箕輪初心:生方▲法師温泉①「高村光太郎と尾崎喜八」

平成30年(2018)7月、尾崎喜八詩文集「旅と滞在」をアマゾンで
248円+257円送料で購入した。草津情報を知るためであった。
「旅と滞在」尾崎喜八著には「私は高村さんと二度小さな旅をした。
たしか昭和四年とその翌年とだった。最初の年には上越国境法師の
湯と赤谷川ぞいの温泉へ、次の年(昭和五年)には同じ法師から
榛名山の北の麓の中之条を経て、吾妻川の渓谷沿いにとおく草津の
温泉まで。二人とも丈夫な足を持っていたので全行程の大半を歩い
た。」
とある。草津の「草津にあゆみし100人」では、昭和4年に
2人は草津に来たことになっている。とすれば、法師温泉1回目は
昭和3年で2回目が昭和4年となる。

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箕輪初心:生方◆二本松市『①高村智恵子の生家&②智恵子記念館
&③戸田屋』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_29.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100-73「高村光太郎S2.S5,S8」と尾崎喜八
https://53922401.at.webry.info/201805/article_34.html

箕輪初心:生方▲草津100-80「尾崎喜八S4」と「旅と滞在/温泉」
https://53922401.at.webry.info/201806/article_5.html

箕輪初心◆群馬『法師温泉』&川場グルメ&川場吉祥寺
http://53922401.at.webry.info/201306/article_27.html

箕輪初心★若山牧水⑧ロマンチック「法師温泉へ」
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箕輪初心:生方▲2018スキー№18【新潟:神楽】&『群馬:川古温泉』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_35.html





【1】法師温泉1回目
●尾崎喜八「 高村さんとの旅 」『旅と滞在』
 「高村光太郎と旅」というのが私への課題だが、やはり此処では
表題といっしょに、扱う内容も変えさせて貰うことにしたい。
なるほど彫刻、詩、翻訳の仕事以外にもなお色々な事に興味を感じ
指を染めて、その往く処おおむね佳ならざるは無かった高村さんで
はあったにせよ、さしあたり問題として取り上げるものの中に、
「旅行」まで加えるほどのことはないように私には思われる。彼自
身の書いたものや年譜などからも察せられるとおり、高村さんはい
わゆる旅行家というものからは遠かった。「旅ヘのいざない アン
ヴィタシオン・オー・ヴォァイャージュ」の歌にほのぼのとした憧
れの耳は傾けても、「煙霞の癖」があったなどと言われたら、死ん
だ当人が却って厭な顔をするだろう。
全身の隅々まで他国の空の日の光や雨や花の香にひかれるもの
が備わっていて、およそ旅無しの生涯など考える事もできなかった
ような人達ならば、ほかにまだ幾らもいる。
それに、これこそ大事なことだが、高村さんにはその最も活動的
であるべき時代に、病身で眼の放せない妻智恵子さんというものがあ
った。また人手のないそのアトリエには、絶えず灌水を必要とする苗
木のような粘土の首や胸像が、遅々と来る完成の日を夢みながらいつ
でも二つか三つは立っていた。その上、彼には、むしろ彼のような芸
術家であったればこそ、そう常に物質的余裕がある訳でもなかった
……。

     *

 日帰りのハイキング程度のものは別として、私は高村さんと二度
小さな旅をした。たしか昭和四年とその翌年とだった。最初の年に
は上越国境法師の湯と赤谷川ぞいの温泉へ、次の年には同じ法師か
ら長駆榛名山の北の麓の中之条を経て、吾妻川の渓谷沿いにとおく
草津の温泉まで。二人とも丈夫な足を持っていたので全行程の大半
を歩いた。
 いずれも樹々の若葉や新緑が雲のように湧き上がり、いたる処で
精力的に小鳥の歌う、華々しくも男らしい六月山間の旅だった。高
村さんは例によって和服にブルーズを着て駒下駄ばき、私は着古した
登山服に鋲靴。二人共によく歩いた。その旅じゅう多くは日が照り、
きわめて稀に雨が煙った。思い出をうるおしてアクサンをつける雨、
緑を濡らす真珠母いろの雨が。
戦争で当時の日記やノートの類を焼いてしまったので、今は懐かし
い此の歌にその折々のもう二度とは書けないような落想の美をちりば
めたり、正確な資料の価値を添えたりする事のできないのがいかにも
心残りだが、蘇って来る幾つかの旋律を取り上げて、小さな一楽章を
形作ってみよう。

     *

 水上みなかみが終点になっていた上越線を後閑で下りて、結
束して歩き出した爽やかな朝の三国街道。高村さんと初めてする山の
旅らしい旅が嬉しかった。それに此の上越の国境付近は私にとって未
知の土地だし、初夏の空は浅黄色に晴れて到るところ山躑躅が咲き、
小梨が咲き、藤が咲き、川ぞいの山村には一と月遅れの端午の節句の
真鯉緋鯉が賑やかに浮かんで、古く伝わる民俗の美のゆかしさを、こ
んな辺鄙なればこそいよいよしみじみと感じさせた。
しかし私は、口にこそ出さないが、法師まで六里の道を歩くには重
過ぎるルックサックを背負っていた。初めの内は意地と張りとで我慢
もできたが、その道のりのほぼ半分を歩いて相俣あいまたの部落に近
く、万太郎や仙ノ倉の残雪の嶺線を高々と仰ぐちょっとした乗越で、
私はとうとう高村さんに白状した。「実は僕此のルックサックの中に
ビールを六本持っているんです。そんな山奥だからきっと高村さんの
小父さんの好きなビールだって有りはしないでしょうと言って、実子
のやつが持たしてよこしたんです。僕もあなたを驚かすのを楽しみに
背負っては来たんですが、こんな登りでさえこたえるようになって…
…」と。高村さんは私に驚き、私の妻の心根をいじらしく思う顔つき
だった。妻は彼の親友の長女であり、彼はまた私達の結婚の証人だっ
た。「そりゃあ君重かったろう? ありがとう、ありがとう。僕も持
つよ」と高村さんは言って、ナイフを出して強いくご繩をぶっぶつと
切り放ち、四本の壜をつかんで自分のルックサックヘ押しこんだ。
 旅でこそわけても結ばれる心の機縁。その一つのものが此処にあっ
た。私の救われた体力と蘇った精神。がっと開いた赤谷あかやの谷の
空高く、おりからの雲にかげっていよいよ青い小出俣おいずまたの尖
峰の、なんと鏘々しょうしょうと鳴るばかりだったことだろう!

     *

 途中をゆっくり楽しんで日の暮と一緒に着いた法師の湯。今でこそ
温泉好きや山好きに広く知られている名ではあるが、高村さんが四十
六、私が三十七だった二十数年前の法師温泉なるものは、上州も特に
辺鄙な北西の山の奥、三国山脈直下の深い谷あいにひっそりと細い湯
けむりを上げている、名声からも時代からも遠く取り残された存在だ
った。
 その法師の湯すなわち長寿館の、明治二十年代の様式を想わせるフ
ランス風の窓を持った古い森閑とした浴室で、私は高村さんの裸体を
見なければならなかった。どういうものか他人の全裸を直視すること
を憚る私は、これには困った。「尾崎君は裸を見ると中々いい体をし
ているね。筋肉が一本一本浮き出している」と言われて嬉しい気はし
たものの、「僕はどう? 中々いいでしょう? 此の頃少し痩せはし
たけれど」という言葉に、仕方なく凝視の風をよそおいながら、実は
一糸も纒わずに正面切って立ったその色白の見事な肉体を、ただ両眼
の網膜に漠然と露光させているに過ぎなかった。曾て高村さんに「人
間は越えさせてはならない垣を持たなければいけない」と言われて、
それを即座に納得のできた私だった。その私にとって此処にもまた一
重の垣はあるべきだったが、「おれは女を裸にして、隅から隅までむ
ざんに見る。この世の美からは逃げられない。首をかけても、この世
の美からはどかれない」と書くことのできた高村さんは、此処でもやっ
ぱり彫刻家だった。
「この家うちにもビールは有るそうだけどね、やっぱり実ちゃんの好
意をありがたく頂いて、残りはあした三国峠で雲や山を見ながらやる
事にしようよ、君」とコップを挙げた高村さん。葉書へ桂かつらの葉
を墨で押して絵はがきにして、智恵子さんに便りを書いた高村さん。
その寝顔を私に見せ、おまけに大きな寝言まで聞かせた高村さん。
――旅にくつろいだ高村さんを語ることは楽しく、消えた俤をしのぶ
ことは懐かしいが、私に与えられた紙の数は思わざるに此処で尽きた。





【2】法師温泉2回目

 猿ガ京を出はずれて、
路は吹路への降りにかかる。
秋よ、
秋はきらびやかに、爽やかに、
もう漆の葉をまっかに染めている。

「小父さん、どけえ行くだ」
四つか五つ、男の子が一人、
小さい腰に手をあてて立っている。
私はたちどまる、
あまり小さい子どもの、あまり大人びた其の様子に
私は思わずにっと笑う。
「法師へ行くんだよ」
「法師か。法師ならまっすぐだ」
あくまでもまじめに道を教える其の子供に
「知ってるよ」とは私は言うまい。
思わず帽子に片手をかけて言う、「ありがとう」
その時私は見た、
大人のように両手をあてた子供の腰に、
ちいさい守札のさがっているのを……

    *

翌年の春もたけて山藤の頃、
また同じ路を私はとおった。
はるか姉山の部落の鯉幟に、
私は去年の子供を思い出した。

私は歩きながら眼で探した。
有難い! 子供はいた、路の傍、畑の隅に。
あの子だ。私はすこし興奮して近づいた。
「君にあげるよ」
子供はたじろいだが手に握った、
私の出したキャラメルの一函を。

すこし行って私は振り返った。
子供のそばには母親が立っていた。
二人してこっちを見ながら、
母親は頭の手拭をはずして御辞儀をした。

私も遠くから首をかしげて挨拶しながら、
其処に、彼らの畑のまんなかに、
上州の小梨の大木が一本、
さかんな初夏の光に酔って、
まっしろな花をつけているのに気がついた。





・昭和34年(1959)
「尾崎喜八詩文集〈第1〉空と樹木 」(1959)を刊行した。

●尾崎喜八詩文集「旅と滞在」を刊行した。
 


★明日は川古温泉?

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