹の間細廊下より菊の間え入り、

⑧御目付部屋前と通り罷り越し、

⑨柳の間より大広間え相越し

⑩五節句の通り
1月7日の七草(ななくさ)
  3月3日の雛祭(ひなまつり)
  5月5日の端午(たんご)
  7月7日の七夕(たなばた)
  9月9日の重陽(ちょうよう)

⑪同所の三の間御椽(ごえん)え
三の間の御縁側へ

⑫五節句より少々上(かみ)の方え進み着座、
上ではなく、上座の二の間の方へ ・・・

⑬蘭人(らんじん) 御目見相済み 
オランダ領事館とお付き・オランダ通詞等・・

⑭御車寄せの方 
牛車や駕籠を置いておく場所の方

⑮御衝建(おんついたて)の内え入り候と一同罷り立ち、引く。   
★これ読めなかった。

(図)

一、右着座之図。



【五十七】冨士見御宝蔵番之頭江組御引渡之節、付添勤方****20181016sosiki001.jpg
江戸城35.JPG
江戸城37.JPG
 (富士見・お宝蔵入り口)
一、右寄書明ケ番の者 御目付江差出ス
一、右御引渡之節、寄付ニ候哉、御目付江承置、尤多分ハ寄付ニ相成
一、御廻り前二而中之間列席二詰居、御廻二而躑躅之間江罷越、
  図之通着座



御留守居役
番之頭

○○○○○
○○○○○

一、御月番之御老中方御一人御出席。何之誰、富士見御宝蔵番之頭   
  被 仰付候間、差図を請勤候様被仰渡、付添之御留守居難有難段
  御請申、尤前後すえ付きの旨、御目付より申聞候節、 御老中方
  御引之上二而罷立候之事 


1)「読みめますか?」
五十七 冨士見御宝蔵番の頭へ組御引き渡しの節、付添勤方

一つ、右寄書 明ケ番の者より御目付え差出ス
一つ、右御引渡の節、寄付に候哉、御目付え承置、尤(もっと)
   も多分ハ寄付に相成
一つ、御廻り前にて中之間列席に詰居、御廻にて躑躅(つつじ)の
  間へ罷越、
  図之通着座
一つ、御月番之御老中方御一人御出席。何之誰、富士見御宝蔵番之頭   
  仰せ付けられ候間、差し図を請勤(うけつとめ)候様仰せられ
  渡し、付添之御留守居難有(ありがたき)段御請申(うけもう
  し、)尤(もっとも)前後すえ付きの旨、御目付より申し聞く
  候節(ふし)、 御老中方御引の上に罷立候之事 



3)意味分かりますか?意味文・解説

五十七 冨士見御宝蔵番頭の組御引き渡しの節、付添勤方
冨士見御宝蔵番之頭…(上記資料「御留守居の支配」の役職)
※実際は江戸城本丸の松の廊下南西50m附近にある。
冨士見御宝蔵番の新規役員の交代の時の付き添い務めの位置

一、右寄書 明ケ番の者より御目付え差出ス
右のより書きは 明け番
当番・・・前日正午~今日の正午(出勤時間)
明け番・・今日の正午~明日の正午、(休憩時間)
つまり、今日の午後、お目付に交代の寄り書きを出す。

一、右御引渡の節、寄付に候哉、御目付え承置、尤(もっと)
   も多分ハ寄付に相成
意味・・右の御引き渡し(引き継ぎ)の時、寄り付き
 (集まって)来て、お目付に承知していただくが。
多くの場合は集まってすることになる。
  

一、御廻り前にて中之間列席に詰居、御廻にて躑躅(つつじ)の
  間へ罷越、
  図之通着座

御廻り=老中の午前11時頃の見廻りだそうであるが、決め
られたコースを一回りして、中之間に留守居が詰めよる。
その後、つつじの間へ行き、図のように着座。

○ 老中
躑躅の間
御留守居役
番之頭

○○○○○
○○○○○ 24人


一、御月番之御老中方御一人御出席何之誰、富士見御宝蔵番之頭   
  仰せ付けられ候間、差し図を請勤(うけつとめ)候様仰せられ
  渡し、付添之御留守居難有(ありがたき)段御請申(うけもう
  し、)尤(もっとも)前後すえ付きの旨、御目付より申聞候節、 
  御老中方御引の上に罷立候之事 

月番(②「2ヶ月制から1が月交代制になったが、)老中の一人
 が出席。何の誰は富士見御宝蔵番之頭仰せ付けられている間に、
老中の差し図を請ける役を務め、命令を請け取り、・・・
 付き添いの留守居は「有難き幸せ」を命を受け入れ、・・・
 もっとも、引き続き富士見御宝蔵番之頭については、お目付より
 申し聞く時、御老中の御戻りのうえに(後に)移動する事


****後略***********************


★明日は?

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