テーマ:偉人

箕輪初心:生方▲2019西伊豆ダイビング旅行10-⑧温泉№29「土肥温泉」&若山牧水

8月5日、①大瀬崎ダイビング2本⇒土肥矢木沢温泉泊、 8月6日、②黄金崎ダイビング3本⇒土肥温泉「明治館」泊、 「明治館」の豪華な夕食&缶ビール1本・日本酒4合、温泉 20時30分、ダウン・・・翌朝、6 時、若山牧水と土肥で泊 まった宿、土肥城に思いをはせ、散歩。朝風呂、朝食・・・ 女将さんが40分早く作って下さった。女将さん…
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箕輪初心:生方▲2019西伊豆ダイビング旅行10-⑥温泉№28「土肥八木沢温泉」

令和元年(2019)8月5日、伊豆旅行で決まっているは宿泊の土肥 八木沢温泉「おもひで野 じんで」だけである。4回目の伊豆長 浜城に登った。平沢マリンセンター・大瀬崎のダイブショップで 6ショップに断られ、なんとか7つ目で大瀬崎ダイビング2本、 潜らせていただいた。帰りに戸田温泉の「公衆浴場」に入った。 土肥温泉中心街から4k…
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箕輪初心:生方▲伊香保№100≪沖野岩三郎「ゆごとり」『伊香保めぐり』≫

沖野岩三郎は和歌山県出身の牧師であり、大逆事件を小説に著 した作家。若者に人気の軽井沢「浅間高原教会」を設立した人 物である。沖野岩三郎「ゆごとり」『伊香保めぐり』には、大正 7年、伊香保を進められたが、「伊香保行きもいいが、先ァ日光 にへ行って見やうじゃないか、日光は今紅葉だ盛りだよ。」・・・ 「徳川家康公に全てを費やした。…
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箕輪初心:生方▲伊香保№99≪青柳有美『伊香保の語源考』≫

伊香保はなぜ「イカホ」と称はれるやうになったのだろうか? 吉田博士の『大日本地名字彙(い)』には「イカメシキイハホ」 のつまった音が「イカホ」に成ったのではあるまいか、なぞと の説を載せているが、「イカメシキイハホ」は「イカホ」の三 音につまるべく余りに長すぎる。しかし、「イカホ」なる地名が 其の土地付近の山獄に関係あることだ…
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箕輪初心:生方▲伊香保№97≪藤森成吉T2頃「山の一夜」『伊香保みやげ』≫

「伊香保へは、私は今までにタダ一度切り行った事が無い。 それも自分で特別に遊びに行くつもりで」行ったと云ふ訳 では無く、丁度大学へ入ったばかしの年の秋に、文科の秋 遠足にの中に加はつて一晩泊まりの旅行をしただけである。」 (★某TVの画像 ◆藤森 成吉(1892年8月28日~ 1977年5…
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箕輪初心:生方▲伊香保№96≪大町桂月M41石坂旅館「伊香保と榛名」≫

大町桂月は明治41年(1908)伊香保温泉に来て、石坂旅館に泊ま った。翌日、榛名湖⇒榛名神社・社家町で酒の飲み、榛名湖⇒ 伊香保に戻った。「伊香保みやげ」にはないが、水沢寺⇒伊香保 ⇒草津⇒四万⇒・・・赤城山?・・片品・・・日光・・十和田へ ★大町桂月終生、酒と旅を愛し、「酒仙」とも「山水開眼の士」 とも称された。若山牧水と…
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箕輪初心:生方▲伊香保№94≪笹川臨風『榛名湖』≫

笹川臨風が「榛名湖」を執筆したので、伊香保温泉に来たのは 確実である。しかし、伊香保温泉にいつ来たかは不明である。 「伊香保の勝は榛名湖である。伊香保から榛名湖を除き去ったら 霊泉以外に観るものとては殆どなかろう。…(略)… 明るく陽気なところが此湖の特色で、男性的に光風晴月のとこ ろが又なく善い。琵琶湖ほど風光明媚ではない…
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箕輪初心:生方▲伊香保№83前田夕暮T4・T6「榛名赤城の歌(抄)」

大正4年8月、義弟栢野文一(信乃の弟)と同伴、榛名赤城に 遊んだ。 大正6年(1917)萩原朔太郎は前田夕暮と室生犀星と一緒に伊香保 に行った。萩原朔太郎は谷崎潤一郎と初めて会った。 【1】前田夕暮「榛名赤城の歌(抄)」大正4年8月  すずらんの花、スズランの花、そこここに霧しろきなかになびき あひにけり。  …
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箕輪初心:生方▲伊香保№93≪田山花袋T7・S2≫『雪の伊香保』&「温泉めぐり」

田山花袋(1871~1930)は自然主義の小説家として知られる文豪、 『蒲団』や『田舎教師』など代表となる小説を発表し、作家として の地位を確立した後も、全国各地の温泉をめぐり、多くの紀行文を 発表している。特に大正時代に発表した『温泉めぐり』や『温泉周 遊』は、田山花袋のベストセラーとして、現在でも私のような温泉 ファンに読…
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箕輪初心:生方▲伊香保№91≪馬場孤蝶M30頃千明仁泉亭≫「伊香保の二日」

「伊香保には唯った一度行ったことがある。それは最早22~3 年前の夏のことで、確か7月頃であった。その自分は高崎及び前 橋かの両方から鉄道馬車が渋川まで通じているのみであった。そ の馬車鉄道なるものが、東京のよりはずっと小形の馬1匹で轢く 藻のであったことを覚えている。・・・渋川からはさし引きの人 力車でのぼった。…千明の楼上…
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箕輪初心:生方▲伊香保№90≪徳田秋声T?「山上にて」≫&山田順子の男遍歴

①徳田秋声「山上にて」 「その日は82~3度の暑さであった。~~~~  草津に行 くはずが・・・その夜、伊香保に泊まることになっ  た一人の英国人と車窓から見える山々の話や・・・・ 街を見下ろすような高い場所に・・・  ★たぶん、「紅葉」か「楽山園=凌雲閣」だろう。 ②徳田秋聲(1871~1943)は、尾崎紅葉の門下を経て、…
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箕輪初心:生方▲伊香保№89≪芥川龍之介T2≫龍之介をめぐる女性達と龍之介の墓

『伊香保みやげ』から推測すると、芥川龍之介は大正2年(1913) 頃、友達と伊香保に来たことになる。書簡から「6月に2度目 の赤城旅行のあと、伊香保に2泊し、風呂に6回入った」とある。 (★土屋文明記念文学館企画展「榛名・伊香保の文学」) 「伊香保の事を書けと云ふ命令である。が、遺憾ながら伊香保へは、 高等学校時代…
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箕輪初心:生方▲伊香保№88≪幸田露伴T8?≫「伊香保みやげ」

「序」 幸田道人(幸田露伴) ①段落 「温泉の効能が、其の泉質に本づくことは勿論である。   …(中略)…そして、其の吸収から薬物的効果を惹起する    のである。」  と一般論として解説する。 ②段落「併し、温泉が益するのは、・・・・」 ③段落「又、それのみでは無い。温泉地のあるやうな地は大抵 都会や平野では無くて・…
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箕輪初心:生方▲伊香保№86≪岩野泡鳴M40?≫私小説と青鞜社不倫は女の権利?

明治39年(1906)妻子ある岩野泡鳴は日光の温泉芸者:吉弥と のH関係を私小説として『耽溺』を書いた。 明治40年(1907)頃、岩野泡鳴は伊香保温泉にやって来たようだ。 岩野泡鳴は「神秘的半獣主義」を提唱し、欲望の赴くままに女性 と関係する生活で、愛人:増田しも江が自殺未遂を起こすと小説 『毒薬を飲む女』のネタにした。 …
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箕輪初心:生方▲2019温泉№26『老神温泉:仙境』と老神温泉一覧&栗生顕友・新田義宗

令和元年(2019)7月17日、暇つぶしに尾瀬:大江湿原に行 った。本当は尾瀬がおまけ+老神温泉はメインなのだ。年々 外に出るのが億劫になる自分への励ましなのだ。老神観光セ ンター「湯めぐり券」1500円を購入し、老神温泉「仙境」に 入った。いい風呂だった。でも、車の中で冷えて関節痛・筋 肉痛になった。現在、 老神温泉は17の…
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箕輪初心:生方▲伊香保№85-③≪竹久夢二T8/T9≫『竹久夢二伊香保記念館』3回目

●大正8年(1919)竹久夢二が初めて伊香保を訪れたのは、伊香保 在住の松沢(加藤)ミドリさん12歳の手紙から8年後だった。 『橋本ホテル』・『木暮旅館』などに泊まった。 ★(『竹久夢二伊香保記念館』年表) ●大正9年(1920)竹久夢二を支えた最愛の女性・笠井彦乃が死んだ。 彦乃は満23歳、夢二は35歳だった。 竹久…
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箕輪初心:生方▲伊香保№85-②≪竹久夢二T8/T9≫『夢二の作品を見た場所』等

【1】竹久夢二と群馬 ●大正8年(1919)竹久夢二が初めて伊香保を訪れたのは、伊香保 在住の松沢(加藤)ミドリさん12歳の手紙から8年後だった。 『橋本ホテル』・『木暮旅館』などに泊まった。 ★(『竹久夢二伊香保記念館』年表) ●大正9年(1920)竹久夢二を支えた最愛の女性・笠井彦乃が死んだ。 彦乃は満23歳、夢二は…
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箕輪初心:生方▲伊香保№85ー①≪竹久夢二T8~≫生涯「女遍歴と代表作」

★伊香保を愛した人物といえば、小説家「徳富蘆花」&画家 「竹久夢二」が双璧であろう。「竹久夢二」は新聞・雑誌等に さし絵や詩を寄稿した。美人画、木版画。楽譜や本のデザイン も手がけ、多く作品を残した。岡山県の夢二郷土美術館本館や 伊香保竹久夢二記念館にも3回行っている。伊香保温泉の旅館 ・ホテル、伊香保・榛名の食堂、レストラン…
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箕輪初心:生方▲伊香保№84『若山牧水T7・T8「千明仁泉亭泊」』

大正7年(1918)の晩秋、大正8年(1919)初夏、若山牧水は伊香保 温泉にやって来た。そして、『千明仁川亭』に泊まった。★私も 『千明仁川亭』には2回泊まったことがある。浴槽が深くていい。 でも日帰り温泉はやっていない。泊まらないと風呂に入れない。 若山牧水は旅と自然が好きだ。カッコウやオナガの鳴き声を好 み歌っている。若…
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箕輪初心:生方▲伊香保№83≪上司小剣(延貴)T6≫小説家

・明治7年(1874)12月15日 奈良県奈良市で生まれた。父が兵庫県多 田村(現川西市)の多田神社の宮司を務めていたため、多田村で育 った。小学生卒業後、母の実家である大阪に預けられた。大阪の浪 華文学会で活動した。明治30年(1897)、23歳で上京した。読売 新聞社に勤め、後、編集局長となった。夏目漱石の親友・正岡子規 …
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箕輪初心:生方▲伊香保№83≪上司小剣(延貴)T6≫小説家

・明治7年(1874)12月15日 奈良県奈良市生まれた。父が兵庫県多 田村(現川西市)の多田神社の宮司を務めていたため、多田村で育 った。小学生卒業後、母の実家である大阪に預けられた。大阪の浪 華文学会で活動した。明治30年(1897)、23歳で上京した。読売 新聞社に勤め、後、編集局長となった。夏目漱石の親友・正岡子規 が…
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箕輪初心:生方▲箕輪城№284『長野氏子孫』と『建築家:長野宇平治』

永禄4年(1561)6月21日、長野業政が死んだ。(長純寺の木造背銘・ 系図纂要「長野氏」)、永禄9年(1566)9月29日、武田信玄に箕輪城 を囲まれて長野業盛は自刃した。~~~子孫は武田信玄についた長野 正宣、浜川・小塙長野氏、上杉謙信についた長野氏、井伊直政の家臣 になった長野業実などがいる。上杉謙信の家臣:長野氏の子…
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箕輪初心:生方▲新田義貞四天王の一人『栗生顕友』

ある日、岡田先生が「栗生から発展した名前が桐生かもしれません。」 とおっしゃった。新田義貞四天王:栗生顕友・栗生山・栗生神社が 思い浮かんだ。桐生市のHpには『吾妻鏡』などの文献によれば、 「平安時代末期に桐生六郎の名が見えることから、地名としての 「桐生」は平安時代には既に存在していたと考えられている。」 とあった。栗生神社…
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箕輪初心:生方▲越後の里見一族と新田義宗・脇屋義治

※治承4年(1180)8月17日、 源頼朝が挙兵した。 新田義重は自分は源氏の主流と考えていた(久保田順一先生説) ため、直ぐには同調しなかったが、京都にいた新田義重の甥: 足利義兼・孫:里見義成・山名義範(尊卑文脈では、足利氏から の猶子らが早期に源頼朝の麾下に入ったた。新田義重は一時日和 見的態度を取った。源頼朝に同調した…
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箕輪初心:生方▲『新田義貞の挙兵と里見一族:義胤・義盛等』

里見一族は新田一族の支流として「鎌倉幕府の滅亡から南北朝の 動乱」の時に参陣した。小文字の日付は『太平記』の日付である。    (★新田義貞の画像:長楽寺) 【1】里見歴代当主の概略******************** ●【0】河内源氏①源頼信→②源頼義→③源義家→④源義国→ ※⑤源義国長男:新田義重(新田の祖)…
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箕輪初心:生方▲『新田義貞の本と雑誌』&My新田義貞関連のブログ一覧

新田 義貞は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての御家人・武将で 正式な名は源義貞。足利氏とならぶ源氏の名家の頭領である。上野の 豪族で後醍醐天皇が挙兵すると鎌倉幕府を攻撃して滅亡に追い込んだ。 後醍醐天皇による「建武の新政」樹立の立役者の一人となった。しかし、 建武新政樹立後、倒幕の貢献者の一人である足利尊氏が叛くと新田義貞 …
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箕輪初心:生方▲20190519久保田順一先生講演会『新田義貞の子孫たち』レジュメ

令和元年(2019)5月19日、群馬県立歴史博物館で久保田順一先生 が『新田義貞の子孫たち』というテーマで、講演会を行った。しか し、4月中旬に予約の電話をしたが、満杯て拝聴できなかった。残 念だった。久保田順一先生の講演会も度々拝聴している。久保田先生 とは久保田先生の講師の旅行で3回一緒させていただいた。 …
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箕輪初心:生方20190428山本隆志先生講演会「新田義貞の登場」レジュメ

私は群馬県人なので、新田義貞は足利尊氏より感情的に応援したく なる。歴史に「~たら、」「~れば、」はないが、「新田義貞につい ては、勾当内侍に溺れていなかったならば、湊川の戦いに勝ってい たら、足利尊氏は室町幕府を開けなかっただろう。」なんて、お馬鹿 な妄想を抱きなから、新田義貞の主だった場所を廻っていたのを 思い出す。平成3…
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箕輪初心:生方▲群馬県立歴史博物館『大新田氏展』とMy新田義貞関連のブログ一覧

令和元年(2019)6月10日、群馬県立歴史博物館『大新田氏展』に行った。 『群馬県立歴史博物館』のHpによると、「2019年度に開館40周年を迎 える当館の記念展の第一弾として、新田氏を取り上げます。群馬県民 に親しまれている新田義貞ですが、その歴史的評価は天皇の忠臣から 凡将まで時代によって大きく変わります。では、元号も改ま…
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箕輪初心:生方▲西沢淳男著「大岡忠相の登用された代官」『代官の日常生活』

西沢淳男(高崎経済大学教授)著「徳川吉宗の享保の改革」『代官の日 常生活』P85~94において、『享保の改革』の最大の改革は『足高制』= 人材登用で、新田開発をしたとしている。西沢氏は「大岡忠相は江戸 南町奉行として有名であるが、「関東地方御用掛」の兼任していたこ とは、あまり知られていない。本来は勘定奉行の関東農政であるが、 …
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