箕輪初心:生方▲北軽井沢散策⑤『草軽電鉄の歴史&北軽井沢ロケ15』

平成30年(2018)8月18日、北軽井沢案内所で、「北軽井沢・浅間高
原ロケの歴史」を教えていただいた。たくさんの情報のコピー、誠に
ありがとうございました。情報は浅間高原でも入手できた。北軽井沢
コンソーシアム事務局 佐藤 淳氏によると「今のところ16の映画
のロケが行われた。」とあった。(★「じねんびと「北軽井沢と映画」)
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【0】私の北軽井沢の思い出
家から車で1時間10分~1時間15分の場所にある。

1)10歳頃、父が紀州鉄道の分譲地を買おうとした。
       北軽井沢の友人の斡旋であった。 

2)22歳の学生の頃、照月湖に行った。

3)26歳から高崎→倉渕→北軽井沢→鹿沢スキー場と何百回も
  通った場所である。
  四阿山・浅間山、浅間火山館、浅間の鬼押出し園などに行く
  時もここを通った。今でも、年5~6回は通っている。
  また、歴史散策「大戸→万騎峠→借宿宿(借猪宿?)」
  中世…源頼朝の三原の巻狩りの場所であるので、このコースか?
  幕末…小栗上野介の母の逃亡コース・・・
  ★私もむか~し、「地蔵川ホテル」温泉に入ったことがある。 
★この辺りのレンストランにも5~6回、入っている


4)30歳頃、孝ちゃんが別荘を買った。
  2回行った。

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』③「源頼朝:開湯伝説」
https://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

建久4年(1193)に三原(借猪)の巻狩りにきたついでに、草津で源泉
を発見した。というものである。
★北軽井沢は源頼朝の三原(借猪)の巻狩りの伝説の地である。

箕輪初心●群馬:嬬恋村の城【鎌原城】&【西窪城】
https://53922401.at.webry.info/201201/article_25.html

・昭和3年(1928) 夏、長野原町応桑に「法政大学村」第1区40戸の
 山荘が建てられた。村民には、岸田国士、安倍能成、谷川徹三、
 野上豊一郎、野上弥生子、津田左右吉、小泉信三、三木清、谷川
 俊太郎らがいた。
  また、岩波書店創業者の岩波茂雄も別荘を持った。


箕輪初心:生方▲草津100ー100『岸田国士S20』と北軽井沢(長野原町応桑)
https://ubu3blog.at.webry.info/201808/article_20.html

箕輪初心:生方▲草津100-101『木下恵介』映画監督と浅間高原ロケの映画
https://ubu3blog.at.webry.info/201808/article_22.html

箕輪初心:生方▲草津100-102『田中絹代』&My映画・ドラマブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201808/article_24.html

箕輪初心:生方▲草津100-110『今井正S29』と「ここに泉あり(群馬交響楽団)」
https://ubu3blog.at.webry.info/201808/article_38.html



8月18日(土)
 11:20 発  
 12:30 北軽井沢観光案内所
    北軽井沢駅
 13:40ますや「とんかつ定食1000円」
14:10地蔵川温泉
 14:50浅間牧場
16:00 浅間火山館・鬼押し出し         

8月19日(日)
10:30 発 写真の撮り直しのため。
11:45 北軽井沢観光案内所→北軽井沢駅→ますや→地蔵川温泉
渋滞・・・
13:00 長野県軽井沢町追分 田村秀夫陶芸展
油屋の散策…萩原夫妻と散策
昼食「ささら」2回目 もりそば大盛1000円
   ★蕎麦は旨かったが、赤城産・・・
   ★汁が市販のような、、
13:00 井田準一回顧展とその生徒達
   私は高校1年の時、井田先生に1年間、美術を習った。
    その後、美術展等で数回、偶然にあった。
    井田先生は私を覚えてくれ、名字を呼んで下さった。
   群馬県展審査員の加藤啓治氏が同級だが、・・・
   高校3年の時、東京の「ゴヤ展」誘われ、加藤、今井と私の
   3人で出かけた。今回も「ゴヤの模造」作品があった。
   加藤の作品は吉岡の角屋や県展、独立展などで見ているが、
   本人には高3以来、会っていないので、顔が分からない。

16:00 多胡忠史とその仲間展
   多胡さんのお嬢さんの知り合いなので絵を見た。
   馬の絵が印象的だった。
山名将夫先生(お嬢さんが知り合い)、北村真先生の絵もあった。
主に安中造形展の絵画展で、陶芸師匠の仲間でもあった。







草軽電鉄の歴史&映画の北軽井沢・浅間高原ロケの歴史

・大正2年(1913) 11 月望雲の黒岩忠四郎は新軽井沢~小瀬温泉問
  9.9km を着工した.。

・大正4年(1915)7月草津軽便鉄道が開業した。新軽井沢⇔小瀬
  (小瀬温泉)が開業した。
・大正6年(1917)7月 小瀬 -⇔吾妻間が開業した。
・大正8年(1919)11月  吾妻⇔ 嬬恋間が開業した。
   北軽井沢駅⇔嬬恋駅まで開通した。
 
・大正8年(1919 )には電気が入った.。 (草津温泉誌第2巻)

・大正9年(1920) 馬車軌道が電化された。

・大正10年(1921) 上越線は高崎から渋川まで開通した。

・大正12年(1923) 軽井沢と嬬恋を結ぶ軽便鉄道があり、渋川
 ・中之条間の軌道も電化されていた。
 しかし、軽便鉄道を使っても、東京からの移動には丸一日かかる
 程の時間を要した。

・大正13年(1924) 草津電気鉄道と改称して電化された。
 上越線が渋川かた沼田まで開通し、高崎~沼田間を走る
 ようになった。

・大正末期 高崎・渋川などから草津へバスも乗り入れるよう
 になった。

・大正15年(1926) ・昭和元年(1926)?
  軽井沢駅と草津温泉を結ぶ55・5kmが全線開通した。
  草津軽便鉄道株式会社が全民の念願であった草軽電鉄55.5km を開通
  させた。来客が増えていった。
  軽井沢ルートの方が客が多くなった。客引合戦もすさまじくなった。
 ※草軽電鉄は昭和元年(1926)~昭和37年(1962) に廃止されるまで、
  多くの客を運んだ。
(※長野県…大正5年には中野~渋温泉がバス開通・
 大正11年には電社:国鉄屋代駅~須坂が河東鉄道(現長野電鉄)が開通。
 大正12年には須坂~信州中野の電車が開通。
 昭和2年には長野~湯田中間の開通。輸送量も大幅にアップした。)

・昭和2年(1927)草津電気鉄道が全線開通したので、東京を朝一番
 に出れば夕刻には到着できるようになった。

昭和3年(1928) 夏、長野原町応桑に「法政大学村」第1区40戸の
 山荘が建てられた。村民には、岸田国士、安倍能成、谷川徹三、
 野上豊一郎、野上弥生子、津田左右吉、小泉信三、三木清、谷川
 俊太郎らがいた。
また、岩波書店創業者の岩波茂雄も別荘を持った。

岸田国士は、北軽井沢「法政大学村」に、動物や家族と一緒に住み、
 殊に冬の北軽井沢を愛したそうである。
 岸田国士の娘:長女は童話作家の岸田衿子、次女は女優の岸田今日子
 が成長すると、この地に来たようである。

・昭和6年(1931)上越線は清水トンネルの完成によって全線開通した。

・昭和6年(1931) 以降、道路の改修や自動車の普及が進んだ。

1)昭和6年(1931) 『マダムと女房』
 (監督:五所平之助  主演:田中絹代・渡辺篤)
 日本初のトーキー映画として人気女優の田中絹代が主演した。
 *ロケ地…草軽電鉄・吾妻駅

 「劇作家の芝野新作は、脚本を書くために静かな環境を探すうちに画
 家と言い争いになる。そんな折、道でお風呂から出てきたのお客
 さんのマダムにぶつかってしまう。そのマダムは、新作と画家の言
 い争いを仲裁したのだった。後に芝野夫婦は田園調布に転居するが、
 新作は雑音に妨げられて仕事に集中できない。隣家のジャズの演奏
 がうるさいと、隣家に怒鳴り込む。しかし、先日言い争いを止めに
 きたマダムに魅せられてしまい、彼もジャズに入れ込んだ挙句、最後
 に演奏された曲『ブロードウェイ・メロディ』を口ずさみながら帰
 って来る始末。帰宅後、女房が怒っているのにも気が付かず脚本を
 書き始める。女房は新作に隣家のマダムについて質問した。女房は
 マダムに嫉妬していた。自分の部屋に行ってミシンを弄りながら新
 作にドレスを買ってもらおうとする。 」
 (Wikipediaより引用)
 
 ★草軽鉄道が全国に知られるきっかけとなった。

昭和6年(1931) 12月~「丘を越えて」が日本コロムビアから
 藤山一郎の歌唱によって発売された。
作詞場所…作詞者:島田芳文は北軽井沢の浅間牧場の風景を描いた。
 「丘を越えて 行こうよ
  真澄の空は 朗らかに晴れて     楽しい心
  鳴るは胸の血潮よ     讃えよ わが青春(ハル)を 」
* 浅間牧場…歌の歌碑がある。
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・昭和8年(1933) 乗合自動車との競合により、草津への電車が廃線
  となった。

・昭和10年(1935)『省線自動車吾妻線案内』によれば、
「12月に渋川と長野県の真田を結ぶ吾妻本線と渋川と草津を結ぶ
 上州草津線が営業を開始し、草津まで直通で2時間半である。」
 とある。

2)昭和10年(1935) 『彼女は嫌いとひいました』
 (監督:島津保次郎 主演:斎藤達雄・桑野通子、高杉早苗)
 ロケ地…草軽電鉄
 ※高杉早苗(喜熨斗 弘子:きのし ひろこ)。
 夫・三代目市川段四郎
  長男・二代目市川猿翁(旧名:三代目市川猿之助)、
  次男・四代目市川段四郎、
  長女・市川靖子の三子。
 孫…香川照之および四代目市川猿之助。



3)昭和12年(1937) 日独合作映画『新しき土』
 (監督:アーノルド ファンク、伊丹万作 主演:原節子)
 「新しき土」とは満州開拓のことである。
 ★満蒙開拓団…私の祖父の弟夫婦、3軒隣のKさん夫婦も行った。
  

・昭和15年(1940) 渋川駅からの省営バスがあり、軽井沢から
  約3時間かかる鉄道よりも優位にたつようになった。

・昭和10年代後半
第2次大戦期になると、草津の浴客はぐんと減少した。

・昭和17年(1942)北軽井沢駅前に地蔵川温泉が開館した。

・第2次大戦末期 全旅館が東京近辺の3000 人の学童疎開や数
 百名の傷病兵の受け入れ を行ない、町内の旅館は宿泊所となっ
 ていた。
 一井旅館、大東館、七星館など多くの旅館が海軍病院の病室と
 して使われた。

 草津周辺にも軍需産業のために群馬鉄山や白根硫黄鉱山などが
 開発され、旅館の経営者も資金を提供するなどして協力した。
 朝鮮人の方が鉄山で強制労働させられていた。

・昭和20年(1945)終戦。

・昭和21年(1946) 1月 長野原線(現吾妻線)が長野原駅
 (現長野原草津口駅)まで 開業した. 長野原まで鉄道が延伸さ
 れたのは、釜石に次ぐ産出量の群馬鉄山の鉱石を運 搬するため
 であった。
 9月 長野原線(現吾妻線)は旅客輸送を始めた。
 しかし、第2次大戦後は草津は苦しい時期もあった。資材不足など
 のため源泉や旅館施 設の荒廃が著しく、客数が非常に減少した。

4)昭和20年(1945)木下恵介監督『わが恋せし乙女』
 ロケ地…北軽井沢。草津。
 ★監督:木下惠介は草津に足を運び、酒を飲んだ。
 ・昭和21年(1946)10月29日『わが恋せし乙女』公開された。
(監督:木下恵介監督、 主演:原保美・井川邦子・東山千栄子等)
 北軽井沢の農場を舞台に実の兄妹でないと知った兄と妹の
 ラブロマンスである。兄は動揺するが、妹の幸福な結婚を壊しては
  ならぬと自ら身を引く悲しい話である。


・昭和23年(1948) 天狗山に日本初のスキーリフトが誕生した


5)昭和23年(1948)『 破戒 』
 (監督:木下恵介 主演:池部良、桂木洋子、宇野重吉、滝沢修等)
  島崎藤村の「破戒」の蓮花寺のモデルは長野県飯山市の「真宗寺」
  ロケ地…烏帽子岳麓・草軽電鉄
部落差別はさらっと流している。


6)昭和25年(1950) 「カルメン故郷に帰る」
 (監督:木下恵介、主演:高峰秀子)
 ロケ地…北軽井沢駅、浅間牧場(ほぼ全編を浅間山山麓でロケ)
日本初のカラー映画=国産初の「総天然色映画」として公開されて
 話題を呼んだ。
「都会でストリッパーをしているヒロインを演じる高峰秀子の爽や
かな演技が光る。戦後の自由でどことなく軽薄な風潮と、それに
対する賛否両論の世論を風刺した軽快な喜劇で、新しい時代の映
画の創作意欲が随所に見て取れる作品である。また父娘、姉妹、
夫婦の情愛などが非常に丁寧に描かれている。」
(★Hpより)
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 ※浅間牧場茶屋の裏手に広がる草原の「カルメンの木」の看板
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 ※北軽井沢温泉「地蔵川ホテル」に監督・高峰達が宿泊。
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Hpで動画も見てみた。




7)昭和26年(1951) 『善魔』 
  昭和3年(1928)より北軽井沢法政大学村ぬ住む岸田国士
  の原作『善魔』
 (監督:木下恵介、主演:淡島千景、千田是也、三國連太郎等)
 「釣りバカ日誌」の名優:三國連太郎のデビュー作で、役名の三國
 連太郎が気に入り、芸名にした。

8)昭和26年(1951) 『あの丘越えて』
 (監督:瑞穂春海  主演:美空ひばり、鶴田浩二、新田實等)
ロケ地…主人公の育った:浅間牧場、北軽井沢、白糸の滝、照月湖
 白濱研一郎は妻に死なれたとき、娘萬里子を婆やのあやにあずけた。
 萬里子は山の牧場ですくすくと大きくなって今年十三歳になったが、
 その間父研一郎は朝子を妻に迎え、事業も成功したので、萬里子を
 東京へ呼び戻すことになった。萬里子は婆やや馴染深い牧場の馬た
 ちに悲しい別れをつげた。・・・」
 
主演の美空ひばりの歌った主題歌も大ヒットした作品である。
「山の牧場の 夕暮に
  雁が飛んでる ただ一羽
  私もひとり ただひとり
  馬(アオ)の背中に 眼をさまし
  イヤッホー イヤッホー
・・・


9)昭和26年(1951) 『高原の駅よさようなら』
 (監督:中川信夫 主演:水島道太郎・香川京子、柳永二郎、相馬
  千恵子、田崎潤等)。
 ロケ地…浅間高原
「若い植物研究家野村俊雄は、病の恩師:伊福部教授が、娘の啓子の
 婿養子にしたいという願いを振り切って、先輩:池島の働く高原療
 養所に逃避した。俊雄は療養所で、看護婦の泉ユキと知り合い、一
 緒に植物採集に出かけているうちに、2人の間には愛情が芽生えた。
 ある日、野村俊雄は崖から転落し大怪我をした。その時、俊雄を救
 ってくれたのは、秘かにユキを愛している幼馴染戸田直吉であった。
 ※小畑實の歌が一世を風靡した。


□昭和29年の「高原列車は行く」
 (歌:谷真酉美  作詞:丘灯至夫  作曲:古関裕而)
1 汽車の窓から ハンケチ振れば
  牧場の乙女が 花束なげる
  明るい青空 白樺林
  山越え 谷越え はるばると
  ララララ ララ ララララララ
  高原列車は ラララララ 行くよ

2 みどりの谷間に 山百合揺れて
  歌声ひびくよ 観光バスよ
  君らの泊りも 温泉(いでゆ)の宿か
  山越え 谷越え はるばると
  ララララ ララ ララララララ
  高原列車は ラララララ 行くよ

3 峠を越えれば 夢見るような
  五色(ごしき)の湖 飛び交(こ)小鳥
  汽笛も二人の しあわせうたう
  山越え 谷越え はるばると
  ララララ ララ ララララララ
  高原列車は ラララララ 行くよ 

 作詞:丘灯至夫も作曲:古関裕而も、共に福島出身である。
 丘灯至夫作詞の「高原列車…」のモチーフは裏磐梯、五色沼辺り
 であろうが、又は、阿賀野川づたいか?
  『高校三年生』(舟木一夫を有名にした)、『ハクション大魔王』、
  『みなしごハッチ』、『ガッチャマンファイター』などが知られている。
 ★福島県関係だけれど、当時は草軽電鉄のイメージが広がったで
  あろう。 でも私にとっては歌の舞台は、吾妻線かなあ。
 高校同窓会は四万温泉で行われる。
 「高原列車…」は、必ず、振り付けがあって、歌われる曲である。
仲間は吾妻線沿いで通学していた。大雪で吾妻線が止まると、
 高校は休校になる。高校にはここ「北軽井沢=応桑」出身者も
 いた。


10)昭和29年(1954) 『月よりの使者』
 (監督:田中重雄 主演:菅原謙二・山本富士子、船越英二、若尾
    文子、根上淳、沢村美智子等)
 久米正雄の小説『月よりの使者』 の映画化。
 ロケ地…長野原小学校第3分校近くの分譲地
「舞台は長野県の高原にある療養所。野々口道子は辛い過去から逃れる
ために看護師としてこの療養所に勤務していた。美貌の持ち主である
ことから患者戸塚、弘田、橋田などは「月よりの使者」と呼んていた。
道子は弘田進と橋田広らを毎日分け隔てなく献身的に患者の看護にあた
っていた。戸塚は近く退院して行く弘田が、ひそかに道子を愛している
ことを知った。戸塚は2人の為に一計を案じて白樺の林の中に、2人だ
けの時間を持たせた。弘田と道子は将来を固く誓った。
 ところが、弘田の病室に意外な待ち人が来ていた。弘田の許婚者であ
った弓子であった。親たちの一存から許婚を解消したものの弘田の愛を
求めて5年間も待ち続けていた。弘田は弓子の来訪を迷惑だった。道子
に「今夜十二時二十分駅まで来てくれ」と約束して病院を出た。迫る汽
車の時間。病院では橋田が死期を覚って多量の睡眠剤を飲んだ。道子に
手を取られながら死んで行った。道子の眼の前で弘田の汽車は去って行
った。
 そして、数年後・・・生活の過労から病床に伏した道子は、保養を兼
ねて湘南の別荘の派出看護婦として出張した。行った先の病人は今弘田
と結婚している弓子であった。弓子は道子を知らなかった。弘田は、当時
の道子の真情を初めて知り、長い心のわだかまりは解決した。弓子は病床
にあって、夫の愛人が、道子であると覚った。弓子は新しい出発を祝しな
がら睡眠剤を服用して死んだ。他殺か?自殺か?殺人容疑者として道子は
裁きの庭に立ったが、弓子が親友に贈ったフランス人形の縫い込みから遺
書が発見されて、道子の疑いは晴れて、弘田と結ばれる。」
(映画.com)



11)昭和30年(1955) 『月がとっても青いから』
  監督:森永健次郎 主演:南寿美子・中川晴彦、明美京子、坪内
  美詠子、フランキー堺等)
ロケ地…浅間牧場
 ●菅原ツヅ子の歌「月がとっても青いから」が大ヒットした。
「月がとっても 青いから
   遠廻りして 帰ろう
   あの鈴懸(すずかけ)の 並木路(じ)は
   想い出の 小径よ
    腕を優しく 組み合って
    二人っきりで サ、帰ろう
★歌は最初だけ知っている。
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12)昭和30年(1955) 『ここに泉あり』
 (監督:今井正  主演:小林圭樹(群馬県)・岡田英次・岸惠子、
  成瀬昌彦、加藤大介等。)
 ロケ地…高崎・群馬県各地・草軽電鉄
高崎市民オーケストラのメンバーが群馬の7山奥の村の小学校にも演奏
 に行くシーンが出てくる。
 「高崎市民オーケストラ(現群馬交響楽団)がプロとして成立する
 までを描いたドキュメントタッチの映画である。
 

13)昭和31年(1956)『泉』
 (監督:小林正樹 主演:佐分利信・有馬稲子、夏川静江、佐田啓二等)
 岸田国士の原作「泉」の映画化。北軽井沢を舞台にした作品
ロケ地…浅間山麓、北軽井沢
浅間山麓の曽根集落は、水源地の問題で土地の人々と土建会社の
間に争いが絶えなかった。講演会の途中、大沼博士に随行して実業
家立花公房の別荘を訪ねた植物学者:幾島暁太郎は、立花の秘書:
斎木素子に思慕の情を寄せるが、素子の本心が掴めずにいる。立花
が突然謎の自殺をとげた。素子は土建会社の社長田沢の秘書になった。
2年間も幾島を慕いながら、打ち明けずにいる大里町子はで幾島に
会った。幾島が素子を恋していると知って諦めようとした。一方、
素子から曽根集落の黒岩万五のような野性的な男が好きだといわれ
た幾島は、一切を清算して紀州の自然科学博物館に就職した。
 ある日、幾島は紀州見学団の中に町子を見出したが、町子は憤り
をこめた眼で逃げ去った。素子は浅間山麓で田沢の指図で立花別荘
をホテルに改造するため、活動していた。水源地問題は、土建会社
と村人の対立に不穏な空気をはらんでいた。その渦中へ、紀州から
町子を追って上京した幾島が、立花夫人の自殺を告げに現われた。
幾島が探し当てた新しい水源地が、黒岩の仕掛けたダイナマイトで
ひらかれた。歓声と共に水がしぶきを上げて噴き出た瞬間、黒岩は
傷つき、村の小峰の妹:セツ子が駈け寄った。数日後、幾島は素子
が採ってくれた「こもちしだ」を記念に山を降りて行った。・・・」
 (映画.com)




14)昭和33年(1957)『氷壁』1958/03/18
 (監督:増村保造 主演:菅原謙二・山本富士子、野添ひとみ、
  川崎敬三、上原謙等)。
  ロケ地…草軽電鉄・北軽井沢駅周辺・浅間山山麓
  隅田川周辺・鎌倉
  
井上靖の『氷壁』…北アルプス前穂高岳を舞台に、恋愛と男同士の友情を
  描いた長編小説。
 2人の登場人物が氷壁を登っているときに、切れるはずのないナイロン
ザイルが切れ、1人が墜死する。生き残った主人公は、その後、単独で再
び山に挑む。後に映画化され、NHKのドラマにもなった。
 
★山好きが訪れる宿「氷壁の宿:徳澤園」★ソフトクリームが旨い。
K2? 後、NZの山?


15)昭和34年(1959)  「山鳩」
(監督:丸山誠治、 主演:森繁久弥・ 岡田茉莉子)
 ロケ地…小瀬温泉駅、
小瀬温泉がからまつ沢駅として登場、森繁久弥が駅長に扮する。
当時の本当の駅長も映画に出演している。
「浅間の草深い高原電車の[からまつ沢駅](小瀬温泉駅)の駅長:多木
 弁造が停年近く・・・独り暮しをしていた。ところが、ある霧の夜、
 老駅長がホームに戻ってくるとベンチに若い女が着物を取り乱し
 たまま寝そべっていた。女は鶴江といった。峠の向うの町で酌婦を
していたが逃げて来た。・・・」
※高原列車は美しいイメージと あこがれを当時の人々にもたらした。
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・昭和35年(1960) 4月25日 新軽井沢⇔上州三原間廃止。

・昭和35年(1960) 白根山ロープウェイができてスキー客が増加した。
 長期湯治の温泉場から観光型の温泉に変貌していった。

昭和37年(1962) 2月1日 上州三原⇔草津温泉間が廃止
   結果、全線廃止となった。

・昭和43年(1968) 長野県の七味温泉から山田牧場を経て村境の
 山稜を越え、笠岳南面 の急峻な山腹を横断して山ノ内町 陽坂
 (ようさか)で国道292号線「林道七味笠岳線」が総延長12,106m
 が開通した。



●おまけ
・昭和30年(1955) 『トランペット少年』
(監督:関川秀雄 主演:内藤武敏・日野道夫・由利恵子・田中栄三・
    瀬戸和海など)
ロケ地…長野原の小学校
「東北の片田舎の学校に、音楽の上田先生が新しく赴任して来た。生徒
 の宗太は浪花節をうなって怒鳴りつけられた。早速「雷先生」とあだ
 名した。生徒たちが卑俗な流行歌しか歌わない。先生は、音楽の大切
 さを説いたが、村の父兄・子どもには馬の耳に念仏だった。
 ある日、村にサーカスが訪れ、子供たちは楽隊の「音楽」を聞いて、
 大騒ぎだった。先生は、押入にほおりこんでいたトランペットを取り
 だして子供たちに聞かせた。子供たちは音色に心を奪われ、手製の楽
 器を作るほど熱心になった。宗太だけは反抗して黒板に「雷先生の歌」
 を落書した。ところが先生は歌詞に符をつけて皆に歌わした。
 宗太もそれから熱心にトランペットを習った。
  ある日、先生から借りたトランペットを、宗太の父親がうるさがって
 はねのけたはずみに、トランペットは曲ってしまった。宗太は、怒って
 曲がったトランペットを持って雨中をさまよった、雨のため崖くずれの
 大きな石が鉄道線路に落ちているのを発見し、トンネルまでかけて入口
 でトランペットを吹きならした。異様な音の反響で汽車は止り、惨事を免
 れた。
 数日後、鉄道員もまじって、小学校では豆楽団によるPTA慰安会が開
 かれ、夢中でトランペットを吹く宗太を、父親も笑顔で見守っていた。」

・平成8年(1996) 映画「眠る男」。
 (群馬県出身の小栗康平監督。 主演:役所広司等)
  県が人口200万人到達を記念して制作した映画
 ロケ地…旧町立第四中。
  伊参(いさま)スタジオと名前を付けて撮影スタジオ・ロケ隊
 の合宿所として蘇らせた。

・平成8年(1996)映画『月とキャベツ』
  (監督:篠原哲雄 主演:山崎まさよし、真田麻垂美、鶴見辰吾、
  ダンカンほか。)
 ・ロケ地…・伊参スタジオ(旧第4中)・花火の家:旧栃窪分校)
   ・月の丘:高山村 ・キャベツ畑:嬬恋村
「 個性派ミュージシャン山崎まさよしが映画初主演した異色ラブ
 ・ストーリー。バンドを解散し独立したとたん、歌が作れなくな
 ったミュージシャン花火。人里離れたど田舎でキャベツ栽培に明け
 暮れていた。 ・・・・

16)平成20年(2008)『ジャージの2人』
(監督:中村義洋 主演:堺雅人、鮎川誠)
ロケ地…・嬬恋村の山荘「サンランド」・キャベツ畑、バラキ湖
   ・北軽井沢「グリンシア」、鬼押出し園
     「久保農園」の信号を直ぐ100m程上った場所の小屋
    JR万座鹿沢口駅など、
「北軽井沢の別荘に出発するところからスタートする。上信越自動車
  道の碓氷橋、軽井沢の三笠通り、鬼押しハイウエィを通って北軽井
  沢の別荘に到着。別荘に着くなりプロパンガスの元栓を開け、電気
  のブレーカーのスイッチを入れ、
   息子(堺雅人)と父(鮎川誠)の世間や面倒なことから隔絶され
   たスローな別荘生活が始まった。仕事嫌いの父と無職の息子が夏
  の山荘で過ごす日々を描いた。・・・」
真田丸でも大人気だった堺雅主演の映画である。
(★北軽井沢案内所の方に教えていただきました。)


◆参考サイト
*じねんびと
http://jinenbito.jp/

1)じねんびと「旧草軽電鉄の歴史を語る『北軽井沢』駅舎」
http://jinenbito.jp/documents/history/train/ekisya.html

2)じねんびと「北軽井沢と映画」
http://jinenbito.jp/documents/history/movie/nenpyo.html


北軽井沢コンソーシアム事務局 佐藤 淳

★連絡先/お問合せ先: 北軽井沢コンソーシアム協議会事務局   
佐藤 淳
電話・FAX兼用 : 0279-84-4142
メールアドレス : kankou-c@voice.ocn.ne.jp

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