箕輪初心:生方▲伊香保№36≪三遊亭円朝M7≫落語家『霧隠(陰)伊香保湯煙』

初代の三遊亭円朝(1839~1900)は江戸末期から明治時代にかけ
て活躍した「落語中興の祖」とも呼ばれた落語家である。
明治7年、三遊亭円朝は磯部温泉から伊香保温泉、そして、おそらく、
明治20年頃、市川團十郎と四万温泉「積善館」と旅をしている。
群馬県立土屋文明記念文学館の第二弾「青き上に 榛名・伊香保文
学紀行」(発行2008年7月12日)《定価》2262円(税込)に
三遊亭圓朝「霧隠伊香保湯煙(抄)」19~22が掲載されている。
『霧隠伊香保湯煙』という人情話は伊香保温泉や四万温泉のほか、
前橋、桐生な、足利どを舞台として、2人の男女の悪行が次々と事件
を引き起こす話である。青空文庫には全編が掲載されている。
画像




【1】三遊亭圓朝「霧隠伊香保湯煙」
「偖(さて)、お話も次第に申し尽し、種切れに相成りましたから、何
 か好い種を買出したいと存じまして、或お方のお供を幸い磯部へ参
 り、それから伊香保の方へまわり、遊歩かた/″\実地を調べて参
 りました伊香保土産のお話で、霧隠伊香保湯煙と云う標題に致して
 お聴きに入れます。これは実際有りましたお話でございます。彼の
 辺は追々と養蚕が盛んに成りましたが、是は日本第一の鴻益で、茶
 と生糸の毎年の産額は実に夥しい事でございます。外国人も大して
 之を買入れまする事で、現に昨年などは、外国へ二千万円から輸出
 したと云いますが、追々御ご勉強でございまして、あの辺は山を開
 墾してだん/″\に桑畑にいたします。それにまた蚕卵紙(たねが
 み)を蚕に仕立てます故、丹精はなか/\容易なものでは有りませ
 んが、此の程は大分養蚕が盛で、田舎は賑やかでございます。養蚕
 を余り致しません処は足利の方でございます。此処はまた機場(はた
 ば)でございまして、重に織物ばかり致します。高機を並べまして、
 機織女の五十人も百人も居りまして、並んで機を織って居ります。
 機織女は何程位賃銀を取るものだと聞いて見ると、実に僅かな賃で
 ございます。機織女を抱えますのに二種有ります。一を反織と云い、
 一を年季と申します。反織の方は織賃銀何円に付いて何反織ると云
 う約定で、凡すべて其の織る人の熟不熟、又勤惰(きんだ)によっ
 て定め置くものでござります。勉強次第で主人の方でも給金を増す
 と云う、兎に角宅うちへ置いて其の者の腕前を見定めてから給料の
 約束を致します。又一つの年季と申しますると、一年も三年も或い
 は七年も八年もございますが、何十円と定めまして、其の内前金を
 遣ります。皆手金の前借が有ります。それで夏冬の仕着せを雇主よ
 り与える物でございます。これは機織女を雇入れます時に、主人方
 へ雇人請状を出しますので、若い方が機に光沢が有ってよいと云う
 ので、十四五か十七八あたりの処が中々上手に織りますもので、六
 百三十五匁、ちっと木綿にきぬ糸が這入りまして七十寸位だと申し
 ます。其の中で二崩しなどと云う細かい縞は、余程手間が掛ります。
 一機四反半掛に致しましても、これを織り上げて一円の賃を取ります
 るのは、中々容易な事ではございません。機織場の後うしろに明りと
 りの窓が開いて居ります。足利辺りでは大概これを東に開けますから、
 何故かと聞きましたら、夏は東から這入りまするは冷風だと云います。
 依って東へ窓を開け、之をざまと云います。夏季蚊燻(いぶ)しを致
 します。此の蚊燻の事を、彼地ではくすべと申します。雨が降ったり
 暗かったりすると、誠に織り辛いと申しますが、何か唄をうたわなけ
 れば退屈致します処から、機織唄がございます。大きな声を出して見
 えもなく皆な唄って居ります様子は見て居りますると中々面白いもの
 で、「機が織りたや織神さまと、何卒どうぞ日機の織れるよに」と云
 う唄が有ります。また小倉織りと云う織方の唄は少し違って居ります。
 「可愛い男に新田山通(にたやまがよい)小倉峠が淋しかろ」、これ
 は新田山と桐生の間に小倉峠と云う処がございます。是は桐生の人に
 聞きましたが、囃がございますが、少し字詰りに云わなければ云えま
 せん、「桐生で名高き入山書上の番頭さんの女房に成って見たいと丑
 の時参りをして見たけれども未だに添われぬ」トン/\パタ/\と遣
 るのですが、まことに妙な唄で。偖(さて)、足利の町から三十一町、
 行道山の方かたへ参ります道に江川村と云う所が有ります。此処に奧
 木佐十郎と云って年齢六十に成る極く堅人がございます。旧は戸田様
 の御家来で三十石も頂戴したもので、明治の時勢に相成りましたから、
 何か商売を為しなければならんと云うと、機場のこと故、少しは慣れ
 て居りますから、忰の茂之助を相手に織娘を抱えて機屋をいたします
 と、明治の始めあたりは、追々機が盛って参り大分繁昌で親父さんも
 何か早く茂之助に善い女房を持たせたいと思ううち、織娘の中で心掛
 けの善いおくのと云うが有りまして、親父の鑑識(めがね)でこれを
 茂之助に添わせると、宜いことには忽(たちまち)子供が出産できま
 した。総領を布卷吉(つまきち)と申して今年七歳になり、次は二月
 生れで女の児をお定と申します。』
(青空文庫より転載)

★磯部→伊香保へ・・群馬県で盛んに行われていた養蚕の様子など
 が克明に書き表されいる。~~~~~~
 明治5年(1872) 足利の機屋の茂之助が芸者お滝を身請けする。
 友人治平から「お滝には男がいる。」と聞き旅に出たふりをする。
 留守宅に村上松五郎が訪ねてきた。茂之助は「間男見つけた。」
 と喧嘩になる。茂之助は手切れ金でお滝を離縁する。お滝と村上
 松五郎は所帯を持った。茂之助はお滝と口論になったが、松五郎
 やられる。茂之助は妻:おくのに脇差しを出させて,お滝らを殺し
 に行く。おくのはお滝に「逃げろ。」と知らせる。茂之助はおくの
 と赤ん坊を殺してしまう。茂之助、・・・自殺した。
 

★橋本幸三郎はいろいろな女性と関わりある。結婚相手は
 ①小栗上野介の娘:お藤
②村上松五郎の妹:小峰
③村上松五郎の妻:お滝

◆参考サイト
①霧陰伊香保湯煙-あらすじ - はなしの名どころ
http://www.nadokoro.com/kogai/ikaho.htm
明治22年、やまと新聞に連載。伊香保や四万の温泉風景が細かく描か
れている。

②霧陰伊香保湯煙:三遊亭圓朝:鈴木行三校訂・編纂
https://www.aozora.gr.jp/cards/000989/files/4298_35446.html

③群馬県立土屋文明記念文学館の第二弾 
「青き上に 榛名・伊香保文学紀行」(発行2008年7月12日)
《定価》2262円(税込)に 三遊亭圓朝「霧隠伊香保湯煙(抄)」
19~22が掲載されている。


【19】伊香保の場面開始>>>>>>>>>>>>>>>>
『お話二つに分れまして、これは明治七年六月の末のお話でござりま
す。夏になると湯治場が流行りますが、明治七年あたりは湯治場がまだ
そろ/\是から流行って来ようと云う端緒(こぐち)でございました。
熱海、修善寺、箱根などは古い温泉場でございますが、近年は流行いた
して、また塩原の温泉が出来、或いは湯河原でございますの、又は上州
に名高い草津の温泉などがございます。先達って私は或るお方のお供を
いたして、堀越團十郎と二人で草津へ参って、彼の温泉に居りましたが、
彼処は山へ登るので車が利きません。矢張り昔のように開けません、近
郷の人が入浴に参りますが、当今は外国人が大分参りまして入浴いたし
ます。温泉場でもやり尽しまして、斯うしたらお客様の御意に入るか、
斯う云う風に家を建てようかなどと心配いたして、追々開けて参る様子
でございます、其の中にも丁度近くって伊香保と云う処は宜よい処で、
海面から二千五百尺高いと云う、空気は誠によく流通いたして、それか
ら湯が諸病に利くと云う宜しい処で、脚気(かっけ)に宜しく、産前産後
血の道に宜しく、子宮病に宜しく、肺病に宜しく、僂麻質斯(りょうまち
す=リューマチ)は素よりの事、これは私が申す訳ではございません、独
逸(どいつ)のお医者様が仰しゃったので、日本温泉論にありますそうで、
随分大臣方がお出向になります。何う云うものか俚諺(ところことば)に、
旅籠屋のことを大屋/\と申します。此の大屋の勢いは大したもので、伊
香保には結構なのが沢山ございますが、中にも名高いのは木暮金太夫、木
暮武太夫、永井喜八郎、木暮八郎と云うのが一等宜いと彼地で申します。
木暮八郎の三階へ参って居ます客は、霊岸島川口町橋本幸三郎と申して、
お邸やしきへお出入を致して、昔からお大名の旗下の御用を達たしたもの
で、只今でも御用を達す処もござりますが、まア下質を取って金貸と云う
のだから金満家でございます。お父さんは亡なくなって、当人は相続人に
なりました。只(たった)一人のお母さんがありまして、幸三郎に嫁を貰
った処が、三年目に肺病に罹かゝりまして、佐藤先生と橋本先生にも診て
貰ったが、思うようでなく、到頭死去(みまかり)ました。今は独身で嫁
を探して居る身体、まだ年が三十七と云うので盛んでございまする。箱根
へ湯治に行ったが面白くない、今度は伊香保へ行って見よう、一人では淋
しい、連れをと云うので、是れは木挽町三丁目の岡村由兵衞と云う袋物商
と云うと体が宜しいが、仲買をしてお出入先から何品をと云うと、直きに
宮川へ駈付けるという幇間(おたいこ)半分で面白い人で、また一人は伴
廻、これは渋川の車夫で、車に乗って来た処が、正直で能く働き、気の利
いた男で、しまいには馴染になって、正直者だから次の間に居れ、帰途は
又乗ると云う、此方も居得だから小用を達して茶をいれたり何かする。年
はまだ二十八だが、車夫には似合わぬ好い男でございます。今日は昼飯を
食ってから少し運動をしようとぶら/\出かけました。

【20】        
『只今では彼処は変りまして湯本へ行きます道がつき、あれから二ツ嶽の
方へ参る新道も出来ましたが、其の頃はそう云う処はありませんから、ま
ず伊香保神社へ行ゆくより外に道はございません。石坂を上がって行くと
二軒茶屋があります、遠眼鏡が出て居りますが曇ってゝ些っとも見えませ
ん、却って只見る方が見えるくらいで、ほんの景気に並んで居るのでござ
います。お婆さんが茶を売って居る処へ三人連で浴衣に兵子帯(へこおび)
の形姿なりで這入ろうとすると、何を思ったか掛茶屋の方を見て、車夫の
峯松が石坂をトン/\駈下りました。
幸「おい……峯公何うしたのだ、駈下りたじゃアねえか」
由「其処そこまで来て駈下りましたが、何か忘れ物でもしたのでしょう、
  貴方がカバンを提げて居らっしゃるとキョト/\して居ます、初めて
  伊香保へ来たから華族さんや官員さんの奥様や、お嬢さん達の衣装が
  綺麗で、日に二三度も着替えて御運動だから、彼奴は安物買が勧業場
  へ来たようにキョト/\して、危い石坂を駈下りたりなにかするので、
  今は何で行ったか分りませんが、時々能く物を買って食う男で、随分
  意地の穢ない男で」
 幸「何しろ何処どこかへ休もうじゃアねえか」
と傍の茶見世へ這入ると、其処に四十八九になる婦人が居ります。髪は小さ
い丸髷に結い、姿なりも堅い拵らえで柔和しい内儀さんでございます、尾張
焼の湯呑の怪しいのへ桜を入れて汲んで出す。其のお盆は伊香保で出来ます
括盆(くりぼん)で。
女「此方こちらへお掛けなさいまし」
幸「好いい景色だな、ちょうど今頃は好い景色に向う時だ」
女「はい、御緩(ごゆるり)とお休みなさいまし……おや、貴方は橋本の
  幸さんじゃアございませんか」
幸「おや、これは御新造……何うして貴方が此処に」
女「誠にどうもお珍らしいたって久しくお目に懸りませんが、まア御承知
  の通りお上も亡なくなりまして、私も此様こんな処で、お茶を売るまで
  に零落(おちぶれ)ましたが貴方はまア大層お立派におなりなすって、
  見違いますようで……おや由兵衞さん」
由「これは御新造……これはどうも村上の御新造さん、此処でお茶を売っ
  て居らっしゃるとは何様どんな探報者でも気が付きません……どうして
  まア」
女「どうもお恥かしくって……実は貴方さんも御存じの通り、旦那様も
   彼あア云う訳になりましてねえ、仕方なく私ももう段々身体も悪し、
   微禄(よわり)ましてしまったから、何を内職にするにも身体が本
   だから、其様そんなにくよ/\せずに湯治に行ったら宜かろうと勧め
   てくれる者もありまして、此方の方に縁の家来筋の者が居りました
   から、これへ参って湯治をすると、湯中ゆがしてドッと悪くなり、
   五週間ばかり居るうちにお恥かしいお話でございますが、金を使い果
   してしまい、何うする事も出来なくなったのを、木暮武太夫と申す
   大家さまが真実な人で、種々いろ/\云ってくれましたから、お前さ
   ん此処へ参ると、望月と云う書画なぞの世話をする人が在って、
   其の人に道具を東京で買ってもらい、此処へ茶見世を出して居ります
   のも、大家さん方に願ってお話をして、とうとうまア此の五月の末
   からこんな事をして居りますが、ほんの湯治かた/″\やって居りま
  すので、初めは間が悪くって知った方に逢いますと顔から火が出るよう
   で、茶を汲んで出す事も出来ませんでしたが漸く此の頃は馴れて参り
  ました……お懐しい東京の方を見ると、思い出して、東京のようすも
  大層違ったろうと思いますが、浅草の観音様は相変らず彼処にありまし
  ょうねえ」
 由「えゝ、ありますとも、外に地面がありませんから」


【36】四万温泉「積善館」>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
「幸三郎と由兵衞が關善の玄関に着くと、皆迎いに出ます。昨年、私が
堀越團洲子(ほりこしだんしゅうし)とともに或る御大臣様お供で關善
へ参りましたが、只今では三階造りの結構な新築でございますが、その
以前は帳場より西の方が玄関でございまして、此処に確か十畳の座敷、
入側付きで折曲って十二畳敷であります、肱掛窓で谷川が見下せる様
になって、山を前にして好よい景色でございます。二階家で幾間も座敷
がございます。其処へ着きますと直ぐ湯を汲んで来たから、足を洗って
上り、
幸「あゝ好い心持だ、おい由兵衞さん、何か忘れ物のないように」
由「万事心得ました」

★三遊亭円朝は歌舞伎役者:市川団十郎と積善館に宿泊したことがあ
り、その時の印象をもとにしてこの作品を作ったとも言われている。
円朝は「少し塩気を含む透明」な四万の湯を、たいそう気に入った。
★昨年=明治21年頃か?…発行は明治22年だから、・・・



●▲■箕輪初心:生方▲温泉ブログ(群馬編)***********

箕輪初心:生方▲2018『草津温泉』・『草津に歩みし141人+α』のブログ一覧
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箕輪初心:生方▲『温泉百話―東の旅』(ちくま文庫2018年)
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◆総論編**************************
◆◆ 箕輪初心★『伊香保の歴史詳細&訪れた文人墨客』 ◆◆
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箕輪初心▲伊香保温泉&【文人墨客】復刻版
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https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201503/article_30.html

◆各論編**************************
◆◆【古代~平安時代の伊香保・榛名】************
伊香保№00『エロ解釈万葉集伊香保編9首』古代~鎌倉時代
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箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集東歌:エロい伊香保9首』
http://53922401.at.webry.info/201509/article_9.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『万葉集上野国エロ東歌』
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路の万葉歌碑』①山名駅~山名
八幡宮~山上の碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_22.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路のエロ万葉歌碑』②山上の碑
~山名城大手口まで4句碑』
http://53922401.at.webry.info/201510/article_23.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉歌碑』③山名城2回目
http://53922401.at.webry.info/201510/article_24.html

箕輪初心:生方▲2015高崎【山名万葉句碑】④山名城4番~10番
&根小屋城の句碑
http://53922401.at.webry.info/201510/article_25.html

箕輪初心:生方▲2015高崎『石碑之路万葉句碑』⑤根小屋城2回目
https://53922401.at.webry.info/201510/article_29.html


◆◆【鎌倉時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№00補足篇≪鎌倉時代の歌人たち≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_23.html


◆◆【南北朝時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲伊香保№12『伊香保神社縁起』と南北朝時代『神道集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_24.html

◆◆【戦国時代の伊香保・榛名】******************
箕輪初心:生方▲箕輪城№233かみつけの里【榛名神社文書】の解説
&久保田順一先生説
https://53922401.at.webry.info/201612/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№32榛名神社の歴史「座主→武将の俗別当
への移行」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_6.html


箕輪初心:生方▲伊香保№01≪長尾景仲→景信→景春→上杉定昌
の伊香保温泉開発?≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_3.html

箕輪初心:生方▲伊香保№02≪堯恵(ぎょうえ)文明18年(1486)≫
『北国紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№03≪宗祇:文亀2年(1502)≫連歌師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保温泉№4≪宗長≫ 連歌師:『宗祇終焉記』・『東路の津登』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_6.html

箕輪初心:生方▲伊香保№4≪真田昌幸:天正4年(1576)石段街の基礎造成≫
と真田3代ブログ一覧
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◆おまけ***********************
箕輪初心▲武田信玄&真田幸綱(幸隆)の侵攻①信濃編ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_8.html

真田幸綱(幸隆)の上野侵攻②上野編150城ブログ一覧
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箕輪初心:生方▲2016年NHK大河D【真田丸】:真田昌幸&真田幸繁
(幸村)ブログ一覧
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箕輪初心:生方▲真田丸7【真田の隠し湯&ゆかりの温泉14】
https://53922401.at.webry.info/201601/article_9.html

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椋原政直と榛名神社』
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箕輪初心:生方▲高崎№27▲久保康顕先生講演会『戦国時代の榛名神社』
と井伊直政
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◆◆【江戸時代の伊香保・榛名】*****************
箕輪初心:生方▲伊香保№13『江戸時代の文学:伊香保・榛名総集編』
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箕輪初心:生方▲伊香保№23『江戸時代の旅と飯盛女』&『伊香保に町人来訪』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_46.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25『榛名講』での御師の役割と『伊香保温泉』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_47.html

箕輪初心:生方▲伊香保№15≪中川内膳正妻:寛永年間(1624~1645)≫
『伊香保記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_27.html

箕輪初心:生方▲伊香保№16≪跡部良顕:元禄11年(1698)≫『伊香保紀行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_29.html

箕輪初心:生方▲伊香保№17≪建部涼袋:延享2年1745≫『伊香保山日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_33.html

箕輪初心:生方▲伊香保№18≪油谷倭文子(ゆやしずこ):寛延3年(1750)≫
『伊香保の道行きぶり』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№25≪塩原太助:宝暦12年(1762) ≫:榛名神社で祈願
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_50.html

箕輪初心:生方▲伊香保 №06≪高山彦九郎:安永2年(1773)≫
尊皇思想家『赤城行』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_11.html

箕輪初心:生方▲伊香保№19≪平沢旭山:天明5年(1785)≫漢学者・国学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_37.html

箕輪初心:生方▲伊香保№20≪吉田芝渓:寛政元年(1789)≫千明仁泉亭
『浴泉奇縁』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№07≪奈佐勝皐(かつたか)天明6年(1787)≫
『山吹日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_15.html

箕輪初心:生方▲伊香保№21≪関重嶷:寛政12年(1800)≫伊勢崎藩家老
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_41.html
★嵩山彦九郎と仲良しだった。

箕輪初心:生方▲伊香保№29≪清水玄叔(烏涯)享和3年(1803)≫
『上州榛名詣』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_4.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪小林一茶:文化5年(1808)≫『草津道の記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_44.html

箕輪初心:生方▲伊香保№22≪八隅芦庵:文化7年(1810)≫『旅行用心集』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_43.html

箕輪初心:生方▲伊香保№30≪香川景樹:文政元年(1818)?≫歌人
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_5.html

箕輪初心:生方▲伊香保№26≪清水浜臣:文政2年(1819)≫『上信日記』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_52.html

箕輪初心:生方▲伊香保№08≪十返舎一九:文政2年(1819)≫文学者
・エロ浮世絵師
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪千葉周作:文政6年(1823)?≫:木暮武太夫泊
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_16.html

箕輪初心:生方▲伊香保№09≪樋口定輝:文政6年(1823)?
伊香保神社掲額事件≫馬庭念流
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_20.html

箕輪初心:生方▲伊香保№11≪滝沢馬琴:文政年間?≫①『伊香保の額論』
&②『南総里見八犬伝』
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№100番外編≪司馬遼太郎『北斗の人』≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201810/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№27 ≪安積良斎:天保9年(1838)≫榛名神社
・木暮武太夫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_1.html


◆明治時代編************************
箕輪初心▲伊香保№33≪新居守村:明治3年(1870)≫榛名神社の神仏分離取締
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_9.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35群馬県立土屋文明記念文学館
「榛名・伊香保文学紀行46人」
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲伊香保№35≪デシャルム大尉:M6≫フランス人将校
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★明日の伊香保は?

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