箕輪初心:生方▲伊香保№12『伊香保神社縁起』/南北朝時代『神道集』

南北朝時代 『神道集』では、伊香保は「上野国九ヶ所大明神事」や
「上野国第三宮伊香保大明神事」に登場する。『神道集』=伊香保の
昔話*神話に「伊香保姫」・「高光中将」・「伊香保大夫」・「有の御前」
などが登場する。上代の貴族社会を背景にまとめられた伝説・神社
の縁起・山岳神話とも言える。
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【1】伊香保神社
・天平勝宝2年(750)伊香保神社の旧本社とされる三宮神社は創祀
された。(『群馬県群馬郡誌』)
・天長2年(825)4月 伊香保神社が創建・創祀された。
(『群馬県群馬郡誌』)
・承和2年(835)9月辛未 六国史初出の『続日本後紀』で名神に列した。
  「以上野国群馬郡伊賀保社預之名神」
・承和6年(839)6月甲申に従五位下となった
・元慶4年(880)5月25日 赤城神社と並ぶ従四位上となった。
・延喜5年(905)~延長5年(927) 延喜式では「伊加保神社」
   名神大社であった。
 「延喜式内社、上野十二社名大神
   伊香保神社略記
 御祭神 大己貴命・少彦名命
   ・・・(以下略)  (★伊香保神社由緒書きの看板)
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・長元3年(1030)頃の『上野国交替実録帳』では正一位。上野国三宮。
  しかし、豪族:有馬氏が衰退したらしく、中世以後は社勢は衰微した。



①伊香保大明神(男体)
 伊香保神社(群馬県渋川市伊香保町伊香保)
祭神は大己貴命・少彦名命。
式内社(上野国群馬郡 伊加保神社名神大)。 上野国三宮。 旧・県社。
伊香保大明神の男体に該当する人物への言及がないが、『水沢寺之
 縁起』には「高光中将并びに北の方は伊香保大明神男躰女躰の両
 神なり」「それ高光中将殿は男躰伊香保大明神、御本地は薬師如来、
 別当は医王寺」とある。


②伊香保大明神(女体)
 三宮神社(北群馬郡吉岡町大久保)
祭神は彦火火出見尊・豊玉姫命・少彦名命。
本地仏の十一面観音像(秘仏)は現在も御神体として祀られている。
(参考文献 尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」)

③若伊香保神社(渋川市有馬)
 尾崎喜左雄説では、有馬氏が里宮・三宮神社を勧請した際に旧地に存続
 した社だという。
渋川市有馬の若伊香保神社を、水澤寺(渋川市伊香保町水沢)の子安神
 社に比定する説もある

伊香保神社の男体は榛名山のとがった山で、女体は温泉の湧出を想定し
た湯を男女のシンボルとして合祀を意味するのかもしれない。



【2】南北朝時代 『神道集』では、「上野国九ヶ所大明神事」や
  「上野国第三宮伊香保大明神事」に登場する。
『第四十一 上野国第三宮伊香保大明神事』
「抑保ノ大明神ト者(は)男体、女体御有、男体は伊香保の御湯を守
 護、湯前ノ御在時ハ本地薬師也、女体ハ里へ下給テ三宮渋河ニ立御
 在ス、本地ハ十一面也。」

①「伊香保姫」
 上野国に「高野辺家成」(高野辺大将)という公卿が配流された。
 上野国へ配流された「高野辺家成」(高野辺大将)という公卿には
 3人の美しい娘がおり、「淵名姫」「赤城姫」「伊香保姫」といった。
 ところが、娘たちの継母が疎んじ、3人の娘を弟の更科次郎兼光に
 命じ殺された。
 3人の娘には都に出仕していた実弟がおり、事態を知って上野へ引
 き返すと更科次郎兼光を討ち、継母を捕らえて信濃に追放した。
 継母はその後冠着山(姥捨山)で死んだという
  (「赤城山をめぐる伝説」『なるほど赤城学』p83-104、)
②「高光中将」
 淵名姫は利根川に沈められて殺された。
 赤城姫は逃げて赤城山の沼に棲む龍神によって赤城大明神となった。
 伊香保姫は伊香保(榛名山)に逃れ、後に上野国の国司(高光中
 将)と結婚した。
伊香保姫には、姫が一人生まれた。
 高光は都に上りたかったが、この妻娘とも別れづらく、前の国司で、
 伊香保姫の乳母と夫婦の有馬の伊香保大夫の元で暮らしていた。
 伊香保姫は、父や姉の供養のため、淵名社へ参詣した。
 その帰り、狩の最中だった今の国司:大伴の大将が、輿の簾の合間から
 伊香保姫を一目見て、恋に陥り、求婚の文を送ったが、もちろん姫は
 取り合わない。(国司:大伴の大将が伊香保姫に横恋慕したのだ。)
 大伴の大将は国司の地位を笠に着て、大勢の家来に命じ、伊香保姫を
 奪い取ろうとした。
  伊香保大夫は、九人の息子と三人の婿を立てて防戦したが、現国司
 の兵力は大きく、有馬は狭いため、火攻めに抗しきれず、伊香保姫と
 姫君、その乳母たる自分の妻と、娘の石童御前・有御前の姉妹、計5
 人の女を連れて、群馬郡白井の伊香保の児持山へ入った。高光中将は
 深傷を負い、伊香保太郎宗安が背負って、ともに猛火に飛び込み、姫
 の夫:高光中将も死んでしまった。
  伊香保姫が夫の後を追っ伊香保沼(榛名湖)に入水すると、伊香保
 姫は沼の龍神によって伊香保大明神となった。
 伊香保姫は、夫:高光中将が生前に建立した水澤寺に弔われた。
③「伊香保大夫」と「伊香保姫」
 伊香保大夫は、女たちを赤城山と児持山に預けると、上京して帝に拝
 謁し、事件を報告した。
 帝は「高野辺の大将の時も、更科の継母の事件と言い、主君を助けた
 志は立派で、これほど優れた武人はインド・中国にもない。伊香保姫
 には国司の職を与え、その姫は私が面倒を見るから、都へ上らせなさい」
 と言い、伊香保大夫には、国司代理を勤めるよう申し渡した。
 五人の女性は無事に国府の庁に入り、姫君は宮中に召されて更衣となり、
 皇子を生んで、国母(天皇の生母)となられた。

④上野国司が伊香保の山を荒らして伊香保大明神の怒りに触れ、大明神
 によって湖畔の石楼に閉じ込められた。

 ⑤赤城沼の龍神と榛名湖の龍神が争い、岩の投げ合いをした。

(★



◆参考サイト
『神道集』の神々
http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/41.html
『第四十一 上野国第三宮伊香保大明神事』
伊香保大明神は赤城大明神の妹で、高野辺大将の三番目の姫君である。
高野辺中納言の奥方の弟の高光中将と結婚して、一人の姫君をもうけた。
高光中将は上野国の国司を他に譲ったあと、前の目代(国司代理)で
あった有馬の伊香保大夫のもとで暮らしていた。 伊香保姫は父や姉君
の亡魂に奉幣するために淵名神社へ参詣した。 その帰り道、現在の国
司である大伴大将が渡しで河狩りをしているところを通り過ぎた。
大伴大将は輿の簾の隙き間から姫を一目見て忘れられなくなり、国司
の威勢で姫を奪おうとした。 伊香保大夫は九人の息子と三人の婿を
大将として防戦したが、国司は四方から火をかけて攻めたてた。
伊香保太夫は、主人の伊香保姫とその姫君、女房と娘の石童御前・
有御前を連れて、児持山に入った。 高光中将はひどく負傷しており、
伊香保太郎宗安と共に猛火に飛びこんで姿が見えなくなった。
伊香保太夫は上京して帝に奏聞した。帝は伊香保姫に国司の職を持たせ、
高光中将の娘を上京させるよう云った。
伊香保太夫は目代となり、九人の息子を九ヶ所社に祀った。 三人の婿
も三所明神として顕れた。また、伊香保山の東麓の岩滝沢の北岸に寺を
建てて、高光中将の遺骨を納めた。 高光の姫君は上京して更衣となり、
皇子が生まれたので国母として仰がれた。

月日は流れ、伊香保太夫とその女房は亡くなった。 石童御前と有御前は
伊香保姫と暮らしていた。 高光中将の甥の恵美僧正が別当になって寺は
ますます栄え、岩滝沢に因んで寺号を水沢寺とした。
伊香保姫は夫の形見の千手観音を寺の本尊に祀り、二人の御前と共に、
亡き人々の現在の様子を知りたいと祈った。 夢とも幻ともなく、高光中
将・伊香保大夫夫妻とその一族が御堂に入って来て、千手観音に礼拝した。
伊香保大夫の女房は 「あなた方の千手経読誦の功徳により、伊香保山の
神や伊香保沼(榛名湖)の龍神・吠尸羅摩女に大切にされ、我らは悟りを
開くことができました。今は高光中将を主君とし、その眷属として崇めら
れています」と云った。
夢から覚めた伊香保姫は「沼に身を投げて、龍宮城の力で高光中将の所
に行こうと思います」と云って伊香保沼に身を投げた。
 石童御前と有御前もその後を追った。 恵美僧正は三人の遺骨を本堂の
仏壇に下に収めて菩提を弔った。

その後、恵美僧正の夢の中に伊香保姫が現れ、この寺の鎮守と成ろうと告
げた。
夜が明けて枕もとを見ると、一冊の日記が有り、以下のように記されてい
た。
伊香保姫は伊香保大明神として顕れた。
伊香保太夫は早尾大明神として顕れた。
太夫の女房は宿禰大明神として顕れた。
御妹の有御前は父の屋敷を守護するため、岩滝沢から北に有御前として鎮
座している。
御姉の石童御前は岩滝沢から南に鎮座し、石常明神という。
中将殿の姫君は帝が崩御された後に国に下り、若伊香保大明神として顕れた。
夢枕の日記に従い、伊香保大明神を水沢寺の鎮守として崇敬した。

人皇四十九代光仁天皇の御代、上野国司の柏階大将知隆は伊香保山で七日
間の巻狩を行って山と沼を荒らした。 沼の深さを測ろうとすると、夜の
内に小山が出現したので、国司は上奏のために里に下った。
 その後、沼は小山の西に移動し、元の沼地は野原になった。 国司は里
に下る途中、一頭の鹿を水沢寺の本堂に追い込んで射殺した。寺の僧たち
は殺された鹿を奪い取って埋葬し、国司たちを追い出した。怒った国司は
寺に火をつけて焼き払った。別当恵美僧正は上京して委細を帝に奏聞した。
帝は国司を佐渡島に流すよう検非違使に命じた。
伊香保大明神は山の神たちを呼び集めて石楼を造った。国司が蹴鞠をし
ていると、伊香保山から黒雲が立ち上り、一陣の旋風が吹き下ろした。
国司と目代は旋風にさらわれて石楼に閉じ込められ、今も焦熱地獄の苦し
みを受けている。 山の神たちが石楼を造った山が石楼山である。この山
の北麓の北谷沢には冷水が流れていたが、石楼山が出来てから熱湯が流れ
るようになり、これを見た人は涌嶺と呼んだ。
恵美僧正は水沢寺を山奥に再建しようと考え、黒沢の南の差出山の弥陀
峰の大平に大堂を建立した。
赤城沼の唵佐羅摩女と伊香保沼の吠尸羅摩女が沼争いをした大昔から、
渋河保の郷戸村には衆生済度のため療治の湯が湧き出ていた。
 水沢寺が差出山に建てられた時、番匠の妻子はこの湯で衣類の洗濯を
していた。 大宝元年[辛丑]三月十八日、僧正は一人の老女が「衆生済
度の湯とも知らず汚れ物の洗濯するから、この湯を少し山奥へ運びまし
ょう」と温泉の湯を瓶に入れて弥陀峰を越えて行く夢を見た。僧正が目
を覚ますと、一夜の内に温泉が出なくなっていた。 僧正が夢に従って
奥山に入ると、石楼山の北麓の北谷沢の東の大崩谷から里湯本の伊香保
の湯に合流していた。
伊香保大明神には男体女体がある。 男体は伊香保の御湯守護のために
湯前に鎮座し、本地は薬師如来である。
女体は里に下って三宮と云って渋河保に鎮座し、本地は十一面観音である。
宿禰・若伊香保の二所は共に本地は千手観音である。
早尾大明神の本地は聖観音である。
有御前の本地は如意輪観音である。
石垣明神の本地は馬頭観音である。

その後、恵美僧正は上洛して行基菩薩の弟子の東円に別当を譲り、水沢寺
の完成後に入滅した。 大宝二年壬寅二月十八日、東円上人は行基を導
師に招いて水沢寺で供養を行った。


【3】尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」
「山岳信仰時代には現在地に鎮座しておらず、里宮として今の三宮神社
 の地に伊香保神社はあった。」
「伊香保神社は古くは阿利真公(有馬君)によって有馬の地に祀られて
 おり、後に三宮の地に遷座した。これが伊香保神社の里宮(現三宮神
 社)となり、有馬の元社は若伊香保神社と呼ばれるようになった。
 その後、伊香保温泉の湯前の守護神として分社が勧請され、現在の伊香
 保神社となった。 伊香保温泉にはそれ以前から薬師堂(温泉明神)が
 祀られていたが、伊香保神社の勧請後はその本地仏とみなされるよう
 になったと考えられる。
 つまり、豪族・有馬氏(阿利真公)が祭祀を行い、若伊香保神社のある
 渋川市有馬に最初は鎮座していた。」という。
(★尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」『上野国の信仰と文化』所収、
  尾崎先生著書刊行会、1970)
(★尾崎喜佐雄『群馬の地名』

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箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
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◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
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箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
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箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
https://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

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箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫尊皇思想家
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箕輪初心:生方▲伊香保№07≪奈佐勝皐(かつたか)天明6年(1787)≫
『山吹日記』
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・エロ浮世絵師
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&②『南総里見八犬伝』
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箕輪初心:生方▲伊香保№100番外編≪司馬遼太郎『北斗の人』≫
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★明日の伊香保は「江戸時代の儒者・国学者など」である。

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