箕輪初心:生方▲伊香保№72≪徳冨蘆花M31?『千明仁泉亭』≫「不如帰と大山捨松」

徳富蘆花は 伊香保が大好きで、「『千明仁泉亭』を常宿にして、10回
訪れている」と聞いたが、Hpに「5回」離れで書いたとあった。
新島襄が『千明仁泉亭』で病気療養のため、新島八重と来ていたが、
弟子の徳冨蘆花は新島襄の死んだ大磯の百足屋には行けなかった。
徳富蘆花は伊香保『千明仁泉亭』での出世作「不如帰(ほととぎす)」
を書いた。楚々たる美女「浪」と夫:川島武雄・・・。
・明治31年(1898)に、徳富蘆花の代表作「不如帰(ほととぎす)」
が、国民新聞に連載された。
「日清戦争の時代、封建的家族制度の中で繰り広げられる夫婦(武男
と浪子)の物語である。海軍少尉川島武男と陸軍中将片岡毅の娘
 :浪子が、愛し合いながらも運命に翻弄される悲劇・・・
小説『不如帰』の冒頭を飾る宿:伊香保温泉の「千明仁泉亭」の
3階の一室から物語が始まってている。
★元になっているのは、薩摩出身の元帥陸軍大将「大山巌&会津藩
家老:山川重固の娘:山川捨松の子:信子がモデルになっている
ところが、1月20日、大河ドラマ「いだてん」で「女西郷とよば
れる三島和歌子は不如帰の姑だった。」と解説があった。
悲恋小説で伊香保は一躍全国に知られるようになり、新婚旅行のメッ
カになったと言われている。
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◆徳冨蘆花周辺の略年表********************
横井小楠門下の徳富一敬の次男として熊本県水俣に生まれた。
兄は思想家・ジャーナリストの民友社:徳富蘇峰(猪一郎)である。
同志社英学校で新島襄に学んだ。当然、新島八重にも世話になった。
★徳富蘆花は、同志社大学に2回学んでいる。つまり、新島襄の弟
子である。
徳蘆花は山本覚馬の次女:山本久栄と熱烈な恋愛をする。 新島
襄の妻:新島八重=山本八重から見れば、山本久栄は姪に当たる。
二人の恋を父:山本覚馬や新島襄や新島八重は反対した。ここで、
徳富蘆花は同志社大学を中退した。『黒い目と茶色の目』は、山本
久栄をモデルにしている。
トルストイに傾倒し、イスラエル&ヨーロッパ&ロシア旅行を敢行
した。新島襄の死に新島八重と徳富蘇峰は立ち会ったが、徳富蘆花
は立ち会えなかった。
 長年、兄:徳富蘇峰と絶縁状態にあった。
 徳富蘇峰(富はウかんむり)徳冨蘆花(冨はワかんむり)
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・慶長4年(1878) 山本八重(新島八重)と山川さき(山川捨松
・大山捨松)は会津若松城で籠城していた。
山本八重(新島八重)はスペンサー銃で反撃していた。
  山川さき8歳は消火活動・怪我人の看護の手伝いしていて
  火傷をした。

・明治4年(1871) 28歳 
 2月 弟:新島雙六が死亡。
  8月 森有礼(米国駐在少弁務使)の斡旋で新島襄に
   日本政府旅券=パスポートと留学免許状が送付される。
 
・明治5年(1893) 岩倉使節団
   山川捨松12歳、津田梅子8歳らとともに子どものアメリカへ
   の語学留学生であった。 
   安中藩の新島七五三太(襄)は函館から密航し、アーマスト大学
  にいた。新島襄は密航者ではなく、留学者として、森有礼の
  斡旋で手続きで、新島襄はアメリカから通詞になった。通詞となった。
  新島襄は山川捨松・津田梅子もとも面識があったかもしれない。
  岩倉使節団にいたからである。

・明治8年(1875) 6月新島襄32歳 山本覚馬を訪問。
  京都府顧問で旧会津藩士:山本覚馬から
  学校用地=旧薩摩藩邸を550$で譲渡してもらった。

 11月29日 新島襄は京都に「同志社英学校」を創立。(校長)
   山本覚馬・山本八重(後に妻)・デビスなどの協力
   →「同志の学校」の意味である。
     生徒は8人であった。


・明治9年(1876)新島襄33歳が山本覚馬の妹:「八重」と結婚。
 親族を安中から京都に迎え入れた。
10月20日、金森通倫、横井時雄、小崎弘道、吉田作弥、海老名弾正、
  徳富蘇峰、不破惟次郎ら熊本バンドと呼ばれる青年達が
  同志社英学校に入学した。

・明治11年(1878) 徳冨蘆花は10歳の時に、兄:徳富蘇峰の伴われて
  同志社英学校に入学した。

・明治13年(1880) 37歳
 「自責の杖」事件
「先輩と後輩が一緒の級では嫌だ。」と言いだした。

2年後兄の退学とともに退学した。
徳富蘇峰と徳冨蘆花は熊本に戻った。

・明治18年(1885) 徳冨蘆花は17歳の時にキリスト教受洗した。
  今治教会で、従兄弟の横井時雄の元で伝道と英語教師に従事した。
  この頃から蘆花の号を用いた。

・明治19年(1886)徳冨蘆花は 同志社に再入学した。

・明治20年(1887) 東京で民友社社長となっていた兄:徳富蘇峰
  のところで小説「浮雲」を読み、小説家になる志を立てた。



・明治21年(1888) 徳富蘇峰の協力により井上馨・大隈重信・土倉
庄三郎・大倉喜八郎・岩崎弥之助・渋沢栄一・原六郎・益田孝等から
寄付金の約束を取付ける。特に土倉は新島襄のよき理解者、協力者であ
った。板垣退助と新島襄を取り結んだ

徳冨蘆花は『同志社文学』に横井小楠の墓を訪ねた短文「孤墳の夕」が
掲載され、初めて文章が活字になった。

徳冨蘆花は 同志社副校長山本覚馬の娘(学長新島襄の姪)と恋愛関係にな
るが新島襄・新島八重・徳富蘇峰にも反対され出奔した。

 鹿児島などを流浪後熊本英学校の教師となった。

・明治24年(1891) 徳冨蘆花はキリスト教と決別し、ゲーテやユーゴー
 などヨーロッパ文学に親しんだ。
 中でもトルストイ『戦争と平和』を英語で読んで傾倒するようになる。

・明治27年(1894) 徳冨蘆花は原田愛子と結婚した。


●明治21年(1888)、
『不如帰』の執筆のきっかけとなった伝聞は近所の陸軍の大物、
 大山巌が後妻:大山捨松と再婚した事、大山巌と前妻の息女が
 病弱であった事などを素材にした。
 ⇒事実に無関係に脚色をしたのが『不如帰』だった。

11月、徳富蘇峰は襄の求めに応じ「同志社大学設立の旨意」を添削し、 
   民友社発行の『国民之友』をはじめ全国の主要な雑誌・新聞に掲載し、
  同志社大学設立に尽力した。


・明治22年(1889)
10月 新島八重は京都を発ち、 伊香保へ向かう。
10月16日に松尾音治郎、松本勘十郎らの案内で伊香保に到着した。
 新島襄は千明仁泉亭で療養生活をした。 山本八重=新島
八重が看病した。約1ヶ月の湯治だった。
 (★安中有田屋さん:湯浅治郎の子孫の方よりの説明)
◆千明仁泉亭には書簡等が残されている。写真が消滅。残念。


11月28日、新島襄は同志社設立運動中に心臓疾患を悪化させて
 前橋で倒れ、神奈川県大磯の旅館・百足屋で静養した。
 愛弟子の一人の不破唯次郎の妻・ユウの看護を受けた。

 
・明治23年(1890)1月23日午後2時20分、徳富蘇峰、小崎
弘道らに10か条の遺言を託して死去した。


・明治31年(1898)、徳富蘆花の代表作「不如帰(ほととぎす)」
が、国民新聞に連載された。
「日清戦争の時代、封建的家族制度の中で繰り広げられる夫婦(武男
と浪子)の物語である。海軍少尉川島武男と陸軍中将片岡毅の娘
 :浪子が、愛し合いながらも運命に翻弄される悲劇・・・
小説『不如帰』の冒頭を飾る宿:伊香保温泉の一室から物語が始ま
っている。(本当は「千明仁泉亭」である。)




【1】徳富蘆花「不如帰(ほととぎす)」
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 (★土屋文明記念文学館の冊子より)
上編
一の一
 上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。
年は十八九。品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布
を着たり。
 色白の細面、眉の間あわいややせまりて、頬のあたりの肉寒げ
なるが、疵といわば疵なれど、瘠形のすらりとしおらしき人品。
これや北風に一輪勁きを誇る梅花にあらず、また霞の春に蝴蝶と化
けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕やみにほのかににおう月見草、
と品定めもしつべき婦人。
 春の日脚の西に傾ぶきて、遠くは日光、足尾、越後境の山々、
近くは、小野子、子持、赤城の峰々、入り日を浴びて花やかに夕ば
えすれば、つい下の榎離れて唖々と飛び行く烏の声までも金色に聞
こゆる時、雲二片蓬々然と赤城の背うしろより浮かび出いでたり。
三階の婦人は、そぞろにその行方をうちまもりぬ。
 両手優ゆたかにかき抱つべきふっくりとかあいげなる雲は、お
もむろに赤城の巓いただきを離れて、さえぎる物もなき大空を相並
んで金の蝶のごとくひらめきつつ、優々として足尾の方へ流れしが、
やがて日落ちて黄昏寒き風の立つままに、二片ふたつの雲今は薔薇色
に褪いつつ、上下に吹き離され、しだいに暮るる夕空を別れ別れにたど
ると見しもしばし、下なるはいよいよ細りていつしか影も残らず消ゆ
れば、残れる一片はさらに灰色に褪いて朦乎と空にさまよいしが、
果ては山も空もただ一色に暮れて、三階に立つ婦人の顔のみぞ夕やみ
に白かりける。



一の二
「お嬢――おやどういたしましょう、また口がすべって、おほほほほ。
あの、奥様、ただいま帰りましてございます。おや、まっくら。奥様エ、
どこにおいで遊ばすのでございます?」
「ほほほほ、ここにいるよ」
「おや、ま、そちらに。早くおはいり遊ばせ。お風邪かぜを召しますよ。
旦那だんな様はまだお帰り遊ばしませんでございますか?」
「どう遊ばしたんだろうね?」と障子をあけて内うちに入りながら
「何なんなら帳場したへそう言って、お迎人むかいをね」
「さようでございますよ」言いつつ手さぐりにマッチをすりてランプ
を点つくるは、五十あまりの老女。
 おりから階段はしごの音して、宿の女中おんなは上り来つ。
「おや、恐れ入ります。旦那様は大層ごゆっくりでいらっしゃいます。
……はい、あのいましがた若い者をお迎えに差し上げましてございます。
もうお帰りでございましょう。――お手紙が――」
「おや、お父とうさまのお手紙――早くお帰りなさればいいに!」
と丸髷の婦人はさもなつかしげに表書を打ちかえし見る。
「あの、殿様の御状で――。早く伺いたいものでございますね。
おほほほほ、きっとまたおもしろいことをおっしゃってでございましょう」
 女中は戸を立て、火鉢の炭をついで去れば、老女は風呂敷包みを戸棚
にしまい、立ってこなたに来たり、
「本当に冷えますこと! 東京あちらとはよほど違いますでございます
ねエ」
「五月に桜が咲いているくらいだからねエ。ばあや、もっとこちらへお寄
りな」
「ありがとうございます」言いつつ老女はつくづく顔打ちながめ
「うそのようでございますねエ。こんなにお丸髷まげにお結い遊ばして、
ちゃんとすわっておいで遊ばすのを見ますと、ばあやがお育て申し上げた
お方様とは思えませんでございますよ。先奥様がお亡なくなり遊ばした時、
ばあやに負ぶされて、母かあ様母様ッてお泣き遊ばしたのは、昨日のよう
でございますがねエ」はらはらと落涙し「お輿入こしいれの時も、ばあや
はねエあなた、あの立派なごようすを先奥様がごらん遊ばしたら、どんな
におうれしかったろうと思いましてねエ」と襦袢の袖引き出して目をぬぐ
う。
 こなたも引き入れられるるようにうつぶきつ、火鉢にかざせし左手ゆ
んでの指環のみ燦然さんぜんと照り渡る。
 ややありて姥は面おもてを上げつ。
「御免遊ばせ、またこんな事を。おほほほ年が寄ると愚痴っぽくなりまし
てねエ。おほほほほ、お嬢――奥様もこれまではいろいろ御苦労も遊ばし
ましたねエ。本当によく御辛抱遊ばしましたよ。もうもうこれからはおめ
でたい事ばかりでございますよ、旦那様はあの通りおやさしいお方様――」
「お帰り遊ばしましてございます」
と女中の声階段の口に響きぬ。



【2】榛名編
「今日は榛名から相馬が嶽に上って、それから二ツ嶽に
上って屏風岩の下まで来ると迎えの者に会ったんだ。」
「そんなにお歩き遊ばしたの?」
「しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。
 一方は茫々たる平原さ、利根がはるかに流れてね。
一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいて
 いるなんぞはすこぶる妙だ。
歌でも詠めたら、ひとつ人麻呂と腕っ比べしてやるところだった。
あはははは。 」 
 ( 徳富蘆花:不如帰:ホトトギス 岩波文庫 )

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三島弥太郎と、嫁いで若くして亡くなった妻・大山信子を
モデルとした悲恋小説である。
★元になっているのは、薩摩出身の元帥陸軍大将「大山巌&会津藩
家老:山川重固の娘:山川捨松の子:信子がモデルになっている
 新島襄は山川捨松とも面識があったかもしれない。ともに、岩倉使節
 団にいたからである。新島襄はアメリカから通詞になった。山川捨松
 は津田梅子らとともに子どものアメリカへの語学留学生であった。
 
①風評被害者は大山信子の継母:大山捨松であった。
 捨松は極悪非道の継母として描かれた。
 徳冨蘆花は 『不如帰』で、」大山捨松が事実無根の悪人に仕立て
 上げられ、不幸な目に遭っているのを黙殺しつづけた。
 
.・大正8年(1919)、徳冨蘆花は大山捨松が危篤に成る間際に
 ようやく謝罪をした。


何故NHKは「三島和歌子」なのだろうか?

②風評被害が三島和歌子に及んだ。
三島和歌子は、嫁いできた病弱な嫁をイジメる、悪どい姑
として描かれた。

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・昭和2年(1927) 病に倒れる。死の直前伊香保温泉で蘇峰と再会
 して和解した。「後のことは頼む」と遺言して狭心症のため死去し
 たという。満58歳だった。享年60歳。
代表作『灰燼』『自然と人生』などがある。
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◆◆ 箕輪初心★『伊香保を愛した徳富蘆花』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html

徳冨蘆花『不如帰』「徳冨蘆花記念館」
◆◆ 箕輪初心★新島八重周辺『徳冨蘆花』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html

箕輪初心★新島八重の周辺②『新島襄&徳富蘇峰』
https://53922401.at.webry.info/201302/article_7.html

箕輪初心:生方▲草津100-72『徳富蘇峰T14』新島襄から洗礼
https://53922401.at.webry.info/201805/article_33.html


【3】『千明仁泉亭』…2回泊
悲劇の物語小説『不如帰』の冒頭を飾る千明仁泉亭には、私も
2回、泊まっている。上司が「『千明仁泉亭』でなければ、納め会に
参加しない。」というので、・・・深い浴槽、湧き出る豊かな源泉「黄
金の湯」がとってもいい。日帰り温泉は入れてくれない。
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●●伊香保温泉「千明仁泉亭」(千明仁泉亭で聞いた話)
 徳富蘆花・・・伊香保を愛した明治の文豪の常宿
生涯10回宿泊し、ひいきにした旅館であり現存する。
『不如帰』は執筆された作品である。
徳富蘆花は5回「千明仁泉亭」の離れで、小説&詩歌を書き、千明仁泉
亭の特別離れで死んだ。
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●●伊香保温泉「千明仁泉亭」のHp
 徳富蘆花は5回「千明仁泉亭」の離れで、小説&詩歌を書き、
千明仁泉亭の特別離れで死んだ。
は、明治・大正時代に活躍した文豪・徳冨蘆花(1868~1927)ゆか
りの宿でもある。
熊本県水俣の出身。
思想家・ジャーナリストの徳冨蘇峰は実兄。
「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」などが代表作の、
帝政ロシア時代の小説家・思想家であり、非暴力主義者でもあるレフ
・トルストイ(1828~1910年)に影響を受けた。
この宿で執筆した小説「不如帰」は、伊香保温泉を舞台に日清戦争に
よって愛する夫と、結核により引き裂かれた浪子の悲恋が描かれたもの。
その後も、蘆花は、外遊の際、実際にトルストイに会うなど、海外にも
出かけていたが、ここ伊香保、特にこの「千明仁泉亭」をいたく気に入
り定宿とし、さらにはここで生涯を閉じる。
「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。」
・・・「不如帰」の冒頭の一節だが、この「千明の三階」とは「千明仁
泉亭」の部屋のことだ。
改築とともに蘆花が過ごした部屋はもうないが、客室全室に「不如帰」
の文庫本が置かれ、当時の面影に想いを馳せることができる。
しかし、「石段街」の入口に、「徳冨蘆花記念文学館」があるが、そこに
臨終を迎えた客室を含む離れが、記念館として移築されていた。
また、フロントには、小説「富士」完成の喜びを知らせる徳冨蘆花から
先代当主に宛てた手紙が展示されていた。

さらに、歌人・与謝野晶子も宿を訪れ、
「伊香保山 雨に千明の 傘さして 行けども時の 帰るものかな」
と詠んだ。
なお、文豪・谷崎潤一郎、国際的に活躍した教育者でもあり農政学者
でもある、新渡戸稲造も訪れている。


【4】徳冨蘆花記念文学館…2回
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◆◆ 箕輪初心★『新島襄1』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★『新島襄2』  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_1.htm

◆◆箕輪初心★新島襄:安中&新島八重:会津若松 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_26.html

◆◆ 箕輪初心◆会津:新島八重を巡る旅 ◆◆
  山本覚馬・新島八重の実家跡&山本家の墓を掲載
http://53922401.at.webry.info/201304/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★京都の新島襄宅&八重さんの墓 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_13.html

◆◆ 箕輪初心★新島八重周辺「湯浅治郎&八重さんの醤油」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★住谷天来 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_20.html

◆◆ 箕輪初心★住谷悦治 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★柏木義円 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_22.html

◆◆ 箕輪初心★内村鑑三 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_23.html

箕輪初心★『新島襄&新島八重の上州』企画展in群馬
https://53922401.at.webry.info/201305/article_22.html

箕輪初心★新島八重の周辺②『新島襄&徳富蘇峰』
https://53922401.at.webry.info/201302/article_7.html

◆◆ 箕輪初心★『伊香保を愛した徳富蘆花』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_6.html

箕輪初心★爽やかな秘話『新島八重子回想録』の紹介
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201302/article_10.html

箕輪初心★群馬【新島襄】=2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」夫
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

箕輪初心★『日新館&保科正之&新島八重のパネル展』
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201304/article_25.html

★平成30年(2018)11月21日、会津若松城に行った。
 山本八重(新島八重)にちょっと感じてきた。

箕輪初心:生方▲津和野【西周(あまね)&山本覚馬→新島譲】
&【森鴎外&羽鳥千尋】
https://53922401.at.webry.info/201512/article_12.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16(1883)?≫ 「榛名湖水質
調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html

◆2018年福島旅行
箕輪初心:生方▲福島旅行①『会津』横山常守と海老名季昌・新島八重
・小栗道子
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_44.html
山川浩、田中茂手記…ロシア使節団→ヨーロッパ視察
横山常守と海老名季昌…パリ万博→ヨーロッパ視察
山本(新島)八重…スペンサー銃での籠城
小栗道子…小栗叉一が横山常守にフランス語を教え、横山常守邸に
 身を寄せ、松平容保と死を悲しみ会津若松城に籠城→南郷で出産

箕輪初心:生方▲福島旅行②『会津若松城5回目』と福島の城ブログ一覧
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_45.html

箕輪初心:生方▲福島旅行③『会津若松城5回目』と『会津武士・子女』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_46.html
★山川大蔵・神保雪子(夫:神保修理はは鳥羽伏見の戦いでの容保の責任
 で切腹)中野竹子(8月25日、城外:高久で戦死)・山本八重(スペ
ンサー銃で戦う)など・・・★山川さき(大山捨松8歳の怪我)

箕輪初心:生方▲福島旅行④『会津若松』内藤信節・西郷頼母・萱野長修
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_47.html




◆◆箕輪初心★新島襄:安中&新島八重:会津若松 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_26.html

◆◆ 箕輪初心◆会津:新島八重を巡る旅 ◆◆
  山本覚馬・新島八重の実家跡&山本家の墓を掲載
http://53922401.at.webry.info/201304/article_21.html

◆◆ 箕輪初心★京都の新島襄宅&八重さんの墓 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201304/article_13.html

箕輪初心★爽やかな秘話『新島八重子回想録』の紹介
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201302/article_10.html

箕輪初心★群馬【新島襄】=2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」夫
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

箕輪初心★『日新館&保科正之&新島八重のパネル展』
https://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201304/article_25.html


箕輪初心:生方▲福島旅行⑤『大内宿3回目』と山川大蔵(浩)
/イザベラ・バード
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_48.html







◆明治時代編************************
箕輪初心▲伊香保№33≪新居守村:明治3年(1870)≫榛名神社の神仏分離取締
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_9.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35群馬県立土屋文明記念文学館
「榛名・伊香保文学紀行46人」
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newsedit.do

箕輪初心:生方▲2018高崎№30『鼎談』と【小栗上野介忠順企画展】
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_10.html

箕輪初心:生方▲伊香保№35≪デシャルム大尉:M6≫フランス人将校
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_12.html

箕輪初心:生方▲伊香保№36≪三遊亭円朝M7≫落語家『霧隠(陰)
伊香保湯煙』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_13.html

箕輪初心:生方▲伊香保№37≪アーネスト・サトーM10 ・M28≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_14.html

箕輪初心:生方▲伊香保№38≪ベルツ博士M10・M13・M14≫「楽山館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_17.html

箕輪初心:生方▲伊香保№39≪小林虎三郎M10≫『米百俵』と「伊香保日記」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_19.html

箕輪初心:生方▲伊香保№42≪英照皇太后陛下(考明天皇の皇后)M12≫「凌雲閣」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_21.html

箕輪初心:生方▲伊香保№43≪大槻文彦M12・M15・M40 ≫「楽山館」「村松旅館」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_22.html

箕輪初心:生方▲伊香保№44≪岸田吟香:安政6年(1859) ・安政7・M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_24.html
★非常にユニークな人生を歩んだ。

箕輪初心:生方▲伊香保№46≪箕作麟祥M12楽山館≫法学者
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_25.html
箕輪初心:生方▲伊香保№47≪田中芳男:M12≫パリ万博→上野動物園設立
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_26.html

箕輪初心:生方▲伊香保№48≪島田三郎:M12「楽山館」≫書記官:衆議院議員
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_28.html

箕輪初心:生方▲伊香保№49≪森槐南M12≫漢詩人、官僚
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_30.html

箕輪初心:生方▲伊香保№50≪鈴木(鯱)松塘(しょうとう)M12≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_31.html

箕輪初心:生方▲伊香保№51≪北村重威M12≫築地精養軒・上野精養軒
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_34.html

箕輪初心:生方▲伊香保№52≪成島柳北M12:木暮武太夫泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_35.html

箕輪初心:生方▲伊香保№53≪末広鉄腸M12木暮武太夫11泊≫ジャーナリスト
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_36.html

箕輪初心:生方▲伊香保№55≪英照皇太后:M12/M13「楽山館」≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_38.html

おまけ****************************
箕輪初心:生方▲歴史に隠れた大商人「清水卯三郎」のパリ万博と
『ジャポニズム』
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_40.html




箕輪初心:生方▲伊香保№55≪内村鑑三M16(1883)?≫ 「榛名湖水質調査報告書」
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_39.html

箕輪初心:生方▲伊香保№56≪新島襄・新島八重M22:千明仁泉亭で療養≫
https://ubu3blog.at.webry.info/201811/article_43.html











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