箕輪初心:生方▲『サムライマラソン』②幕末の安中藩:板倉勝明・板倉勝殷・新島襄

平成31年(2019)2月22日、土橋章宏がの小説『幕末まらそん侍』
が映画化され「サムライマラソン」が上映された。初日に見た。
結果、群馬の地方都市:安中のPRとなった。ついでに私もPR。
板倉勝明は「遠足」で有名であるが、積極的な藩政改革を行なった。
新島襄は板倉勝明(かつあきら)と板倉勝殷(かつまさ)に仕えた。
板倉勝静は新島襄のアメリカ行きに応援した。幕末、安中藩は転換
期を迎えた。

●「サムライマラソン」
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●地方版の新聞
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【1】◆◆ 板倉勝明(かつあきら)の業績 ◆◆
・文化6年(1809)11月11日(12月17日)安中藩主・板倉勝尚の
 長男(庶子)として生まれた。幼名は 百助⇒鶴五郎

・文政3年(1820) 10月27日、父:板倉勝尚の死去により家督を継いだ。
重形系板倉家7代:板倉勝明となった。

・文政7年(1824)11月15日、将軍徳川家斉に拝謁。
12月26日、従五位下伊予守に叙官。

・天保14年(1843)12月15日~天保15年(1844)5月18日まで
奏者番を務めた。

1)学者の登用→蘭学の奨め
学問を好んで後藤松陰らと交遊し、藩内でも学問を奨励している。
①【大山融齋】=嘉永5年(1852 )張り子の地球儀作成。
②【山田三川】=近藤重蔵と千島列島の択捉島探検。
③【添川完平】=安中藩の儒者。
④【川田甕江】= 新島襄の漢学の先生。後、東大教授。

2)西洋軍制の導入

3)殖産の奨め→桐・杉・漆など(★新島襄の安中の家の裏)

4)学者藩主と称され、本の執筆が多い。
①『甘雨亭叢書』
②『安中志』
③『東還紀行』
④『西征起行』
⑤『遊中禅寺記』など多くの著作を残している。


5)安政の遠足→日本初のマラソン


・安政4年(1857)4月10日(新暦5月3日)に死去。享年49。
戒名:智照院殿英俊源雄大居士
 墓所:愛知県西尾市貝吹町の長円寺
兄弟・・・勝明、分部光貞、鎌之助、勝殷
 妻:正室:松平頼儀の娘
 子:娘(黒田直和継室)、養子:勝殷

 弟で養子:板倉勝殷(かつまさ)が跡を継いだ。
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 (★「サムライマラソン」安中城セット)
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【2】◆安中藩と遠足の歴史*****************
・嘉永5年(1852) 新島襄9歳 
※日米和親条約
※長州の桂小五郎が京都で御所を拝む。
※12月ナポレオンがフランス皇帝に就任。

・嘉永6年(1853)新島襄10歳
  漢学・・・安中藩の学問所:添川完平(廉斎)
 ■添川完平{享和3年(1803)~安政5年(1858)}
 江戸安中藩江戸屋敷の儒学者・・新島襄も学んだ。
 
※6月ペリー提督、4隻の軍艦を率いて浦賀沖に入港。 

・安政元年(1854)新島襄11歳 
※3月日米和親条約締結 

・安政2年(1855)・安政遠足(あんせいとおあし)
 安中藩主板倉勝明(かつあきら)が藩士の鍛錬のため、藩士96人に
 安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競走である。
 安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれている。

・安政2年(1854)新島襄12歳
※5月 パリ万国博覧会が開催。


・安政2年(1856~)新島襄13歳
  新島襄は蘭学者:田島順輔(板倉勝明のお抱え蘭学者)に学んだ、
 『ロビンソン・クルーソー』
 【聖書】 蘭学・・田辺真次郎蘭学塾(私塾)

※10月吉田松陰が松下村塾を再興。

・安政3年(1857)新島襄14歳
 新島襄は板倉勝明(かつあきら)の祐筆の補佐役を命じられた。
 新島襄は父に代わって、習字塾の先生になった。
※5月下田条約に基づき日米通商条約が調印された。

・安政4年(1857)新島襄15歳
  閏5月11日、板倉勝明48歳が死亡。
兄で先代藩主の板倉勝明が死去したため、家督を継いだ。

 6月25日、将軍徳川家定に拝謁する。
 12月16日、従五位下主計頭に叙任する。

※大老井伊直弼による安政の大獄始まる。

・安政4年(1857)、備中松山藩:板倉勝静は奏者番兼寺社奉行に
 任命された。
 板倉勝静は安政の大獄で井伊直弼の強圧すぎる処罰に反対して
 寛大な処置を行い、いい直弼の怒りを買った。

・安政4年(1857)4月10日(新暦5月3日)板倉勝明が死去。享年49。
戒名:智照院殿英俊源雄大居士
 墓所:愛知県西尾市貝吹町の長円寺
兄弟・・・勝明、分部光貞、鎌之助、勝殷
  弟で養子:板倉勝殷(かつまさ)が跡を継いだ。

7月 上野安中藩の漢学の教授:添川完平(廉斎)が死去。
9月 川田甕江を登用。
 ⑧儒学・・・川田 甕江(おうこう)
  備中松山藩の川田剛=甕江が安中藩の学問所で
    漢学を教える。
 ★備中岡山県の玉島出身の川田甕江と新島譲との出会い

 ■川田 甕江(おうこう)*****************
 文政13年(1830)~明治29年(1896)
・文政13年(1830) 備中浅口郡玉島(岡山県倉敷市)生まれ。
  父は玉島の回船問屋。
  玉島で儒学者鎌田玄渓に学んだ。
  江戸で佐藤一斎らの下で学んだ。
  近江大溝藩の藩儒として100石で仕官。
 ・安政4年(1857) 備中松山藩の藩儒として50石で仕官。
   陽明学者:山田方谷の推薦。
  山田方谷の筆頭・・・江戸藩邸の教授:三島中洲・川田甕江
・安政5年(1858) 川田甕江は江戸の安中藩中屋敷で漢学を教授。
 川田甕江塾が安中藩邸に開設・・新島襄は川田塾に入塾。
 新島襄は漢学:川田甕江塾+蘭学:田辺真次郎塾 
・文久2年(1862)川田甕江は、備中松山藩:板倉勝静に180tの
  大きい洋式木造帆船の快風丸を購入するように進言→実現。
  アメリカ→快風丸が横浜で引き渡し→玉島(現倉敷市)
  新島襄は川田甕江の推薦で快風丸に乗り組むことになった。
 11月12日・新島襄は川田甕江から餞別を贈られ、江戸を出帆。 
 ★川田甕江は新島襄の将来に期待していたのであろう。
 


※11月福沢諭吉が江戸築地に蘭学塾を開く。

・安政6年(1859)新島襄16歳
2月、板倉勝殷(かつまさ)大坂加番を命じられた。
  
※6月横浜・長崎・函館が開港される。 
※10月安政の大獄で吉田松陰が刑死。
 新島襄は杉田玄瑞について再び蘭学を始める。 

 備中松山藩主:板倉勝静は井伊直弼に罷免された。

・万延元年(1860)新島襄17歳 
※3月 桜田門外の変・・・大老井伊直弼が暗殺。
※4月 板倉勝明公の弟:板倉勝殷(かつまさ)公の護衛役で、
 新島襄は安中に来た。
 参勤交代は4月江戸発~、
 新島襄は3・4ヶ月、安中に滞在したらしい。
 
 11月 新島襄は徳川幕府の軍艦教練所に通い、数学や航海術を学ぶ。


・万延2年(1861)新島襄18歳 
 ※世界・キリスト教を知り、祖国を離れようと思うようになった。

・文久元年(1861)新島襄18歳 
※3月ロシア軍艦が対馬事件を起こす。→小栗上野介が対応。 
板倉勝静は再び奏者番兼寺社奉行として幕政に復帰した。

※12月 公武合体政策で皇女和宮が降嫁。
  途中、安中の板鼻に泊まった。江戸へ下る。
板倉勝殷は和宮降嫁のために中山道の守備・警固を務めた。

・文久2年(1862)新島襄19歳 
第7代藩主:板倉家宗家13代目:備中松山藩板倉勝静は江戸幕府の
 奏者番・寺社奉行であったが井伊直政に罷免された。井伊直弼が桜田
 門外の変で暗殺された後、徳川慶喜の代に老中首座(筆頭)となった。
 藩政では山田方谷を起用し藩政改革を成功させた。
 

 川田甕江は、備中松山藩:板倉勝静に180tの
  大きい洋式木造帆船の快風丸を購入するように進言→実現。
  アメリカ→快風丸が横浜で引き渡し→玉島(現倉敷市)

川田甕江は、備中松山藩:板倉勝静に快風丸に乗せるよう
推薦した。板倉勝静は安中藩主:板倉勝殷に依頼した。
板倉勝殷は新島襄の函館行きをOKした。
 →新島襄は川田甕江の推薦で快風丸に乗り組むことになった。
※函館は老中:阿部正弘の配下:岩瀬忠震が5ヶ国と通商条
  約を結んであった。

 江戸・・送別会
 11月12日・新島襄は川田甕江から餞別を贈られ、江戸を出帆。 
 ★川田甕江は新島襄の将来に期待していたのであろう。
12月3日 玉島に上陸。
      名主の柚木家で風呂に入る。
※12月会津藩主:松平容保は京都守護職を拝命。


・文久3年(1863)20歳
※1月アメリカ大統領リンカーンが奴隷解放宣言を発表。
※2月 土佐藩郷士:坂本龍馬は土佐藩邸で帰藩を懇願。
※8月新選組の隊名が下される。
  土佐の天誅組が大和国で挙兵。
  新島の友人:松山藩士:原田亀太郎が刑死。
  薩摩藩の手で京都藩邸(=現同志社大学)が完成。

 新島襄は蘭学と英語の勉強を始める。
  和訳のロビンソン・クルーソー等を読む。

・元治元年(1864)21歳 
3月 快風丸に便乗し、函館に向かった。
4月25日 函館から父:民治への手紙を出した。
   「川田先生への手紙差し出し下され候や」
※6月池田屋事件・・長州の勤皇浪士を惨殺。

出航準備
①英会話・・・ロシア人宣教師:ニコライから
 ②福士宇之吉(英国商館員)との出会い
③函館・・目立たない服・髪型

福士宇之吉がベルリン号船長:セーポリーに依頼。
 
6月14日夜
 ※脱国~~~新島襄の手記~~~
「 友人(福士)と待ち合わせ場所であった。・・・
見張りが近づいて来たが、・・
綱を外したとき、・・・「船長に会いに行かなければ
なりません。・・・」
・・船長は私達を待っていてくれた。・・・握手をした。
部屋に通され、船長の呼び出しを待った。・・・」  
 ベルリン号船長:セーポリー 
 ベルリン号にボーイとして乗船=脱国



元治元年(1864)11月 水戸天狗党と下仁田戦争
水戸浪士の筑波山挙兵し、天狗党の成立した。
 天狗党が金品の強要し、 幕府浪士追討軍
 天狗党は徳川義寿を擁立し、京を目指して西上した。
 高崎藩の天狗党追討が出た。
 下仁田戦争開戦に伴い安中藩も出兵した。

◆◆ 箕輪初心◆水戸天狗党1『挙兵~下仁田戦争直前』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201303/article_25.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の2『下仁田戦争の詳細編』
https://53922401.at.webry.info/201303/article_26.html

箕輪初心◆水戸天狗党3の3「信濃→越前:処刑」
https://53922401.at.webry.info/201303/article_27.html
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201303/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★下仁田の特産品・名所・偉人・有名人 ◆◆
 ★里見哲夫先生=「シダ植物研究」の 第一人者
http://53922401.at.webry.info/201204/article_20.html
http://53922401.at.webry.info/201205/article_15.html

箕輪初心★「堤金之丞」&下仁田戦争の悲劇
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201403/article_31.html

箕輪初心■群馬【下仁田町の特産品&山&名所・観光地】
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201204/article_20.html


・慶応4年(1868) 1月13日、徳川慶喜から上野碓氷郡の警備の
強化を安中藩が命じられた。 板倉勝殷(かつまさ)は警備を
 強化させた。
 
慶応4年(1868)世直し一揆の勃発
徳川慶喜の大政奉還と国内の動揺は広がった
 秩父より起こった世直し一揆は高崎新町まで広がってきた。
 岩鼻代官所は世直し一揆の対応に追われた。
 安中藩では農兵取立てた。
 富岡・安中方面で一揆勢猛威を振るっていた。
 板鼻宿で一揆勢が打ち壊しを行った。
 東山道鎮撫総督の下向し、一揆勢が鎮まった。

3月、板倉勝殷(かつまさ)も西軍に恭順も著した。
安中藩は老臣を上洛させて、西軍(新政府)に恭順の姿勢を示した。

慶応4年(1868)赤報隊と偽官軍事件
  相楽総三は尊皇攘夷運動に身を投じていた。
 西郷隆盛の密命を受けて活動を行い、戊辰戦争が起きるきっかけ
 を作った。
西郷隆盛は相良総三の江戸擾乱・打ち壊し・強奪をさせた。
 赤報隊の結成⇒西郷隆盛や岩倉具視の後押しで結成された。
 赤報隊が、先鋒となって江戸に向かった。
 赤報隊は「赤心を持って国恩に報いる」から付けられた。
 一番隊、二番隊、三番隊で構成されていた。
 赤報隊隊長:一番隊長でもある年貢半減の布告

 赤報隊は新政府の許可を得て、東山道軍の先鋒として各地で
 「年貢半減」を宣伝しながら江戸へ向かった。
 世直し一揆などで旧幕府に反発していた各地の民衆に熱狂的な
 支持を得ていた。
 西郷隆盛は官軍先鋒:赤報隊先鋒として、先に中仙道の宿の無料
 で食料・金の無心をさせる証文を与えた。
 西郷隆盛・岩倉具視にとって赤報隊が歓迎されたことは喜ばしい
 ことであった。
 しかし、西軍は財源が乏しく、年貢半減はしたくはなかった。
 西郷隆盛は年貢半減の公約について、文書で証拠を残さ
 ないようにしていた。
 一度出した触れを引っ込めてしまえば、民衆の反発は免れない。

そこで新政府・西郷・岩倉は、年貢半減の触れを出した赤報隊を
 嘘つきの「偽官軍」として切り捨てることにした。
 西郷隆盛は赤報隊に金品強奪の汚名を着せた。
 赤報隊の先鋒嚮導隊は偽官軍とされた。  
 
 安中藩も偽官軍への対応にしなければならなかった。
「偽官軍事件」として有名な赤報隊事件は安中で起こっている。
安中藩:猪狩幾右衛門は、当初は僅か8石3人扶持であった。
 安政5年(1858)に郡奉行助勤となって足高50石。後新知50石、
 慶応4年(1868)、猪狩幾右衛門率いる安中藩兵が、「偽官軍」とさ
 れた赤報隊の幹部を領内の坂本宿で討ち取った。

 安中藩の論功行賞で猪狩幾右衛門は報奨金一千疋を拝領した。
(『安中市史』)

 相楽総三の一番隊は反発した。
  西軍の赤報隊捕縛の命を受けた。
 小諸(こもろ)藩などに襲撃され惨敗した。
 西軍は追分戦争で勝利した。
 西軍により赤報隊が上諏訪で処刑された。
 
 安中藩が赤報隊士を慰めた。
4月19日、安中藩は新政府軍に弾薬を献上した。


慶応4年(1868)小栗事件と安中藩
小栗上野介忠順が上州権田へ隠棲した。
 西郷にあおられたとされるヤクザ・暴徒二千人との決戦が始まった
 西軍は高崎・安中・吉井三藩の小栗追捕命令を出した。
 小栗上野介忠順らは倉渕の河原で磔になった。
 小栗又一らは高崎城牢屋(現JTB反対の小林駐車場)で殺された。

◆◆小栗上野介シリーズ*****************
~~~箕輪初心:小栗全集~~~
◆◆箕輪初心★小栗上野介①「先祖」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_28.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介②「遣米使節団」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介③「業績と提唱」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介④「権田での隠遁生活」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_1.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑤「ヴェルニー&東郷平八郎」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_2.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑥「東善寺&村上泰賢先生」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_10.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑦「道子夫人の会津への逃避行」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_11.html

◆◆箕輪初心★小栗⑧「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html

◆◆箕輪初心★小栗⑨「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑩「東善寺訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201109/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑪「佐賀の8人&大隈重信」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑫「大隈重信&三野村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_23.html

◆◆箕輪初心★小栗上野介⑬「名残」=築地 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_11.html

箕輪初心★小栗上野介⑭童門氏VS村上泰賢先生TV討論
http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html

箕輪初心★高崎:小栗上野介15【小栗上野介忠順の抹殺】
http://53922401.at.webry.info/201410/article_20.html

箕輪初心:生方▲小栗上野16:岩下哲典先生の講演会
『幕末情報社会と小栗上野介』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_1.html

箕輪初心:生方★小栗上野介17『小栗祭り20160522』
https://53922401.at.webry.info/201606/article_2.html

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箕輪初心●群馬藤岡編「芦田城」&依田一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201107/article_9.html  

箕輪初心★高崎藩最後の藩主19代:松平大河内輝聲(てるな)
http://53922401.at.webry.info/201310/article_17.html

箕輪初心:生方▲2018高崎№30『鼎談』と【小栗上野介忠順企画展】
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_10.html

箕輪初心:生方▲2018小栗上野介忠順(ただまさ)の生涯:前編「~世界一周」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_15.html

箕輪初心:生方▲2018小栗上野介忠順(ただまさ)の生涯:後編「帰国後の活躍」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_16.html

箕輪初心:生方▲福島旅行①『会津』横山常守と海老名季昌・新島八重・小栗道子
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_44.html

箕輪初心:生方▲福島旅行①『会津』横山常守と海老名季昌・新島八重
・小栗道子
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_44.html


★慶長2年12月~翌年1月 小栗叉一忠道は横山常守にフランス語を
 教えた。横山常守はパリ万博・ヨーロッパ視察に行った。・・・
慶長4年、小栗上野介の詮議無き死の3日前、会津横山常守邸に向かった。
 5月1日 横山常守は白川口で戦死。首を横山邸で松平容保と見た。
 会津若松城に籠城した。後、南郷で出産した。

箕輪初心:生方▲2018高崎№47『小栗上野介顕彰碑』と「小栗家の歴史」
https://ubu3blog.at.webry.info/201812/article_12.html





慶応4年(1868)戊辰戦争と安中藩
小栗上野介忠順は追討後の始末と沼田出兵 ・・・
 安中藩・高崎藩・吉井藩は三国峠の戦いに出陣した。
 安中藩・高崎藩・吉井藩はは戸倉戦争に出陣した。

箕輪初心▲燧ヶ岳2回&戊辰戦争
https://53922401.at.webry.info/201306/article_21.html



 本家の板倉勝静が幕府の要職にあったことから、鳥羽・伏見の戦い
 から1週間後には松山藩追討令が朝廷から出され、岡山藩の軍勢が
 藩主不在の松山城などを接収した。
 京都にいた板倉勝静は徳川慶喜に従って江戸へ向かった。
  以後の戊辰戦争では板倉勝静旧幕府方に身を置いて箱館まで
 転戦した。


・明治元年(1868)戊辰戦争終結⇒ 廃藩置県

・明治2年(1869)6月20日、版籍奉還で板倉勝殷(かつまさ)安中
 藩知事に任じられる。

・明治4年(1871)
7月14日 板倉勝殷(かつまさ)は廃藩置県で免官された。
8月に東京へ移った。

・明治5年(1872)3月5日、板倉勝殷(かつまさ)隠居し、養子
勝任(実父中山忠能)に家督を譲った。

・明治6年(1873)
8月19日、板倉勝殷(かつまさ)板倉勝任の隠居により、家督を
   再び相続した。
 8月31日に板倉勝殷(かつまさ)死去した。享年54。
  二男五女。
  三女花子は板倉勝任と結婚し、その後板倉勝観(松平康載)と再婚した。
  四女種子は板倉久知(実父中川久昭)と結婚した。


・昭和30年(1955)、碓氷峠の茶屋で『安中御城内御諸士御遠足着帳』
 発見された。 時間や着順が記されている文献であった。順位や
 タイムは重要視されていなかった。ゴールした者には餅などが
 ふるまわれた。碓氷峠で中間ラップが聞かされたという。

・安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」
 の石碑が建てられた。

峠を越えた後は登山道に入り、総走行距離は30km程度ながら、
最終的にスタートとゴールの標高差は1000メートル以上ある。

・昭和50年(1975)からは「安政遠足 侍マラソン」が毎年5月第2
日曜日に開催されている。
仮装をしながら走れることが特徴であり、毎年参加者の半数以上
はなんらかの仮装をしている。

・平成22年(2010)
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・平成23年(2011) 東日本大震災が起こったので、「遠足」
 の大会は中止になった。
 
平成25年(2013)
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・2014年の映画「超高速!参勤交代」
・2016年の映画「超高速!参勤交代 リターンズ」


・平成31年(2019)2月22日、土橋章宏がの小説『幕末まらそん侍』
が映画化され「サムライマラソン」が上映される。!

時は幕末、迫る外国の脅威に備え、安中藩主・板倉勝明(かつあきら)は
藩士を鍛えるため、十五里(約58km)の山道を走る遠足(とおあし)を開
催した。
土橋章宏の小説『幕末まらそん侍』を映画化! ロケは全て山形県。
佐藤健に小松菜奈、長谷川博己と中川大志 幕末まらそん侍が原作

行きはマラソン、帰りは戦





箕輪初心:生方▲2016年【超高速!参勤交代・リターンズ】のあらすじ詳細
https://53922401.at.webry.info/201609/article_25.html

◆◆ 箕輪初心●群馬『安中遠足侍マラソン』=日本初マラソン ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_4.html

箕輪初心◆群馬「第39回:安政遠足(とおあし)侍マラソン2013」
https://53922401.at.webry.info/201305/article_13.html

箕輪初心★安中藩【大山融齋&山田三川&添川完平&川田甕江】
https://53922401.at.webry.info/201110/article_26.html
★板倉勝明公が雇った学者。

◆◆ 箕輪初心●群馬『安中の城一覧』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_13.html

◆◆ 箕輪初心●群馬『安中城:安中→井伊→板倉』  ◆◆
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201211/article_12.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄2詳細編』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm

◆◆ 箕輪初心●『新島襄の上州&八重の会津』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_26.html

◆◆箕輪初心★新島八重周辺「湯浅治郎&八重さんの醤油」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★柏木義円 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_22.html



箕輪初心:生方▲2017映画『お前はまだグンマを知らない』
:「最低の下ネタギャグ・最高の郷土愛?」
http://53922401.at.webry.info/201708/article_37.html

箕輪初心:生方▲2019年1月~2月中旬『観光劣国:群馬(グンマー)』
TV放送の現状
https://ubu3blog.at.webry.info/201902/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100-141『ルシウス・モデストゥス(阿部寛)H26』
https://ubu3blog.at.webry.info/201809/article_46.html
https://s.webry.info/sp/ubu3blog.at.webry.info/201809/article_46.html

箕輪初心:生方▲伊香保番外編:ロケ『頭文字D』『テルマエ・ロマエ』
『伊香保殺人事件』
https://ubu3blog.at.webry.info/201901/article_23.html

箕輪初心:生方▲『テルマエ・ロマエ』群馬の温泉「Ⅰ伊香保」
「Ⅱ草津・法師・宝川」
https://ubu3blog.at.webry.info/201902/article_30.html






★次は「サムライマラソン」③安中ふるさと学習館かな?

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