箕輪初心:生方▲2019温泉№24『磯部温泉:かんぽの湯』・№25『磯部温泉:恵みの湯』

むか~し、私は磯部温泉街を通って通って3年、職場に通った。
私の職場は松井田3年間・安中に3年間であった。そのために、
泊まりの飲み会は自動的に6年間が磯部温泉になる。「雀のお
宿」と「高台旅館」であった。令和元年(2019)7月12日、
『群馬県立自然史博物館』でT先生の凄い解説を聞いた後、
部温泉「かんぽの湯」
に行った。7月14日も『群馬県立自然
史博物館』の後、磯部温泉「恵みの湯」に行った。
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◆アクセス
1)磯部駅から
磯部駅前ら正面を下っていき、左折すると温泉街である。
「煎餅通り」と呼ばれてる通りの廻りにホテル・旅館は点在する。
鉱泉橋近くには足湯:温泉マーク発祥の地・一覧案内板がある。
碓氷川に架かる愛妻橋・鉱泉橋からは妙義山を展望できる。
坂を上ると信号がある。


◆磯部温泉の歴史*********************
・鎌倉時代
  「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」
  鉱泉の湧出があった。
  (★「吾妻鑑」・「足湯」脇の説明板など)


・江戸時代
・万治4年(1661)の絵図には、磯部温泉を記す温泉記号が記載
 されていた。
 土地の境界をめぐる訴訟があった。
 江戸幕府から出た判決文の地図に温泉記号が存在した。
評決文『上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚』の
添付絵図に磯部温泉を記した温泉マークがふたつ描かれ、調査
の結果、この温泉マークは日本最古のものと判明したというい
われによるものです。
 (★「足湯」の説明板より)
 (現在も使用「温泉記号発祥の地」とされる。)

   近在からの湯治客で賑わっていた。
  中山道を旅する人々も疲れを癒したと言われている。

・天明3年(1783)、浅間山大噴火の折りに湧出量を増した。
 冷泉で外傷治療のために利用された
1783年(天明3年)の浅間山の大噴火で湯量が増したといわれる。

・天保12年(1841)大手萬平氏による温泉場開設からと伝わります。
(大手拓次の父?)

・明治前期(信越本線が軽井沢まで開通する以前)
  軽井沢に行きにくいため、霧積温泉・磯部温泉は避暑地として
  賑わった。

箕輪初心★霧積温泉【金湯館】と文人墨客
https://53922401.at.webry.info/201503/article_24.html
★西郷従道の別荘があった。


・明治13年(1880) 日本鉱泉論
 6月21日 内務省で細川局長と温泉場改革関する
        提案をした。
例として、熱海と伊香保を出した。
「伊香保温泉の土地改良論」である。

6月23日 「この国には高地の気候療養所がない。・・・
・・・箱根・草津・伊香保でよいのだか、医者がいない。」

ベルツ博士にとって温泉研究はライフワークの一つとなって
 いた。研究成果を発表していた。
 しかし、当時の草津温泉はベルツの意図するものではなかった。
 「先ず、新しい草津を今の町の外に造る必要がある。・・・
 来年帰国するのでなければ、療養所を建てるのだが・・・」
  (★『ベルツの日記』)

ベルツはこの時、
産婦人科医であった助手の櫻井郁二郎は
 「磯部温泉・伊香保温泉は子宝の湯」と考えた。

ベルツ博士が「胃腸の名湯」として賞賛したという。
磯部温泉は低温ながら効能ある良泉として知られていたようである。

・明治18年(1885) 高崎一横川が開通した
「磯部」駅に近く交通の便がいいことから相応の賑わいを見せたもの
 と思われる。

・明治19年(1886) 内務省衛生局が編纂した全国の鉱泉リスト
 「日本鉱泉誌」が完成した。
 群馬県に43の温泉が記載されている。
塩ノ久保磯部? 碓氷郡西上磯部村 泉質炭酸泉 泉質16.6℃  
 固形分28.993g/L 客数不詳 宿数等不詳
①「塩ノ久保磯部?」とあり おそらく磯部と思われる。
②泉質は炭酸泉
③泉温は16.6℃
③成分濃度を示す固形分(現の蒸発残留物重量)は1L当たり、
 28.993g

★磯部の旧源泉は炭酸分を含む冷鉱泉であった。

伊香保 西群馬郡伊香保村 塩類泉49.4 ℃ 固形分1.887
 年間客数24883
 垂仁天皇2年 湯戸14 層楼を構う
草津 吾妻郡草津村 酸性泉*64.4℃ 固形分5.556
 年間客数24150
  発見年代不 9泉記載 浴舎数十戸
◆参考サイト
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/bbs/special/yamasemi_kosen_list/meiji-2.txt

・明治19年(1886)井上馨は外務大臣時代、磯部温泉を静養地として
群馬県知事佐藤与三の斡旋で、磯部に別邸を建設した。



・明治26年(1893)に信越本線の横川(群馬県)一軽井沢(長野県)間11.2km
 は、1年半の工事期間で開通した。

文人墨客も多く、都会の俗塵を避けて磯部の清遊に訪れた。
島崎藤村をはじめ多くの作家が滞在し筆をとりました。
磯部公園内には磯部を訪れた前橋の萩原朔太郎、朔太郎の仲良し
 室生犀星、城ヶ島の北原白秋らの詩碑が建てられているので
 来ているのであろう。

・明治27年(1894)~明治29年(1896)頃、児童文学者・巌谷小波は
 「舌切り雀」の伝説が伝わるという磯部を訪れて、「舌切り雀の
 昔話」『日本昔噺』を書き上げた。
「舌切り雀」の伝説は各地に昔からあるものの、巌谷小波が書いた
 ことにより、磯部温泉は舌切雀伝説発祥の地とされている。
「舌切雀のお宿ホテル磯部ガーデン」
風呂は沸かして使われていた。

・大正6年 若山牧水が現桜や作右衛門に泊まった。

・大正10年 巌谷小波が「現磯部ガーデン」に泊まった。

・大正15年 高崎の村上鬼城が磯部に来て句を詠んだ。


・平成8年、新源泉「恵みの湯」(52.6℃・149L/分)が開発
 された。
16.6℃⇒24℃⇒52.6℃、

・平成13年、公営の日帰り施設「恵みの湯」が開設された。

・平成25年(2013) 磯部温泉は竹林の湯宿『はやし屋』から
 「せせらぎの湯 桜や作右衛門」に変更になった。
 経営は「磯部ガーデン」の経営者と同じ。


現在、

A.夕焼け小焼けのお宿 高台旅館・・・
  ★泊3回泊・全て飲み会
  

B. 桜や作右衛門「せせらぎの湯・・・若山牧水の泊まった宿
  泊0
  
 ★日帰り入湯1回
  2019年安中ふるさと学習館に「焼き物」の搬入したつい
 でに、『桜や作右衛門「せせらぎの湯」』に入った。
 

C.雀のお宿「磯部館」・・・泊0
 ★日帰り1回

D.舌切雀のお宿「磯部ガーデン」・・
   超高級ホテル 女将は下仁田の旅館の櫻井氏
 ★宿泊3回泊全て飲み会
 ★日帰り2回
    

E. 旭館・・・・・宿泊0
大きな露天風呂貸切の宿

F. 見晴館・・・・・宿泊0
 ふわふわ豆腐鍋のおいしいお宿

G.小島屋旅館・・・・宿泊0
★福留さんが自性寺焼のTV撮影で泊まった宿

H.かんぽの宿磯部・・・宿泊0
★日帰り1回・・浴槽は水道水1・温泉2、露天1
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◆日帰り入浴施設「恵みの湯」
 温泉・砂塩風呂も施設の名物となっている。
★1回目…日帰り500円+夕食1回
★2回目… 日帰り500円
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●磯部せんべい
 鉱泉を使用している。
せんべい生地に抹茶や味噌、生姜やゆず、ゴマや黒砂糖を
 加え味も幅広い。高度経済成長期以降は洋菓子が流行し、
 チョコレートやクリームを使用する和洋折衷の工夫が行わ
 れている。
 洋菓子の生地に磯部から全国各地に生地が販売され、使われている。
全国シェアの約90%と聞いたことがある。
 北海道の有名な「????」「○○○チョコレート」も使っている
ことが判明した。
 何だ。日本全国、磯部せんべいか?って感じ。
★某安中市民は「勉強堂」を推薦してくださった。


毎年8月14日~16日に磯部温泉まつりが開催される。
詩碑紹介



【2】磯部公園詩碑・歌碑等

1. 阿部真之介(富岡市)恐妻碑
「恐妻とは 愛妻の いわれなり」

2. 松坂一音楽碑
「小組曲管弦楽第一旋律幼き夢」・・・松坂 一作曲

3. 大手拓次詩碑

4.萩原朔太郎・神保光太郎・保田与重郎 
 〜拓次をめぐる友情の碑~
 昭和12年2月、拓次の墓参に弟子の神保光太郎・保田与重郎を
 ともなって来磯した時に書き残していったもの。

5. 岡田太京句碑
「残菊や おのれ欺く 髪染めて」

6. 室生犀星歌碑(碑にもちいた石は、碓氷川特産赤モジ石)
「目の見えぬ 酒は遠くに うき友の まなこはかつと 見ひらきにつつ」

7. 山口 薫(現高崎市箕郷町)詩画碑
「夏くさの しげれるままに 夏たけて クマと 行く路」
山口画伯は毎年磯部に遊んだ。来れば夜を徹して呑み明かすのが
常例だった。この詩は画集の讃であるが、おそらく絶筆だと思われる。

8.水原秋桜子句碑
「簗のうへ 峠の雷の とどろける」
昭和45年8月「馬酔木」安中支部の招待で、磯部簗に会食したときよんだ句。

9. 巌谷小波句碑
「竹の春 雀千代ふる お宿かな」
大正10年磯部温泉来遊の作。

10. 村上鬼城(高崎市)句碑
「泉わくや ときどき高く 吹きあくる」
大正15年6月、磯部温泉組合が鬼城を招待した時、間歇泉の磯部温泉を
 みてよんだ句。

11. 若山牧水歌碑
「湯の町の 葉ざくら暗き まがり坂 曲り下れば 渓川の見ゆ」
大正6年6月磯部温泉の作。

12. 久保田万太郎句碑
「温泉の町の 磧に尽くる 夜寒かな」
大正14年の作。3・4年前の磯部を思い出して作ったという。

13. 吉野秀雄(高崎市)歌碑
「岩に湧く 薬の水に 長き夜の 暗き灯かげば 射し及びたり」
昭和14年作

14. 川田 順歌碑
「冬ざれの 湯の町に向き 焼土の 層あらはなる 河原の小丘」
大正4年磯部宿泊の作。

15. 湯浅半月(安中市)歌碑
「空にたつ けむりの末に 見ゆる哉 あさまの峰の 秋のはつ風」

(★安中市Hpより)



★明日は?

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